第23話 兵士になる
私は思っていた。戦争とは立派な制服に身を包む毅然とした兵士がどこか陰鬱な曇り空の下、軍靴の揃った足音を響かせて行進するものだと。
だが違った。我々は晴れ渡る空からさす冬の木漏れ日に肩を撫でられながら森の小道を進む。まるでピクニックに向かうかのように団らんと小銃を携えて。制服などなく作業着に身を包む我々の足音など揃っているはずもなかった。
私は知らなかったのだ。考えれば分かる事。私は戦争で戦ったことも戦場を見たこともない。それどころか直接話しを聞いたことすらない。
つまり私は考えもしなかったのだ。戦争がどのようなものであるかということを。
だが私は思っていた。戦地に付けば兵士は勇敢に戦い突撃の号令とともに敵を殲滅すると。
「鳥でもいるのか?」
上を向いて歩いていると隣から声をかけられた。そう切り出したのは私と同じく義勇軍に参加した私の友人だった。彼は私が営む肉屋の向かいの八百屋で歳は30過ぎ。いや、違いなど肉屋か八百屋か犬を飼っているかいないか、それくらいしかない。同じ村で生まれ同じように遊び同じように大人になって家族を持った。ただ同じように腹の出た男である。
私はこれまで幾度となく返してきた答えを今日もまた返した。
「考えごとだ」
「だろうと思った」
いつものように彼はその中身を尋ねることはない。家も商いも何もかもを失い、ただ待てば家族すら失われるとわかった今でさえ答えは変わらなかった。
「上手くいくんだろうか?」
「分からない」
私は答えてやることができなかった。
我々は馬に大砲と機関銃を引かせ、数合わせの騎兵に連れられて街へ歩いている。我々に下された死の宣告を東の首領へそっくりそのまま突き返すために。
それがどういうことなのか私は容易に理解できた。瞼を閉じても思い浮かびこそしないが、これら大砲や機関銃がどのように使われるのか、何を引き起こすのかは理解できた。
「どっちにしろやらなきゃ死ぬんだ。冬は越せない。俺たちは悪くない。奴等がやらせてるんだ」
友は自分に言い聞かせるように唱えると既に空のスキットルを仰いだ。私はただ頷いて同意した。
そんな我々が何故銃を手にとって立ち上がったのか。それは友の言う通り取らざるを得なかったからである。決意したのはほんの3日前だった。
二週間ほど前、我々の故郷はドラゴンに焼き尽くされた。私はそれをただ眺めるしかなかった。これまで積み上げてきた財産が終の棲家と決めた二階建が灰と煙に変わった。私は何もできないことがもどかしかった。しかし、それだけだった。当然の事だ。そこで燃えているのはそれだけなのだから。
ドラゴンが村に入ったその日、村には誰もいなかった。襲撃は協会の騎士によって事前に知らされており皆、数日間分の荷物とともに避難していた。
そして強大な力を持つとはいえ所詮は畜生、ドラゴンは基本的に短気で怒らせると手が付けられないが知性がある訳ではないので暫く暴れて街を破壊すれば、それで満足し巣に帰る。ドラゴンとの契約だの決闘だの、そんなものは子供騙しのお伽話だ。
つまり、その暫くをやり過ごすことさえできればよかったのだ。家などまた立て直せばよかった。
だがそうはならなかった。妨げられたのだ。
我々はこのような災害に際して支援を受けられるよう日々いくらかをウィンナーズドルフ西部行政、テトンス・コタリナ副王兼総督に支払ってきた。テトンス総督は我々の窮地を知るとすぐに物資を届けるよう命じられた。しかし、我々の下へ物資を届けるためには東部の畜生にも劣る首領、トルピードが支配する土地を通らねばならなかった。それが妨げられたのだ。
