第20話 街で遊ぶ

 明らかに人間による襲撃を意識した野砲陣地だった。街の外周にところどころ配置された大きな車輪の野砲と多銃身の機関銃は土嚢袋で飾られ、ここから見える街角の陣地では兵士が2輪の弾薬車を指さして、その傍らに並べられた砲弾を数えていた。

 そこに配置されている野砲はウィンナーズドルフ重工廠で近年製造された90ミリ後装式滑腔砲で、最新の垂直鎖栓式閉鎖機と気圧式駐退複座機を備えている。砲弾には先端から棒状に長く突き出た特徴的な形状の近接魔法信管を装備する翼安定式榴散弾が用意されており、この砲弾は標的の直前で起爆し200のタングステン球を効果的に拡散できた。しかし、この野砲は仰角が乏しく、飛行する目標は構造的に照準できず、榴散弾は強固な魔法防御に対して効果的ではない。また、発射薬に黒色火薬を用いるため専用の翼安定式徹甲弾を用いても砲口初速は17ポンド砲の高速徹甲弾と比較すると1/3程度と低速であり装甲貫通能力も限定的だ。

 何が言いたいかというと、この陣地はドラゴンに対抗するためのものではないということだ。おそらくドラゴンによる混乱に乗じようとする不届き物の集団を想定し、それを威嚇する目的で設営されているのだろう。街の中心には観測用の気球も上がり、タウンゼントでも不合格は出さないだろうというほど効果的な配置ではあったが、陣地のいくつかは目につきやすい場所にあって紺白星の旗を掲げていた。


「大砲を見てはいけません。ここに書いてあります」

「そうだった」

 

 エリッシュは僕の袖を引くと、三つ折りのリーフレットを指さして言った。

 これは今日、僕にやらせてはいけないことをタウンゼントがまとめた紙で、今日は一日これに従って休日としなければならない。


「また図書館で本を読むのはどうだろう」

「……ダメです。図書館に行ってはいけません」


 僕が提案するとエリッシュは紙を開いて確認し、それを却下した。


「気になる小説があるんだ。勿論ドラゴンとは無関係だ」

「ダメです。何と言われても図書館には絶対に入れてはいけないと書いてあります」

「そうか……」


 次の案を考えながら歩いていくとエリッシュは突然立ち止まって、また僕の袖を引いた。


「ダメです。そっちへ行ってはいけません」

「どうして?」

「あっちは風車です。ドラゴンが通ったところにはできるだけ近づけないようにって書いてあります」

「ドラゴンは街の上で旋回したんだ。そこを通れないとなると、難しい」

「できるだけなので、少しはいいかもせれません。でも風車はダメです」

「そっか」


 どこか暇をつぶすのにいい場所はないか。マップバックに手を入れると、


「ダメです。地図を見てはいけません」

「どうして?」

「わかりません。でもダメって書いてあります」

「ふんん……」

「あ!ダメです。兵隊も見てはいけません」


 僕が街の広場に戻り砲兵隊の司令部を見ると、エリッシュは僕の前に出て両手を上げて視界を塞いだ。

 司令部には大きな通信機がいくつもあり、テントからはたくさんの電線が各陣地に向かって伸びていた。その傍らには観測気球を運用する部隊がいて、兵士たちはそれに街の子供を乗せて遊ばせている。司令部には大人を含む十数人の列ができていた。


「あれは楽しそうだ」

「んん……確かに」

「エリッシュは空を飛んだことないんじゃないか?僕はある」


 エリッシュは気球から視線を下ろすと残念そうに、


「んんん、ダメです。いけません。ここに書いてあります」

「……ちょっと失礼」

「あぁ!見てはダメです」


 どうにもならなくなったので僕は紙切れを取り上げて近くにあったベンチに腰掛けた。中身を見てみると、


「こんなにたくさん……タウンゼントは僕に何をさせたいんだ?何か言ってなかったか?」

「なにも、私もこれを渡されただけなので」

「そうか。でもこれじゃキャッチボールさえ彼の意に反する可能性がある」


 僕は紙切れをエリッシュに返し、せっかくなのでこの制約の中でできることを考えることにした。

 ベンチの背もたれに肘をかけ、結局戻ってきた広場に目を向けるとエランドが街の子供たちとフットボールで遊んでいた。彼はこういったところが優れていて、向かう先で少しでも時間があると子供や少し大きな子供を見つけ彼らを自分の部下にして一緒に遊んだ。エランドはアメリカ語しか話せないので多くの場合、言葉は通じなかったはずだが、それでも毎度うまくやっていた。彼らはとても楽しそうだ。邪魔しないでおこう。

