ザ・ライダー・プール
じょーもん
1.スカダー
プール(pool)とは、蓄えることを一般に指す、英語由来の言葉である。
ライダー(rider)とは、もともとは「馬を駆る人」という程度の意味で、その後、広く何かに乗ることを指すようになった。これも、英語がベースとなったGCL(Global Communication Language)に収録されている単語、及び、使用法である。
ザ(The)とは、日本語では正確に意味が捉えにくい定冠詞である。基本的に「一つに決まる」というイメージで考えると良い。つまり、その言葉でくくれるたくさんの存在の中で、文脈によって限定されたり、もともと他にかけがえのない最初から唯一のものであり、説明を要しないものなど、『どれ』なのかが明確な場合に使うのである。GCLでは、冠詞が一般的でない言語に配慮して、地球(Earth)や空(sky)などの前に「ザ」を落としても、許容とされる。
そして、この話は――、
The Rider Pool。
1. スカダー
「
直接会うのは久し振りになる友人、
飛竜が着ていたのは、いわゆるツナギの銀色に輝くスペースジャケット。目でなぞるだけで筋肉が分かるくらい、体に密着させたデザインだ。
まあ、有り体にいって、野郎含有率がやたらと高い職場環境では、少しでもお外にいるお姉さま方にアピールして、雄としての本能(煩悩?)にエサをやれる機会をあざとく狙っているということだろう。
つまりは、男らしい筋肉をアピールできる程度に人間が多い場所で働いているということであり、まったくもって、羨ましいというか、ご苦労さまというか。
このスペースジャケット生地というのは、簡易宇宙服にもなる素材。伸縮性こそあるものの、通気性という奴はゼロだ。だから普通、小型の空調ユニットが内蔵されている。中にある程度空気層を作り、循環させて使うもの。そうでないってことは、やってられない住環境ってことで間違いない。スペジャケってのは、生き物が住めるだけの最低限の空間を持ってなきゃ意味がない。だから、ぴったり体に張り付くなんてのは正気の沙汰じゃない。見かけのために機能を排除する? クレージーな選択だ。女にもてない気の毒な種類の人たちならともかく、奴は霧島飛竜だ。
「制服だから……仕方ないだろ」
飛竜と呼ばれた男が妙にイヤらしい手つきで、肩から胸、そして腰へと、体をなぞるようにする。掌紋認証でロックを解除しないと脱げないこの服――服としては随分不便だろう。手にぶら下げるようにして持っていた、金魚鉢と通称される全方向認識型ヘルメットをテーブルに置いて、飛竜は、ようやくできた隙間から脱皮するように上半身を解放した。
「あーっさっぱりした。
飛竜の歯切れはどこか悪い。まあ、さもありなん。飛竜が姉貴と呼んだのは、中堅規模の星間運送会社、
飛竜という男が、度胸とやらを持っていないわけではない。バージシャトルって奴は、比較的安全が保障されている宇宙空間輸送に携わる星間貨物宇宙船とは違う。飛竜はそいつのライダーなのだ。彼らは
ここはライダープールと呼ばれている。地球――つまり我らが人類の母なる大地――に、こやつらライダー連中が「つっこむ」直前や「でてきた」直後に、一定時間を過ごす控え室みたいな所だ。むさ苦しいという形容がこの上なく相応しい男たちばかりが偏って出入し、
俺が行ったのは、飛竜が勤めている霧島運輸が使っている桟橋のほど近くにある『ライダー溜まり』。霧島運輸は貨物専用だから、飛竜も大気圏を越えて人を運んだりしてはいない。ここでは居合わせているどの顔も、彼に視線すら向けてこないが、ここが一般の人間が出入りする喫茶店辺りだったら、諸肌を脱いだ飛竜は、溜息混じりの称賛の的になるだろう。見事に引き締まった体に浮き上がる筋肉の境目を縁取る溝(ミゾ)は、皮を剥ぎ取らなくてもそのまま人体筋肉標本で活躍できそうだ。掛け値なしのいわゆる色男。
同じシャトルライダーでも、客船乗務みたいに女ッ気のある職場なら、とっくに女房の一人も捕まえて(捕まえられて?)落ち着いていただろう。でも、三十代に突入している今もなお、いい年こいて独身だ。航空宇宙専門学校の同期生の中では、そろそろ少数派になってきた売れ残り組に入っている。もっとも……。
――人のことは言えねぇよなぁ。
俺を買ってくれるお姉さんにも、甘えてくる妹にも、まだお遇いしたことはない。
