第13話 二人きりの教室でカーテンを閉め切って

「ひっ――!」


 凄まじい勢いで吹き飛んだ机は腕木の顔を掠め、黒板に激突して明後日の方向へ落ちた。机の脚はその威力を示すようにぐにゃりとひしゃげ、黒板には消えることのない傷痕が刻まれていた。

 なんだ。何が起きた?


 突然の事態に虚を突かれた俺は、一拍遅れて、教卓の裏でうずくまり小刻みに震える腕木に駆け寄った。見たところ怪我は無さそうだが、血が出てないだけでぶつかっていた可能性もある。頭にダメージを負った時は安静にさせるのが鉄則だと聞くが、そんな素人判断よりも専門家の判断を仰いだ方がいいのか?


 どうするべきか、判断を決めあぐねていた時。

 第二波が到来した。

 第二波なんて表現するのも烏滸がましい――机のマシンガンだった。

 ――と。


 悍ましい炸裂音を上げて、いくつもの机が頭上に飛来する。

 黒板に衝突するたび、床に落下する度に響かせる破壊音は、その一つ一つが直接身体に当たらなくても凶悪なまでの暴力性を帯びていた。

 こんなもの、一生モノのトラウマになったっておかしくない。

 今後なにか大きな音が鳴る度にこの光景がフラッシュバックしたらどうしてくれるんだ。


 計二十七台。

 教室にあった机の殆どが凶器となって発射され終わったところで、ようやく教室に静寂が訪れた。

 俺は教卓から僅かに顔を出し、周囲を確認する。


 人の気配なんて、当然どこにも無い。この教室にいるのは俺と腕木の二人だけだ――そのどちらも魔法が使えない状況だった。

 だからこそ、この異常事態を引き起こした第三者がどこかにいるはずなのだ。

 どこかに。

 だが、どこに?


「――オイオイオイオイ、なにやってんだよ」


 丁度向いている方向――教室の後ろから、呆れたと言わんばかりの声が、した。

 だが人影らしきものはなにもない。まるで教室の壁が喋っているような錯覚すら覚える。ひょっとしたら恐怖で幻聴でも聞こえているだけなのかもしれない。

 しかし、そんな淡い希望を否定するように、


「悪い魔法使いをのさばらせようってのか、お前は」


 聞き馴染みのある腹の底から響くような低い声が響く。


「魔法使いなんてのは本来、一匹残らず見つけ出して、全員に首輪でも付けなきゃ平和なんて守れない。だからこそ――それが出来ないからこそ、存在が否定されて、俺らみたいなのが管理してるってのに、よりにもよってお前がそいつを野放しにしようってのか? 悪い魔法使いを助けようってのはつまり――俺に歯向かうってことでいいんだな?」


 思わず歯噛みしてしまう。

 声の抑揚も言葉の選び方も正しく所長だが、しかしあの人は、決してそんなことは言わない。だからこそ腹が立つ。魔法使いの危険性を誰よりも理解していながら、それでも頭ごなしに否定したりはしない人だ。だからこそ、腹が立つ。

 なにより――あの人の魔法でこんな事は出来ないはずなのだ。


 不十分なシェルターみたいに積み上がった机を避け、廊下側から教室の隅へ、声の主を追い詰めるように距離を詰める。見えない敵の正体が姿を消す魔法ならばこれだけで脅威なはずだ。

 机を吹っ飛ばした方法がただの腕力で、光を捻じ曲げて自身の姿を隠していただけだと、この時の俺はそう推理していた。

 所長の声だって特徴のある声だ。同じ体格なら声真似で出せなくはないだろう。


 そう踏んでいた。

 この場にいないままにして、環境を支配するような荒唐無稽な魔法使いなどよりずっと現実的な推理だったのだが。

 非現実的な現象に対して、あまりにも現実に即しすぎた、浅はかな答えだった。


「誰なんだあんたは」


「誰なんて御挨拶だな」


 思わずぎょっとした。

 隅に追い詰めていたつもりになっていた俺は、背後から声をかけられるだなんて微塵も想像していなかった。慌てて振り返っても、もちろんそこには誰もいない。

 声以外の気配がまるで無い。

 腕木とは違う。本当に、この場にいない人間と話しているようだ。幽霊とでも会話してるようで気分が薄ら寒くなる。


「俺とお前の仲だろうが」


「違う。お前は所長なんかじゃない」


「何を根拠にそんなことを。まさか、優しい俺はこんなことをしないとでも?」


 次の瞬間、入り口のドアが、廊下から蹴破られたかのように、凄まじい音を立てて倒れた。

 ドアに嵌め殺しされた窓ガラスが割れ、腕木の方へ飛散する。

 遅れて腕木の小さな悲鳴が聞こえた。見えないが、多分無事だろう――今はそう信じたい。


「お前、馬鹿だろ」


 倒れるドアに気取られ、一瞬だけ『亡霊』から目を離してしまったが――そもそも最初から見えちゃいないが――『亡霊』はその場を微動だにしていなかった。

 声の位置からそんな判断したのだが、誤りに気付き、すぐさま自分で否定した。自己否定なんて腕木のお家芸だと言われそうだが、今ばかりはどんな否定も受け入れよう。

 そもそもそんな可能性自体、ついさっき否定されたばかりじゃないか。

 魔法を切らさずに俺の脇を抜けるだなんて芸当、忍者か虫みたいに天井を渡ったでもない限り不可能だ。


「全ての不可能を消去して、最後に残ったものがどんなに有り得ないことであっても、それが真実だ」なんて、どこぞの名探偵じゃないが、今回ばかりはその言葉の通りだ。シャーロックホームズなんて読んだことは一度も無いけれど、実は魔法使いが登場するんだろうか。


 考えたくないくらいに悍ましいが認めよう。

 聞こえるのは音だけだ。

 敵対している魔法使いはここにはいない。遠方から何らかの魔法を駆使してこちらを攻撃し、所長の声を模倣して揺さぶっている。

 机を飛ばしたのも、ドアを蹴倒したのも、同一の魔法――具体的に『何か』までは分からないが、対処するだけなら簡単だ。


 俺は急いで窓際のカーテンというカーテンを閉め切った。西日が遮られ、教室が一気に薄暗くなる。向こうからこちらの状況を正確に把握しているのなら、まずその「目」を奪うのが先決だ。ここで下手に音を立てて、余計な情報までくれてやる必要はない。


「大丈夫か?」


 暗くなった教室の中で音を立てず、静かに腕木の元へ近寄る。


「大丈夫じゃありませんよ」


 事情を察してか、それとも疲弊してか。腕木は小声で返事をした。


「お姫様抱っこで保健室へ連れてってください。ぼくは動けませんので」


「……そんだけ言えりゃ大丈夫だな」


 勝手にフラれただのなんだの言っといて、ちゃっかり味占めてんじゃねえよ。

 いっそふてぶてしい程にたくましい。


 あまりにも出来過ぎた状況だけに、ここまで含めて全部お前の御膳立てなんじゃないのかと疑っていた気持ちが完全に吹き飛んだ。

 絶対にお前個人で走った方が速いだろ――という言葉を飲み込んで抱え上げ、教室を飛び出した。

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