第37話:魔力を喰らう竜

 巨大クレーターの底、煮えたぎるマグマの海の中央に、黒々とした岩の島が孤立していた。

 その島の上に、奴は鎮座していた。

 全長30メートルを超える巨体。マグマそのものが凝固してできたかのような赤熱した鱗。背中には、火山弾のように脈打つ赤黒い結晶体が剣山のように生え、その隙間から絶えず高熱の蒸気がシュウシュウと音を立てて噴き出している。周囲の空気は陽炎のように歪み、岩肌さえもその熱気に耐えきれず赤く発光していた。


 火竜ヴォルカニック・ドレイク。この第35層に君臨する絶対王者。

 だが、俺たちの目の前にいるのは、ただの火竜ではない。兄の手記にあった通り、魔力を喰らい、自らの糧とする最悪の変異種だ。


 俺たちがクレーターの縁に姿を現した瞬間、火竜の閉じられていた瞼がゆっくりと開いた。

 黄金色に輝く縦長の瞳孔が、俺たちを捉える。そこには知性など微塵も感じさせない、太古から続く純粋な破壊衝動と、絶対強者のみが持つ傲慢な光が宿っていた。


 グオオオオオオオオォォッ!!


 大気が物理的に震えるほどの咆哮と共に、火竜が大きく息を吸い込んだ。喉の奥がカッと輝き、口内に灼熱の炎が渦を巻き始める。

 ブレス攻撃だ。予備動作から発射までのタイムラグが異常に短い。


「散開ッ!」


 俺の叫びと同時に、俺と雫は左右に分かれて跳んだ。

 直後、俺たちがいた場所を極太の炎の柱が薙ぎ払った。岩盤が瞬時に飴細工のように溶解し、ドロドロの溶岩となって崖下へ流れ落ちる。

 凄まじい熱量だ。源三の作った黒竜のコートを着ていても、肌がチリチリと焼ける感覚がある。あと数秒、あの場に留まっていれば灰すら残らなかっただろう。


「まずは小手調べだ! 雫、牽制を! 奴の反応を見極める!」


「了解!」


 雫が岩陰から身を出し、杖代わりのレイピアを振るう。彼女の周囲に冷気が集束し、無数の氷の槍が形成される。

 

氷槍連弾アイス・ジャベリン!」


 放たれた氷の槍は、唸りを上げて火竜に向かって殺到する。Aランク冒険者の放つ高密度の魔法だ。通常の火竜なら、鋼鉄のような鱗を貫き、確実にダメージを与えられる威力がある。

 だが――


 氷の槍が火竜の体に触れようとした瞬間、その背中の結晶体が怪しく明滅した。

 ブォン、という重低音と共に周囲の空間が歪む。氷の槍は火竜の鱗に弾かれることもなく、空中で瞬時に分解され、青白い光の粒子となって火竜の体内へと吸い込まれていった。


「……っ! 本当に、魔法を喰らった……!?」


 雫が愕然とする目の前で、火竜の体表温度が急上昇した。吸収した魔力を即座に燃料へと変換し、炎の勢いを増幅させたのだ。口元の炎が、先ほどよりも凶悪な輝きを帯びる。


 手記の通りだ。魔法攻撃は、奴を傷つけるどころか、強化する最上質の餌にしかならない。


「物理で攻めるしかない! 俺が引きつける、援護しろ!」


 俺はワイヤーアンカーを岩に撃ち込み、振り子の要領で空中へと飛び出した。

 狙うは首元。装甲の薄い喉仏に、パイルバンカーの一撃を叩き込む。


 俺の接近に気づいた火竜が、煩わしそうに巨大な尻尾を薙ぎ払ってくる。風切り音が爆音となって鼓膜を叩く。

 俺は空中でワイヤーを巻き取り、身を翻してそれを回避。そのまま勢いを利用して、火竜の肩口に着地しようとした。


 だが、火竜の体表から、爆発的な熱波が放射された。

 

「ぐっ……!?」


 あまりの高熱に、呼吸すらできなくなる。コートの表面が焦げ付き、意識が飛びそうになる。俺は着地を断念し、ワイヤーを岩壁に撃ち込んで緊急回避を余儀なくされた。

 奴の周囲は、常に数千度の熱気に守られている。生身で近づけば、パイルバンカーを撃つ前に俺自身が蒸し焼きにされる。


「くそっ、近づけねえ!」


 俺は岩陰に着地し、焦げたコートの裾を払いながら舌打ちした。

 魔法は無効化され、接近戦も熱壁に阻まれる。まさに難攻不落の要塞だ。

 これが、数多のAランク冒険者を絶望させ、葬り去ってきた「特異種」の力か。


 火竜は勝ち誇ったように咆哮し、次なるブレスの準備を始めた。

 今度は、先ほどよりも遥かに巨大で、密度の高い魔力が口元に集束していく。雫の魔法を吸収した分、威力が跳ね上がっている。このまま放たれれば、俺たちが隠れている岩陰ごと、クレーターの一部を消し飛ばすだろう。


「……万事休す、ですか」


 雫が俺の隣に来て、苦しげに言った。彼女の顔色は蒼白で、魔力枯渇と絶望感で押しつぶされそうだ。


「いいや、まだだ」


 俺は火竜を睨みつけたまま、ニヤリと笑った。思考を加速させる。

 奴の行動パターン。魔力の流れ。そして、あの背中の結晶体から漏れる蒸気。

 全ての動きには理由がある。無敵に見える生物にも、必ず構造上の欠陥が存在する。


「奴が魔力を吸収した後、背中の結晶体から過剰な熱を排出しているのが見えるか?」


「ええ、白い蒸気が……見えますが、それが?」


「あれは排熱機関だ。魔力を喰らえば喰らうほど、奴の体内炉心は過熱する。だから、定期的に熱を捨てなきゃ自壊するんだ」


 俺はパイルバンカーの杭を装填した。カシャン、という硬質な音が、俺の決意を固める。


「ブレスを吐く瞬間、奴は全エネルギーを攻撃に回す。その直後、必ず排熱のために体表の高熱障壁が薄くなる『空白の一瞬』がある。そこが唯一の勝機だ」


 俺は雫に向き直り、作戦を伝えた。


「俺が正面から突っ込んで、最大火力のブレスを誘発させる。お前はその瞬間、奴ではなく『足元』を狙え」


「足元……マグマの海、ですか?」


「そうだ。全力の氷結魔法で、奴の足場を一瞬だけ凍らせろ。下からの熱源を断ち、冷却効果で俺が走れる『道』を作れ」


 失敗すれば、俺はブレスで蒸発するか、マグマに落ちて死ぬ。タイミングがコンマ数秒でもずれれば終わりだ。

 だが、成功すれば――最強の一撃を叩き込める。


 雫は一瞬だけ躊躇した。その瞳が揺れる。だが、俺の目を見て、すぐに迷いを振り払った。力強く頷く。


「分かりました。貴方の背中、信じます」


「頼んだぞ、相棒」


 俺は岩陰から飛び出した。

 火竜の視線が俺に集まる。

 さあ、来い。化け物。

 俺たちの「効率的」な狩りを、見せてやる。

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