 広場では彼らの他にも、タウンゼントの指示のもと修理された戦車の動作確認や備品の積み込みを行う人々、依然としてそれを見に来た人だかりもあった。普段ならそれを手伝うだけで時間は過ぎるのだが、これはタウンゼントの意に反する。

 隣を見るとエリッシュは紙と睨めっこをしていた。しかし、ときより整備中の戦車がエンジンの回転数を上げると、そちらを気にした。それもそうだろう、戦車を分解してもいいと約束したときの、最高のおもちゃを約束されたクリスマス前の子供のような顔を思い出せば、もっと触っていたいに違いない。タウンゼントに僕のお守りなんか頼まれたばっかりに。


「戦車を弄りたい?」

「そ、そんなことありませんよ?」

「戦車は複雑だ、特にマルチバンクエンジン。君が手伝ってあげたら、整備ももっとうまくいくんじゃないか?」

「……私からは逃げられませんよ?」

「そんなつもりはない。でも僕とこうしていても退屈じゃないか?」

「退屈、ではないです。何かちがいます。こうワァーっと楽しい感じとは違いますけど、じわじわと良い感じ?」

「じわじわと、か。戦車に追加する新しい機能を考えるのと、今と、どうだろう。どっちの方がいい感じか」

「んー。分かりません。今までこうやって他の人と遊ぶことなんてなかったので。でも今はこれがいいです。戦車にいろいろ追加するのもたのしいですけど。今は」

「それはうれしいね。でも実はもう追加したい機能がないからだったりして」

「そんなことはないです。たくさんありますよ?レンズ被膜に、改良型換気装置、内張装甲、修理キットと自動消火装置も、高級馬車にあるのは全部積みんでみたい。あと一週間くらいあったらエランドの言ってた装置も付けられますよ?」

「エランドの?」

「過給機です。ターボチャージャー?」

「戦車にターボチャージャーを積むのか?」

「とりあえずタボチャ、らしいです」

「あれには高速回転する部品があると思うけど、そういう精密部品も作れるのか?」

「私は大体の形を考えるだけ、まだそういう部品は作れません。なのでそういう部品は師匠におねがいします」

「サルマさんに?」

「サルマさんは魔術の師匠です。機械の師匠はトラチパウアさんです。時計屋って言ってますけど、本当は材料があったら何でも作れるんですよ」

「なんでも?」

「なんでもです。競争馬車は200キロくらい出るので部品が少しでも曲がってるとバラバラになるんですけど、その車軸とか。あとウィンナーズドルフの時計塔の歯車も作ったんですよ」


 ここでは一部の馬は馬とは言えない。戦車をたった一頭で引っ張れる馬を見た後だと、昨日だったら驚いていただろう。


「いい師匠だ。どうりで僕の時計も調子がいい。師匠は時計が好きなのか?」

「いえ、ゴーレムを手伝ったら、もう時計以外作るなって協会の人に呪われたからそういうことにしているみたいです」

「あの爆弾ロボットか」

「制御譜板を作ったのは他の人です」

「戦車は手伝ってもよかったのか?ほとんどゴーレムみたいなものだろ?」

「戦車はコンパスがついてて、おでこについてる赤いのの陰で時間がわかるので、時計です」

「なんていい加減な呪いなんだ」

「あ、そうだ」


 何か思い出したのかエリッシュはカバンから真鍮製の万年筆のようなものを取り出すと僕に差し出した。手に取ってみると鉛のように重く、筆記用具ではないとすぐに分かった。キャップを外すとペン先の代わりに紙たばこ径の木の棒がはめられており、その先端には小さな赤い宝石がついていた。


「後ろのボタンをカチッとしてみてください」


 言われたように胴軸後部のボタンを押し込むとペン先が向いていた先の膝に見覚えのある黄色い下矢印が現れた。


「これは、昨日のアレだ」

「目標指示器です。作ってみました。フレディにあげます」

「ありがとう」


 早速、いろんなところに印を出してみると、どの距離でも矢印の大きさは変わらず、一度ボタンを押すとペン先がずれても数秒間はその場所に表示し続けることができた。印は双眼鏡ごしにも見ることができ、手振れ補正がついているのか距離が離れていても任意の場所に容易く表示できた。


「楽しい」

「もう少し時間があったら、矢印の場所を地図に……あ」

「どうした?」

「ああぁぁ!フレディ嵌めましたね!……戦車の話はダメって書いてあたのにぃ」

「ハハハッ、僕の勝ちだ」

「なんの勝負ですかぁ」


 エリッシュは僕を睨みつけると跳ねるように立ち上がり「あっちに行きましょう」と街の南側を指さした。市庁舎と協会のある通りを進み街を出ると、彼女は森の奥へ続く狩人しか歩かないような細い道に入っていった。


