アカナメの災難 5
「結局、何も分からないままね」
鏡の破片を拾い集めながら霧子さんが言った。
割れた鏡にびっくりした珠子さんは身体中の毛が立っている。あんまり驚いたのだろう、闘鬼さんの肩の上に駆け上がっていた。
「ああ、びっくりした。もう~」
と文句を言っている。
「珠子ちゃん、大丈夫?」
とサキが逆立った珠子さんの毛を優しくなでると、白い猫はごろごろと喉をならした。
「今のどうなったの? ガミさんの自爆?」
珠子さんは自分でも毛をぺろぺろと舐めた。
「違う……でしょう? 大将」
鎌鼬の兄弟は闘鬼さんの事を「大将」と呼ぶ。
「さあな」
闘鬼さんは興味なさそうに言ってから立ち上がった。
「珠子、帰るぞ」
「ええ! これから本題なのにぃ。先に帰ればぁ?」
と珠子さんがぷいっと闘鬼さんに背を向けた。闘鬼さんはむっとしたような顔で一同を睨みつけてから、その場から消え去った。一瞬、その場にいた妖怪達は身体に電気がはしり、金縛りにあったように動けなかった。
その後、ぱりんとかぴしっとかいう音が店中に響いた。
「ちょっと……珠ちゃん、むやみと大将を怒らせないでよ! 棚のカップがみんな割れちゃったじゃない!」
珠子さんは不服そうな顔でまたぺろぺろと毛を舐めた。
珠子さんと闘鬼さんは恋仲だと聞いているけど、実際、珠子さんは闘鬼さんにかなり冷たい。あの闘鬼さんに強く言えるのは日本広しといえど、珠子さんくらいだろう。
そして不思議な事に闘鬼さんも珠子さんにだけは怒らない。
「あんた、よくそうやって大将に逆らうけどよく無事ねえ」
と霧子さんも言った。
「え?」
珠子さんは大きなあくびをした。
「いい加減にしとかないと、すぐに喰われるわよ」
と霧子さんが言い、周囲の妖怪達もうなずいた。でも珠子さんは、
「え、だって。闘鬼の機嫌なんかとってたら疲れちゃう。あたしは人に可愛がってもらうのは好きだけど、人の機嫌取ったりするの嫌いだもん」
と聞いていてうらやましい発言をした。
「闘鬼さんって、本当に珠子ちゃんの事を愛してるのねえ」
とサキがのんきな事を言った。
「そんなんじゃないよ」
と珠子さんはまた不服そうな顔をした。
「で、結局おいらはどうすればいいんでしょう?」
おいらはクチメの事が気になってしょうがなかったので、慌てて話を戻した。
ガミさんは消滅した。手がかりはなくなった。クチメが餓死してたらどうしたらいいんだ? もしくはクチメの口を何者かが取りに来たらどうやって戦えばいいんだろう。
「さあ」
と珠子さんが言った。
「そ、そんな」
「とにかくクチメちゃんに何かを食べさせる事が先決だと思うんです」
とサキが言った。
「何かいい方法はないでしょうか?」
これという考えが浮かばないらしくみんな黙ってしまった。
放っておけばいいんだ。妖怪なんだから。
手長足長も一つ目もろくろも、相談する相手もおらず、相談しようなんて考えもなかったに違いないんだ。やつらは勝手に命を落したんだ。それは妖怪だから仕方がない。
でもあんまり寂しいじゃないか。
この鎌鼬のバーにみんな集まってくるのは何の為だ?
寂しいからだろう? 情報が欲しいからだろう?
