第03話 無手不手《ムシュフシュ》

 地下倉庫の裏口から出て、アリスを連れて走り続け、気付けば荒れた道に居た。

 これだけ荒れていると言うことは、パーマネンスアスファルトがないと言うことだ。パーマネンスアスファルトはピコマシンを含んだ永続的に形態の保持を続けるアスファルトだ。汚損、腐食、風化を自動修復する。区画整理された居住区には敷き詰められているが、こういった手付かずの場所にはない。歩きづらいので移動速度は落ちるが、代わりに充電がスムーズに行える。パーマネンスアスファルトに含まれるピコマシンの充電方法も人間と同じなので、地球の放射性崩壊から出る放射線を一部吸収してしまうのだ。

 充電効率が高まれば長時間の連続歩行が可能になる。


「ねえ、この道で、大丈夫なの?」


 アリスはマルゥのうしろから荒々しい息とともに声を吐いた。


「ああ。人里から離れていた方がいい。観測されたら補完派の奴らに囲まれちまう」


 そう言いながらもスタスタと先行するマルゥ。


「方角も、こっちで、合ってるの?」


 さらに距離を置いてアリスの声が聞こえた。振り返ると肩で息をしていた。


「方位はわかるようになってんだ。一旦は南へ離れたが、そのまま東に向かってるから安心しろ」

「じゃあ、もうちょっと、ゆっくり歩いてくれる?」

「あのなぁ」


 振り返りため息を吐いた。マルゥはアリスが追い付いて来るのを待ったが、彼女が完全に追い付く前に歩き出すため、視線を前に戻した。同時に息を飲み、固まった。

 知らずに歩いて来たアリスがどんと背中にぶつかる。


「もう! いきなり止まらない……で、よ?」


 アリスはマルゥの異常に気付いたらしく、怒りの勢いは失速した。そしてそのままうしろに下がる。

 マルゥはゆっくりと腰を屈め、剣の柄に手を伸ばした。視線をそのままにして。


(いつの間に居たんだよ……!)


 目が合っている。視線の先には動物がいた。それは二メートルを超える四足獣だった。しかし動物と言うにはあまりにも歪な形をしている。全体のフォルムはイノシシだ。しかしその体毛がすべて蛇になっていてこちらを睨んでいる。

 動物とは呼べない異形——魔物だ。

 マルゥはまったく気付かずにここまで来てしまった。

 イノシシの魔物はグッと体勢を低くした。


「横に飛べ!」


 マルゥは抜剣と共にアリスへ向かって叫んだ。

 剣は突進に間に合ったが、魔物の勢いは止まらない。魔物の鼻に剣がめり込んで出血していると言うのに。そのままマルゥは突き飛ばされてしまった。剣は魔物の鼻にめり込んだままだ。

 地面を転がりながら体勢を整えたが、体術のみでどうにかなるような相手ではない。無手不手ムシュフシュはあくまでも身体操作術。波を起こさないで先の先を取ることを目的にしている。こちらが気付けないほど自然体である魔物に、通用するとは思えない。いや、実際に通用していない。先ほど抜剣する前にマルゥは試していた。しかし、まったく通じている感覚がなかったのだ。

 このままアリスを連れて逃げるのが一番得策だが、剣を犠牲にしなければならない。

 逡巡していると、魔物の目線がアリスへ向いた。


「逃げろ!」


 同時にマルゥは魔物に向かって駆け出していたが、アリスは逃げていなかった。

 両手を左右に伸ばし、それからくるりと一回転する。


風の踊り子シルフィード!」


 発声と同時に魔物が吹き飛んだ。不可視の衝撃波。風だ。マルゥも吹き飛ばされる。

 魔物は体勢を立て直すと、先ほどよりも深く撓めた足を一気に開放し距離を詰めた。

 対するアリスはスカートの裾を両手で摘まんで少し上げ、足を振り上げる。


「“土竜の刺毛グランドスティンガー”!」


 振り上げたその足に続くようにして地面から円錐状の岩が突出し魔物を下段から突き上げた。顎を突き上げられた魔物は空中で仰け反るよう体勢になる。アリスは岩に乗ってさらに跳び、蹴り上げた方とは逆の足を上げる。その下からもう一度同じように円錐状の岩が突き出し、魔物のガラ空きの腹に深々と刺さった。

 黒い液体がビシャビシャと降り注ぐ。アリスは両手を広げ華麗に回転しながら後方へ飛んだ。その際に吹いた風が魔物の体液を逆側へと導き、アリスは汚れることなく魔物との距離を取った。

 蛇がアリスを攻撃しようとうねっていたが、しばらくすると静かになった。イノシシの眼も白目を剥いていた。


「おお……」


 マルゥは思わず感嘆の念を吐き出した。


「すっげぇーー!」

「じゃないわよ!」


 ——バチーンッ!

