第10話:士官学校Ⅴ
夜が更け、辺境の空に星が瞬く頃。
俺はというと、駐屯地の北側にある見張り塔の上で、望遠鏡片手に寒さと睡魔と戦っていた。
「……くそ、寒っ……! 胃が痛い上に風邪でも引いたら洒落にならん」
毛布にくるまりながら、何度目かの独り言を吐く。
ここは死角になりやすいエリア。補給路の起点でもあるこの場所は、敵が情報を持っているなら、最も狙いやすいポイントの一つだ。
レーン中佐とカーティス大尉の協力のもと、内部調査はすでに進行中だが、即座に結果が出るとは限らない。
だから俺は、自分で動くことにした。
「……本当は、こういうって専門の人とかがやるべきだと思うんだけどな」
愚痴っても、誰も答えちゃくれない。
俺は、月明かりに照らされた補給小屋のあたりに目を凝らした。
そのとき、微かな物音が。
耳を澄ますと、微かに砂を踏むような気配。
……来たか?
息を殺して望遠鏡を覗く。
すると、黒い影が一つ、補給小屋の裏手に忍び寄っていくのが見えた。
兵士。だが、見覚えがある。昼間見た顔の一つ。
ただ、今の時間帯、あいつがここにいるのはおかしい。
「……ビンゴかよ」
俺はそっと腰を上げ、音を立てずに階段を降りた。
兵舎の裏手に設けられた通路を抜け、距離を詰めていく。
相手は明かりを使わずに行動している。手慣れているな……。
だが、足音を完全に殺しているわけじゃなく、微かに聞こえる。俺はと言うと、魔法で自分の音を完全に遮断している。
そろり、そろりと間合いを詰め、ついに接近する。
「……そこまでだ」
低く、しかしはっきりと声をかけた。
黒影がピクリと動きを止めた瞬間、俺は魔法で明かりを付ける。眩しい光が影を照らし出す。
「……っ!」
振り返った男の顔。間違いない。補給担当の新兵だ。一度顔を確認しているで間違いない。
「……なんのつもりだ。夜間に無断で補給小屋に近づくなんて」
「俺は、ちょっと備品の確認を――」
「ウソだな。持ってるその袋、……空間拡張処理されてるな。新兵が持ってるのはおかしいだろ」
高位士官や特殊部隊向けの空間収納バッグを、なぜか新兵が持っているのは、明らかに身分不相応。
新兵が言い訳を探すように口を開きかけた瞬間、俺は首にかけてあった笛を吹いた。
事前に取り決めていた信号音。すぐに、遠くから複数の足音が近づいてくる。
「君を一時拘束する。調査が終わるまで、身柄を預からせてもらうよ」
急いで駆けつけに来た兵士に彼を引き渡しながら、俺はようやく一息ついた。
この張り込み、報われたな……。
レーン中佐とカーティス大尉にはすぐ報告だ。
おそらくあの新兵は単独犯じゃない。背後に情報を流していた別の連絡役がいる可能性が高い。
「胃、いてぇ……」
喜びよりも、まず痛みに先を越されるあたり、もう完全に身体が巻き込まれる前提でできてきているのが怖い。
でもまあ、これで少しは駐屯地のトラブルも収まるだろう。
そう思っていた、まさにそのときだった。
「報告、アルクス殿! 南の見張り塔が襲撃を受けました!」
「……は?」
おい待て、今いい感じに一区切りついたよなぁ⁉
なに次のトラブルフラグ立ててくれてんだよ⁉
一難去ってまた一難。俺は面倒ごとに頭を抱えてしまった。ゲームの本編が始まってすらいないのにトラブル続き。
もう、アークという存在自体が疫病神だと思えてきた。
うん。きっと違うさ。
――結論から言おう。
この駐屯地、思った以上に腐っていた。
俺が補給担当の新兵を押さえたその夜、南の見張り塔が襲撃を受けた。
奇襲にしては手際がよすぎるし、なにより“内部の動き”と見事にタイミングが噛み合っている。
要するに、あれは陽動だったってことだ。
手間が増えるっての……本気で胃に穴が空くかと思った。
けど、逆に言えば敵の狙いがはっきりしたのは収穫だった。
内部のスパイが攪乱を仕掛けて、外部の襲撃班がそれに乗じて小屋を荒らす。
証拠隠滅と情報奪取、両方を狙っていたってわけだ。
……まあ、俺が先に仕掛けたから、その目論見は潰えたわけだが。
その後、駐屯地全体に非常警戒を敷いて、レーン中佐とカーティス大尉が抜本的な内部調査を敢行。
怪しい連中が芋づる式にボロを出し、最終的に補給班の責任者ごとごっそり交代。
うん、胃が痛いだけの成果はあったな。俺の胃壁に黙祷しろ。
中佐には何度も礼を言われたけど、こっちはただこう……静かに生きたかっただけなんだよ。
なのに、なぜ俺はスパイ摘発と陣頭指揮までしているのか。
ほんとに、誰か教えてほしい。
帰還の日、朝焼けの中でカーティス大尉が馬車の中で。
「よくやった、アルクス士官候補生。君の働きがなければ、この駐屯地はもう少しで危機に陥っていた。最悪の場合、これを機に帝国が攻めて来ただろう」
「胃に優しい言葉、ありがとうございます……」
俺の皮肉にも、カーティス大尉は相変わらずの穏やかスマイル。
その目は、やっぱり少しだけ腹黒くて、でも、ほんの少し、信頼も感じられた。
前より少しだけ。
「士官学校に戻ったら、今回の報告書を頼む」
「了解しました……あ、でもその前に、ちょっと仮病で休暇申請していいですかね」
「許可はしないけど、診療所には連れてってやろう」
……この人、絶対に優しさと鬼畜さを同時に育ててきたな。
遠ざかっていく駐屯地を眺めながら、ようやく俺は息を吐いた。
とりあえず、ひと段落。
静かに過ごしたいという願いは叶っていないけど、最低限の成果は残したし、これでしばらくは目立たずに過ごせる……はずだ。
……いや、絶対また呼ばれる流れじゃね? この感じ。
「俺はただの、怠惰なラスボスだったはずなんだけどなぁ……」
流れる景色を眺めながら、ボソッと呟く。
道中の景色は穏やかで、春の訪れを告げる風が頬を撫でていく。
でも、俺の心は落ち着いてなんかいなかった。
帰ったら、まず胃薬を補充してから、報告書だ。
それが終わったら……ちょっとくらい、昼寝してもバチは当たらないだろう。
俺はそう、ひそかに決意したのだった。
そうして俺は、ガタガタと揺れる馬車の中、座席に身を沈める。
王都へと続く長い道のりの中で、束の間の平穏を祈りながら――。
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