「いい場所があるのか?」

「ついてからのお楽しみ。何も考えないのにはいい場所です」


 しばらく進むと少し開けた小川に出た。これに沿ってさらに歩く。エリッシュはなれているのようで地面に書いた数字から数字に飛ぶホップスコッチのように大きめの石の上を跳ねて、時々後からついていく僕を振り返った。


「秘密の場所なのか?」

「はい、ほとんど人は来ません。なので、着てるものもぜーんぶ脱いで力を解くにはい……今のは、なかったことにしてください」

「それはできない。でもここだけの秘密にしよう」

「ありがとうございます」

「それはそれとして、後半の部分、力を解く?ちょっと変わった表現だ」

「そういえば話していませんでした」


 エリッシュはそう言うと僕が追いつくのを待った。


「フレディは霧の森の話、覚えてますか?」

「魔法が濃いと馬が怖って人は幻覚を見る、だったか?」

「そうです。それでどうしてそうなるのかってお話なんですけど興味ありますか?」

「あぁ知りたい。興味がある」


 僕が答えるとエリッシュはこんどはゆっくりと小川に沿って歩きながら説明を始めた。

 要約すると、野生動物ほどではないにしろ人も思いのほか魔法に敏感で、周囲の魔法量が増加するとそれを感知でき、漠然とした不安や恐怖として知覚する。そのため問題となるのがエリッシュが保持する圧倒的な魔法量で、彼女からの漏出に曝露しても同じことが起きるため、就寝時を含め普段から抑えておく必要がある。力を解くとはその抑制を一時的に開放することだそうだ。付け加えると抑制を学んだのはここ最近のことで、サルマが教えたそうだ。


「だから友達がいなかったのか、ずっと不思議だったんだ」

「そう、だと思いたいです」

「もし良かったら、今やってみてくれないか?」

「え?ここで?」

「体験してみたいんだ。どんな恐怖なのか」

「あぁなるほど……あんまり気持ちのいいものじゃないと思いますけど、いいですか?」

「かまわない、ありがとう」


 エリッシュは立ち止まると僕と向き合い、目を閉じて深呼吸した。


「どうですか?」

「ふんん……文民だったら怖がるかも」


 漏出と言っても目に見えるわけではない。しかし、感覚には確かに変化があった。それは危険を察知したときのものに似ていた。崖っぷちに立っているとか振り返ったらクマがいたとか榴弾砲の間接射撃を受けているとか、程度の違いこそあれど、どれも同じものだ。エリッシュの魔法に曝露して感じたものは、この中でも中程度のものだった。


「なんとも、ないんですか?」

「クマに睨まれたみたいだ」

「ふつうはこう、目を真ん丸にして固まったり、震えたり、ひどいと腰を抜かす人もいるのに、フレディは平気そうに見えます」

「こういう恐怖には慣れるんだ」


 この場合、慣れたと言うよりは感覚が麻痺したと表現した方が正確かもしれない。今の僕はこの類の恐怖に対しては、程度が高くとも長時間さらされでもしない限りはエリッシュが言うように取り乱すことはないだろう。

 

「違うのもあるんですか?」

「……ある」


 それは相手がこっちの正面から銃剣をもって向かってきたときだ。名前も知らない小村でのことだ。地下室で、3人いた。一人は短機関銃を構えていて、もう一人は銃剣を握っていた。もう一人は両手を上げていた。そのときの相手は小柄だったので、格闘戦になれば僕が有利だった。危険について言えば対戦車砲に釘付けにされて榴弾砲の間接射撃を受けているときよりも低いはずだった。だが、その時に感じた恐怖と嫌悪感は他のどんな危険よりも強烈だった。群れと群れではない、個と個の戦いだった。相手の顔が見える距離では、自分に向けられた敵意をはっきりと感じ取れたからだろう。あの真っ黒な目も銃剣から伝わる鼓動も忘れることはできない。彼はよく夢に居るうちの一人だ。彼らはいつもこう言う、「どうして--

  

「大丈夫ですか?」

「ん?」


 目を開けると先ほどより一歩近く、すぐ目の前にエリッシュがいて僕を見上げていた。


「我慢しなくてもいいんですよ」

「あぁ違う。魔法のせいじゃない。ちょっと昔のことを思い出したんだ」

「本当に?」

「んあぁあ。そう。ヤークトパンターが車体をこう旋回させて、大砲をこっちに向けようと--」

「ハルさんの意に反してしまいますよ。大尉殿?」

 

 エリッシュはエランドを真似て僕に言った。

 