 ビンタが炸裂してマルゥは吹き飛んだ。マルゥは起き上がりながら喚く。


「ってぇな! なにすんだよ!」

「それはこっちのセリフよ! なにやってたのよ!」


 アリスはマルゥに詰め寄って来た。


「守ってくれるんじゃなかったの!? 偉そうに言っておいて、なによ今の!」

「あ、いや、魔物を見たの、初めてだったか——」

「アタシだって初めてよ! って言うか、その存在を知らされたのだってさっきよ。アタシが旧人類で、アナタは新人類なんでしょ? 最新型の人間がなんでそんなに弱っちいのよ。だいたいこんなのにも対応できないアナタがどうにかできる補完派の連中ってなに? ザコなんじゃないの? アタシを追ってきた連中だって魔法で吹き飛ばせたし、充分に魔素まそがあったら後れを取ってないわよきっと。アビスがどうとかって言ってたけど、それも魔素まそがあれば倒せちゃうんじゃないかしら?」


 否定はできない。魔素まそが充分にある空間にアビスをおびき出せればどうにかできるかもしれない。しかし戦闘用に自分を改造してしまうような人間だ。戦闘力は未知数で、侮れない。


「ゆっくり歩いてと言ったのにどんどん進んじゃうし、挙句の果てに魔物に気付かないであそこまで近付くなんて、守るどころか窮地に追いやってるじゃないのよ」

「いや、先に歩いてたのは——」

「言い訳ばっかり! もういいわよ!」


 アリスはそう言ってずんずんと歩いて行ってしまった。

 マルゥは呆気に取られてしばらくぼうっとしていたが我に返って追い掛けた。岩に串刺しにされた魔物の鼻から剣を抜いて。

 アリスは東の方角に進んではいたが、少しずつ北上していった。


「おい、そっちは!」

「アナタが選んだ道、歩きづらいのよ!」

「いやだからそれは!」


 二人でもめていると、目の端に動く者を捉えた。

 それはひょろっとした長身の男だった。一人。組織立ってないから、補完派の人間ではないように思えた。その上クター粒子の展開もない。戦闘態勢ではないようだ。が、油断は禁物である。


「まあまあ、そう睨まないでくれよ」


 張りつめていたせいか、知らず睨んでしまっていたようだった。マルゥは笑顔を向けようとして苦笑いになってしまった。


「散歩をしていたらすごい剣幕で喧嘩している二人がいたもんだからつい見てしまっただけなんだよ。でも気分を害してしまったようだね。悪かった。なにか困っているなら聞くよ。できることがあったら協力する」


 マルゥにつられたのか、男は苦笑いをして近付いて来た。アリスは男に寄って行く。

 男は握手を求めるように手を差し出してきた。

 マルゥはアリスと男の間を遮るようにして手を出した。


「え?」


 アリスの間の抜けた声が置かれた。

 その声を追いかけるようにして、指が飛んだ。3本。マルゥの指が。


「おや」


 激痛が襲ってくる前に指先の神経をシャットアウトして、指を失くした手の掌底を男のみぞおちに叩き込んで吹き飛ばした。

 叩いたみぞおちは膨れていた。衝撃吸収のためのエアバックが作動したのだろう。


「いきなり殴るなんて酷いなあ。仲良くしようとしたのに。そうだ、自己紹介がまだだったね。私の名前はリッパー」


 ポテトが言っていた補完派のメンバーの一人だ。


「しかし、どうしてわかったのかなあ」


 リッパーは自分の手首から伸びたブレードを見て言った。暗器。仕込み武器だ。それが予備動作なしで突然飛び出したのだ。あのままアリスが握手をしていたら、アリスの手首から先が無くなっていただろう。

 アリスは口をパクパクさせて震えている。そのアリスの前に体を滑り込ませ、リッパーと対峙する。


「起こりが見えたのさ。テイクバック無しでも攻撃をしようとして意識が揺らげば波が立つ。って言ってもわかんねえか」


 無手不手ムシュフシュは等速の呼吸と五感によって使用可能だ。起こりが見えるのも無手不手ムシュフシュのおかげ。しかし痛覚神経を切っている今の状態では、無手不手ムシュフシュが使えない。奇襲には対応できない。


「わからない、ねえ!」


 だから先の先を取るしかない。マルゥは男が突っ込んでくるより先に抜剣していた。右手をうしろに振り被る動作で剣を持った左手を前に投げ出し、剣に円運動を与える。敵の股下に剣が入った辺りでそのまま左足を蹴り上げ、剣に追加のエネルギーを与える。

