第6話 傷跡

 僕たちはゼヒラ・シグに導かれ、エリア・ゼロを目指した。大断絶を引き起こし、シファーグを解き放ったとされる禁忌の場所。地図には「接近禁止区域」「世界の傷跡」とだけ記されている。ゼヒラ博士への疑念は拭えないが、彼の護符なしには進めない。


 道中のデアジュとキーシャの口論は相変わらずだったが、どこか重苦しい空気が漂う。


「ここから先は冗談抜きでヤバいぜ」


 とデアジュ。


「エリア・ゼロには真実が眠っている可能性がある。それに、ガストさんの力の謎も…この目で確かめなければ」


 とキーシャ。


「見て!」


 僕が声を上げる。


「前方の空気が…」


 目の前には異様な空気を纏った山岳地帯が広がっていた。アークライト周辺の穏やかな気候は消え、再び険しい山越えが始まったが、以前とは違う。進むにつれて風景は歪んでいく。木々はねじ曲がり、葉は不健康な色を放つ。地面にはガラス質化した黒い染み。空気は重く、鉄錆とオゾンが焦げたような刺激臭が混じり喉がヒリつく。


「…うへぇ、本格的にヤバい空気だ」


 デアジュが顔をしかめ、口元を布で覆う。センサーが警告音を発し続ける。


「マナ濃度が振り切れてやがる…この護符がなけりゃ、とっくに俺たちも歪んでたかもな」


「マナ濃度が高いだけではありません…流れそのものが酷く乱れ、淀み、逆流している…自然界ではありえない、不安定で悪意に満ちた状態です」


 キーシャも杖を握りしめ、険しい表情で周囲のマナを探る。時折、視界の端で空間が揺らめき、金属的な耳鳴りが頭を揺さぶる。その度に、首の護符がじわりと熱を持ち、淡く脈打つ光を放つ。この石片が、僕たちを狂った環境から辛うじて守ってくれている。


「見えたぜ……あれか?」


 数時間後、視界が開けた瞬間、デアジュが息をのんで前方を指さした。眼下に広がるのは巨大すぎるクレーターのような窪地。中心に、巨大な建造物の残骸。半ば土砂と黒く汚れた雪に埋もれ、焼けただれ、ねじ曲がり、崩壊している。引きちぎられた巨大なケーブルやパイプが垂れ下がり、風に揺れて不気味な音を立てる。空は鉛色に淀み、禍々しい静寂が支配していた。


「…………ここが、エリア・ゼロ…………世界の、傷跡……」


 キーシャが畏敬と恐怖が入り混じった声で呟いた。顔は青ざめている。僕も言葉を失い、圧倒的な破壊の光景を前に立ち尽くしていた。これが、二百年前に世界を変えた場所…。護符がこれまで以上に強く熱を発し、明滅を始めた。


 僕たちは、比較的損傷の少ない壁の裂け目から施設内部へ慎重に足を踏み入れた。内部は想像以上に荒廃していた。通路は瓦礫で埋まり、天井は崩落し、剥き出しの鉄骨が不気味な影を落とす。非常灯らしき赤いランプがかろうじて点滅する場所もあるが、ほとんどは暗闇だ。デアジュのライトが舞い上がる埃を照らす。壁には意味不明な警告サインや乾いた血痕。空気は淀み、カビと腐敗臭、金属が焼ける匂いが混じる。壁の配線から火花が散り、制御不能なマナが青白い燐光となって揺らめく。科学と魔法が、最も醜悪な形で混ざり合い、互いを蝕んでいるかのようだった。


「…気をつけてくださいまし。マナの流れが酷く乱れていますわ。空間そのものが不安定になっているようです。それに、何か……動くものの気配が複数……『フラグメント』の気配かしら…?」


 キーシャが杖を構え小声で警告する。


「ああ、俺のセンサーにも反応があるぜ。熱源反応と複数の金属反応。旧式の警備ロボットの生き残りだろうな。それに、計測不能なエネルギー反応もいくつか…こいつはマジでヤバい場所だ」


