花にのせて
舞するめ
1
学生にとって新しい一年の始まりを最も強く感じるのは、年明けではなく新学期を迎えたときである。
しかし季節外れの流行病にやられた
学校に着いて使った事のない下駄箱に自分の靴を入れると、階段を上って二年B組の教室の前に立つ。覚悟を決めてひとつ深呼吸、どこか転校生のような気持ちで教室に入る。
そうして自分の席に向かおうと教室の奥を見た時、教室の隅で色とりどりに咲く花を見つけた。
窓側のいちばん後ろの席の、一つ前。この朝の時間帯において最も陽の当たるその席に女子生徒が座っていて、机の上に花瓶が置かれていた。
陽の光を浴びてようようと喜んでいる花たちを綺麗だと陽介は思ったが、すぐにその光景に違和感を覚える。小洒落たインテリアならともかく、ここは無機質な教室の机の上、その上に置かれている花瓶なんてあまり良い印象をくれるものではない。
異質な光景に、しかし花瓶を前にして座っている少女を見て納得する。長く伸びた黒髪でその顔を拝むことはできないが、陽介は彼女を知っていた。
こんなことがあったそうだ。階段の踊り場で男子生徒たちが下から上がってきた琴葉に気づかずにぶつかってしまった。男子生徒は彼女の手を引いて起こし、謝罪の言葉を述べたが、少し待って返ってきたのは言葉ではなく青い花だった。
他にも似たような話がいくつかあるが、どれも最後には彼女が一輪の花を相手に見せて終わる。そんな噂が数多くあって、彼女は陽介たちの学年では有名人だった。嫌われているという訳ではないが、変わった人という意味で。
陽介は琴葉に近づく。周囲の人間が何事かと視線を向けたが、陽介の席は琴葉の隣だった。
鞄を机の横にかけて椅子に座る。机の高さが今まで使っていたものと違っていて、少し居心地が悪い。陽介は黙って時が流れていくのを待っていたが、やはり何とも言えないむず痒さに耐えかねて、隣人に話しかけた。
「あの、八奈さん、だよね?急に話しかけてごめん、俺は日向陽介。お隣さん同士、よろしく」
琴葉は話しかけられると思っていなかったのかビクリと肩を震わせたが、しばらくおずおずと陽介を見て、向き直った。そして、
黄色に染まった綺麗な一輪の花を陽介に差し出した。
陽介はプレゼントかと思い手を伸ばすが、伸ばした分だけ琴葉は手を引っ込める。どうやら贈り物ではないらしい。
どうしたら良いのか分からず琴葉の手元に視線を落とすと、少し小ぶりながらも黄色く可憐に咲くその花は、見覚えのある花である事に気づく。
ガーデニングが趣味の祖母を持つ陽介は幼い頃からその手伝いをしていて、祖母はいつも楽しそうに花の話をしてくれた。そんな英才教育の賜物か、陽介はある程度の植物なら見れば品種が分かる。
「えっと……これ、フリージア?」
「!」
琴葉の前髪の隙間からわずかに覗く瞳が大きく揺れる。陽介はなぜフリージアを見せたのか気になって聞いてみようと思ったが、その前に後ろから声をかけられた。
「おはようさん、陽介。随分と重役出勤だな」
「……びっくりした。
「そうみたいだな。ってことは中学二年からずっと一緒ってことになるのか?なんか気持ち悪いな」
「それはこっちのセリフだって言いたいところだけど、知り合いがいて良かったよ」
「まあ、今年も一年よろしくってことで。それより……」
颯太が琴葉と陽介を交互に見て、顔を近づけてひそひそと声を出す。
「八奈さんと喋ってたのか?もしかして、邪魔した?」
「いや、邪魔ってほどではないけど……」
陽介は振り返って琴葉をちらっと見たが、既に前に向き直っていた。
「八奈さん、始業式からずっと机の上に花瓶置いてるんだよ。去年同じクラスだった奴が言うにはこんなの初めての事らしくて、何してるんだろうなってさっそくクラスの話題になってる」
フクジュソウ、ライラック、ブーゲンビリア、レンゲソウ。改めて花瓶を見ると、色とりどりの花たちが本当に綺麗で、祖母の花壇を思い出す。