さらに首領は物資の運搬を妨害するだけでなく電信を遮断し、伝書鳩を鷹で追い、使者を捕らえ、我々が街に近づかぬよう兵を展開して道を塞いだ。
あと数日もすれば予定通り雪が降り始めるだろう。河が凍りつく。人も馬も、何もかもが凍りつくこの地の冬を屋根無しで越すことはできない。
この戦いに反対する者もいた。だが彼らの訴えは一人の騎士によって否定された。「戦場に地獄などない。本当の地獄は戦いを捨てたその先にあって、戦争よりずっと長い」高名な魔術師サルマケス・バンク・トラウィリの言葉だ。このときの我々は誰もがこの言葉の本当の意味を理解できた。
そして我々は立ち上がった。
「やるしかないんだ」
私は自分に言い聞かせるため声に出した。
しかしどうして。何故、東部の連中は我々の邪魔をするのか。自身の行いが何を意味するか考えたことはないのか。我々は何も要求していない。冬を遅らせろとも、パンの一欠片すら望んではいない。ただその土地を通してくれさえすれば、ただ認めてくれさえすれば、そうすれば誰も死なずにすんだものを。
「大丈夫だって!上手くいくよ!ドロップ食べる?」
振り向くと声の主がドロップ缶を私に突き出していた。
私が一粒もらうと彼女は微笑んだ。明るい茶色の髪は肩につくかどうかという短さだがよく整えられている。鼻筋のそばかすを見ると大人と言うにはまだ若いように思えた。
「そんなこと言ったてねぇお嬢ちゃん。俺たちゃ作戦も聞いてないんだよ?」
友はちょうど最後の一粒だったドロップの缶を受け取るとそれを鳴らして言った。
「お嬢ちゃん!?あたしは立派な大人ですぅ!」
彼女は私と友の間に割って入ると友のかかとを蹴った。
「イタタ、見えないねぇ」
「あ!そんな事言うオジサンは守ってあげないから」
「オジサン!?あぁ、オジサンだってよ?」
友は私の肩を叩いて話を振った。
「もうそんな歳か」
「ん?オジサンいいの持ってるじゃん。猟師?」
彼女は私の銃を見て言った。
「そうだとも」
私の銃は私が村に現れた暴れ鹿を仕留めた折に記念として村長から贈られたもので、このあたりでは珍しい10連発のレバーアクションだった。
「お嬢ちゃん?このオジサンはどのくらいから鴨を撃てると思う?」
「んんん……ボスは150メートルって言ってたから、120メートル!」
「ムフフ、驚くなかれ、なんと200メートルだ!」
「ホントに!?カード無しで?」
「どうだ?見直したか?」
友はまるで自分の事のように誇らしげに言った。
「この銃では400メートルだ」
200メートルというのは私がかつて使っていたタンジェントサイトのみの銃の記録だ。この銃には6倍の望遠照準器が載っているためより遠距離の獲物を狙うことができた。こういった連発式の銃は威力に問題があるのがお決まりだが、この銃は500メートルの距離でも鹿を仕留めることが可能な威力と装填速度を両立していた。
そう言葉と頭の中で訂正すると私はわずかだが自信を取り戻せた気がした。
「そういえば君のボスは今回のことに反対してたような。ついて来てよかったのか?」
「あああ。大丈夫、ちゃんと話してきた……そんなことより!作戦が知りたいんでしょ?」
友がなにか思い出したように尋ねると彼女は気まずそうにそっぽを向いて話題を変えた。
