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「今日はどこにいるんでしょうね」


 名高いガードマンとして、雇い主の身辺警護を行うあの男。今日も今日とてどこにいるのか知れたものじゃない。帰ってくるときはひょっこり顔を出すし、帰らなければ何ヶ月も帰らないから、元気にいてほしいとだけ、いつも願っておく。


「つがるが来るまでアンタのことも慰めてあげるわ。おいで、愛理」


 珠貴さんと同じ痛みに悩まされている私も円花さんの隣に座って、人のさみしさを丸ごと抱え込めるほど大きな手のひらに頭をなでてもらった。髪の毛越しに伝わってくる体温があたたかい。


「アンタも少し休みな。肩くらいなら貸してあげるから」


 遠慮したつもりだったけれど、これまた鎮痛剤の副作用も相まってか、うとうとと眠気が襲ってくる。病院玄関のすりガラス越しに射し込んでくる太陽光もまたふんわりとあたたかくて、これでまどろむなっていうのはちょっと無理な話。


「しかし生理ってホント伝染するんだね」


 学生時代、友人間で言い合っていたのを思い出す。誰かが生理になると、近くにいた誰かにもそれが伝染うつる。だとしたら、生理の神様はとんだ気まぐれだ。自分の手元からすぐにいなくなる。痛みを与えないでくれたら優しい神様なのに、惜しい。気まぐれだからきっと、生理の神様は猫に違いない。だったらもう怒れない。猫の神様は怒れないよ。気まぐれで、いつ来てくれるか分からないような神様も、男も、もう願い下げよ。


「おや、裏口から来たのアンタ。驚かせないでよ」


 円花さんのはつらつとした声が、私を眠りの世界から現実へ引き戻してくれた。重いまぶたを押し広げると、タブレット端末を片手に携えた青年が目の前にいる。裾に向かってゆったりと広がっていくワイドパンツ。黒い肌着が透けるほどに白いシャツ、その上からロングジャケットをはおった書生さん風の出で立ちに加えて、新月の夜みたいなどす黒い髪の毛を伸ばした男こそが待ち人来る。


「オレだって玄関から入ろうとしたんだ。そしたら女二人が眠ってる。起こしちゃ悪いと思って気をつかったんじゃないか」


 タブレット端末の画面につがるが文字を書き込む。この男のコミュニケーション方法は、言葉ではなく文章だった。


「で、なんの用事だ。まさかお昼寝タイムに誘ってくれたわけじゃないんだろう? 嬢と珠貴のどっちかを選べって言われたら胸のでかい方にさせてもらうけどな」

「パパさんがお呼びなんだとさ。あと珠貴はやらないから」

「あいにくオレも乏しい胸より豊満な胸の方が好みなんだ。一般的な男の見解としてな」


 円花さんの敵意ある威嚇を浴びてもつがるは完全に無視。自分と会話する権利の視線を私にくれた。


「ありがとう。わざわざ来てくれて」

「親父に呼べって言われたんだろう。お前が悪いんじゃない。お前と会話するのも嫌いじゃない。人と話すときは顔か胸を見ろっていうだろう、お前は最高だよ」


 声に出して会話をしないだけで、実はものすごくおしゃべりな男だったりもする。画面の隅っこに配置されているデリートアイコンを一度タッチするだけで、それまでの猥談文はすべて消えた。


「それで、用事はあの写真の子どもか?」


 まっさらになったスペースに、つがるが新たに文字を書き込んでいく。先ほど二人に見せたあの写真は、つがるに電話をした後メールで送信しておいた。電話でもつがるは決して返事をしないから、こっちから一方的に用件を口にするだけになる。それでも父親の頼み事は決して断らないので、用件を伝えたら通話は切れと先生から教わっている。本人も了承済みだが、断らないんじゃなくて断れないんだ、という訂正だけ本人から受けた。


「今、二階で与識先生が見てくれてるんだけど」

「あの人がどんなに優秀な医者であろうと、あれは治せない。あれはオレの範疇だ」


 呪医が断言する。達筆で、画数の多い範疇という文字までお手本のごとく書ききった。


「会わせてくれ」


 医療スタッフを代表して、私が二階へと案内する。待合いスペースの右奥に位置する階段を上り、入院部屋が五室ほどあっても、頻繁に使用されるのは手前の一部屋のみ。そこに今日、新たな患者さんとして永真くんが入っている。


「来たか」

「来たよ」


 親子の再会なんてそんなもの。ましてやどちらも男となれば、あいさつなんて淡泊を極める。

「嬢から写真だけ見せてもらった。本物も見たい」

「抱っこは勘弁だとよ。母親以外が抱くと症状が悪化するんだ」


 永真くんの母である紗良さらさんは、わが子に手を伸ばそうとする不届きものは射殺そうとさんとばかりの強烈な眼差しでつがるを認識する。なのに、こけた頬の不健康さといったらない。すぐそばにたたずむ父の誠司せいじさんも同じ、背後にいすがあっても決して座らない。父として夫としてのプライドがあるにしても、倒れたら元も子もないはずなのに、それでもその人は妻に寄り添い、わが子を見つめていた。


 気持ちが分かるのだろう。与識先生も、普段はいすにふんぞり返って座るのに、今日に限っては立ったままだった。数も年齢も関係はないが、誠司さんよりも多くの、そして大きな年齢の人の子を持つ父親として、先生にも感じるものがあるようだ。

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