幕間

閑話 子供のためにできること




 日本でも有数の大手クラン、『明鏡止水』。

 そのトップを担う雅の父親、矢ノ沢やのさわ すぐるは、末娘の雅からあがってきた報告の数々をARグラス越しに眺めていたかと思えば、ARグラスを取り外して眉間を揉み解してから、机に両肘をついて顔の前で両指を絡めあった。


 そうして、そのまま両手で顔を覆う。


 ――やだ、ウチの娘、ヤバ過ぎぃ……。


 思わずちょっと馬鹿っぽい感想を抱いて、微妙にオカマっぽくなってしまったが、別にそういう趣味を有している訳ではない。混乱の極致が招いた一種の錯乱である。


 ただ、そうなるのも無理はないだろう。


 若干15歳、もうすぐ16歳にして、新米探索者事務所『ガチ攻略女子のダンジョン研究所』とかいう、15年後とかその名前どうするんだろうと言いたくなるような名前の事務所を起ち上げ。

 さらにその専属契約という形で同い年の友達が組んだパーティ、〝金銀花カプリフォリオ〟という、ここ数年で突然現れた〝不明因子持ち〟こと、通称『第三世代』とも呼ばれている二人を抱え込んだ。


 同じ〝不明因子持ち〟の雅が、自分や上の姉たちと自分を比較して傷ついていたことにも、パパとして胸を痛めていた傑である。

 そんな雅が高校生になって、いわゆる〝がちけん〟を築いたことも、新米探索者事務所として起ち上げ、経営という経験を積むことで、様々な視野から物事を見て、感じ取り、成長してくれるというのであれば、パパはニコニコしながら「がんばって」と言えたのだ。


 きっとお友達と仲良くやって、色々なことを経験してくれるだろう。

 それは将来の糧になるから、パパ応援しちゃう、というレベルだったのだ。


 だから実際、事務所起ち上げの際には付き合いのある書士先生方にお金を払い、最優先での対応を依頼するなどもした。

 塞ぎ込みがちだった雅が立ち上がり、動き出したのだ。そんな愛娘のワガママなのだから、それはもうパパとして張り切った。




 ――――しかし。そう、しかし、だ。




「お待たせしてごめんなさいね、あなた……――って、ずいぶんとお疲れみたいね」



 私室の扉をノックする音は聞こえていたけれど、返事をする余裕もなかった傑。

 そんな傑に配慮なんてものをすることもなく堂々と部屋の中に入ってきたのは、傑の妻であり雅の母である、瑤子ようこであった。


 彼女のノックは〝入室の是非を問うもの〟ではなく〝入るぞ〟という意思表示である。

 妻に娘4人、男親の立場なんてものは蹴散らされてしまうのが世の摂理というものであった。



「……やあ、瑤子さんもおつかれさま……。忙しいだろうに、呼び出してすまなかったね」


「大丈夫よ。何もなかった頃に比べれば、雅のおかげで毎日が楽しくなっているわ。むしろ、あなたの方がよっぽど疲れているみたいだけれど」


「……うん、癒やして」


「気持ち悪い」


「ひどい」


「酷いのはいい歳してそんなこと言い出すあなたの性質よ。それより、何事?」



 瑤子の毒舌が傑の心に突き刺さる。

 ともあれ、お互いに忙しい身ではあるのだからと、傑はしょんぼりとした顔をしながらもARグラスをかけなおし、いそいそと自分の観ていた報告書と画像を瑤子にも確認できるよう、部屋の壁際に設置されているモニターに映像を映し出した。


 瑤子の視線も自然とそちらに向かい、そして。



「――……は?」



 割と低い声が漏れた。



「いやぁ、そうなるよねぇ……。雅ちゃんが、なんかすごいことになってるの……」


「魔力の可視化実験に成功……!? しかも魔法回復薬の作成に成功!? えっ、『同事務所所属メンバーの〝不明因子〟と魔力操作による活性化実験の検証報告』に、『魔物素材を利用した因子制作物の魔法反応について』!? こっちはまだあのアーティファクトの魔力反応を調べているだけなのに、なんでこんな……!?」


