第4話 残された鬼の記憶

「……とう……げん……」


 掠れて聞き取りにくい老いた鬼の声は、 とても憔悴していた。

 しかし、弱りながらも、桃源を認識した言葉には、強い思いが込められていたが、強靭な鬼の面影は、そこにはなかった。


 桃源は、警戒を解かずに老いた鬼に近づいた。

 犬彦と猿丸も、 低く唸りながらも敵意は見せていない。

 雉乃は低く空を旋回し、周囲の異様な気配を警戒している。


「名は……なんと申す……」


 桃源の低い声に、老いた鬼はゆっくりと重い瞼を上げた。

 その濁った瞳の奥には、深い悲しみのようなものが宿っていた。


「わしは……かつて、 この村の長を務めておった……名は、黒曜こくよう……」


 黒曜と名乗る老いた鬼の声は、弱々しかったが、確かに理性を持っていた。

 十年前の理性を持たない獣のような鬼たちとは明らかに異なる。


「 黒曜……お前は、十年前の戦いを生き残ったのか?」


 桃源の問いに、 黒曜はゆっくりと頭を縦に振った。


「あぁ……わしのような老いた鬼は、 あのときの残酷な戦には参加しておらん……隅の方で、震えておっただけだ……」


 黒曜の言葉に、桃源一行は衝撃を受けた。

 十年前の戦いで、鬼ヶ島の鬼は完全に退治されたと思っていたが、生き残りがいただけでなく、十年前の鬼たちとは異なる知性を持つ鬼が存在していたとは。


「この島に、今、お前の他に生きている鬼はいるのか?」


 桃源の問いに、黒曜は顔をしかめた。


「……何匹かおった……しかし……あの奇妙な光が放たれてから……皆、おかしくなってしまった……」


 黒曜の言葉に、桃源の予想は確信へと変わった。

 やはりあの光が、この島の異変の原因なのだ。


「おかしくなった、とは? 詳しく話せ」


 桃源の問いに、黒曜はゆっくりと呼吸をしながら、 弱い声で語り始めた。


「あの光が放たれた後から……島の空気が、 暗く冷たくなった……それに触れた若い鬼たちは……攻撃的になり、 理性を失い……お互いに争い始めた……」


 黒曜の言葉は途切れ途切れだったが、その内容は衝撃的だった。

 昔の鬼たちを操っていた瘴気とは異なる、新たな悪の力が、鬼たちを狂わせていたのだ。


「お前は、その光に影響を受けなかったのか?」


 桃源の問いに、黒曜は自分の体を見下ろし、 弱い声で答えた。


「わしのような老体には…… 悪の力も、 今のおかしな力も……影響はなかったようだ……ただ、とても疲れてしまったが……」


 黒曜の言葉に、桃源は深い同情を覚えた。

 昔の激しい戦いを生き残り、今の奇妙な異変にも耐えている老いた鬼。

 その姿は、悪の象徴だった鬼とは、全く異なるものだった。


「あの光は、一体何なのだ?お前に、何か心当たりはないのか?」


 桃源の問いに、黒曜は考え込むように、濁った目を軽く伏せた。

 長い沈黙の後、 弱々しい声で、彼はゆっくりと語り始めた。


「…… 古い言い伝えに……島の深い地下に……巨大な悪の力が封じられていると……聞いたことがある……その封印が、何らかの理由で弱まり……あの奇妙な光を放ち始めたのかもしれん……」


 黒曜の言葉に、桃源は衝撃を受けた。

 鬼ヶ島の地下に、 昔の鬼たちよりもさらに巨大な悪の力が封じられているというのか。

 そして、その封印が弱まっているのだとしたら……。


「その封印を再び強くする方法は?」


 桃源の問いに、黒曜は 暗い表情を浮かべた。


「…… 古い言い伝えでは……その封印を再び強くするためには……遥か西の地に存在する……『水の都』と呼ばれる聖地の力が必要だと……」


 黒曜の言葉に、桃源は強く拳を握りしめた。

 水の都。それは、 未知な存在だったが、この奇妙な異変を解決するための 唯一の希望の光なのかもしれない。


「水の都への行き方を、お前は知っているのか?」


 桃源の問いに、黒曜はゆっくりと首を横に振った。


「いいえ……わしのような弱い鬼は……島の外に出たことがない……ただ、 古い言い伝えとして……その存在だけを……知っているだけ……」


 黒曜の言葉に、桃源はしばらく考え込んだ。

 水の都は遥か西の地。手がかりは、古い言い伝えのみ。

 しかし、この奇妙な異変を解決するためには、それにかけるしかない。


「黒曜、お前はわしに協力してくれるか?わしは、この奇妙な異変を止め、再びこの島に平和を取り戻したい」


「御屋形様!!」

 猿丸が声を荒げるが、桃源に右手で制される。


 桃源の問いに、黒曜は前よりも弱く 光を宿した 目を上げ、ゆっくりと桃源を見つめた。

 その目には、昔のような悪の残滓はなく、 代わりに、 かすかな希望の光が宿っていた。


「……わしに…… 今のあなたに協力できる力など……ほとんど残っておらんが……もし、あなたが、島の運命を変えようというのであれば……わしも、あなたに、わずかながらでも…… 古代の知識を……お教えようぞ……」


 黒曜の協力の申し出に、桃源はわずかに顔を和らげた。

 昔の敵だった鬼が、 巨大な悪に共に立ち向かおうとしている。

 それは、 昔の戦いでは考えられなかった、 予想外な展開だった。


「ありがとう、 黒曜。お前の知恵は、きっとわしらの助けになるだろう」


 桃源は、感謝の念を込めて言った。

 こうして、桃源一行は、 鬼の生き残りである老いた黒曜の知識を借り、遥か西の聖地、水の都を目指すという、新たな 難しい旅路へと踏み出すことになった。

 しかし、その道のりは、 鬼ヶ島への道のりよりも、遥かに険しく、 たくさんの困難が待ち受けていることを、彼らはまだ知らなかった。

 そして、水の都に辿り着いたとしても、そこで待ち受ける新たな 悪の力は、 十年前の鬼たちよりも遥かに強大であることも……。

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