「で、優美ちゃんは、なんでプールに?」
がっしりとした体躯の飛竜が親しげに抱擁なんかくれると、正直、暑苦しいとも思う。けれど、それでもスキンシップ好きな俺は、そういうのはいつでも大歓迎だ。女の子でないのは残念だけれど、まぁ、こちらも大人。妥協はお互い様だろう。
俺はその体をちゃっと軽く抱き返してから突っ放した。
「いつも言ってるだろ。名前で呼ぶな……」
俺が女みたいな名前を嫌っていた事を承知で、飛竜はいつもそう呼んでくる。年を食って、たかが名前にジタバタするほどの若さとはもう縁を切った。それでもこう返すのは、いわばお約束ってヤツだ。
「で、タカ。何の用だ? 純粋宇宙仕様のお前さんがプールに飛び込んでくるってのは、穏やかじゃないだろ。その年で転職するにしたって、キャッチャーを随分長いことやってたろう? いまさらライダーなんて出来っこねぇし……。絶対に奇怪(おか)しいぞ。第一、いきなりこんなとこに来て、お前、大丈夫なのか? ……ちゃんと生きてるか?」
昔のように、うんざりするほど「優美ちゃん」と繰り返さずに、飛竜は高柳という俺の苗字から引っ張りだした呼び方でもう一度プールに出向いた理由を聞いてきた。
地球ってのは、日々進化する病原菌の楽園だ。ライダープールの役割の1つが、あやつらをコロニーに持ち込ませないための緩衝地になることだ。地球の豊かな生態系の中に行くことは、ウィルス・細菌環境が貧弱な宇宙暮らしの人間がここに入っていくというのは、最悪命取りになる。つまり危険な行為なのだ。 地球環境に触れた人間たちが人工植民地であるコロニーの市街地に行こうと思ったら、168時間(地球時間の7日間)の
地球自体が人類の共通財産という認識で、大切に扱われるようになった現在、宇宙生まれの宇宙育ちのほうが大多数を占めている。とはいえ、地球でしか生産できない資源を生産・管理したり、地球そのものの再生を助ける研究に従事していたり、単に不公平な特権を享受した結果として地球に住んでいる人間はいる。そして、重力環境を異にしていることで、少しずつ別種の生き物になりつつあるのかもしれない。
だが地球人も、ときたま観光や仕事で宇宙植民地(スペースコロニー)にやってくる。警戒していても何かの拍子に多種多様で元気な地球産の細菌やウィルスが何度もコロニーに持ち込まれる。そのたびに、猛威を振るってきたウィルスたち(インフルエンザが特に流行りやすい悪玉の筆頭だ)が、大量の死者をだすたびに、『検疫止まり』の期間が増えてきた。そうして検疫留めの期間が長期化していく程、地球への距離は実質、遠くなっていく。
ついでに宇宙人の俺がここに入った時点で、たとえ地球に降りていなくても、潜在的保菌者扱いとなる。もう一度コロニーの一般街区に戻ろうにも、168時間の検疫止まりの対象だ。余程の長期休暇でもなければ、検疫止まりだけでかなりの時間を食ってしまうことになるから、当然、気軽に顔を出せるところではない。実際、飛竜ともここのところネットを挟んでしか喋ったことはない。ライダープールに俺が出現した事自体に、飛竜が不審を抱いたとしても何の不思議もない。久し振りに肉眼で見て、手で触ったナマモノの友人に、俺はちょっとだけ意地悪く微笑んでみせた。
飛竜が言ったキャッチャーというのが俺の仕事だ。しかも「スカベンジャー」とキャッチャー仲間からも言われちまうような隙間仕事だ。
活性酸素の防御機能のこともスカベンジャーなんて呼ぶらしいが、そっちのほうじゃなくて、そのまんまの
地球や月、火星。その辺の大気圏から頑丈な巨大コンテナにいれた壊れにくい貨物を、大砲みたいなマスドライバーという巨大装置を使って打ち上げる輸送システムがある。やり方の乱暴さに相応しく、主な積み荷は衝撃に強い鉱石。あるいは、米や麦といった宇宙空間で作るのになかなか無理があるので地球産が普通の穀物(グレイン)などだ。散荷(バルク)ヤードで充填されて打ち上げられるコンテナは、普通、制御機能も推進機能も搭載していない。リーファ(温度管理)コンテナなど、ものによっては温度だけは管理されている。この打ち上げられたコンテナたちは、宇宙空間に無事出た以降は慣性の法則に従って、打ち上げられた方向を維持して飛んで行ってしまう。
これを追跡(チェイス)して捕獲(キャッチ)するのが、簡単に言うと俺たちキャッチャーの仕事だ。