「そういえば陽介、花とか詳しかったよな。なんか分かるか?」
「いや、理由とかは特に…」
「そか、まあ嫌な奴ってわけじゃないからさ。これから一年同じクラスだし、仲良くできればいいよな」
そんなところでキリよく始業のチャイムが鳴る。
「お、それじゃ席に戻るな。仲良くなった奴も何人かいるし、そのうち皆で話そうぜ」
「ああ、ありがとう」
離れていく友人を目線で見送りもう一度琴葉の方を見ると、花瓶を教室後ろのロッカーの上に移動させていた。さすがに授業中も置いているわけではないらしい。
勉強はそれほど苦手ではないはずだが、さすがに四日分の授業ロスは大きく陽介は板書を取るのに必死で話についていけなかった。
昼休み、颯太が紹介してくれたクラスメートと自己紹介をして昼食を取る。少しの緊張と共に新しい友人たちと会話を交わしつつ横目で琴葉を見ると、彼女は一人で弁当箱を広げていた。
病み上がりというのはどうしても体力が落ちるようで、五限目を乗り越えた時点で陽介はすでにへとへとだった。しかし次の時間が
内容は委員会決めだった。それぞれ二名ほどの定員を募るようで、担任がそれぞれの委員会を簡単な紹介とともに黒板に書いていく。
「で、次は環境委員だな。主な仕事は花壇の花の水やりとか、地域のボランティアに参加したりすることだ。ここだけの話、ボランティア活動に参加すれば内申点がもらえるかもしれんぞ。どうだ、やりたいやつはいるか?」
陽介はなんとなく周りを見回したが、一人を除いて誰も手を上げようとしなかった。
「お、八奈、やってくれるか。他はどうだ?」
左隣で大きく手をあげている琴葉以外はどこからも手が上がらない。正直不人気な委員だとは思うが、それ以外の理由があるような雰囲気をまとう沈黙が教室を支配しているような気がする。
陽介はそんな空気にあてられて昼休みの光景を思い出す。彼女だけ隔絶された世界にいるかのような扱いに、なんとなく不快感を覚えた。
だからだろう、気づけば陽介は無意識に手を挙げていた。
「ん、日向か。助かるよ。よろしく頼む」
初登校だというのに、今日は放課後に委員会の集まりもあった。終わった頃には陽介は既に満身創痍、委員会の話し合いで使われた三年の教室を後にして我が家へと足早に向かう。
「あ、あの!!」
その途中で後ろから声をかけられた。早く帰りたい気持ちを押し殺して後ろを振り返ると、琴葉が立っていた。
「…八奈さん?」
「え、えと…」
琴葉は慌てた様子で何か伝えようとしているが、陽介にはよくわからない。
「どうしたの?」
琴葉に近づいて反応を待つ。そして彼女はどこからか一輪の花を取り出して陽介に向けた。
「これは……亜麻の花、か?」
「え、えっと…」
真横から廊下に差し込む強い夕日に照らされて色味がよく分からなかったものの、近づくとその特徴が分かる。
「あ、ありっ!」
前髪の関隙からわずかに見える瞳は真剣そのもので、何かを賢明に伝えようとしているように見えるが、何を伝えたいのかまでは分からない。
「あ、あの……」
「……もしかして」
差し出された亜麻の花。揺れる瞳とこの状況。もしそうだとしたら彼女はあまりにも。
「ふふ、八奈さん。どういたしまして。明日からもよろしく」
「! っは、はぃ……」
◇
環境委員の主な仕事は花壇の花の水やりだ。頻度は時期によって変わり、基本的には昼休みに行う。昨日の今日で早速仕事があるのだから、環境委員はけっこう大変な委員なのかもしれない。
陽介と琴葉は任された花壇や鉢に両端からそれぞれジョウロで水を撒いていく。
琴葉の方を見ると、前髪でよく見えないが楽しそうに水をあげているように見える。彼女は本当に花が好きなのだろう。こんな景色を見られるなら、ゆっくりとジョウロで水やりをするのも悪くない、そんな風に陽介は思った。
水やりを続けていくと、両端から作業をしているので次第に二人の距離が近くなる。そして横に並んだ時、陽介は無言の間が耐えられず琴葉に話しかけた。
