第05話 ナンナの電話

 エリアd06。

 エリアd02に比べると自然的な緑が多く、居住区付近にまで迫っていた。区画整理はされて道はできているが、道から外れた地面には雑草が生えており、色彩と立体感が広がっている。居住区の中では畑でしか感じられなかった春が、そこかしこに散りばめられていた。

 ニンフルサグに言われた通り、ここではナンナに会いに行かなくてはならない。アヌンナキは居住区の外側に家を構えている。ナンナも多分に漏れずそうなのだが、それでも人に遭遇するかもしれないと言うリスクはある。


「どうしても寄らないといけないのかしら?」


 アリスが弱気な言葉を発した。おそらく以前襲われたときのトラウマがあるからだろう。自分のせいでマルゥが負傷してしまったと言う罪悪感。あのときは治癒可能な指だったから良かったが、次は首が刎ね飛ばされないとも限らない。


「師匠と連絡を取って、道案内をしてもらわねえと」

「って言っても、アヌンナキは叢雲むらくもと繋がってないんでしょう? 道案内できるの?」

「師匠は世界を旅したときに、自分なりに情報収集ができないかと思っていろんな場所に監視カメラを設置したんだ。叢雲むらくもとまでは行かないにしても、それなりに世界の移り変わりを知る必要があったからな」

「テレビとかはないのね」

叢雲むらくもでなんでも知れる世の中だからな。見る前に、そもそも番組を作成する必要性がない」

「じゃあアヌンナキって、結構不便な生活をしてるのね」

「まあな」


 ニンフルサグの助力なしで補完派の眼を掻いくぐって旅を続けるのは難しい。やはり危険を冒してでもナンナの元へ行くべきだと結論付け、二人はナンナの家を目指した。

 家に着くとオリーブグリーンの髪を七三分けにした男——ナンナが出て来て歓迎してくれた。

 客間に通され、ソファに座る。


「ニンフルサグから話は聞いているであります」


 ナンナは分厚い眼鏡のブリッジを押さえて言った。


「電話はいつでも使うと良いであります」


 テーブルに置かれた電話をススッと前に出した。ダイヤル式の黒電話だ。


「じゃあお言葉に甘えて」


 マルゥの言葉に、ナンナのエメラルドグリーンのツリ目が満足げに細められた。自分が作った有線電話が役に立つのが嬉しいのだろう。

 マルゥはニンフルサグに電話をかけた。


「おう、師匠? 俺、俺」

『その声はマルゥちゃん……に見せかけたオレオレ詐欺ねぇ?』

「は?」

『あら、お母さん助けて詐欺だったかしらぁ?』

「いや、今そうゆーのいいから」

『いやん、冷たい』


 マルゥは軽くいなして本題の道順をニンフルサグに聞いた。思ったよりも補完派の人間が多いらしく、居住区はあまり通らない方が良さそうだった。監視カメラでは把握しきれないが、この分だとエリアe07付近にも補完派が待ち構えている可能性がある。ウトゥにも無理に会いに行かない方が良いだろう。そこにはラストイニシエーター保管施設があるため連携は取っておいた方が良いが、アリスの安全が第一だ。

 ただ一度エリアe09には寄った方が良いと言う。


「そこになにがあるんだ?」

『エンキちゃん用の電話ボックスがあるのぉ。そこに行くまでにまた敵の配列が変わっていたら教えなくちゃだからぁ。ウトゥちゃんの家にもあるんだけど状況を考えたら、行きやすいエリアe09の方が良いのよぅ』


 ひとまずの目標はエリアe09となった。


「エンキ用の電話ボックスって……定住しないって聞いたけど、家がねえのか?」


 電話を切ったあとにそんなことを考えた。


「仰る通り彼は棲家を持たないであります。ずーっといろいろなところを歩き回っているのでありますよ。だから一応彼の生まれた場所に電話ボックスを作ってあげたのであります。彼が出てくれたためしはないのでありますが」


 そう言ってナンナはハハハッと乾いた笑いを上げた。


「エンキって、敵じゃあねえのかな」

「彼はいつの時代もずっと中立を守り続けているでありますから、敵と言うことはないでありますよ。どうしてそう思うのでありますか?」

「この間アビスってやつの名前を出したら、師匠がエンキとなにか関連があるようなことを言ってたんだ。でも詳しくはわからないって。もしかしてエンキがアビスを創ったのかなと思ってさ」

「ふむ。なるほどであります。それならば突然に維持派から派生して補完派が誕生したことにも合点が行くであります。マルゥさんは聡明でありますな」


 言われて得意げに鼻を鳴らす。アリスは不思議そうな顔をする。


「どうして突然補完派が現れたこととエンキが創ったことに結びつくのかしら?」

「俺みたいに叢雲むらくもと繋がってないやつなら、誰にも知られずに行動を起こすことはできる。実際アビスも俺が“識別を免れし者ノーナンバー”だと知って補完派に勧誘してきたくらいだ。つまりアビスは叢雲むらくもと繋がっている普通の人間ってことだ。だとしたらどうやって補完派を発足した? 24時間365日ずっと叢雲むらくもに情報を上げ続けながら、テロ行為の算段を立てるなんて不可能だろう?」

「そっか。もしもエンキが首謀者で、アビスを創ったのなら、その辺の矛盾が解消されるってことね」


 アリスが感心したように見ると、マルゥはますます鼻を高くした。


「マルゥさんの言っていることは矛盾がないように思うでありますが、一点見落としがあるであります」

「見落とし?」

「“空白の七日間インヴィジブル・セブン”」


 それは、月面開発の際に生じた広域の電波障害。その間は誰もが叢雲むらくもにアクセスできない状態にあった。逆を言えば、情報を上げる義務から解放された七日間とも言える。