宇宙植民時代の初期には、厚くて重力も大きい地球でマスドライバーが稼働されるとは、エネルギーの問題、コンテナの強度の問題、また、衛星軌道に散らばっているさまざまな建造物を直撃する恐れなどから誰も実用化されると思っていなかった。SFの中だけでとどまるか、大気を持たない月あたりでのんびり実用化される「かもしれない」というのが大方の見解だった。
それが、一定以上の質量の物体を感知すると、単純にそこから弾かれるという、とてつもなく単純な回避方法を発案した奴がいた(名前はサヤコ。なんせこのシステムの名称に使われてるくらいだ)。で、それを採用した筋金入りの大馬鹿がいた(言わずもがな、我が極東アジア国軍だ)。ここから話はややこしくなる。
マスドライバーの構想では、慣性の法則に従ってまっすぐ飛んでいくものを捕まえる、それだけがキャッチャーの仕事とされていた。それが普通だと俺も思ってた。けれど、こいつらときたら、一定以上の質量を感知すると勝手に軌道を逸らして弾きあう仕様になっている。もちろん破損防止のために。軌道修正を各コンテナに持たせるほど金をかけたくない。だから、頑張って拾うシステムが実装された。システムが人を助けるんじゃなくて、システムの尻拭いを人がさせられる時代の幕開けだった。
貨物を満載したコンテナは基本的にロボット制御の無人マスキャッチャーが捕まえる。悔しいことに、こいつが『正捕手』だ。駆動性能もなかなかで、9割はこいつが押さえる。そもそもキャッチャーの対象は質量が一定以下のものに限られるため、軽量な小型ユニットを3機か4機使って展開したネットで包み込むように捕らえるのが基本だ。素材はカーボンナノチューブ製、しかも強度強化のために2層構造のダブルウォールナノチューブ、略してDWNTを使用している。
ただ、悪条件が重なると正捕手ですらミスることがある。弾かれて直前で軌道が逸れたり、処理数オーバーで対応が追いつかなかったり。その残りを人力制御――まあ、比喩だけどな。今どきコンピュータなしの航宙システムなんて無い――で捕まえにいくのが有人キャッチャー。通称プレデター。狩猟動物って意味らしい。
プレデターが担当する区域で、全体貨物の1割に満たない脱落分が発生し、その97パーセントはここで確保される。
それでもさらに外れたやつらが「ロスト」または「ロスコン」と呼ばれる。こいつらは、一定以上の質量物体を避けてふらふらと飛び続ける。安全性は高いが、宇宙で流通している地球産の穀物(グレイン)はバカ高くて貴重。だから、そいつらを追いかけて地味に回収するのが俺たち「チェイサー」の仕事だ。響きはカッコいいけど、実態は地味そのもの。
プレデターどもはロスト発生が自分たちのポカの証明になるってんで、俺らを「チェイサー」なんてかっこよく呼んだりしない。スカベンジャー。つまりカスは掃除しておけやっていう意味だろう。ライダーという呼び方で括られるのは、キャッチャーボートがバージシャトル並みに小型だから。で、「スカベンジャーライダー」略して「スカダー」なんてあだ名まで付いてくる。勘弁してくれ、ほんとに。
「俺だって一応ライダーだ。プールで泳いでも
冗談めかして俺が言う。
「スカダーの癖にどこがライダーだ。充分違和感あるよ」
飛竜の反応は呆れるほど素早い。
「差別だ……」
文句を言う俺に、飛竜はにっこり微笑んだ。そんな笑顔がこれまた厭味なほどによく似合う。全く、コイツがいつまでも女に捕まらないんだから、俺なんか更に絶望的だ。
「冗談だってば。いじけるなよ。お前たちスカダーは大海を回遊する魚みたいなもんだ。俺たちは所詮は
フォローする気があるならスカダーって呼ぶな。
「褒められてる気がしねぇんだが……。マグロ喰いてぇ」
生簀に金魚がいるかどうか、という突っ込みはさておいて、文句のついでに本音がちょろりと舌から滑り出た。そっちに竜がくいついた。
「いいね、喰いに行くか? もちろん、プールの寿司屋しか行けねぇけどな。どっちみち、タカもプールに入っちまったんだから、7日間は暇なんだろう? シフトが今のところ1日おきだから、明日は俺もオフだ」
大気圏に突っ込むのを1日おきにやってるなんてのは、ハードシフトにも程がある。客船ライダーと違って、かなり体を酷使するだろう。
「お前……しんどくないか? いい年して」
