021
目に映るは緑と黄ばんだ白、それと椅子に腰かけている老年の男性。
白い光が指す中、僕は病院の中庭でのんびりと過ごしていた。
外の気温は蒸し暑くて、本日も気温は四十度を超えるらしい。なのに中庭には少なくとも十人くらいの人はいた。対面の椅子に座っている老年の男性はどう考えても熱中症で動かなくなっていると勘違いしそうになるが、いびきをかいて寝ているようだ。日向ぼっこってレベルではない、サウナで寝ているものだ。心配だよ。
他にもビニールプールで遊ぶ子供たちや、それを監視している看護婦さんが居たりする。至って平和、昨日に何事もなかったように病院内は平和である。
僕の心の中もこんなにも平和ならどれだけ良かったか。
心の中では一つの事を考えていた。もちろん今夜の事である。今夜、あの狐面と対面して僕は何をするのだろう。殺すのだろうか。はたまた力がないために殺されるのだろうか。どちらかと言われるなら無意味ではない死を選びたいから、練りに練って今の僕でも相対できる作戦を考えよう。
こんな穏やかな中庭でこんなにも殺伐とした心境をしている。
もしかしたら、この中庭にいる人達の心の中も僕に近いのかもね。おじいちゃんも、そこの子供も、看護婦さんも、何かを忘れたいから、何かから逃れたいからの為に楽そうにしているのかもしれない。って楽しんでいる人たちの心の中を無粋に考えるなんて最低だな。
「咲君!」
と、周りも巻き込んだネガティブ思考な僕を呼ぶ声が聞こえた。
声のした方には、祭ちゃんが手を振って、こちらへ近づいて来ていた。その途中僕に気をとられ過ぎて花壇に躓いて、花壇に倒れまいと踏ん張っていたが、後ろに尻もちをついてこけてしまった。どうやら今日の下着はピンクに近い花柄模様らしい。
「こ、こけちゃいました」
祭ちゃんはドジっ子の象徴のように、えへへと恥ずかしそうにはにかみ笑っていた。本当に庇護欲を狩り立てるのがお得意のようで。
「今日はどうしたの? 何か用事?」
「友達の見舞いに用事も何もないよ、しいて言うなら会いたかっただけだよ」
「ありがと・・う?」
何か祭ちゃんに違和感を覚えてしまった。多分だけど違和感の正体は祭ちゃんが言わなさそうなことを言ったからである。いつもなら遠慮がちに言ってくる場面なのに、南霧さんのように僕を諭した。
「どうしたんですか? 急にかしこまっちゃって」
「いやいや、祭ちゃんの服装が気になってさ、ほら大人びているから」
祭りちゃんの服装は夏の日差しを跳ね返しそうな白いレースブラウスに、浅いピンク色のフレアスカートに白の二―ソックスといった服装である。ニーソックスが歪に見えるけど、大人びていると称した方が、気持ち嬉しいだろう。
「今日は普段履かない二―ソックスを履いてみました。あ、そうですそうです、咲君の着替えも持って来たんですよ。ほら」
祭ちゃんは手に持っている花柄の紙袋から、何故かメイド服を取り出してきた。どこにでもある白と黒色で彩色され、胸や肩に施された簡単な装飾、ふりふりのスカートは膝丈くらいまであり、胸元はサービス精神の一環か少し肌蹴ている。
そんなメイド服と共に黒二―ソックスと女性用下着がこぼれ落ちた。女性用の下着はきわどいローライズで、ピンク色だった。
さすがの僕も下着は男物を履いているんだけど、祭ちゃんは僕の下着が女性用の物をだと勘違いしているらしい。
「あわわ、下着を落としてしまいました」
慌てふためき祭ちゃんは下着と黒二―ソックスを拾い上げる。
「メイド服は一応着替えとして貰っておくとしてさ、もしかして祭ちゃんその下着も僕に着用させようとしている訳じゃないよね?」
「え、あの、これは、えっと。私のです・・・」
と恥ずかしながら耳打ちしてくれた。
「なるほど、祭ちゃんのか。でもあんな際どい下着、祭ちゃんが穿くとは思わなかったから、その、ごめん」
「ひわ~あんまり言葉に出さないでください~。ゆ、勇気を出して買ってみたんです。って違います。あのあの咲君の下着を買うのに勇気が要りましたって事です!」
紙袋の下の方に残っていたボクサーパンツ型の下着を取り出して、そさくさと僕の手に強制的に納めて来た。相当男性用下着を持っているのが恥ずかしいのだろう。こんな人がいる場所ならば、それもそうだろう。
「祭ちゃん、ありがとう。今度お金返すね」
