第8話:観測される異物

「――で、この報告書の内容は事実なのか、村瀬君」


 静かだが、研ぎ澄まされた刃物のように空気を緊張させる声だった。


 ここは、最大手ギルド『アイアンルート』東京本部の上層階にある作戦会議室。厚い遮音壁に囲まれたこの部屋では、ギルドの最高幹部たちが重要案件について議論を交わす。その末席で、村瀬翔太は直立不動のまま、全身から冷や汗を流していた。


 彼の目の前には、アイアンルート育成部門の責任者にして、日本でも数少ないSランク冒険者の一人、黒崎が座っている。スーツの上からでも分かるほど鍛え抜かれた体躯と、全てを見透かすような鋭い眼光。その圧倒的な存在感を前に、村瀬はかろうじて声を絞り出した。


「は、はい! 間違いありません! 我々が第二層最深部に到達した際、ゴブリンチーフとその配下は、既に何者かによって殲滅されておりました!」


「死体の状況は?」


「はっ! その……いずれも、急所を一撃で貫かれた、無駄のないものでした。まるで、戦闘ではなく“処理”が行われたかのような……。現場には、大規模な魔法の痕跡も、大規模な戦闘による破壊の跡も、一切ありませんでした」


 村瀬の報告を聞きながら、黒崎は手元のタブレットに表示された、別の報告書に目を落としていた。それは、ダンジョン庁の内部協力者から極秘に入手した、数日前の第一層の監視記録データだった。


『対象:日向 蓮(コードF-73)。第一層踏破時間、18分45秒。ソロでのボス討伐を確認。戦闘データ、異常値のため要監視対象に指定』


 そして、村瀬の報告書には、こう記されている。


『現場に到達する数時間前、ロビーにて高校時代の元同級生である、無所属ソロ冒険者『日向 蓮』と遭遇。彼は当部隊と同じく、第二層へ向かうと発言していた』


 二つの報告書が、一つの異常な点を指し示していた。


「……日向 蓮、か」


 黒崎が呟いたその名前に、室内にいた他の幹部たちもざわめき始める。


「育成部長、その男、先日データが上がってきたばかりの新人ですね。経歴に五年間の空白がある、“帰還者”の可能性が高いとされている……」


「しかし、いくらなんでも話が出来すぎていませんか? 新人が、登録からわずか数日で、単独で第二層のボスを、しかも無傷で? 村瀬君の見間違いか、あるいは別の高ランクパーティが秘密裏に動いただけでは?」


 幹部の一人が懐疑的な意見を口にした。それは、常識的に考えれば至極当然の反応だった。

 だが、黒崎は首を横に振った。


「いや。俺は、この報告は事実だと見ている」


 黒崎はタブレットを操作し、会議室の大型スクリーンに、ダンジョン庁から入手した第一層での蓮の戦闘映像を映し出した。顔にはぼかしが入っているが、その動きの異常性は誰の目にも明らかだった。


「この動きを見ろ。一切の無駄がない。付け焼き刃の訓練で身につくものではない。俺がこの五年で見てきたどのトップランカーよりも、深く、濃い……死線を越えてきた者だけが持つ動きだ。そして、村瀬君の部隊が目撃した死体の状況と、この映像の動きは、完全に一致する」


 スクリーンの映像に、会議室は静まり返った。プロだからこそ分かる、その動きの異次元性。


「……スカウトをかけますか?」

「いや、まだだ」


 黒崎は即座に否定した。

「これほどの男が、今まで無名だったこと自体が不自然だ。下手に接触すれば警戒される。まずは、周辺から探る。金の流れ、生活拠点、交友関係。徹底的に洗い出せ。それと……ダンジョン庁の五十嵐主任に繋げ。奴なら、何か知っているはずだ。“特異点”の扱いは、奴の方が一枚上手だからな」


 黒崎の瞳には、規格外の存在に対する、強い警戒心と、それ以上に強い“興味”が宿っていた。日向蓮という名の駒が、彼の巨大な盤上に、静かに置かれた瞬間だった。


◇ ◇ ◇


 一方、その当の本人――日向蓮はというと。

 自分が巨大なギルドの議題に上がっていることなど知る由もなく、いつものように淡々とした日常を送っていた。第二層で得た素材を換金し、その金で装備の細かなパーツを買い足す。その繰り返し。