飛竜が破顔する。
「馬鹿言え。やっこさんが自転なんてのをしてなくて、ポートにあわせる必要がないなら、一日何回でも突っ込んでやるぜ。2日に1度なんて、生ぬるい」
地球を『やっこさん』って時代劇かい。まったく突っ込み野郎どもって連中の感性は信じられない。
「お前さ、なんでプールにいる?」
3度目の同じ質問は、少しマジが入っている。飛竜をはじめ、霧島一族の連中は皆、運送屋をやってるにしては無駄に基本が美形だから、目を細めて睨んでくると迫力がある。
「地上勤務の辞令が出たんだ。当然、やっこさんに突っ込むんで……こっそり筋トレ中」
飛竜の顔色が変わった。
「お前、ルナGすらここんとこ無縁の宇宙人だったんだろ? いくら軍人だって、酷くねぇかそれ。第一コッソリってえのは何だよ」
ルナGの“ルナ”は、もちろん月のことで、地球の約六分の一の重力をさす言葉だ。宇宙植民地(スペースコロニー)で標準採用されているから、低重力といえばルナG環境のことをいう。無重力でも生殖そのものは可能だ。しかし、人間の体は無重力に暴露してしまうと筋繊維の萎縮だけでなく、運動ニューロンや感覚ニューロンの酸化系酵素活性能力にも著しいダメージを受けてしまい、胎内で子どもを
コロニーでも地球並の重力を維持できればいいのだが、巨大建造物でのテラGの実装化は未だにSFだの実験領域での話にとどまっている。やる気になれば可能なのだとは思うが、できたとしてもコストパフォーマンスからいって維持が困難だろうし、なにより、既にルナGで生きている億単位の人間をテラG仕様に戻すことは現実問題として不可能ということも大きい。最初にルナGを採用した奴がちゃんと実験結果をふまえてそうしたのか、一番先に地球ではない星上で実現した植民地が現在のルナ自治区だから、単純に前倣(まえなら)えで採用されたのかまでは俺は知らない。ただ、これだけは言える。ルナGは最低限の筋力を人間に残すためにシステムに組み込まれた数字なのだ。
「スペジャケの耐Gユニットの実験だとさ。逆らえないのよ、命令には。俺も一応お国の犬ってわけで」
「……」
飛竜が一瞬絶句した。耐Gユニットなるものは、各国や企業が開発競争をしているものの一つだ。密閉空間をつくれば宇宙服にもなるスペースジャケットの環境構築ユニットに、重力コントロール機能を持たせることができれば、ルナGに一度定住してしまったものでも、人類の故郷である地球へ、命懸けの巡礼としてではなく観光として気軽に赴ける。
逆に地球で生活している『幸いなる少数』の人間がルナGに滞在するときにも、毎日死ぬようなハードな重力室でのトレーニングをしなくても済むようになるということだ。
極東アジア国軍は既に一つ、輸送システムを独占している。地球の資源を宇宙に低コストで打ち上げるテラ・マスドライバーシステム『サヤコ』だ。その上に、さらなる巨大利益を産むことは間違いがない、小型重力コントロールユニットが実験段階に入ったということと、軍人である俺が縛られているはずの守秘義務を足蹴にして、そのことを簡単に口にしたのとが飛竜を絶句させた原因に違いない。
「お……おい」
飛竜は喉がカラカラに乾いているような、素っ頓狂なうめき声みたいなのを喉から吐き出しながら、どかっと椅子に腰を下ろした。俺の方に前かがみになって、声も辺りを憚るように顰めて、聞き取れないほどの声で警告して寄越す。
「それを口に出して言って、お前無事に済むのか?」
突っ込み屋が商売の癖に、案外、キモの小せぇ野郎だ。俺は軽く肩をすくめてみせた。
「さぁてね……。まぁ、命令だから、史上初のテラ・マスドライバーのパッセンジャーになることは、名誉として受け止めるけどナァ、筋トレしてリスク軽減くらいはしたいってのは人情だろ? プールのトレーニング・ルーム……休暇の間、使わせてくれ!……な?」
「テラ・マス《サヤコ》の
かがんで口もとに手のひらを添える、完全に小声の体勢を無視した室内に響き渡るでかい声を出し(俺の耳の気持ちにもなってくれ)、テラGで椅子に座ってることを考慮しないで大げさにのけぞった飛竜が、座ったばかりの椅子ごと派手に音を立ててひっくり返った。テラGでこけるのはさぞ痛かろう……。ほんと、大げさで楽しい奴……。
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