それから暫く彼女は得意げに作戦を説明し、友はときより質問した。どこか楽しげな彼らを見ていると私はまだ自分が平和の中にいるように思えた。だが彼らが語り合っている手順は間違いなくこれから実行されようとするもので日常とはかけ離れていた。
作戦は次の通りだ。
我々の目的は村に物資を届けてもらうことで、そのために道を塞いでいる兵を退けることだ。
しかし、東の首領には金があり武具の差を考慮すると直接戦っては都合が悪い。そこで我々は東の兵を迂回して街を直接強襲することになった。そうして圧力をかけることで道の兵を街に引き戻させ、その隙に物資を届けてもらうのだ。
まともに考えれば白昼堂々街に攻め入るなど自滅行為以外のなにものでもない。だが当然、我々には勝算があった。
この作戦はテトンス総督のお墨付きなのだ。
つまり街の半分が我々に味方する形となる。総督は直接支援こそできないが自らの部隊は動かさないと約束してくださった。さらに作戦が完了した後は橋を渡り街の西部に移れば匿うとまで仰ってくださったそうだ。
こうなれば東の首領は手元の兵だけで我々と対峙しなければならない。もしも我々が全て素人だったならそれでもどうにかなったかもしれないが、奴等にとっては残念なことに我々にとっては幸運なことに我々はたまたま近くを通りかかった名の通った傭兵団を味方につけることができた。
つい今朝まではこの計画を東の領地、ツヴィーバックで行う予定であったが、物見が持ち帰った何らかの報告と我々の強い希望により急遽、首領のおひざ元であるウィンナーズドルフ東部で決行することとなった。
我々は幸運にも畜生に直接一矢報いる絶好の機を得たのだ。
「ここまでがあたしが聞いた話し、ほら、あそこの隊長みたいな人が話してた」
傭兵の娘は隊列の中央の立派な制服に身を包んだいかにも指揮官と言った騎兵を指さした。
「たしかに、上手く行きそうな気がする」
「でしょ?」
話だけ聞けば作戦は非常に良くできたもので勝算は高いのだろう。
しかし私の不安が消えることはなかった。
私は知っている。例え勝利を得ることができたとしても、その恩恵がここにいる者すべてに支払われることはないと。
我々は少なくとも街を警らする兵を退けねばならない。奴等が我々に恐れをなして職務を放棄してくれるような臆病者であれば良いが、それは期待するだけ無駄だろう。
彼女は街を砲撃して力の差を見せつければ奴等はたちまち降伏するに違いないと思っているようだが私はそうは思わない。
私は猟師であり軍人ではないから、ここからどのように戦闘に移っていくのか想像はできない。ただもし自分が今とは違う何も知らない立場であったなら抵抗するだろう。大砲を使おうとすればその射手を射抜くことくらいは出来る。現に私は大砲の護衛を任されていた。
この作戦の勝利条件に全員の生存という文言はない。私もそのことは理解していた。しかし、どこか自分と友だけは生き残るのではないかという思いを拭えなかった。だからこそ今こうして歩けているのだが私はそのことが不安だった。
「うわッ!まぶし!」
我々は森を抜け街へと続く北の道に出た。道幅は広く大型の馬車が3台並んでもまだ余るほどだった。ただ一直線なこの道にも両脇に森はある。しかし道とその間は路肩と呼ぶにはあまりにも広く刈り上げられ背の低い雑草が茂っていた。
道を歩き始めると皆、口をつぐみ聞こえてくるのは揃わぬ足音と馬車の軋みだけになった。
森から離れた道の中央を進んでいると異様な寒気を感じ、まるで玉座へと続く赤絨毯の上を歩かされているように思えた。
「な、なぁ!見られてないよな?」
「落ち着け、みっともない」
