7.朝の訓練は時間外労働

 今までセラフィーナが築いてきたものを、無に帰すわけにはいかないと、内心は運動嫌いなのだが、朝早く起きて鍛錬をすることにしている。やりだせば身体の方は慣れたもので、黙々と課題をこなす。

 前世の私を思い出してから、もう二ヶ月が経とうとしていた。


 入学当初はこの屋内鍛錬場は私一人だった。それがいつの間にか一人増え、二人増え、気付けば三十人ほどが朝の訓練をこなしている。そして、最近さらに追加されたのがグレイドル先生だ。木剣を携えやってくるのだ。


「おはようございます」

 扉からその姿が見えると、学生たちが口々に挨拶する。私も手を止め挨拶すると、木剣が飛んでくる。


「ほら、始めるぞ」


 運動不足だからと、打ち込みや打ち合いの相手をさせられる。しばらくグレイドル先生の相手をした後に、次は周りにいる生徒たちだ。正直学生相手の稽古は難しい。先生は打ち込みすぎたときに留まる技術を持っている。そうならないように私の方でも動けるのだが、学生はまだまだ未熟で、大怪我をさせないよう気を遣うのだ。しかも読み合いの稽古なのだが、だんだんとムキになってくるのが始末が悪い。


 そんなときは木剣を掴んで放り投げるようにしている。

 一度剣から手を離せば自然と心も静まるのだ。


「ほうら十二人目。なんだ情けない。現役の騎士様を討ち取れば、騎士団入団の道も開けるだろうに」

「先生、やめてください」


 煽られた生徒が、交えた剣を強引に押して、手放したと思ったら、私の腕を掴もうと迫る。ので、体勢を低くして身体の下に入るとそのまま立ち上がる。

 生徒は私の背に乗り、そのまま落ちた。


「惜しいな。だが今は剣で勝て。あと、体術ならなおさらお前らに勝ち目はないぞ」

 大人しくなった残りの十七人の相手をして、ちょうど終わりの時間となった。部屋へ戻って身支度を調えなければならない。


「お前たち、朝の訓練もいいが、座学の方もきちんとやれよ。あんまりにも成績が落ちたらこれのせいだと言われかねない」

「それは困りますね。もうすぐ試験がありますし、試験で一定ラインを越えていない方は朝は座学の勉強にあててください」


 まあ、ここでの訓練が禁止されたら裏庭ででも一人やるだけだ。雨でも訓練できるし、手をついても問題ないからここを借りている。


 朝食の時間に間に合うために、生徒たちは駈け足で訓練場を出て行った。


「セラフィーナ、ちょっと一時間目、顔貸せよ」

「王女様の護衛が……」

「どうせ部屋の外にはもう二人立ってるだろ。食事が終わったら馬房へ来い」


 昔から強引なのだ。自分の言いたいことだけ行ってさっさと出て行く。

 こまったものだが、ずっと世話になっているし、意味のないことをさせるような人でもないので、私は王女に許可を取りに行くことにした。


 いつも通り、デルウィシュ王子と朝食を摂って、教室へ向かう。午前中二つ授業、昼食を挟んで午後からも二つ。その後は夕食まで自由となる。魔法の講義や、剣技体術などの、受けない生徒も多い授業が行われるのだ。


 私は挨拶をして御前を辞し、馬房へ向かった。


「やあ、セラフィーナ。久しぶりだね」

「お久しぶりです、マキナ先生」

 魔道工学の教師だ。薄茶の髪が爆発してる。くせっ毛がひどいのは、実験で失敗したからだと影で生徒の鉄板ネタになっていた。女子の間では彼こそ髪を伸ばすべきだろうと言われている。

 魔道工学はセラフィーナにはとうてい関わりのない学問だったが、今はかなり楽しく授業を聞いている。電気がないこの世界では、魔晶石という魔力を溜める性質のある石を使って便利な道具を作り出す。ようは電池になるのだ。

 その電池を使って、火を使わない明かりを作ったり、大きなものになると電車や、車のような人を運ぶものを作っていた。建物の防衛にも魔道具は欠かせない。


「魔法を学び直しに来たようだが、私の講座には出てくれないのかな?」

「魔道工学、実は興味はあるんですよ」


 本当に。座学で一番興味を持ったのは魔道工学だった。ただ、これ以上時間が取れない。風をある程度学んだら、他の魔法の講座にも行きたいし、だが、風は引き続き勉強を続けたい。一年の内は実技も基礎だが、二年三年になれば師事する教師の下、さらに大きな魔法の勉強が始まる。