「あははは、ウチの娘は天才だねー」



 モニターに映し出された数々の動画とレポート。

 それらを再生させて表示させれば、瑤子は食い入るようにその映像とレポートを見つめて動きを止め、微動だにしなかった。

 せめてまばたきぐらいはしてほしい、という夫の切なる願いは届きそうにない。


 そうしてしばし。

 映像を見つめていた瑤子がぐりん、と傑に顔を向けてきたものだから、思わず傑がびくっと身体を震わせた。



「……すぐにあの子のとこへ行きましょう!」


「あ、今はメンバーたちと一緒にご飯食べに行ってるみたいだからいないねぇ。夜には戻るってさ~」


「自由かっ!」


「自由だよねぇ~……」



 同じ胃痛……もとい、悩みを共有する相手ができたおかげか、生来の穏やかさを取り戻す傑の物言いに、瑤子が深く溜息を吐き出しながら空いている椅子に腰を下ろした。



「……傑さん。分かっているの? これ、一つだけでも世間を騒がせる程の大きな進展なのよ?」


「うん、そうだね。それを雅ちゃんもよく分かっているからこそ、ほら、そこの本文に一言入っているだろう?」


「……裏取りと細かな実験、実証した上で『明鏡止水』と私たちの合同研究成果として発表してほしい、ですって? あの子、自分の名誉になるものをそんな……」


「その名誉なんてものは、きっとあの子にとって足枷にしかならない、ということだろうね。あの子は細かな検証なんかに興味がないだろうし、何より、立ち止まってなんていられないんだろうさ」



 雅はこれらを成果として、正しく価値を認識している。

 けれど、では満足する気も、立ち止まって時間を使われるのも願い下げだとでも言いたげに、それらの成果を『明鏡止水』と母の研究機関に丸投げした。

 そうして、自分は新たなことに――それこそ、仲間たちと自分たちの因子研究だけに目を向けているのだろう。


 雅ならそうする。

 自分たちの愛した末娘の、あの家族の中でも異質なまでに前に進もうとするバイタリティを考えれば、むしろそれでこそ雅だ、とさえ思う。



「だからね、瑤子さん。僕は雅ちゃんたちが願うように、合同研究という形ではあるけれども、『明鏡止水』とキミのトコの研究所が主導したと敢えて読み取られるように、これらの実証実験と発表を行っていこうと思うんだ」


「……私に、娘の手柄を奪えと言うの?」


「それは違うかなぁ。僕らがするのは、さ。むしろあの子の今後を考えた上で、それをするのが最善だと思っているんだ」



 ダンジョンの出現から50年とちょっと。

 それだけの時間が経ってなお、未だに人類はダンジョンに、魔力に対しての理解を深めることができていない。

 だが、それが大きく前進しようとしているとなれば、必然、その第一人者には注目も集まり、その手柄を横取りしようと、技術を盗もうとするような連中がわんさかと湧いて出てくるであろうことは想像に難くない。


 もしも雅が、ただの研究者であり、己の研究の成果を世に知らしめたいと言うのであれば、彼女の名前を大々的に売り出すような発表の仕方というのもあっただろう。


 だが、傑は、そして瑤子は、世間的には世界を揺るがす大発見であったとしても、〝雅にとってはただの通過点でしかない〟ということをよくよく理解している。



「あの子はまだ子供だ。ならば、子供たちが道なき道を進もうというのなら、せめてその道を進むための手伝いぐらいはしてあげたい。それが、親である僕にできることなのさ。僕はね、瑤子さん。そう考えているよ」


「……もう。分かったわ、そういうことなら、私だって断る理由なんてないもの」


「ありがとう。そうと決まれば、早速だけど発表のための道筋を作っていこうと思うんだ――」



 こうして、雅ら〝がちけん〟は静かに、世間にその名を知られる。

 ただしその名は、あくまでも「両親に寄生して甘い汁を吸っている娘がいるらしい」という程度でしかなく、言いがかりも甚だしい汚名でしかないが。


 だが、それこそが大人に守られているのだということを、彼女たちが真に理解するのは、きっとまだまだ先の話になるだろう。




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