僕と先生の夏休み

TWIN

プロローグ

「これで一学期は終わりです。皆さん、休み中は体調を崩したり事故に遭わないよう、十分に注意してください」


 教壇の上で表情を変えることなく、淡々と説明を続ける先生を、僕はぼんやりながめていた。黒い髪は肩にかかるくらいの長さで、いつも通りぴしっとまとめている。

 細身の白いブラウスと、紺色のスカートのコントラストがどこか涼しげで、すごくまじめな印象なのに、時々ふと目が合うとドキッとする。


「……課題多そうだから作戦たてようぜ、秋生……秋生!! 聞いてんのか!?」

「うわっ!? なんだ、隆史か……びっくりさせないでくれよ」

「何言ってんだよ、さっきから呼んでたっての」


 僕の数少ないクラスメートの隆史が、後ろの席から背中をつついてきていた


「マジ?」

「マジだよ! 秋生、また先生に見惚れてたのか?」

「いやいや、そんな事してないって……!」


 僕は慌てたけど、慌てたところで本当の事だからどうしようもない。これ以上うろたえたら先生に睨まれてややこしいことになりそうだから、僕は黙るしかなかった。


「それにしてもさ、夏海先生ってなんかこう……冷たいよな、雰囲気が」

「そうかなぁ」


 僕は先生が赴任してきてからの事を思い返した。確かに言われてみれば、生徒に何を言われても動じることは全然ないし、服装とかの身なりは完璧といえるぐらい綺麗だ。


 勉強以外だと、家でどのように過ごしているかと聞かれた事もあったけど、それは結局生活指導とかの話だったと思う。


「それに、授業を始める時間だけじゃなくて、終わる時間がいつもぴったりじゃん」

「確かに授業で時間が余ることとか全然ないよね」


 時計を見る素振りとか全くないのに、1分たりとて時間が余ったことはないぐらい、時間管理が正確だ。それに、授業中も文章を読み違えたりするとかのミスを見たことがない。その完璧な様子は、まるでロボットみたいだ──それが、僕たちの夏海先生への印象だった。


「最後に、今回の夏休みの課題について説明します。課題は各教科別でこのように分かれていて──」


 ずっと続くような気がしていた中学生活も、来年の春で終わりになる。中学3年生になった時にはそんなことを思いもしていなかった。


「では課題を配りますので、皆さん取りに来てください」


 黒板の前でとんとんと夏休みの課題の束を、無駄のないスムーズな動きで揃えていく先生。その無表情な顔からは想像できない、山のような量だ。いくら高校受験が近いからとはいえ、考えると頭を抱えたくなる。


「えー、ちょっと多過ぎないですか夏海先生!」

「隆史、文句言わない! どうせ量が少なくても、あたし任せにするんでしょ」


 夏海先生は動じることもなく、無慈悲な目つきで隆史が課題を受け取るのを待っている。


「そんなことしねぇよ!」

「……どうだか」


 僕のクラスの名物カップル、隆史と町子。この二人は相変わらず仲が良い。


「隆史君、後ろが詰まっています……すみやかに宿題を受け取ってください」

「ちぇ、先生は厳しいな……」

「いい加減にしなさいよ隆史……先生困ってるでしょ?」


 肩をすくめてしぶしぶと課題の山を受け取る隆史をなだめる町子。なんだかんだで楽しそうな二人が羨ましいかもしれないと、僕は感じていた。


「次、片倉秋生君」

「はい」


 ぶっきらぼうな返事をしながら、僕は課題を受け取った。夏海先生──皆川夏海は僕のクラスの担任で、国語の先生だ。この先生は授業中どころか、他の先生と話している時も表情を変えているところを見たことがない。どんな家族がいるとか、趣味とか、そんな話も全然話してくれなかった。


 とても地味で正確無比、学校の仕事最優先のガチガチな女性──先生のことを誰に聞いても同じような事しか返ってこない──僕は、いつからかわからないけど、先生の事がとても気になるようになっていたのだ。


 でも、この時僕は自分自身のそんな気持ちにさえ気づいていなかった。


「確かに課題、多い……」


 僕は夏海先生の綺麗な手に目を奪われながら、ボソリとつぶやいてしまった。


「片倉君は大丈夫だと思っているけれど、くれぐれも他人の課題を写したりしないようにね」

「え?あっ! はい!!」


 先生から不意打ちをくらった僕は、背筋をピンと伸ばして声を上げてしまった。周囲からすごく笑われたけど、こうなってしまった事は仕方ない──僕が中学校に入学してから起こったことを思いだしたら、他人にどれだけ笑われようがもう気にはならない。それぐらい、この時の僕は周りのことに興味をなくしていたのかもしれない──ただ一人、皆川夏海先生のことを除いては。


「おい、秋生。今日は一緒に帰ろうぜ!」


 夏海先生が教室から出ていったのを見計ったかのように隆史が僕に近づいてきた。彼はもう帰宅する準備を整えて、町子と一緒に僕の席の目の前に立っている。


「仕方ないけど、あたしも今回の課題は多いと思ったの。だから作戦会議をしましょう」


 確かに町子の言う通り、去年の夏休みの時とくらべても倍近い課題が僕の目の前に積んである。


「ちょっと回り道して話しながら帰ろうぜ」

「それでも足りなかったら、どこかに寄り道しましょうか」


 僕をおいてけぼりにしてどんどん話が進んでいく。


「……わかったよ」


 正直、気が進まないがどうしようもなかったので、僕は彼らのあとを追いかけるように教室の外に出た。


「ダメだ、課題のせいで鞄が重たすぎる」


 隆史が早くも根を上げているが、それはあながち大袈裟ではないように思えた。


「隆史の言うことはもっともだわ……暑いし、いつものデパ地下で作戦会議しましょうか」


 町子の提案に僕たちは同意するしかなかった。夏の暑い昼下がり、蝉の鳴き声が長い夏休みの始まりを告げていた。

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