友はしきりに首を回し辺りを探りながら私に尋ねた。彼だけではない、皆少なからず同じように見回していた。
森の中では気づかなかった僅かな土地の高低差が分かるほど見晴らしの良いこの道に隠れられる場所はない。冬の晴天に照らされた道は明るく、対して少し離れた両脇の森は暗く、私を含め誰もがその闇に敵が潜んでいるのではないかと探さずにはいられなかった。
「なに?!」
「何だ?!」
暫く進むと突然、何かが弾けたような、鞭を振るったような乾いた音が立て続けに4度、響いた。
皆ざわつき馬が嘶いた。我々の動揺は足音の乱れとなって聞こえた。
『静まれぃ!攻撃ではない!』
魔法で拡張された指揮官の声が響くと皆声を抑えた。
「今のは何だ?!撃たれたのか?!」
「鹿脅しか何かだろう。発砲音もなかった」
私は隣の騎兵の馬をなだめながら友の問に答えてやった。
この音は銃撃ではない。私は狩りの最中に誤射を受けたことがあったが、その時に聞いたのは乾いた甲高い風切り音と破裂音だけだった。こんな音ではないはずだ。
「銃声を消す魔法とかって――」
「そんなものはない」
私は自分にも言い聞かせるように強く答えた。
そんなものはない。もしそんなものがあれば猟師なら誰もが求めるはず。私が知らないはずはない。噂にすら聞かないということはそういうことだ。
「ありがとオッチャン。助かった」
「あんたこっちのオジサンに代わってもらったら?」
「うるせぇ」
馬が落ち着きホッとしていた青年を先程の娘がからかった。
彼らはこういったことに慣れているのか既に疲れ切った顔の友や大概の者よりは落ち着いているように振る舞っていた。しかしよく見ると彼らの手は銃のベルトと手綱を強く握りしめていた。
我々は歩き続けた。あの音が何だったのかは分からないが鳴ったのはあの一度きりだった。
街の牧草地にたどり着くと丘陵の向こうに背の高い塔が見えた。あれを目指すのか。
『全隊止まれ!陣を整えろ!』
指揮官が号令する。我々はかろうじて我々から街の姿を隠している低い稜線の裏に展開した。
傭兵たちが村の者に指示を与えていく。私は弾薬車から砲弾を下ろすよう命じられた。
馬車から馬を外し幌を退けて砲弾を取り出す。友は私から砲弾を受け取ると野砲まで運び横に並べる。そして最後に砲撃手の傭兵が砲弾の先端に数字の書かれた真鍮の棒のような部品を取り付けた。
「これは?」
「これは……とりあえずその辺に置いといてくれ」
砲弾を運び終え最後に馬車に残っていた四角い鞄を届けると砲撃手は中を見て首を傾げそれを私に返した。
私も中を見てみると中身は数字が書かれたレコードのような真鍮製の円盤の中心に漏斗状の穴が開いた見たことのない機械だった。
私はその箱を砲弾の隣に置いて持ち場に着いた。
森を背にしていると少し落ち着いて作業できた。こうして戦いの支度は誰にも邪魔されることなく完了した。
どういうつもりなのだろうか。確かに我々は低い丘に隠れていて塔に登らなければ街から見えない。しかし、距離を考えれば目と鼻の先のこと。そこで500を超える兵が大砲と機関銃を整えている。それなのに何故抵抗しない。
ただの脅しだと思っているのか。今更話し合いでも考えているのか。すべてを抱え込んで平和を願うのか。奴等は一体何を考えているんだ。
「それじゃあ行ってくる」
不意に声がして私は考えるのをやめた。振り向くとそこには友が立っていた。
私は何処へと尋ねかけたが最初の一音が出る前に思い出した。友は騎兵に続いて最初に突撃する部隊に選ばれていた。