 ——“蛇足蹴だそくげり”。

 長物を振り抜く速度を蹴りで加速させる技だ。

 リッパーの股関節から入った剣はするりと上に抜け、彼の右足はスカを喰ったように体から取れて勢いよく地面に倒れた。


「ああ!?」


 円運動を続ける剣を手放す。重心となっているうしろ足に踏ん張りを利かせ、反動で前に踏み込んでヘッドバットを見舞う。ちょうど鎖骨の辺り。ここはコアを守るためのバンパー的な役割がある。強いフレームを入れておくとそのフレームがコアに刺さる恐れがあるため、弾力がある素材を組み込まれている。しかし強度はそれほどない。線に対して横からの力が掛かると簡単に折れる。

 旧人類であれば激痛により動けなくなるが、人ならばそれもない。ならばなぜそこを攻撃したか。


「効かん!」


 敵は攻撃の手を緩めなかった。しかしマルゥはその右側から来た攻撃を、残った親指と人差し指で摘まんで受け止めた。


「なにぃ!?」

「速度が乗る前の刃物を止めるなんてわけねえんだよ」


 無手不手ムシュフシュがなくとも、相手の手を読めば先を取ることはできる。


「なぜ来るとわかった!?」

「ヘッドバットで右鎖骨のフレームが折れたとき神経を切っただろう? そしたら右手の攻撃はねえ。なら左手だ。せっかくブレードも仕込んであるんだしな。ずっと目の端に捉えてたぜ」


 そう言ってマルゥはとんと相手を押した。男は片足がないため体勢を崩しそうになったが、体を斜めにして必死にバランスを整えた。

 そこに上から剣が回転しながら落ちて来て、傾いていた首を斬り飛ばした。

 マルゥは剣を拾い上げて肩に担いで振り返る。


「しかし、体を戦闘用に改造しているのがアビス以外にもいるとはなあ」


 テロが起きたときに戦った相手はアビス以外普通のボディをしていた。だから他の人間もそれほど強くはないと思っていた。しかし実際はそうではないと言うことだ。


「あ、あ……」


 アリスは声を震わせながら、拾い上げていた指を掌に載せてマルゥと交互に見ていた。


「ああ、サンキュー……って、ダメだな」

「え……?」

「持っててくれ。新手だ」


 おそらく今の戦いを仕掛けて来た敵が、信号を送っていたのだろう。

 敵がぞろぞろとやってくる。ざっと見て10人ほど。


「アリス、魔法は使えるか?」


 マルゥの問い掛けに答えずぼうっとしている。


「アリス!」

「あ、え? ええ、使えるわ! 一度だけなら」


 たった一度の魔法。広範囲に攻撃性の高い魔法を使ったらマルゥまで巻き添えを食らってしまう。と言って対象を一人に絞った攻撃では、多勢に無勢は変わらない。


「相手の視覚を奪うことはできるか?」

「光魔法で光の侵入角度をめちゃくちゃにする魔法を使えばできるけど、アナタも巻き添えになるわよ」

「構わねえ。使ってくれ」


 マルゥは切っていた痛覚神経回路をゆっくりと戻していく。暗闇の中で動くには気配だけで敵を察知できる無手不手ムシュフシュが必要になる。手に焼けるような痛みがジンジンと広がった。

 敵は武器を持っているようだった。マルゥは両手を目の前でクロスし、左右に広げた。クター粒子をタイプ・ネルガルで展開したのだ。これで敵も高度な武器を使えない。同時に30分のタイムリミットが生じる。速やかに敵を倒さなければならない。


「行くわよ」


 アリスが片手を上げ、指を天に向ける。


「“宵の女神ニュクス”!」


 発声と同時にその指先から光が発生し、辺りは暗闇に包まれた。


「ああっ!?」

「な、なんだ!?」


 敵側のうろたえる声が聞こえた。

 マルゥは目を瞑り、敵に近付いて行く。無手不手ムシュフシュは波を起こさない。そして敵の波を検知する。闇に包まれたとき、敵からは反射による波が起きていた。どこかから来るかもしれない攻撃に対応しようとする、強張り。マルゥは視野ゼロの状態でもその波を捉えればよかった。

 次々に剣で斬っていく。敵が攻撃を回避しようと動けばそこに波が生じ、また反撃しようと動けばそこにも波が生じる。一度生じた波紋は簡単には収まらない。ぶつかればまた反射の波が起きる。