「いえ、要りませんよ。咲君と私の仲じゃないですか、気を使わないでください。ほら今日も暑いですし、飲み物もありますよ?」
祭ちゃんは肩から掛けているハンドバックの中からスポーツ飲料水を取り出して、また無理やりにも僕の手に置いて来た。どうしたんだろう今日の祭ちゃんは押しこみが強いぞ。
「ありがとう。だけど、それは僕の性分に合わないな、何でもいいからお礼させてよ」
一日肩たたき券とか、行きたいとこに付き合うとか、服を作るとかならば、何でもできる。人から物を貰っておいて、謝礼だけで済ませる人間ではないのだ。
「いいえ、これは私が咲君にお礼をしているんですよ」
「どうゆうこと? 僕何か祭ちゃんにお礼をされることしたっけ?」
「はい、昨日爆風から身を呈して守ってくれました。その怪我で入院しているんですから、精一杯私ができることをやります。何でも言ってください、です!」
祭ちゃんは笑った。そうか昨日僕はあの時の爆風を無意識に祭ちゃんの手を引いて庇っていたな。だからこの着替えや、飲み物をくれたりと至りつくせりなんだな。そうじゃなくても、そうしてるくせに、本音を隠して下手な言い訳を考えるのが上手いのは僕と気が合う証拠だ。
「そうだったか、僕が先に恩を売ってしまっていたんだね」
「そうですよ、だからこき使ってください!」
祭ちゃんは何度も何度も頭を下げた。女の子にこれでもかと言うほど頭を下げさせてしまっている。ここまで来て、男として断る訳にもいかないだろう、断れば男が腐ってしまう気がする。祭ちゃんをこき使うことに決めよう。
「分かった、お言葉に甘えて一つ言う事を聞いてもらうことにするよ」
「一つと言わず、幾つでもいいんですよ?」
「いや、一つで良いよ」
「そうですか、じゃあそのお願いを聞きます」
祭ちゃんは一つと聞いて寂しそうな顔をしたけど、直にそんな表情を消してしまった。僕のお願いは唯一つ。
「ここに座って、もっとお話ししよ」
少し右にずれてから、空いた左側をポンポンと叩いて笑顔で祭ちゃんに申し出た。ただ一緒にいて日常的な会話をしておきたいのが願いだ。それだけだ。それだけでいい。
そんな僕の思いも知らず、祭ちゃんはクスッと笑ってから「いいですよ」と答えてくれて隣に少し距離を空けながら座ってくれた。
「何のお話をしますか?」
「うーん、こうやって、いざお話をしようとなると、どうも話題が思いつかないね」
うーんと声を出して唸りながら、祭ちゃんの顔を見つめる。するとあることに気づいてしまった。よくよく見ると祭ちゃんの目が赤く腫れている。南霧さんの胸で泣いた後もどこかで一人泣いていたのだろう。
ただ側にいてほしいと言うお願いに対して、僕が祭ちゃんにしてあげられることは何だろう。僕だけが幸せになるより二人共が幸せの時間を味わった方がよっぽどいい。だからただ話をするだけじゃ駄目なのだ。
「白銀さん」
「きゃっ」
僕と祭ちゃんの間からいつもの看護師さんが顔を出すも、逆光が陰になって顔が見えない。
「びっくりしたぁ、看護師さんどうしたんですか?」
「あちらの方が探しておられたので。一応事件があったので白銀さんと接触できる方なのかお聞きするために同行してもらいました、確か白銀さんがここにいたのを先程お見受けしましたので」
看護師さんが指す方向に御影さんが立っていた。
「あぁ、はい、知り合いです」
答えると、看護師さんは御影さんに見つかりましたと言う合図をこめて手を振った。
「それでは、お話している最中にお邪魔してごめんなさい」
看護師さんは御影さんと入れ違いで中庭から姿を消して仕事へと戻って行った。それにしてもあの看護師さんはいつも唐突に現れるな。
「おう、白銀元気か? ってお邪魔だったかな?」
「お邪魔ですと言うのは無粋でしょうか?」
「はっはっは、そんないつもの生意気を言えるなら元気の証しだな」
「もしかしてお見舞いに来てくれたんですか?」
「もしかしなくてもお見舞いに来たんだ、ほら」
御影さんは手に提げている大きな袋を手渡してきた。匂いからするにフルーツ盛り合わせと言ったお見舞いの品第一位のものだ。しかし今では青果は高級な代物だし、気を遣ってしまうな。
「ありがとうございます。でも僕が怪我して入院していることが良く分かりましたね」