私がどう答えようか困っていると彼は微笑んで、
「あとで―――
その時、破裂音が響いた。
乾いた音、間違いなく火薬によるものだ。
誰もが音のした方向を向き陣は静寂に包まれる。
その視線の先には雲があった。我々と街をかろうじて隔てている丘の頂上に真っ白な煙の塊が現れたのだ。
続いて雲の中から不気味な唸りが発せられた。その音は嵐が洞窟を鳴らすように揺らぎ、低く肺に響いた。
そこに何かが潜んでいるのは間違いなかった。何かはわからない。私には怪物が潜むように見えた。
私はなんとか目をそらす。辺りを見回すと馬は耳を揃え人もその一点を見つめ誰もが動きを止めていた。
『見てこい!回り込んで、正体を突き止めるんだ!』
少しして指揮官の声が響いた。
しかし命令を受けた騎兵は馬を動かすことができなかった。彼らが必死に鞭を振るっても馬はまるで目の前にオオカミがいるかのように進もうとしない。騎手の不安が伝わってしまったのだ。
こうなってはもとより、ほとんどが即席の騎兵に体勢を立て直すことなど出来るはずもなかった。
『何をしている!さっさと行かんか!』
もはや動ける馬は指揮官がまたがる軍馬のみだった。しかし動こうとはしなかった。
怪物はそんな我々をあざ笑うかのように唸りを強めた。まだ姿は見えない。
『もういい!騎兵隊下がれ!』
指示が変わると馬は騎兵を乗せたまま跳ねて逃げ出すように森へ入っていった。我々は機動力を失った。
『大砲、機関銃、照準はじめ!歩兵は中央に!』
友は両手で握ったライフルを見つめたまま戦列の中央に走っていた。その背中は何かが間違っているように思えた。どうせ何もできない。彼はここにいるべきだ。私はそう思えて友の後を追おうとした。
しかし私は踏みとどまった。
私の役割は大砲の護衛、敵狙撃者への撃ち返しだ。それを放棄すれば大砲が攻撃され突撃も失敗に終わるかもしれない。
彼を生きて返したければ私が役目を全うしなければ。
私は肩に掛けたライフルをおろし腰のポーチから弾丸を取り出した。銃床を肩に、レバーを下げて機関部を開放する。いつもと同じように、狩りに出たように、私は一発ずつ弾を込めていった。一発、また一発と弾を込めるごとに心は落ち着き平静を取り戻す。私は瞼を閉じて祈り、初めて怪物と対峙し、勝利したときのことを思い浮かべた。
”どんな怪物にも弱点は必ずある”。
”銀の弾丸は魔法を打ち破る”。
”私にはそれが出来る”。
”大丈夫だ。私は戦える”。
最後の一発を込めレバーを戻して弾丸を薬室に送り込む。瞼を上げると私はいつも通りになった。
「何がいるの……」
隣にいた傭兵の娘が呟いた。彼女はいまだ丘の上の雲から目を離せずにいた。
「やれることをやろう」
私がそう言って肩をたたくと彼女は私の目を見て頷いた。
「砲撃準備完了!」
砲長が右手に持った赤い旗をあげた。準備が整ったようだ。
それに続き他の砲も次々と旗をあげていく。
最後の旗が上がったとき、怪物がついに姿を表した。
煙からゆっくりと這い出てきたそれは獣ではなく機械だった。大型の馬車よりも二周りは大きい図体で頭には長大な槍を装備しているようだった。
「あれは、ゴレム……」
奴等はあんなものを隠し持っていたのか。だからここまで何もしてこなかった。私は納得した。
ゴレムは昔話によく登場する強力な自立兵器だ。まだ機関銃もない時代の骨董品だが、ほとんどの魔法攻撃を無力化しその分厚い装甲は銃弾を跳ね返す。
しかし、出すのが遅すぎた。既に我々は準備を整えた。