 マルゥはつま先からの着地で音もなくスルスルと滑るように動き、一人ひとりを戦闘不能に追いやっていった。

 マルゥが波を感じなくなったとき、すべての敵は地面に倒れていた。


「すごい……」


 アリスの感嘆の声を聞いて、マルゥは目を開けた。闇は明けていた。


「でも完璧じゃあなかったな」


 マルゥは自分の剣に目を落とす。切っ先から数十センチが折れてしまっていた。ほぼ半分程度の長さになっている。どうやら敵を切ったときに硬い部分に当ててしまったらしい。指を失った激痛を感じながらの無手不手ムシュフシュはやはり難しかった。未熟な部分がわかりやすく露呈してしまった。

 マルゥは横たわる敵に近付き顔面を踏み割ろうと膝を上げた。


「待って!」

「なんだ?」

「なにをする気なの?」

「視覚を潰しておかないと、俺たちが逃げた方角がバレちまう」

「そ、その、下を向かせておくだけではダメなのかしら」

「あっ、なるほど」


 マルゥは頷きを返し、言われた通り敵を俯せに寝かせ直した。これで相手の視覚情報は消えた。逃げた方角を叢雲むらくもに送られることもない。


「敵はまたやってくるかもしれねえから、急いでここを離れなきゃならねえ」


 剣が欠けていても戦うことはできるが、さらに欠けてしまうかもしれない。状況は悪くなるばかりだ。


「え、ええ、そうね」

「そこで頼みがあるんだが」

「なに?」

「俺がお前を抱っこして走るから、お前は取れた俺の指を手に固定しててくれねえか?」


 マルゥの提案通り、アリスはおとなしく抱きかかえられてくれた。片方の腕を膝裏に手を通し、もう片方の腕を背中に回し肩を持つ。お姫様抱っこ。ちょうど肩を持っている方の手の指が取れているため、そこにアリスが指を固定するような形だ。自然に手を握っているような形になった。

 敵の目から逃げるためにはやはり居住区から離れた場所を走った方が良かったため、パーマネンスアスファルトのない荒れた道を走った。

 それから陽が落ちるまで走り続けた。

 完全に夜のとばりが落ちて、二人は休憩をすることにした。マルゥはともかく、アリスは寝ないといけない。

 マルゥは包み紙に入ったキューブ状の食べ物を渡した。


「なにこれ? キャラメル?」

「ラストイニシエーターが起きたときように作って置いた飯だよ」

「え、これだけ!? ちっさ! ポテトサラダやフィッシュアンドチップスはないの?」

「ねーよ、んなもん」


 マルゥは呆れ顔を返した。アリスは食べないよりは良いと考えたのか、包装を解いて口に運んだ。


「うん……美味しい」


 ボソッと感想を呟いた。


「栄養的にはそれ一個で一日分足りるはずなんだが、個人差があるからな。足りねえか?」

「栄養的には良いかもしれないけれどお腹が足り……あれ? 空腹も満たされてる?」

「そういう効果もあるんだよ。満腹中枢ってやつを満たすらしい」

「ご飯って言うより薬みたいね」

「否定はできねえな。だが、体に悪いもんは一つも入ってねえ。依存性もねえし」


 マルゥはウェストポーチから携帯用ベッドを取り出した。

 手のひらサイズのそれを広げて空気を入れると、人ひとり寝られるくらいの大きさになった。


「寝心地はあまり良くねえかもしれねえけど、どうぞ寝てくれ」

「え、私が?」

「他に誰が?」

「アナタがよ」

「俺は雑魚寝で充分だよ」


 そう言ってマルゥは横になった。地面はごつごつするが問題ない。横になれば効率よく充電することができる。

 アリスはベッドに座って、マルゥを見下ろした。


「その、悪いわね。あの……昼間は、あんなことを言ってしまったのに。それに、指も」


 マルゥは掌を見せて握ったり開いたりする。


「繋がった。お前が俺の手に合わせててくれたおかげだ」


 アリスのサファイアブルーの瞳が揺れた。それから安堵のため息が零れる。


「良かった」


 彼女は横になった。長い金髪がベッドからサラサラと落ちた。

 二人で見上げた夜空には星が軋んでいた。


「綺麗ね、星」

「そうなのか?」

「ええ。アタシの知識の中では、こんなにも綺麗じゃあないわ」

「そうか。これを綺麗と感じるのが、旧人類らしいってやつなのかね」

「そうかもしれないわ。それにしてもアナタは、とても人間らしいわね」

「人間だが?」

「ああ、そうね。うん、旧人類らしいわよね」

「そういう意味か」

「知識の中の話だけれど、ずっと前のAIって感情とかがなかったらしいじゃない。心と言うのか」

「大昔はそうだな。まあでも、人類が継承されるまでは心がなかったのかもしれねえな」

「そうなの?」

「ああ。これは師匠の受け売りだが、結局心なんて人間が考えて当て嵌めただけのものだから曖昧なんだとよ。植物や石にも心はあるかもしれねえのに、人間が勝手にないって決めつけてるだけだって」


