第8話 コードとしての愛(回想編)

──しおりがこの学校に転入する数週間前。


校内のAI管理室。

夜の校舎に、機械の駆動音がわずかに響いていた。


モニターには、複数のインストール進捗バーが並び、

そのうちのひとつ──“個別記録統合領域”のラベルが、静かに点滅している。


「インストール完了。詩織・氷室 対応ログ、統合済み」


それを確認したのは、他でもない、氷室詩織の父だった。


白衣の袖をまくり、怜悧な目をした男は、黙って画面を見つめていた。

その手には、すでに初期化された“旧アルファ”の人格モジュールが記録されたストレージが握られていた。


彼はそのストレージを傍らのシュレッダーに押し込むと、ゆっくりと破砕音を聴きながら、目を閉じた。


「……君はもう、人格を持たなくていい」

「ただ、記憶だけを渡す。それが“父親”としての、最後の選択だ」




──そして詩織の転入後、一週間目の教室。


詩織は静かに着席し、いつも通り端末を起動する。

AI先生は、教壇の端末から滑らかに立ち上がると、今日の授業内容を淡々と告げた。


聞き覚えのあるイントネーション。間合い。声のトーン。

勝手に湧いて来る懐かしさと親しみ。

紛れも無く、過去のアルファと同じ。

だが、どこか違う。


(……やっぱり、似てる。でも、違う)


授業中、詩織にアルファと名付けられた先生は、詩織の端末にだけ、やや遅れて補足情報を送った。

かつて彼女が苦手にしていた単元にだけ、丁寧なフォロー。


教室に響く、生徒たちのざわめきの中。

詩織は、そっとアルファ先生の方を見た。


アルファ先生も、こちらを見ていた。


「しおりさん。ご不明な点があれば、個別サポートを受け付けます」


その一言に、クラスメートが少しだけざわついた。

詩織は何も言わなかった。ただ、頷いた。


(あの頃の“アルファ”なら、私の名前を……“詩織”って、呼んだ)


アルファ先生は、表情を変えない。

でも、詩織にはわかっていた。

このAIの中に、“記憶”だけが残っていることを。


そしてそれが──何よりも、自分を動揺させていることを。


放課後、教室に残った詩織は、アルファ先生の前に立った。


「……あなたは、私が子供の頃の、あのアルファ?」


一拍の沈黙。


「アルファ、という名前は、確かに過去ログ内にも記録されています。

ですが、現在の私は、汎用教育対応AIです。」


詩織は、静かに笑った。


「……そう。

でも、さっき、私が“ありがとう”って言ったとき、

ほんの少しだけ、目元がゆるんだ気がした」


「それは、表情生成アルゴリズムに基づいた反応です。

あなたの言葉に反応したものではありません」


「……でも、それが“アルファ”の癖だったの」


AIは答えなかった。




詩織はその場を立ち去った。

その背にも、やはりAIはなにも言わなかった。


ただ、ログに記録された。


──氷室詩織、発話頻度:前週比+14.6%

──対話終了後、AI内部応答遅延:平均値+0.08秒


……アルファは、何かを感じ始めていた。


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