「護衛との二足のわらじはなかなか難しいですね」

「ニソクノワラジ?」

「あ、いえ、なんでもありません……」


 たまに、この世界にないもののたとえなどが出てしまう。気をつけなければ。


「まあ、セラフィーナが忙しそうなのは心得ているが、座学の時の熱心さを知っていると惜しいと思ってしまってね」

「身体が二つ欲しいです」

 はははと先生が笑う。


「おう、待たせたな!」

 グレイドル先生が現れた。手には手綱。その先には馬が歩いている。

 入学式前日、暴れてセラフィーナが倒した馬だ。

 多少内臓に傷をつけたし、一度倒れた馬はもう馬として扱ってはもらえない。処分するのかと思ったら、いつの間にかグレイドル先生が自分の馬にして世話をしていた。「だって、王家の馬だぞ? いい馬に決まってるだろ」とのことだ。私としても可哀想なことをしたと思っていたので、ここで第二の人生を送っているのは嬉しかった。あれ以来暴れることもないという。もちろん、薬物や、何か外傷がないかはとことん調べたという。


「サイモンにも手伝ってもらったんだが、やっぱりわからなくてな。で、一つの可能性を提唱された」

 サイモンというのはマキナ先生の名前だ。


「可能性?」

「ええ。これが何かわかりますか?」

 小さな黒い箱を出したマキナ先生は、その蓋をゆっくり開ける。中から虹色に光る結晶が姿を現す。


「わあ、魔晶石ですね」

 私が声を上げるのと同時に、グレイドル先生が手綱を強く引く。


「落ち着け! ほら、何も起こらない。大丈夫だ。安心しろ」

 馬が、首を振りながら大きく動いた。

 マキナ先生は箱を閉じてしまう。


「やはり魔晶石ですね」

「たぶん、魔力に強く反応してしまうタイプなんだろうな」

 会話の真意が見えない。


「あのとき馬が暴れた原因はわからないと言う話でしたが……」

「外傷、薬物、思い当たることは調べ尽くした。なんといっても王女様の近くで起こったことだからな。王宮からも調べに人が来た。だが、お前が殴った場所以外に、特に問題はみあたらなかったんだ」


「王宮の検査官もどういうことかわからないという話になりました。けれど、あまりにタイミングが良すぎるので、可能性を話し合っていたんですよ。昔の研究で、魔力と動植物について書かれているものを見つけまして。そういえば、戦場に向く馬と、向かない馬がいるという話を聞いたことがあったなと思い出しました。通常の場と、戦場とでの違いは、やはり暴力的な空気、流れる血、そして飛び交う魔法です。魔晶石は、もとより魔力を含んでいますし、魔力を人が流すことによって再び溜めることもできます。そうして強い魔力を帯びた魔晶石は、周囲の環境にも影響を与えると言われているんです。魔晶石はこうやって魔力を分断するもので運ばれるというのもそれが理由です」


 つまり、あのとき誰かが意図的にあの馬に強い魔力を向けたということか。


「でも、それなら誰か気付くのではありませんか?」

「人が魔力を向けたならな。だが今、セラフィーナは魔晶石を前にして魔力を向けられたとは思わなかったろ?」


「そう……ですね。つまり、魔力でなく、魔晶石を馬の近くで見せつけた者がいる、と」


「その可能性があるということだ」

「……兄に連絡をします」


 あのとき馬の側にいたのは、御者だ。みんな荷物を降ろそうと荷台の方に移動していた。 王女個人に政敵はない。ただ、今回の結婚はさらなる強さとなる。王家の力を削ぎたい派閥はもちろんあるのだ。他国となればさらに多い。学園には他国の貴賓も何人かいる。デルウィシュ王子のイクターラバ王国は資源の豊富な豊かな国だ。国としての力が強い。そちらと、ザハトアール王国がさらに結びつくことをよく思わない国はもちろんある。


「いっちょまえに護衛の顔をしてるなあ」

 グレイドル先生がまたニヤニヤしている。


「セラフィーナは立派になったんだね」

 マキナ先生はニコニコしている。


「魔晶石の管理は国、でしたよね?」

「そうだね。見つけたら買い上げる。すべてね」

 御者風情がお高い魔晶石を持っているはずがないのだ。


「情報ありがとうございました……やっぱり魔道工学も勉強したいですね」

「週に一度の休日は、王女は王宮に帰るだろ?」

「そう、ですね」

「その日に教えるのは構わないよ。二年生や三年生も私の部屋に入り浸っているし」

 なんと甘美なお誘い。


「うう……ちょっと、相談してみます。兄に報告して、魔晶石について学びたいとか理由つけて……」

 私があれこれ考えていると、グレイドル先生が笑った。


「ほんとうに、二年前のお前とはまったくの別人だな。鍛錬でなく、学問の時間を捻出するのに悩む姿を見るなんて!」

 私は曖昧な笑みを浮かべておいた。

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