第12話 誤解力のある彼女、あるいは後輩
その日の放課後。
わざわざ教室まで出向いてきた狼久保生徒会長と軽く談笑をし(一年生のオリエンテーションに尽力してくれてれば十分なのに、責任感だけは本当に強い。あるいは水上に信用が無いだけか)、それから下校準備をして昇降口へ向かった。
普段ならここらへんで腕木を見つけてこちらから声をかけに行くのだが、本日は不在だった。
毎日いる訳でもないし、こういう日もある。
あるいは愛想尽かされたのかもしれないが。
それはそれで紅橋先生に文句付けられそうだが、文句は事が起きてから聞くとしよう。
下駄箱を開けて、靴を下ろそうとして、何かが手にぶつかった。
何かの正体は手紙だった。
それも授業中に女子がこっそり回してそうな、ルーズリーフを丁寧に折り畳んだ手紙だ。
こんなもの朝は無かったはずだが、差出人は誰だろうか。
なんて、実害を伴う不幸な手紙である可能性を完全に失念していた俺は、特に疑問も抱くことなく手紙を開いた。
開いて。
読んで。
そして、首を傾げた。
不幸な手紙だったらこのまま破り捨てるつもりだったのだが、本文にそんなことは書いておらず、長々と文章が
校舎裏でなく、特定の空き教室へ呼び出す手紙を『ただの』なんて言っていいのかは個人差はあるだろうが、しかし、手紙そのものはなんの変哲もないただの紙である。
恨み言も無ければ、招待日時も書かれていない。
このシチュエーションから捻くれずに想像すれば、日時は今日の放課後ということだろうが、しかしどうして空き教室なのか。こんな怪しい招待をホイホイ受けると思ってる差出人はよっぽどの馬鹿に違いない。そうでなきゃ質の低い、あるいは
どちらにしても、こんな手紙を真に受けて向かう理由は一つも無いのだが、何故だかこの手紙に既視感があった。
いや、既視感、とは少し違うか。
生まれてこの方ラブレターなんてもらったことのない俺に、そんな既視感があるはずもないのだが、それでも、この几帳面すぎるほどに整った手書き文字と、独特の言い回しにはどことなく覚えがあった。ような、気がしたのだ。
だからつまり、既視感というよりも違和感。
既視感を感じるという違和感。
デジャヴじゃない。
文章、というよりは文体か。どこか他人行儀で丁寧すぎる故に、かえって慇懃無礼に近い印象すら受ける、妙に芝居がかった淡々とした文体。
果たして、どこで見たんだったか。思い出せればこの悪戯じみた手紙の差出人の正体も分かるのだが、分からないまま終わらせるのは気分が悪い。こういうのはしっかり終わらせなければ延々とモヤモヤしてしまう質なのだ。寝て起きて、そういえばあれなんだったんだろう。なんて、ふと思い出しては悶々とする生活は送りたくない。
そこまで考えて書いたのであれば、差出人はかなり頭がいい。俺の事を熟知してやがる。こんな誘われ方をされて、断る選択肢を俺は持てなかった。
靴を下ろすことなく下駄箱の扉を閉め、指定された三階の空き教室へ向かう。
すぐ下の階は例の事故現場だった。
あの事故以降、現場に来ることはなかったので知らなかったが、廊下は立ち入り禁止のバリケードが設置され、割れた窓ガラスは全て板張りで補強されていた。ひび割れたリノリウムの床に至ってはそのままだ。全面ガラス張りの廊下なんかにしたせいで修復料金は相当高く付くだろう。これを機にガラス張りを止めてもらえれば最高だが、ま、望み薄だろうな。
バリケード手前で階段を昇り、指定された教室へ向かう。
昇降口から遠く離れたこんな場所へ誰が呼び出してくれたのか。ここまできたからには顔を拝まずには帰れない。呼び出し自体が嘘でしたと言われたらしょげて帰るとしよう。
「おーい、来たぞー」
教室の扉を開け、声をかけてみた。
が――返事は無かった。返事どころか物音一つしやしない。
やはりイタズラだったのか、それとも気まぐれな差出人はとっくに帰ってしまった後か。
教室の中に足を踏み入れ周囲を見渡す。夕陽が差し込む教室にやはり人の姿は無かった。
「…………あれ?」
人の姿は無かった。