 デアジュもタブレットを睨む。僕もハンマーを握り直し神経を研ぎ澄ませる。


 施設の中を進むのは困難を極めた。通路は迷路のように入り組み、多くが塞がれている。


「こっちの通路はダメだ、埋まってる!」


「待て、こっちの壁…構造が少し違う。空洞反応がある」


 デアジュが壁を叩きセンサーを当てる。


「…よし、ビンゴだ! ガスト、頼む!」


 僕がハンマーで壁を打ち砕くと、狭いダクトのような通路が現れた。別の通路では、突然キーシャが悲鳴に近い声を上げた。


「止まって! この先、空間が歪んでいます! 重力が…捻じ曲がっている…!」


 前方の空間が水面のように揺らめく。


「やべえな、こりゃ! 下手に入ったらミンチになるか、別の次元に飛ばされるかもしれねえぞ!」


「わたくしが一時的に空間座標を固定します! ですが、長くは持ちませんわ! その隙に通り抜けて!」


 キーシャが全神経を集中させて呪文を唱える。杖の光が空間の揺らめきを強引に抑え込む。


「今です! 急いで!」


「行くぞ!」


 僕たちは一気に歪んだ空間を駆け抜けた。背後で空気が激しく圧縮される轟音が響く。キーシャは膝に手をつき荒い息をついていた。


 さらに深部へ進むと、旧式の監視カメラが赤い光を点滅させ僕たちを追う。


「――警告。未登録生体反応ヲ確認。レベル4侵入者ト認定。直チニ排除ヲ開始スル――」


 冷たい合成音声が響き、天井や壁から錆びついた機銃やレーザー砲塔が現れ一斉に攻撃を開始してきた!


「伏せろ!」


 デアジュが叫び、瓦礫の陰に隠れる。発射音とレーザー光線が壁を溶解させる音が反響する。


「ちくしょう、数が多すぎる!」


 デアジュが応戦しながら悪態をつく。


「キーシャ、そこの制御パネルからハッキングできるか!」


「やってみますわ! ですが、プロテクトが強固です! 時間が…! 援護をお願いします!」


 キーシャが杖をパネルに接続し解析と干渉を試みる。僕とデアジュは彼女を守るように応戦する。デアジュが機銃のセンサーを狙い、僕は近づく小型ロボットをハンマーで叩き潰す。力の制御を意識するが、この場所の異常なマナに呼応するかのように腕が熱くなり、意図しない力が溢れそうになる。


「システムの強制リライト開始!『回路遮断サーキット・ブレイク!」


 キーシャの魔法で数基の機銃が沈黙する。だがまだ半数が残っている!レーザー光線が僕のすぐそばを掠める。


「ガスト、右の壁の上だ!」


 デアジュの声。見上げると新たな砲塔が僕に狙いを定めている!ハンマーで受け止めようとするが体勢が崩れる。そこへ追撃!


「させません! 『反射障壁リフレクト・ウォール』!」


 キーシャが僕の前に光の壁を展開し攻撃を弾き返した。


「助かった、キーシャ!」


「油断しないでくださいまし!」


 僕たちは互いの死角をカバーし、残りの防衛システムを一つずつ破壊していった。息が上がる。そして、僕の体の中で何かが、この場所のエネルギーに呼応して疼き始めているのを感じていた。


 深部へ進むにつれ、空間の歪みや異常現象はさらに顕著になった。存在しない扉が現れては消え、さっき通ったはずの通路に戻るようなループ現象に陥る。


「ちくしょう、またここかよ!」


 デアジュが毒づく。


「空間座標そのものが不安定になっているようですわ…」


 キーシャが空間認識を補助する魔法を展開しながら進路を探る。空気中のマナの乱れは酷くなり、激しいめまいや吐き気、幻覚が襲う。護符が常に熱を発し守ろうとしてくれるが、万能ではない。特に僕の症状は酷かった。頭痛は割れるようで、力の暴走の瞬間や理解不能なイメージがフラッシュバックする。右腕の痺れは強くなり、時折、意志とは関係なく痙攣したり灼熱を発したりした。


「ガストさん、しっかりしてください!」


 キーシャが僕の腕を掴む。


「大丈夫か、ガスト? 無理すんなよ!」


 デアジュも心配そうに声をかけてくる。


「…ああ、大丈夫だ。少し、目眩がしただけだ…」


 必死で平静を装った。だが、この場所は僕の奥底にある何かを強制的に引きずり出そうとしているのかもしれない。


 どれほどの時間を彷徨ったか。やがて僕たちは、比較的損傷の少ない広い一室にたどり着いた。中央研究室のような場所だ。壁際には破壊された計算機や変異した生物の標本。床には焼け焦げた書類や実験器具の破片。二百年前の絶望の瞬間が凍り付いたかのようだ。


「…ここなら、何か重要な記録が残っているかもしれませんわ」


 キーシャが気を取り直し、壁の一部にある比較的新しい情報パネルに近づいた。ひび割れていたが、まだ機能しているようだ。彼女が杖で触れマナを流し込むと、画面にノイズ混じりの文字が明滅し始めた。