『撃てぇ!』
指揮官が力強く標的を指差す。
「発砲!」
砲長は旗を振り下ろした。
砲撃手がレバーを引くと凄まじい轟音が響く。いくつもの大砲が発した衝撃は重なり私は心臓を叩かれたように感じた。
薄霧となった砲煙の中を砲弾が雲を引いて、まるで槍を伸ばすように向かっていくのが見えた。
そして瞬く間に眩い火花がゴレムを包み込み、重厚な着弾音が命中を証明した。
「やったか!?」
誰かが呟く。誰もが思った。
だが響き続けていた。あの唸り声が。
「馬鹿な!」
私は思わず声に出した。
ゴレムはそんな我々をあざ笑うかのように喉を鳴らし、ゆっくりと距離を縮め始めた。
「そんなはずはない!」
私はすぐに銃を構え照準器を覗き込んだ。何か方法が、弱点はないか。
すると不意にゴレムが足を止め槍を戦列の中央に向けた。
照準器に映るゴレムの長大な角、それは槍ではなかった。丸みを帯び、先端に付けられているのは単なる覆いではなかった。
あれは砲身だ。あれは友に照準を合わせているのだ。
そう感じた時、私は寒気と言い表しようのない感覚に襲われた。
足がすくみ口から言葉ではない音が漏れるだけで何もできなかった。
人生で最も長かった数秒後、眩い閃光を伴って放たれた砲弾は真っ赤な光線を曳いて友へ向かった。が砲弾は戦列の手前に落ちて跳ね、大量の土を巻き上げて彼らの頭上を通過し森へと消えた。光の槍を投げつけられたようだった。
私はすぐ後に届いたけたたましい発砲音に叩かれ、ようやく息をした。破片が飛び散ったのか戦列の中央から悲鳴が上がった。
私は既に構えを解いていたライフルに目を落とした。もはや何の力も感じなかった。
私はライフルを肩に掛け指揮官に目をやった。戦列中央には覇気が消え失せ、ただ馬にまたがっているだけの中年の姿があった。
その男は十馬身も離れたここからでも感じられるほど自信を失い、硬直し、砲撃準備完了を伝える赤旗は上がっているにも関わらず周囲からの呼びかけにも応じていない。胸の前で手綱を握りしめ、その目は鋼鉄の怪物に釘付けにされていた。
彼が何もできずにいる間にもゴレムは前進する。そして今度は赤い光線を曳く銃弾をばら撒いて照準を合わせようとしていた。機関銃だった。
連続した射撃が止むとゴレムは大砲を発砲し私から最も離れた位置にあった大砲を吹き飛ばした。空高く上がった火花が私の目に焼き付いた。
ゴレムが放つ砲弾は我々の大砲とは比較にならないほど高速であった。
『せ、全員攻撃開始!撃つんだ!あの化け物を撃つんだ!』
指揮官がようやく言葉を発したのはゴレムが再び停止し3度目の照準を合わせようというときだった。
その言葉は命令と言うにはあまりにも怯えていたがそれでも他に手段を知らない多くのものが従った。
残った大砲が発砲すると皆それに続いた。中央の歩兵、大砲の護衛、私を除く銃を持つ者たちは多くがゴレムに向けて発砲した。
しかしその全てが尽く弾き返された。無風のため辺りはむせ返るほどの硝煙で真っ白なモヤに包まれ始めた。
振り返ると煙に紛れて森へ走る者たちの姿が見えた。
逃げ出すには絶好の機会だった。
ゴレムもこのモヤを見通すことができないのか、やたらと弾をばら撒いている。ときより赤い光線が私をかすめ耳元で鞭を振るった。
私は悲鳴と銃声にまかれ逃亡を決意した。
顔を上げるとまだ隣に立っていた傭兵の娘と目があった。
その時、ゴレムが放った数発の銃弾が私が護衛していた大砲に当たり、火花が散ると射撃が止んだ。
”見つかった!”