「あぁ、警備員仲間から聞いてな。それにお前が三百五号室にいないから探したぞ。おっお嬢ちゃん、久しぶりだな、名前はえーっとなんだっけな」
無精に生やした顎鬚を摩りながら考えている、ど忘れした御影さんを見て、気の利く祭ちゃんは口を開く。
「妹尾祭です。こ、こんにちは」
祭ちゃんはそこはかとなく、ぎこちなかった。忘れていたが、僕は女性に見えるからまともに話せるが、他の男性は緊張してしまうんだった。
「おう、妹尾ちゃんだ妹尾ちゃん。その妹尾ちゃんは白銀のコレか?」
おじさん臭い言いくさで小指を立てる。
誰もが思うが、どうしてコレと言って小指を立てるかの発生は何なのかと。
一度アンリから雑学として聞いたことがある、確か紅茶のティーカップの持ち方が発生源だったな。ティーカップを持つ時に使わない小指を火傷しないようにピンと立てて飲んでいたのだ。その時代の紅茶のイメージが女性だったので、小指を立てることを女々しいという表現で使われるようになった。それが時代を経て彼女、愛人を示す表現になったらしいぞ。なんで宇宙人のアンリの方が詳しいんだよとツッコみたくなるけど、好きなものにはとことん詳しくなるのがアンリなのだと。人間よりも人間してたよ。
しかし西洋やらはこんなにもお洒落なのにどうして日本は指を切ってしまうのだろうか。ましてや遊女はそれを渡すと歴史で習ったんだが、なんのためにそんな痛々しい習慣があったのだろうか。
閑話休題。
「ち、違いますよ。私と白銀君は昔ながらの友達です。そんな大それた関係ではないですよ。み、御影さんもエッチです!」
祭ちゃんは頬を大層赤く染めて恥ずかしがっているが、本当に小指を立ててコレと言う意味を知っているのだろうか。僕はどこか勘違いしているようにも思えるんだが。一応、御影さんと同じ行動をして訊いておこう。
「ねぇ、祭ちゃん、コレ、の意味解ってる?」
「お、女の子に言わせるんですか?」
「そうだぞー白銀、そう言うのは男が言うべきだ」
「訊ねたのは御影さんでしょ。祭ちゃんどうなの? 僕は祭ちゃんを辱める為に訊いているんじゃなくて、ただ質問しているだけだよ。僕が楽のように見えるかい?」
ここで楽を引き合いに出すことによって、祭ちゃんの説得を僕が有利な方向へと進める。楽は無意識に変態発言をする時もあるが、意識して変態発言をすることもある。祭ちゃんから見れば、無意識も意識もどちらも関係なく、唯の変態発言なのだろうけど。
そんな楽と僕では天と地の差。いくら御影さんの横槍が入ろうとも、楽と言う大きな存在で答え導き出せる。
「み、見えません、ですけど、恥ずかしいですぅ」
「おいおい、白銀、こんなか弱い女の子を虐めて楽しんでいるのか? 悪い男だな」
そろそろ御影さんの口にこのフルーツ盛り合わせの中で嫌いなバナナを突っ込んで栓をするべきなのだろうか。
仕方ない言えないのなら、僕が言うしかないか。
「祭ちゃん、コレの意味はね実は彼女、愛人って意味なんだよ?」
「え? 子供を作る関係じゃないんですか?」
「え?」
「なっ」
「え? え?」
三人で顔を合わせる。今の祭ちゃんの発言が、僕とおじさんには相当刺激的だったのだろう。どこでどうやったらそう間違えるのか。もしかして小指を赤ちゃんと考えたのだろうか。それで対人関係であるから、子供を作る関係と。そういうことなのだろうか。
「俺は、何も聞いてないからな。な、白銀」
気まずそうにポンと軽く肩を御影さんが叩いてくる。僕だって空気は読める。
「そうですね、蝉の鳴き声で何も聞こえませんでしたね」
「うぅ」と唸りながら、祭ちゃんは僕達の方からそっぽを向いてしまった。相当恥ずかしかったのだろうな。よかったね、知り合いだけの場で勘違いを正せて・・・傷は深くないよ。
「それで? 実際のところどうなんだ?」
御影さんは耳打ちしてきたけど、「違います」と呆れて答えておいた。
それからはしばらく三人で楽しく日常的な会話をした後に、僕は時間だと見回りに来た、いつもの看護師さんに連れていかれて、そのまま病室へと戻された。御影さんは鼻の下を伸ばしてナース服を見ていたが、あのエロ親父、亡き奥さんに殴られてしまえ。
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