 マルゥの言葉に、アリスは聞き入っているようだ。


「俺ら無機生命体も最初は心がないとされてきた。けれど旧人類がほとんど死に、ラストイニシエーターたちもコールドスリープに就いた。当時のアンドロイドたちが人類を継承し、新人類になった。観測者は新人類のみになった。そんで、新人類が心ある者と知覚した存在はみんな心があるとされたのさ。ポテトは人間たちがコールドスリープになる前に製造されたメイドロイドだったから、当時は心がなかったかもしれない。でも、人類を継承して自分で心があると認識して、他人からも認識されたから心がある。それだけなんだよ。石だけの世界だったら、石に心が宿るかもしれねえな」

「じゃあ、人類が入れ替わったら、また心なき者になるのかしら」

「有り得る」

「それは悲しいわね……でも、だったら今のアタシに心はあるのかしら? 人類のタグを失ったアタシたちラストイニシエーターたちには。知識と個性だけが残って、記憶の一切を失くしたアタシには。

 ……ねえ、怖かったの。家族も友達も記憶がない。アタシにやさしくしてくれたというポテトって言う人の存在もわからないの。それなのにアタシはアタシなの? わけがわからなかった。とりあえず生きなきゃいけないって言う思いだけで、エリアe15を目指すと言ったけれど、でもそれはアタシの意志なのか、新人類の意志なのかわからなかった。

 魔物が出たとき、咄嗟に魔法を使ったわ。イニシエーター保管施設でもそう。咄嗟だった。魔法って生物を簡単に殺すわよね。そんな魔法を、咄嗟に使うアタシって、なんなの? 個性は保存されていると言っていた。だったらコールドスリープ前のアタシも、簡単に魔法を使っていたのかしら。動物を殺めていたのかしら。アタシはアタシのことをなにも理解していないのに、アタシの体を操縦しなきゃいけない。

 ……ねえ、怖かったの。だから、つらく当たってしまったわ。突然のことにびっくりして、ドキドキして、ハイになってしまって、それで……八つ当たりだったの。ごめんなさい」


 マルゥは空を見つめたままアリスの言葉に耳を傾けていた。やがて口を開く。


「アリスに心はあるのかとか何者なのかとか、他人の俺は余計にわからねえ。でもポテトがお前を知ってる。記憶を取り戻せなくても、ポテトに会って記憶を教えてもらったら、少しは不安もやわらぐんじゃねえか?」

「そうね。アタシを一番知っている人だもんね。ラストイニシエーターにそんな人がいるって、とても幸福なことかもしれない。他の人には自分を覚えていてくれる人もいないかもしれないから」


 明るくも湿り気のある声だった。アリスは寝ころんだまま、頬を拭った。

 マルゥは努めて声を弾ませる。


「危ないところを助けてくれてありがとうな」

「え?」

「魔物の存在、全然わからんかった。俺は今まで対人戦は鍛えて来たけど、魔物は全然ダメだ。存在を把握するのが難しいらしい。アリスがいなかったら死んでた」

「あ。いえ、どういたしまして」

「それと俺も謝らねえとな」

「なにを?」

「お前がゆっくり歩けって言ったのに守らなかった。実はあれはさ、荒れ地だったから、アリスが歩きやすい道を探してたんだよ。だから早足になっちまった。結果的に危ない目に遭わせちまった。すまなかった」

「そうだったの。じゃあ、荒れ地を歩いたのも訳があるの?」

「人里から離れないとダメだった。襲ってきたやつらはもとより、解放派のやつと会ったとしても、視覚情報は叢雲むらくもに送られちまうから。すべての人間が監視カメラみたいなもんなんだ。だから、誰の眼の端にも映らねえようにしなきゃダメだった」

「全部アタシのためだったのね。ごめんなさい」

「だから良いって。俺が守るはずだったんだから、謝られるとミスったのをほじくられてるみたいで恥ずかしいぜ」


 二人の間に静寂が落ちた。

 星空だけが、バカみたいに騒がしかった。


「じゃあ、役割分担ね。魔物はアタシが倒す。対人戦はマルゥがこなす」

「これからは守る守られるの関係じゃあねえな。バディだ」


 マルゥが拳を突きあげると、アリスも倣って拳を突き上げた。

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