 その日、俺は先日ショートソードを購入した、あの中古装備屋を再び訪れていた。目的は、メンテナンス用のオイルと砥石、そして投げナイフの補充だ。


「よう、兄ちゃん。もう来たのか。買ったばかりの剣は、もう手足みてえに馴染んでるって顔だな」


 店主の親父が、珍しく軽口を叩いてきた。俺が黙って頷くと、彼はニヤリと笑い、カウンターの下から一枚のチラシを取り出した。


「実はな、あんたにぴったりの掘り出し物が入ったんだ。見てみな」


 それは、高ランク冒険者向けの非公開オークションの出品リストだった。その中に、俺の目を引く一品があった。


『ミスリル銀のワイヤー。伸縮性・耐久性に優れ、魔力伝導率も高い。罠や拘束具の素材として最適』


「……こいつは」


「だろ? あんたみたいな、力押しじゃねえ戦い方をする奴には、最高の武器になる。ただ、値段もそれなりにしやがる。今のあんたの稼ぎじゃ、ちと厳しいかもしれねえがな」


 確かに、提示された最低落札価格は、俺が今持っている全財産を投げ打っても足りない額だった。


「……考えておく」


「おう。まあ、気長に金を貯めるこった」


 店主とそんなやり取りをしていると、店のドアが開き、派手な装備に身を包んだ三人組の冒険者が入ってきた。彼らは俺と店主を一瞥すると、見せびらかすように大声で話し始めた。


「聞いたか? 最近、第二層で“ゴースト”が出るって噂」

「ああ、知ってるぜ。アイアンルートの新人部隊が遭遇したんだろ? ボス部屋に着いたら、ゴブリンどもが全員、眉間を一突きにされて全滅してたって話だ」

「マジかよ、怖えな! どんなヤバい奴だよ、その“ゴースト”ってのは」


 彼らの会話に、俺は眉をひそめた。ゴースト? 俺のことか。話に尾ひれがついて、妙な都市伝説になり始めているらしい。


 店主は、そんな彼らをうるさそうに睨みつけながらも、俺に向かってこっそりと目配せをした。その目は「あんた、何かやったんだろ」と雄弁に語っていた。俺は肩をすくめて応じ、目的の品だけを購うと、そそくさと店を出た。


(……面倒なことになってきたな)


 まだ名前も顔も割れてはいないが、噂が一人歩きを始めている。このままでは、遅かれ早かれ俺の存在は特定されるだろう。その前に、もっと力をつけ、目的達成への道筋を確かなものにしておかなければならない。


 その夜。団地の一室で、俺はネットの海を漂っていた。冒険者たちが利用する情報サイトや掲示板を巡回し、自分の噂がどこまで広がっているのかを確認するためだ。


【個人冒険者スレ No.425】

― アイアンルートの件、マジらしいぞ。ソースはギルド内部の友人。

― 第二層のボスをソロで瞬殺とか、どんな化け物だよw Aランクでも無理だろ。

― だから“ゴースト”なんだろ。神出鬼没で、姿を見た者はいない、みたいな。

― 剣の達人らしいから、誰かが「沈黙の剣サイレントソード」とか呼び始めてるなw 中二病かよw


(……沈黙の剣サイレントソード


 俺はスマホを伏せ、乾いた笑みを浮かべた。ゴーストだの、サイレントソードだの、好き勝手な名前をつけられたものだ。彼らが語っているのは、俺という人間ではなく、彼らが作り出した虚像に過ぎない。


 だが、その虚像は、現実の俺に影響を及ぼし始めていた。ギルドが俺を探している。噂は、いずれ俺の日常を侵食してくるだろう。


(平穏な時間は、もう終わりか)


 俺は窓の外の夜景に目をやった。無数の灯りの中に、もう両親の姿はない。この世界に、俺の心を無条件に受け止めてくれる人間など、もはや存在しない。守るべきものも、帰るべき場所も。


 ならば、やることは一つだ。

 誰が来ようと、何が起ころうと、俺は俺の目的を果たすだけだ。

 異世界で失った、仲間たちとの絆の証。あの剣を、この手で再生させる。そのために、俺はどんな障害も斬り拓く。


 俺は立ち上がり、壁に立てかけてあったショートソードを手に取った。冷たい鋼の感触が、思考をクリアにしてくれる。


「第三層……次は、暗闇と音波攻撃の階層か」


 ネットの情報によれば、第三層は視覚がほとんど役に立たない低照度環境であり、音波で獲物を狩る魔物の巣窟だという。好都合だ。光のない戦場は、俺にとって有利に働く。より強い敵、より価値のある素材が必要だった。


 その夜も、世界は静かに、しかし着実に動いていた。

 水面下で情報を集める巨大ギルド。ネットの片隅で、実体のない噂に熱狂する冒険者たち。

 そして、その中心にいる“異物”は、ただ静かに、次なる戦場を見据えていた。

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