その代わり、というわけでもないだろうが、教室の一番後ろの観察台の上に、スマートフォンが一台、まるでディスプレイを見せるように丁寧に立てかけてあった。
忘れ物を誰かが分かりやすいように立てかけたのだろうか。そんなことをするくらいなら職員室に持って行けばいいのに。それにしても今時カバーも何もない裸のスマホを持ち歩くなんて、落として傷付ける不安とか無いんだろうか。
と、スマホに近付いたところで、
「待ってましたよ。先輩」
と、くぐもった機械的な音声が響いた。
教室のスピーカーから。
いや、スマホが鳴るんじゃないのかよ。
「このまま来ないかと。少しだけ不安でしたよ」
あんな差出人不明の手紙で本気で来ると思っていただなんて驚きだ。
不安になったのはむしろこっちだと声を大にして伝えてやりたい。
誰ともわからない手紙なんて、貰ったって答えないのが普通なんだから。
「先輩のおかげで、ぼくは魔法の扱いに慣れましたから。今日はそのお披露目です」
「……お披露目っていうならせめて名前くらい書いとけよ。腕木」
向こうに聞こえるとは思っていなかったのだが、果たして「ごめんなさい」と、やはり機械的な音声が返ってきた。ひょっとして、この意味深に置かれたスマホは腕木に繋がってるんだろうか。
だとしてもだ、個人情報の塊を堂々と晒しておけるなんて――そうでなくとも一台数万円もする機械をこんな風に扱える精神がちっとも理解できない。校内だからって防犯意識が欠けちゃいないか。
「こんなところにスマホ置いといたら危ねえだろ。盗まれたらどうするんだ」
「そうなんですよ。先輩より先に誰かが来たらどうしようかと」
考えなしでこんなことしたのか。
そのうち突拍子もない行動で自爆しかねないな。
……いや、もう既に一度やってたのか。
「それで、魔法のお披露目はいつしてくれるんだ?」
「今こうして喋っているのは、魔法によるものですよ」
「……そんな使い方、俺は教えてねえけどな」
所長の正しさが証明されてしまった。
話だけで推理できる地頭の良さを尊敬すると同時に自分の見る目の無さが嫌になってくる。
こんな出来る後輩にとんでもない先輩風を吹かせてたなんて、穴があったら入りたい本当にくらいだ。
「どうでしょう。ぼくの魔法は」
「本当に大したものだよ。ここまでできるなんて、夢にも思わなかったからな」
嘘偽りない本音だった。
対象を振動させる魔法は、何も地震を起こして破壊するだけが能じゃない。
音もまた振動である。
そんな小学生でも知ってることだが、それを魔法で精密にコントロールして会話として成立させるなんて、それだけで十分すごい事だ。
「っていうか、ここまで出来るなんて、本当なら俺がお節介なんて焼く必要なんてまったく無かったんじゃないか?」
「そうですね。この程度は元々出来ましたから」
「……はっきりと言われるとそれはそれで傷付くな。釈迦に説法してたみたいで恥かしくなってくるよ」
「――いいじゃないですか」
その声と同時に、今まで微動だにしなかった教卓の下から、腕木がひょっこり顔を出した。
そんな場所に隠れていたのか。
スマホに向かって喋ってた俺が馬鹿みたいじゃないか。
「馬鹿に説教出来ない人よりもずっと格好いいです。ぼくはそんな先輩も好きですよ」
「……お褒めに預かり光栄ですよ、先生」
俺は肩を竦めた。
先輩風吹かせた上にこんな風に慰められてしまっては立つ瀬がない。
「んで。まさかこれだけのために、こんな場所に呼んだのか?」
わざわざ人を不安にさせるような手段使って呼び出してくれたんだ。魔法のお披露目もあるんだろう。と踏んだのだが、
「うーん、本当は色々あったんですけどね」
腕木は困ったような笑顔を浮かべた。
「言いたいこととか伝えたいこととか、本当に色々あり過ぎまして。朝から準備してたんですけどね」
お昼休みで全部御破算ですよ――と、俺を真似するように肩を竦めた。まるで俺が何かやらかした様な目で見てくるが、残念ながら心当たりはまったく無い。強いて言うなら相席に誘えなかったくらいだけど、そんなことで御破算になるような仕掛けでも用意してたんだろうか。ちっとも想像できん。
「先輩からしたら大したことじゃありませんよ」
「お前の言う大したことじゃないなんて信じられねえよ。さっきの魔法だって、十分驚いてるんだから」
「その割には落胆した風に見えましたが」
「……まあ、な」
落胆したのは自分に対してであって腕木に対してではないのだけれど、けどまあ、似たような感情は向こうにも抱いているのだから同じか。
目を背けていた可能性が真実だと知った時の失望感。
それが腕木に抱いた感情だった。
一体どうするべきなんだろう。
尋ねるべきか。
咎めるべきか。
あの事故は、本当は起こさずに済んだんじゃないのかと。
当人のスキルを確認してしまった手前、問いたださなければならない。
「神様とか運命だとか、ぼくはちっとも信じちゃいませんけど――それでも、自業自得ってのはあるものなんですね」
「自業自得はそんな空想の産物みたいなもんじゃないだろ、なんなら魔法よりもよっぽど現実的で、因果関係もしっかりしてる。それで、本当はどんな大事をやるつもりだったんだ?」
「本当に大したことありませんよ――むしろ、大それたことをしようとしてたと、我が身を恥じ入るばかりです」
「自分を卑下してばっかりだな。もう少し自信つけたらどうだ?」
「正当な自己評価ですよ」
腕木はきっぱりと答えた。
「まったく。先輩に告白しようだなんて、とんだ思い上がりでした」
「…………」
「体育館の用具室を彼女さんとの逢瀬に使うなんて、それこそ空想の産物だと思ってましたよ」
「……………………」
「けど仕方ありませんね。悪いことをした人間に虫のいい話なんて、転がってくるはずがありませんから。ですが、そのおかげで告白する決心がつきました」
「………………………………」
「もっとも、愛の告白ならぬ故意の――罪の告白ですが」
いつものように溜息を吐いて、
「ご察しの通り、あれは事故じゃありません。ぼくが故意に起こしました」
深々と頭を下げた。
こんな場面で冗談を挟まれては心の底から謝罪してるようには思えないのだが。魔法なんかより先にTPOと一般常識を教えるべきだったか。
なんて、俺が反省してしまいそうだ。
「お前が故意にやった証拠なんて、どこにあるんだ?」
どう言おうか悩んだ末、思わず犯人みたいなことを口走ってしまった。
「言い訳の余地はいくらでもあるだろ。魔法なんて証拠が残らないんだから」
「しませんよ言い訳なんて」
下げた頭をあっさりと上げ直し、腕木は続ける。
「そんなことをしたら先輩に嫌われてしまいます。それに先輩は、魔法の悪用なんて嫌いでしょう?」
「……俺じゃなくたって、そんな法に縛られない暴力は嫌いだろ」
「だからぼくにあそこまで熱心になってたんですね」
「魔法を知らなかっただけなら不幸な事故だし、お前は被害者だからな」
「ところが現実は違いました。ぼくは自分の意思で魔法を発動させ、学校を破壊しました」
「動機は?」
「たとえば悪い人を懲らしめるためだったらどうでしょう。あるいはぼくが陰湿なイジメを受けていてその復讐のためにしたとか――こんなこと、いくらでも言えてしまいますね。加害者だって、イジメてましたなんて口を割らないでしょう」
「……だな」
「ですが、先輩がぼくのために費やした時間と労力は決して無駄ではありません。こうしてぼくが反省してるのは、ひとえに先輩の尽力のおかげですから」
「随分と虫のいい事を言うじゃねえか」
「良いのは虫じゃなくて先輩ですけどね」
選びたいくらいに人が良い――腕木は悲壮感の漂う笑みを浮かべる。
よくもまあ勝手な誤解で盛り上がって悲壮感ここまで漂わせられるものだ。とっぷり自分の世界に浸りやがって、おかげで誤解を解くタイミング逃したじゃねえか。
誰がカップルだ。
誰が用具室で逢瀬だ。
教えることが多すぎる。
どれだけ時間かければ更生させられるのか分かったもんじゃない。
ともあれ、まずは今回の一連の騒動に決着をつけるべきか。
そう思い、声をかけようとした時だった。
教室の中ほどにあった机が、爆発音とともに腕木目掛けて吹き飛んだ。
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