第2話 おねショタ怪盗の日常
――火天のウリエル。
怪盗王の末裔を自称している以外は性別、年齢、人種、その他一切の素性が不明な、クリア済みダンジョンばかりを狙う異色の探索者である。
普通だったら管理者不在の未踏破ダンジョンに挑むものなのだが、ウリエルはわざわざ所有者が確定しているダンジョンに侵入して、有無を言わさずコアを奪い去っていく。
そんなことをすれば当然、ダンジョンマスターは富と名誉の源泉を失って没落待ったなしだ。
人々はウリエルの所業を犯罪と糾弾した。
しかし一方で、狙われるダンジョンマスターは裏で悪事をしていた奴ばかりだから、ウリエルこそ正義だと擁護する者もいた。
またある者は、犯行予告を出した上でコアを奪い取る手口の鮮やかさを無邪気に称賛した。
賛否両論を集める、謎多き人物。
まさしく物語の怪盗みたいに振舞う、その目的と正体はいったい何なのか。今はどこで何をしているのか。
日夜さまざまな場所で議論されているが、正解にたどり着いた者はいないという。
……まあ、無理もないかもしれない。
●
「やぁだ~。まだ寝るのぉ~」
うわさの怪盗はベッドの上で丸くなり、駄々をこねていた。
手入れを欠かしたことがないストレートロングの赤髪は寝ぐせで無残なまでにボサボサだし、上質なシルクのパジャマはもう少しでずり落ちそうになっていて、なにがとは言わないが非常に危うい。
目のやり場に困りつつも、怪盗助手のシュンは揺り起こそうとする。
「……ダメだよ、アサ。早く起きて」
「ん~」
怪盗――アサは寝返りを打って、枕にうずめていた顔をこちらに向けた。
薄く開いた唇から垂れたよだれが頬を濡らし、長いまつ毛がしばたく奥から虚ろな瞳が覗いている。息を呑むような美女のだらしない寝顔に、思わずシュンが手を緩めると、逆にアサが腕が伸びてきた。
シュンの浅黒くて小さな手の平とは全然違う、大きな手。白くて、しなやかで、細いのにすごく柔らかくて……と心を奪われているうちに、抱き寄せられてしまった。
ベッドに引き倒される。
甘い香りと、温かな体温と、白髪を指で梳いてもらう心地よさに、シュンは全身の血が逆流する音を聞いた。
「あっ、ああああああ、アサ!? もう朝だから!」
「シュン君もぉ、一緒に寝よ~」
「ダメだって! 朝ごはん冷めちゃうよ!」
胸に抱かれること4分半。
シュンは必死で喚き続ける羽目になり、どうにかアサを寝室から連れ出して朝の食卓に着くころには、すっかり疲れ切っていたのだった。
「……もう、アサったら」
「たはは。ごめんなさいね」
恨めしげに睨むと、アサは照れたように笑った。
まだ軽く身だしなみを整えただけだったが、トロトロした眠気が抜けたおかげでずいぶん雰囲気が変わって見える。布団にくるまってぐずっていたのと比べれば、15才は大人びたような印象だ。
……いったん起きると、早いんだよなぁ。
起床までの面倒くささと、目覚めてからの変化の早さに呆れつつ、シュンはすでに完成させていた料理をテーブルに並べる。
ごはんと味噌汁、玉子焼きにお浸し。和風な献立は、アサの好みに合わせて覚えたものだ。
「わーい、今日も美味しそう! これ、タマネギのお味噌汁?」
「新タマネギ。昨日、サラダにも入れたでしょ。……あと、味噌も新しいの。麻の実を使ったやつを買ってみたんだけど」
「あっ、ヘンプ味噌でしょ! 前から気になってたんだ〜。さすがシュン君!」
「お浸しは菜の花。カラシつける?」
「んふふ。つける~」
「玉子焼き、関西風にしてみた」
「初挑戦だね。お出汁が利いてるよ」
いちいち本当に嬉しそうなリアクションをしながら、アサは勢いよく箸を進める。
これが二人の、日常的な風景だった。
アサの反応が良いものだからと、乗せられるようにシュンが料理を担当するようになってからは、毎朝こんなやりとりが繰り広げられている。
傍から見れば、やや弟を溺愛気味なお姉さん。
正体不明の怪盗の、真の姿がこれだなんて誰が真剣に考えるというのか。
「それにしても、今朝はウリエルの話ばっかりだね」
シュンは食後に新茶を淹れながら、アサの点けたテレビを横目に言った。
予告状に記した日時は今夜だ。怪盗ウリエルとして活動を始めたばかりのころはほとんど注目されず、犯行の翌日にニュース欄の一行に加わる程度だったことを考えてみれば、有名になったものだと感慨深くもなるというものだ。
しかしアサは、 いくつもチャンネルを切り替えた後、うんざりしたようにリモコンを投げ捨てた。
「……どこを見ても、イワオの悪事については触れてないわね。まさか、本当に知らないのかしら?」
テレビの中の人々が関心を寄せているのはもっぱら、『火天のウリエル』というトリックスターだった。
ターゲットにされた側に対してはほとんど話題に上がらず、わずかに出てきたのが「ウリエルが狙ったってことは、イワオは悪人なのか?」と勘ぐるネット上での言論について、自称専門科が「そんな理由で疑いを向けるのはよくない」と苦言を呈しただけだ。
「これで本当にイワオが無実だったら、悪者なのはわたしの方ね」
「マイさんの情報だから、信じていいと思うけど」
「……むっ」
フォローするつもりで情報提供者の名前をシュンが挙げると、途端にアサは唇をへの字に曲げた。
なにが彼女を不機嫌にさせたのか、人差し指でイジイジと湯呑の縁をなぞる。
「そうよね~。シュン君が勝手にマイちゃんと連絡を取って手に入れた情報だもんね~」
「……なに拗ねてるの」
「うぅ~。だって、わたしの知らないところで他の女の子と仲良くしてるとか嫌なんだもん。シュン君の浮気者~!」
「わっ!? き、急に抱き着いたら危ないから!」
淹れたばかりの熱湯があるのに、アサはいきなりシュンに縋りついて、腰のあたりに額をグリグリ押しつけてきた。
シュンは驚くやら恥ずかしいやらで顔を赤らめつつ、お茶を安全圏に避難させると、アサをなだめすかす。
「機嫌なおしてよ、アサ。甘いもの出してあげるから」
「えっ、デザート!?」
「早……コホン。あんこがまだ残ってたから、ぜんざいでいい?」
「やったー! シュン君大好き愛してる。結婚してー!」
「……もう」
これが天下の怪盗さまだろうか、と嘆息して、シュンは台所へと歩いていった。
あまりにも子どもじみた言動のせいで、つい忘れてしまいそうになる。彼女が怪盗王の後継にふさわしい超一流の探索者であるということを。
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