「つまりなんだ……その七日間で発足してテロに踏み切ったってことか?」

「ここからは自分の勝手な想像ではありますが、正しくは、その七日間でテロを起こすための仲間を募ったというところでありますね」


 ナンナは続ける。


「もともと維持派の中にはやや過激な物言いをする連中も居たと聞いているであります。もちろん少数であったので彼らが一堂に会することはなかったでありますし、もしも一堂に会して作戦を練っていたら解放派に横槍を入れられてご破算になっていたでありましょう。しかしながら、それぞれが口にしなくとも『こいつは自分と同じ考えを持っている』という目星はついていたはずであります。そこに来て“空白の七日間インヴィジブル・セブン”。アビスは近しい維持派の連中に声を掛け、補完派を発足したのであります。さらに会合する場所と日にちを決めておくのであります。そして、各々その時間と場所に行く前からクター粒子を散布して会えば、誰にも気付かれずに作戦を練ることができるわけであります」


 襲撃のための武器などの調達も、そうやって少しずつやって行けば良い。さらにその後も維持派の中で過激な発言をする人間に声を掛けていけば、人員を増やすこともできる。


「でも、イコールエンキが無関係ってことにはならねぇんじゃねえか?」

「無関係ということは証明できないでありますが、創ってないという証明はできるであります。アビスと言う男の素性を調べたのでありますが、彼はシリアルナンバーを再登録しているであります」

「再登録?」

「理由はわからないでありますが、外的要因で失くしてしまったのでありましょう。そのシリアルナンバーを辿ると、もともとはアビスと言う名前ではなかったこともわかり、その男の製造年月日を調べると2055年12月25日だったのであります」

「2055年って言やぁ、ポテトの誕生年だな。……あれ? ってことはアヌンナキより早くに生まれていたのか」

「そういうわけであります」


 これにより、マルゥの『エンキがアビスを創った説』は覆った。アリスの眼から先ほどのような感心は消え失せていた。マルゥは口元をゆがめる。


「しっかし、そんな情報をいったいどこから?」

「友人であります。自分は叢雲むらくもに繋がってはいませんが、同じ解放派の友人から情報を得ればよいのであります。今回のことで補完派のことを嗅ぎまわっているやつだというのはバレてしまったでありますが、だからと言ってなにか報復を受けるというわけではありませんでしょうから、心配には及ばないであります」


 ナンナは笑顔を作り、それをアリスに向ける。


「アリスさん」


 突然話を振られて、彼女は瞼をしばたたかせた。


「自分は、ニンフルサグやイナンナやウトゥと同じ解放派の人間であります。アリスさんをはじめとしたラストイニシエーターの味方であります。だから、今こうして自分が線を通した電話があなたのために使われたことをとても光栄に思うであります。ありがとうであります」

「こちらこそ」


 アリスはナンナの真心に微笑みを返した。そしてかねてよりの疑問を投じる。


「ところで、ニンフルサグに聞くのを忘れたのだけれど、なぜアヌンナキに解放派がいるの? 話を聞くと、ラストイニシエーターが居なくても人類が文明を発展させるためにアヌンナキは存在しているんでしょう?」

「ごもっともな質問でありますね。自分は敬意と安心のためであります。我々アヌンナキはラストイニシエーターのような働きをするのが目的、ということはつまりラストイニシエーターは目指すべき姿なのであります。先生のようなものであります」


 細い目をカッと開いてアリスを見つめた。アリスは少し後退りながら先を促す。


「あ、ありがとう。で、安心って言うのは?」

「もしも我々がラストイニシエーターの代わりを果たせなかったときに、ラストイニシエーターが居てくれなきゃ困るのであります。逆に言えば、ラストイニシエーターさえ居てくれれば、自分たちが文明発展に貢献できなくても大丈夫という安心があるのであります」


 打算的な考え方ではあるがその通りでもある。


「ニンフルサグも同じなのかしら?」

「彼女は、大昔に会ったラストイニシエーターの影響と言っていたのであります」

「大昔にラストイニシエーターが目覚めていたの……?」


 基本的には今より以前にコールドスリープが解除されたラストイニシエーターはいない。ただ一人を除いて。


「なんでもかなりイレギュラーな目覚めだったとか。自分も詳しくは知りませんので、本人から聞くのが良いでありましょう。そこのマルゥさんはそのイニシエーターを元にして創ったとも言っていたであります」


 その言葉を受けてアリスは振り返った。マルゥは「あー」と声を漏らす。


「らしいな。えらく感銘を受けた。だから師匠はラストイニシエーターに役割を担ってもらうって言うよりは、共に仲良く生きていきたいって願ってるみたいだぜ? で、師匠はそいつから自分に足りない旧人類らしさを学んで、全部俺に加えたんだと。迷惑な話だぜ。おかげで俺は叢雲むらくもに繋がらなくて月面で働けなかった」


 両手を頭のうしろで組んで仰け反った。


「でも、そのおかげでアタシは助かったわ」


 アリスの言葉にマルゥは笑みを返した。

 対してナンナは口元を歪め、肩を落とす。


「本当は、お二人の旅に付いて行きたいところでありますが、自分は戦闘が苦手でありまして、きっと足を引っ張るでありますから……申し訳ありませんであります」

「大丈夫よ。マルゥがいるから。それに、最近適材適所って言葉を学んだもの」


 そう言ってアリスはマルゥを見た。マルゥは浅く息を吐いて首肯した。

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