私は直感した。
「まずいぞ!伏せるんだ!」
そう叫んだ砲撃手が私を突き飛ばし私は仰向けに倒れる。
次の瞬間、大地を揺らす衝撃と閃光に続いて大量の火花と土が私に降り注いだ。
とっさに顔を逸らすと少し離れたところに大砲だったものが転がっていた。車輪は外れ砲身が前と後ろで真っ二つに引き裂かれている。裂け目はオレンジ色に燃えていた。
再び砲撃音が響き私は完全にモヤに包まれた。もう何も見えない。
逃げなければ。私は雲の中で立ち上がった。
しかし私は声に出して自分に言い聞かせた。
「今ではない」
私は逃げる。だがそれは皆の、友の後だ。
私は雷雲の中をライフルの発砲音を頼りに駆けた。そしてたどり着くと射手の肩を掴んで叫んだ。逃げろと。
それを繰り返した。
絶叫と閃光、砲弾が巻き上げる土煙、それらと血の混じった粘つく唾液、あらゆるものが私の決意を蝕んだ。あのけたたましい砲撃が響くたび、私の身体は鶏のように飛び跳ねた。
弾の尽きた機関銃のハンドルを無意味に回す銃手を引き倒す。直後、機関銃はゴレムの機関銃の攻撃を次々に受け部品が引きちぎられるようにバラバラになっていった。
機関銃の射撃が止むと不意に辺りが静まり返る。
そして怪物が喉を鳴らす音だけが聞こえてきた。
どうやら私は最後の一人になったらしい。
「私はよくやった」
そう呟くと強烈な満足感が私を包んだ。
私は怪物に背を向け反対方向に踏み出そうとした。
しかし、その足がなにかに引っ掛かって地面に倒れた。
私は私の足の感覚を信じたくなかった。
柔らかく、温度があり、重たい。
人の身体。
私はそっと自分の足を掴み自分の身体に引き寄せ立ち上がるために手をついた。
手の甲が冷たく軽い金属に触れた。
持ち上げなくとも私にはそれが何なのかわかった。
ドロップのブリキ缶。
友が持っていたもの。
辺りは真っ白で何も見えない。
だが私の瞼にはこのモヤが隠している景色がはっきりと映っていた。
「……許さない」
私は吐き捨てた。
「必ず!」
私は吠えた。
吠えて立ち上がるとライフルを握り、銃床を肩にあて、引き金を引ききって唸り声に銃弾を叩き込んだ。ゴレムの銃弾が顔をかすめる。
肩に伝わる反動が私の怒りを虚しさとかき混ぜた。
すべての弾丸を撃ち尽くすと腕の感覚がなくなった。
「まだだ!」
私は銃を構え唸り声を睨みつけたまま弾を込めようとポーチを探った。
右手が弾丸を掴むと不意に何者かが私から銃を奪い取った。
そして私は胸ぐらを掴まれ地面に引き倒された。
私はその場でうずくまる。
ここまで幾つもあった選択に一つでも違った答えを出したなら、あのとき引き留めていれば!こんな結果にはならなかった!
そう思うと怒りは後悔と絶望に変わった。
「何故!どうしてこんな……」
私が地に手をついて嘆くと何者かが私の耳を舐った。
はっとして顔をあげると、そこには妻に預けたはずの私の猟犬が伏せていた。
犬は私の袖を噛み私を連れ帰ろうとした。
私は立ち上がった。
そうだ。私は帰らねばならない。家族がいるのだ。私は一人ではない。
そして、私は連れ帰らねばならない。友を、どのような形であれ。彼にも家族がいるのだ。
「帰るぞ……」
私は這いつくばって戻り友に声をかけた。
「はわあぁあ!私は何もしていない!私は何も!」
風が吹いた。
モヤが薄まり、すぐ先が見えた。
私は目を擦って眼の前の者を確かめた。
彼は泥に塗れた制服に身を包み赤ん坊のように地面にうずくまって震えていた。
「ワン!」
「あぁぁあ!」
指揮官は犬に吠えられると奇声とともに気を失った。
私は何も分からなくなって屈んだまま左を見て、次に右に顔を向けた。
大砲だったもの、機関銃のハンドル、馬車、それと抉れた地面に投げ捨てられたいくつもの銃、くすぶる幌。私の目に映ったのはそれだけだった。
想像とは違っていた。
そこには誰もいなかった。
正面に目を戻すといつの間にか軍馬いて、泡を吹いた指揮官の襟を咥え子猫のように持ち上げていた。
私の犬が力なく尻尾を巻き、それでも吠えた。私は背後に何かを感じ立ち上がると恐る恐る振り向いた。
そこには怪物がいた。十歩ほど離れたところ。砲口の円い闇は私を完全に捉えていた。その怪物は鉛カスに塗れた無機質のゴレムだったが私は彼に帰れと言われているような気がした。
「……鋼鉄の慈悲か」
暫く向き合った後、私は軍馬の指示に従って指揮官を鞍に積み、私の犬に先導されて駆け出した。
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