『…最終シークエンス開始…高密度エネルギー凝縮…閉鎖時空面形成…』


『警告:予測外の変動…閉鎖面に構造的不安定性…位相欠陥拡大…』


『測定限界超過。オリハルコン・コアより制御不能なエネルギー奔流…因果律接続の非局所的破綻…』


『緊急警報:遮蔽フィールド臨界。Metric-Altering Non-standard Aura流出…緊急停止プロトコル、応答なし…システム制御権喪失…』


『観測:時空連続体に局所的断裂…Rift…形成…閉鎖面、完全崩壊…特異構造、外部時空との直接接触…』


『Riftより、非標準物理モデル準拠のエネルギー及び情報構造体の流入…ローカル領域にて存在確率及び物理定数の書き換え…識別不能な侵食性存在を検知…コードネーム:シファーグ…接触による対象の存在構造変容…』


『…<記録ノイズ増大>…侵食性存在による現実位相構造の再定義…未知の法則系がローカル宇宙へ浸透…推奨行動:即時退避…<ログ強制終了>…』


 記録はそこで途切れていた。断片的で理解不能な専門用語が並ぶ。


「…何が何だかサッパリだが、とんでもねえ実験で大失敗やらかしたのは確かだな」


 とデアジュ。僕たちが理解できたのは、ここで何か取り返しのつかないことが起こり、それがシファーグを呼び込んだらしい、ということだけだった。だが、アカデミアで学んだキーシャは違った。彼女は青ざめた顔で、震える声で呟いた。


「…閉鎖面の崩壊…特異構造の直接接触…非標準物理モデル…まさか…これは…アカデミアの禁断書庫にあった『根源干渉理論』の実証実験…? それが暴走して…シファーグを…? 信じられない…こんな無謀なことを…!」


 部屋全体の空気がさらに重く冷たくなった気がした。記録媒体、あるいはこの部屋に残留する強烈なエネルギーの残滓に、僕の体が過剰に反応し始める。頭の中に激しいノイズが走り、視界が明滅する。意味不明なイメージ――砕け散る光、ねじれる空間、底なしの闇――が脳裏をよぎる。この場所の狂気が、僕の内側に流れ込み、僕の力を無理やり引きずり出そうとしているかのようだ!


「ぐ…うぅっ…!」


 押さえつけようとしても、右腕が勝手に熱を持ち、バチバチと火花のような光を散らし始める。制御が…効かない!


「ガストさん!?」


 キーシャが驚いて僕の腕を掴もうとするが、僕の腕から放たれたエネルギーの奔流が彼女を弾き飛ばした!


「うわっ! おい、ガスト! どうした!? やっぱり暴走か!?」


 デアジュが吹き飛んだキーシャを庇いながら警戒して距離を取る。


「ガストさん…あなたの力が…この場所の異常なエネルギーと…まるで、反応し合っているようで…いえ、それだけじゃない…何かに…引き寄せられている…?」


 壁に手をつきながら立ち上がったキーシャが、僕の腕から溢れ出す制御不能な光と周囲の歪んだマナを交互に見比べ、信じられないといった表情で呟く。


「おい、二人とも! 感傷に浸ってる場合じゃねえ!」


 デアジュがセンサーの警告音を聞きながら絶叫した。


「ここのマナ濃度、さらに急上昇してる! ガストの暴走が引き金になったのか…どっちにしろ、施設の奥から、何かとてつもなくヤバい気配がこっちに向かってきてる! さっきまでのロボットなんざ比較にならねえ! ずらかるぞ!」


 キーシャも心配そうに僕を見ながら頷いた。彼女は杖を使い、破損したパネルからデータチップを慎重に抜き取っていた。


「ええ、そうしましょう! これ以上の情報を引き出すのは危険ですし、何よりガストさんの状態が…! このままでは、この場所のエネルギーに完全に呑まれてしまうかもしれませんわ!」


「くそっ…体が…まだ…!」


 暴走しかける力を必死で抑え込みながら、僕はデアジュとキーシャに肩を支えられ、急いで施設からの脱出ルートを探し始めた。背後から迫る巨大な気配と、僕自身の内側から湧き上がる制御不能な力。内外から引き裂かれそうな感覚だった。


 エリア・ゼロ。世界の傷跡。僕たちは、その深淵の一端に触れた。大断絶の真相の断片とシファーグの手がかりを得た。だがそれは同時に、僕自身の力の危険性と、この世界の歪みとの不吉な繋がりを改めて突きつけられることでもあった。僕の力は一体何なのか?なぜこの場所とこれほど反応するのか?答えは見つからないまま、僕たちはただ、背後に迫る脅威と内なる暴走の恐怖から逃れるように、光の差し込む出口を目指して、崩れ落ちてくる瓦礫の中を必死で駆け抜けた。

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