2
医大を出て医師免許を取得すれば何科の医者にでもなれる。しかし風邪なら内科、捻挫なら整形外科とそれ専門の医者にかかった方がいい。専門医の目で診てもらって初めて分かる、これは風邪じゃない、これは捻挫じゃないといった診断が下されるかもしれない。それは往々にして、重病である可能性も否定できない。だから、可能ならば医者は専門医にかかるべきだ。
それで言うなら、つがるはやっぱりこのケースにおいての専門医だった。
名前だけで十分、あの患者さん――
呪い専門の医者。与識先生のように医大を出ていなければ医師免許もない男だけれど、その系統の患者さんに関しては確実な効果が期待できる。
連絡をし、私は手洗いに入った。毎月のこと、一年に十二度来訪する血生臭さに頭を悩ませながらも、手早く済ませてトイレを出る。私が自分の居所としている受付の前にある待合いスペースでは、膝枕をしている看護師さんとされている看護師さんがいる。
「休んでいて大丈夫ですよ」
「うん、でも薬効いてきたからだいぶ平気になったの。ごめんね、診察に愛理ちゃん付き添わせちゃって」
珠貴さんが軽い貧血を起こしたのも、今の私とほぼ同じ理由。与識先生にも休んでろと言いつけられた珠貴さんが、円花さんの膝枕を借りていたところだった。
「円花もありがとう、もういいよ」
「アタシの場合ぜんぜん痛くないから、アンタたちには同情したって安っぽく感じられると思うけど、心配ならいくらでもするからさ。ねえ、どっちも体は大事にしなよ」
真っ黒な髪にベリーショートヘア、さらにラズベリーよりも濃い赤の唇が印象的な円花さんが珠貴さんの髪をなでる。美女同士のじゃれ合いは目の保養だ。本当はまだ和らがない痛みで切なく笑む珠貴さんを、きらきら輝く色素の薄い前髪が隠そうとする。
美人な看護師さんを二人に未亡人の受付嬢まで雇うなんて、与識先生もつくづく物好きだ。五十歳に足を突っ込む年齢とは誰も思うまい。あれで成人済みの息子もいるのだ。
「患者さんはどんな感じなの?」
円花さんの視線は少々きつい。けれどそれは、患者さんを心配する気がかりによって細められるせい。知らない人はわりと怖がる。彼女は父親似なのだ。
「体が――こんな感じで」
電子カルテとして利用するタブレット端末に、先ほど撮影した永真くんの写真を表示させる。赤ちゃんの柔肌に浮かびあがる痣に、虐待の文字が浮かばない看護師はいない。眉をひそめる二人、さっそく違和感を嗅ぎ取ったようだ。
果たして人為的なものか。人体の神秘である病気なのか。
それらを超越したおどろおどろしい気配を察して、誰しもが口を閉ざしてしまう不可思議な痣。推測の自由さえ許さない、奇妙な紋様。
「血じゃなくて痣なんです。しかも動いていて」
「これ動くの?」珠貴さんがちょっと引いて、困り顔になる。「気色悪いね」
「母親に抱かれているとなんともないんです。でも与識先生が抱いたら、呼吸は荒くなって痣もミミズみたいに暴れ出して」
先生の口頭を記述した所見を二人が眺める。医師である与識先生ですらお手上げの症状だ。降参と手を上げる円花さん。つがるの到着を待つのが最善策として、珠貴さんは再び横になる。珠貴さんの髪をなでながら、膝を貸す円花さんは熱の混じった息を吐いた。
「セックスのときの絶頂が男は射精してようやく一回なのに、女は何回でも感じられるみたいな話あるじゃない。あれは女が出産するときの痛みに対して平等にするためとかって聞いたけど、出産しないのにこうやって毎月痛みにもだえ苦しむ珠貴とかアンタ見てると、それでも女はつらさしかないような気がするわ」
「子どもを体から出すことで母親になる実感を持てるとか、母乳を与えて満ち足りた気持ちになれるとか、言う人は言いますけどね」
「それで天秤が平等になるかっていったら、アタシはたとえ小数点二十位レベルの差違でも見つけだして文句をあげつらねてやるね」
それもすべて、珠貴さんのため。円花さんは珠貴さんのためならなんでもする。なんでもやる。なぜかなんて答えは一つ。
「珠貴が幸せになるならアタシ、なんでもするからね」
生理痛がもたらす腹痛と腰痛をこらえながら、珠貴さんは脂汗に濡れた前髪を指先で取り払いながら円花さんを見た。目を見合わせた二人はにっこり微笑みあう。
美女カップルに対して、男の良さも知ってもらいたいなんて口にするゲスもたまにいる。でもそんなゲスに良さなんてあるはずもないから、二人にはこうしてずっと美しいまま、世界一美しいカップルとしてあり続けてもらいたい。
「いいですね。うらやましい」
「アンタにもそういう男いるじゃん」
円花さんが笑って、珠貴さんもつられて私に笑みを向ける。それはだから違うんですと何度意思表示したって、通じるような人が私の周りにはいない。分かっていて言っているということを私も分かっているし、私が未亡人であることも知っているから、あまり強くは言ってこない。周りの人も、あの男も。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます