第7話 テロリストA(C)

「物騒な事を言うなよ。そんな騒ぎを何度も起こされてたまるか」


「そうだね、私もそう願ってはいるよ。まあ、何に願ったところで現実は毛ほども変わらないけどね」


 ぬるくなったコーヒーを一気に飲み干し、紅橋先生は肩を竦める。


「養護教諭の私としては、全生徒が心身ともに健やかで、より良い学校生活を送ってくれることを、それはもう心底願っているさ。そこに嘘偽りは無い――トラブルが起きると私が楽できないからね、と茶目っ気交じりで言わせてもらおう。普段おちゃらけた人間が真面目になると格好良いだろ? 大人だってそういうキャラに憧れたりするんだよ。とまあ、そんな前置きをしたうえでだ」


 そう言って、先生は掛けていた眼鏡を外し、そのままカチューシャのように無造作に頭に乗せた。その仕草で、少しだけ素の表情が見えた気がした。


「魔法絡みのトラブルから学校を守る立場として言わせてもらうと、正直言って彼女は危険だ。もちろん事故を起こしたからじゃない。クラスで孤立してる事実があるからだ。この言葉の意味、きみなら分かるだろう? いつでも魔法を使える状態の魔法使いなんて――それも制御できない魔法使いなんて、火の点いた爆弾そのものだよ。単純な魔法の危険度だけで言えば、きみの姉の比じゃない」


「あいつはあいつでやらかしてるけどな」


「物理的に学校を潰せる彼女と比べたら全然可愛いもんだよ」


 こんな形で陽香の評価が上がるとは思いもしなかったが。

 しかしあいつはずっと昔にやらかしてるのだ。それこそ腕木の比ではない程の大規模な、災害と呼んでも差し支えないくらいの事故を。

 そんなことを知らない紅橋先生は「だからこそ先手を打っておきたいんだよ」と、神妙な顔をして言う。


「彼女が友達でも作って、休み時間に孤立することが無くなれば万々歳なんだけどね」


「そりゃ理想的だな。んで、俺にどうしろってんだよ。休み時間ごとに腕木の元へ向かえばいいのか?」


「悪名高いきみが無策のまま突撃したら余計孤立するだろうね。ただでさえ先輩ってのは怖い存在なんだから。けどまあアイデアは悪くない。いっそ、『泣いた赤鬼』の青鬼役にでもなったらどうだい? 今話題のテロリストを彼女が撃退したなんて箔が付けば一躍ヒーローだ」


「今やったら青鬼のラストまで演じることになりそうだな……」


 高校生が転校なんて簡単に出来るんだろうか。

 なんて冗談はともかく。


「実際厳しいだろうな。あいつ、目立つの嫌いそうだし」


「おいおい、随分優しいことを言うんだね。きみは間接キス程度で陥落するようなチョロインだったのかい?」


「なんだよその言い方、引っ掛かるな」


「一歩間違えればきみは彼女に殺されてたっていうのに、そんな呑気な事を言ってるからさ」


「さすがにそんな言い方はないだろ。いくら本人がいないからって言って良い事と悪い事がある」


「……きみの『ええかっこしい』は留まるところを知らないね」


 人にデリカシーの有無を説いた口で、よくもそんな酷い物言いができるものだ。


「そういうところ、私個人としては嫌いじゃないけどね。けど、きみが今気にかけてる相手は、その気になれば学校ごと人間を潰せるバケモノであって、ただの可愛らしい後輩じゃないんだよ。それを忘れてないかい?」


「その『バケモノ』に守るべき生徒を付き合わせたのは誰だよ」


 さすがに我慢ならず、俺は言い返した。


「さっきから聞いてりゃ言ってる事がおかしいだろ。そりゃ腕木は事故を起こしてるし危ないかもしれないけど、それ以前に守るべき生徒の一人なんだろ。それを言うに事欠いてバケモノだなんて、どの立場から物言ってんだよ」


「もちろん、すべての生徒を守るべき立場からさ」


「だったら尚更だ。友達が出来れば、とか言いながら突き放す様な物言いして、滅茶苦茶じゃねえか」


「その言葉は実際に滅茶苦茶にしてしまった彼女に向けて言うべきじゃないのかい?」


「誰の味方なんだよお前は」


「きみこそ、あの場に他の生徒がいたことを忘れてないかい?」


 冗談めかした口調とは裏腹に、その声には渇いた冷たさが宿っていた。


「彼女たちが怪我をしても尚、きみは同じことが言えるのかい? もし言えるなら私はもう何も言わないよ。けど、それはもう優しさでも善意でもない、ただの依怙贔屓えこひいきだ。その意識はあるんだろうね?」


 俺は何も返せなかった。

 返す言葉が無かったのではなく、運悪く昼休み終了を告げる予鈴が鳴ってしまったからだ。結局、取引云々の話は曖昧なままだった。


 ただ腹立たしい話だが、紅橋の言う通り、腕木の魔法を捨て置けないのは事実である。怪我人がいなかったのは運が良かっただけ。無関係な人間が恐ろしい目に遭った事実は無くならない。もし心理的外傷トラウマになって通学できなくなったら、転校話も冗談では済まなくなるのだから。


 午後の授業があっという間に過ぎ去ったのはそんなことを考えていたせいだろう。まったく、楽したいと言った口で悩みの種を寄越すなんて、あの眼鏡は何を考えてるんだか。魔法使いなんかよりも難解だ。

 余計な悩みで重たくなった頭を抱え、放課後のチャイムと同時に席を立ち、ロッカーへと向かったところで、


「やあ、どうもどうも。待ってましたよ日影門さん」


 と、聞いたことも見たこともない――しかし、一目でわかる新たな頭痛の種から声をかけられた。かけられたというか、俺のロッカーの前で待ち伏せされていた。

 自分と同じ青ネクタイと、生徒会役員を示すピンバッジ。

 昼の呼び出しのことなど、すっかり頭から抜け落ちていた。


「あー大丈夫大丈夫、心配しないで逃げないでくださいよぉ。別にわたしたち、日影門さんにどうこうしようってわけじゃないんですから。むしろ味方ですよ味方。英語で……なんて言うんです?」


「……知らないなら英語でとか言うなよ」


 お調子者っぽい口調で捲し立てるショートボブの女子生徒。

 ちなみに、味方の英訳は俺も知らない。


「会長がお花畑に行ってるんでほんのちょっと待っててもらっていいですか?」


 一人残してお花畑ってどういう意味だ。何かの隠語だろうか。


「あ、わたしのこと知ってます? これでも一応お姉様の方とは一緒に生徒会役員だったこともあるんですよ。名前言ったらわかるかな、水上くぎりって言うんですけど」


「ごめん、知らない」


「そっかぁ。でもわたしは日影門さんのことは知ってるからね、初めて会った気がしないよ」


 そりゃこっちは悪い意味で有名人だからな。とは言わない。


「お姉様がねファンクラブ向けのSNSでいっつも日影門さんのこと自慢してたからね」


「聞いてねえぞそんな話!」


 頭痛の種が一瞬にして樹木となって大量の実を付けた気分だ。

 まさか実の姉からプライバシーをばら撒かれてたなんて。そりゃ俺も知名度があるわけだ。っていうか、なんだよファンクラブって。校内にそんなものまで作ってやがったのか。

 今度保健室に行ったらあの眼鏡に言ってやろう。

 弟目線ではちっとも可愛くねえと。


「まあ、卒業されてからは、パッタリ更新されなくなっちゃいましたけどね――あ、っとこの話はまた今度だね」


 水上が視線を向けた先に、音もなく一人の女子生徒が立っていた。

 すっと伸びた背筋に、肩まである黒髪を綺麗に切りそろえたいわゆるお嬢様カット。最上級生を示す赤いネクタイ。他の役員は知らずとも、彼女だけは俺も知っていた。

 現生徒会長、狼久保おいのくぼ夜風。


「ごきげんよう」


 凛とした声に思わず背筋が冷える。

 ここまで放送を無視して逃げてきたんだ、何を言われてもおかしくない。


「はじめまして。現生徒会長の狼久保夜風です」


「……どうも、前生徒会長の弟です」


「ええ、存じています」


 この絵に描いたような丁寧で堅苦しい物言い。陽香とは真逆のタイプだが、これはこれで非常に苦手だ。圧が凄い。まああっちは、苦手以上にムカつく感情が上に来るわけだが。


「まず、一言よろしいですか」


「……どうぞ」


 観念して俺が促すと、狼久保会長はその屹立とした長身を、ゆっくりと俺の前で折り曲げ――


「この度は申し訳ありませんでした」


 深々と、頭を下げた。

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