おいらは人間になりたいなんて思わないし、人間と仲良くしたいとも思わない。
でもクチメがそう思うんなら協力してやりたい。
クチメをみすみす消滅させるのは嫌だ。
おいら達はずっとお隣さんで妖怪仲間で仲良くしてたんだからな。
クチメの思いを踏みにじる奴は許さねえ。
とは言うものの、おいらにも名案が浮かばない。
「にゃお~~」
と珠子さんが鳴いた。長く細く何かを訴えているように鳴いた。
「いつか言ってたじゃない? あれならクチメちゃんもきっと食べるでしょ?」
と珠子さんは今度は人語で言った。白い猫の目は空間を見つめていて、誰と話しているのかも分からない。でもクチメの事らしいのでおいらは黙って見ていた。
「いいじゃない。こういう時に使わないでいつ使うのよ! きっとみんな感謝するわ。やっぱり闘鬼の大将は頼りになるって、男前の上に優しくて、強くて……痛っ!」
にゅっと空間から手が出てきて珠子さんの猫の額をぴんっと弾いた。
「痛いじゃない……」
珠子さんは後ろ足で立ち上がって、前足で額をこすった。
その後、闘鬼さんの手から、一粒のあめ玉が珠子さんの前に落ちた。
「ありがとう」
と珠子さんが言って、前足でそのあめ玉をころんと転がした。あめ玉はおいらの前まで転がってきて止まった。
「何ですか? これ」
「それ、クチメちゃんに食べさせたらいいわ。それね、甘露玉っていうの。すごくおいしいのよ。クチメちゃん、きっとそれなら食べると思うわ」
「でも、あめ玉でしょ?」
半信半疑なおいらの口調に珠子さんはむっとした様子だった。
「あら、いらないならいいのよ。あたしが闘鬼に頭下げてもらってあげたのに。闘鬼が認めたアイテムを信用しないっていうのね!」
珠子さんの声が大きくなったので、おいらは慌てて頭を下げた。
「い、いえ、そういうわけじゃ。ありがとうございます!」
おいらは急いでそのあめ玉を手に取った。鼈甲色のわりと大きなあめ玉だったが、特にうまそうな匂いもしなかった。
「これを食べさせればいいんですね?」
「そう、無理にでも口に入れてみて。きっとおいしいって夢中になるわ」
珠子さんはそう言ってにゃははと笑った。
本当かなぁ。珠子さんは綺麗な猫又さんだが、信用するのとは別だ。
そもそも信用するという行為がおいら等の仲間との関わり合いにはない。
嘘をつく、騙す行為は理解できる。
人間に対しても騙す、脅かすのが昔の商売だったから。
しかし珠子さんの言うとおりに、信用しないならそれでいいのだ。珠子さんは痛くも痒くもない。クチメの為においらは珠子さんを信用するしか道がないのだ。
「じゃ、いただいていきます。ありがとうございました」
おいらが立ち上がると、サキも立ち上がった。
「急いで帰りましょう!」
「ああ」
とおいら達がくるっと出口の方へ向いた瞬間、
「アカナメ!」
と大きな声がして、派手な男が入ってきた。
「あ、良太」
とサキが言った。
雨が降り出したらしい。良太のイタリア物とかの高価なコートが濡れていた。
いつもは丁寧になでつけてある黒髪も濡れてぼさぼさになっている。
「てめえ、俺に断りもなくサキを連れ出しやがってぇ!」
えらい剣幕で良太はおいらの胸ぐらをつかんだ。長身の良太につかまれておいらは足が宙に浮いた。
「え……え……」
「良太、やめなさい。喧嘩なんかしてる場合じゃないの。クチメちゃんの事で大変なのよ」
とサキが言ったが、良太は、
「サキ、つまんねー事に関わり合うなって言っただろうが!」
とサキを怒鳴りつけた。
「それに、どうして電話に出ねえ!」
サキははぁっと息をついて携帯電話を取り出した。
「わ、着信記録が二十回、メールが十件」
携帯の画面をのぞき込んだ霧子さんが笑い出したいのを我慢したような声で言った。
「だっていちいち面倒くさいんだもの。ちょっと出てきただけじゃないの。アカナメさんとマスターの店に来ただけだし、もう帰るところだったの」
とサキがすねたように言った。
断っておくが、サキは醜女だ。すねたように言っても可愛く言っても不細工だ。
そのサキをどうこうしようなんて妖怪はもちろん、人間だっていないに違いない。
妖怪にだって美醜の区別はある。綺麗な花は綺麗だし、美しい動植物も分かる。大事に手元に置いておきたいキラキラした物もある。
だが。良太だけは分からない。サキの不細工さはびっくりするほどだ。からかうなんて気の毒で出来ないくらいだ。
なのにそんなサキを見る良太の目は宝物を眺めるような目だ。
「相変わらずサキちゃん命なんだねぇ。良太」
と珠子さんが笑った。良太は少しばかりばつが悪そうな顔をした。
良太も珠子さんには弱いらしく、
「いや、別にそんなんじゃ……サキはあんまり出歩かないから、びっくりしてさ」
と答えた。
そう言えば天邪鬼の姉弟がこの街にやって来た時に、喧嘩っぱやい良太が闘鬼さんに半殺しの目にあったらしいと聞いた事がある。闘鬼さんに喧嘩をふっかけるなんて勇気があるなぁ。
「そう、今から帰るとこだったんだ。クチメが死にかけててさ」
おいらは慌てて言い訳をした。どうしておいらはいつもあっちこっちで怒られるんだろう。
「そういや、お前の親が騒いでたぜ、クチメがどうのこうのって」
おいらに怒鳴りつけたのをちょっとばかり悪いと思ったのか、良太がおいらを見てそう教えた。
「え? じゃ。早く帰らないと! 失礼します!」
挨拶もそこそこにおいらは鎌鼬のバーを飛び出した。
クチメ、待ってろよ!
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