「おっと、危ないところだった。行こうか」


 小川の縁を上がっていくと木々の終わりに光のカーテンが見えた。エリッシュの後に続き、それをくぐるとそこには絵本から想像するよりもずっと美しい森の中の花畑があった。切り開かれた土地を埋め尽くす朝顔に似た薄紫色の花と青々としたその葉は陽の光に照らされ、中央に配置された1門の30センチ級の臼砲とその陣地を際立たせていた。戦車と同じオリーブ色でエリッシュの背丈ほどもある巨大な車輪に支えられたその臼砲はドラゴンに向けられていたのか街の中心に射線を通すように天を仰いでいた。


「はッ!こんなところに!」


 エリッシュが絶句しているうちに、双眼鏡で見るまでもないが、この臼砲がウィンナーズドルフ重工廠が開発した33センチ重榴弾砲だろう。

 この滑腔臼砲は弾頭重量が400キロにもなる巨大な砲弾を大仰角で撃ち上げ、目標を上面から攻撃するように設計されている。砲弾には5種類が用意されており、近接魔法信管を装備した翼安定式液体爆薬榴弾は1,000ポンド航空爆弾に匹敵する加害範囲と、観測手による終末誘導によって5,000メートルの距離で半径70メートル内の時速20キロ以下の移動目標を誤差3センチで攻撃する射撃精度があった。この他、徹甲弾と国家機密の砲弾がそれぞれ2種ずつ存在する。実用発射速度は驚異の毎分2発で、この砲は現在2門が完成している。

 しかし、ヨル工兵隊長の話ではこれらの砲弾を用いても魔法を充填した17ポンド砲の徹甲弾を超える効果を得るには直撃が最低条件であり、弾速と誘導方式の関係でそれが望めない以上、ドラゴンに対して有効とは言えないそうだ。

 幸運の結果、標的を失った臼砲の周りには見張りもほとんどなく、兵士たちは半自動装填装置の脇に並べられた砲弾の上でカードゲームを--


「……花を、見ていた。とてもきれいだ」


 僕は隣から圧を感じたのでそっと双眼鏡をおろした。目だけを動かして隣を見るとエリッシュは口をHの字につむぎ半開きの目で僕を睨んでいた。


「フレディはタワケ」

「悪かった」

「本当にそう思ってますか?」

「もちろんだ。だから代わりに君がここを素っ裸で走り回てっる姿でも想像しておくよ」

「ふぁ!?どうしてそうなるんですか?想像するのは自由ですが絶対悪いと思ってませんよね」

「自由なのか」

「む」

「ハハハッ、タウンゼントにそっくりだ。あ、ちょっと待って、気づかれた」


 エリッシュの声に気づいたのかカードで遊んでいた兵士は席を立つと双眼鏡でこちらを見て奥に歩いて行った。人を呼びに言ったのだろう。


「これはフェアフィールド殿、ちょうどよかった」

 

 しばらくして陣地から歩いてきたのはヨル工兵隊長だった。


「ちょうどよくありません。戻りましょう」

 

 それを聞くなりエリッシュは不機嫌そうに袖を引いたが工兵隊長は何やら用があるようだったので僕は少しの間、今日の規則に例外を作ることにした。

 陣地に招かれ話を聞くと彼は空を指さして困ったように言った。


「昨日からあの有様でね」


 工兵隊長が指さした空を見上げるとそこでは1羽の鳩が3羽の鷹に追われていた。


「あの鳩、すごいですね」

「あぁ、鋼鉄じゃないってところがまた」


 鳩は腹に小さな鞄を抱えた伝書鳩のようだ。伝書鳩が鷹に追われているだけならそれほど珍しいことではない。誰かが通信を妨害するために鷹を放ったのだ。僕らの目を奪ったのはその鳩の飛び方だった。

 鳩はまるで戦闘機のドッグファイトのように美しく空を舞っていた。直線的な動きを避けるだけでなくバレルロールと呼ばれる螺旋を描く機動で速度を落とさないように鷹の攻撃を躱していた。鷹も速度を生かした一撃離脱を行う1羽と進路妨害の2羽に別れた見事な連携だったが戦闘機のエースパイロットが操縦しているとしか思えない鳩の鳥離れした飛行には及ばなかった。


「あなたが操縦しているんですか?」

「訓練された鳩だ。私は何もしていない」


 工兵隊長がそう言って抱えていた籠のフタを開くと、それを見た鳩は渦に巻かれるように急降下して高度を下げそのまま横滑りするように彼のもとに戻った。


「見てもらった通りだ。そこで貴官に伝令を頼みたい」


 こうして今日の予定は変更となった。

 

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