「ねぇ、八奈さん、なんでいつも机の上に花瓶を置いてるの? 去年は置いてなかったって聞いたけど…」
「!」
少し驚いたのか琴葉が距離を取る。楽しそうにしていたのに、驚かせてしまった。声をかけない方がよかっただろうかと陽介は後悔したが、琴葉は以外にも話を続けてくれた。
「そ、その、今年はがんばろうって思って」
「がんばる?」
「わ、私は、全然話せないから、友達とかいなくて……お母さんを心配させちゃって、だ、だから二年生から頑張ろうとしたんです、けど」
「けど?」
「ぜ、全然話しかけられなくて。だからお花に力をもらいたくて……」
花に勇気をもらうために、机の上に置いて眺めていた。理由を知ると、途端に健気に思えてくる。
「なるほど、そういうことだったんだね。でも八奈さん、いまけっこう話せてると思うけど。俺とは昨日会ったばかりなのに」
「ふ、普通の会話なら、まだ、なんとかなるん、ですけど。でも、自分の気持ちを伝えるのが、どうしても怖くて」
「それで花を?」
「う、うん。でもやっぱり、あまり伝わらなくて。で、でも! 日向くんは花の名前…」
昨日、花の名前を言った時、琴葉は驚いたような顔をしていた。
「おばあちゃんが花好きでさ、小さいころから一緒にお世話をしてたんだ。だからちょっとだけなら分かるよ」
「そう……だったんですか。お花の名前、言われたの初めてだったからびっくりしました」
「まぁ知らない人の方が多いかもね、俺もガーデニングの手伝いをしてなかったら分からなかったかも」
祖母の影響がなければ、触れる機会すらなかっただろう。花の世話だって、大好きな祖母の手伝いがしたくて始めたことだったから、最初は花自体に興味がある訳ではなかった。
「おばあちゃんが楽しそうに花の話をするのを見るのが好きで、気づいたら自分も品種とか色々調べるようになったんだ。だから気づいたんだけど、いつも花を人に見せるのって……」
「はい、どうしても自分の気持ちをつ、伝えられなくて。どうしようってなって……それでお花ならって思って」
「花言葉、か」
花には物語がある、よく祖母がそんなふうに言っていた。実際のところ花言葉というのは、神話の伝承や歴史の出来事が由来になって花に意味を持たせたり、最近では新しい品種を作った人が考えたり、意味を募集したりと、あとから添えられることが多いらしい。
大事な人やお世話になった相手に、言葉の代わりに贈り物として花をプレゼントする事で気持ちを伝える。そんなどこか周りくどい習慣が、とても綺麗で陽介は好きだった。
そして彼女もまた、花に自分の想いを託して伝えようとしていたのだ。
「でもやっぱり、意味を理解してくれる人はあまりいなくて…だから、嬉しかったんです」
昨日夕暮れに染まる廊下で彼女が出した亜麻の花。あれは『あなたの親切に感謝します』といった感謝の言葉を持っている。
つまり昨日琴葉は感謝の気持ちを伝えようとしてくれていたのだ。陽介としては感謝されるような事をしたつもりはなかったのだが、あの時の教室に漂う沈黙に込められた意味を、琴葉自身もなにかしら感じていたのかもしれない。
「気にしなくていいよ、さっきも言った通り、花の世話は好きだから。むしろおばあちゃんにも良い土産話になるよ」
琴葉が理解しがたい存在などではなく、自分の気持ちを伝えるのに一生懸命な女の子だと知れただけでも、環境委員に入って良かった。
「余計なお世話かもしれないけど、自分の気持ち、伝えられるようになるといいね。俺にできる事があったら喜んで手伝うよ」
「あ、ありがとう、ございます」
それから陽介と琴葉は環境委員の度に少しずつ会話を重ねた。教室ではあまり会話が出来なかったが、花に囲まれたこの場所なら彼女も安心できるのか、委員会の活動をする度に琴葉の口数は増えていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます