第36話 栞

第三十六話    しおり



赤岩が復帰してから二週間が経つ。


桜の花も散り出す頃、梅乃たち三人が並び

「みんな、よくな~れ」 そう言って “ニギニギ ” をしている。



そんな中、赤岩は岡田に蘭方医術を伝えていた。


「ここのですが……」 ※腑は内臓のこと

医学書を使い、岡田に説明をしている。


岡田も必死に学んでいく。


その途中、

「そして先生…… 先生の病とは、どんなものなのでしょう……?」

岡田の質問に、赤岩は黙ってしまう。


「先生?」


「あっ、すみません……」 慌てたように赤岩が謝る。

「先生……」 


「私の病は貧血なんです。 それも悪性の」 赤岩が話すと



「先生― 戻りました~」 梅乃が赤岩の部屋の前で声を出す。



この声で赤岩と岡田が黙ってしまう。


梅乃が赤岩の部屋の戸を開ける。



「赤岩先生、岡田先生もいたのですね。 今日も教えてもらえますか?」

梅乃が無邪気に医学を教わりに来る。



「そうだね。 今日は何を勉強しようか?」 赤岩が微笑む。


 岡田は現実を知りながらも、二人の未来を見守っている。



 「梅乃、古峰と買い物に行っておいで」 采がメモを渡すと

 「はーい」 梅乃は、読んでいた本を閉じて立ち上がる。



 そして買い物に出掛けた梅乃と古峰は、仲の町で手をつないで歩いていく。

「ねー 古峰、赤岩先生って具合悪いのかな~?」 梅乃が突然言い出す。



 「な なんでそう思うの?」 古峰が聞くと、


 「この前、長岡屋で倒れてから岡田先生が居るでしょ。 なんか赤岩先生が悪いから岡田先生が診ているような気がするんだ……」


「……」 これには古峰も黙ったままだった。


 古峰も薄々と感じていたが、必死に誤魔化している赤岩の姿を見ていた。

 この事は知らないフリをしている。



 「こんにちはーっ 買い物に来ましたー」 元気よく千堂屋で声を出す梅乃。


 「こんにちは梅乃ちゃん、古峰ちゃん」 野菊が挨拶をすると


 「こちらの物をお願いします」 梅乃がメモを渡す。



 しばらく千堂屋で時間を過ごした。

 

すると、客の声が聞こえる。


「聞いたか? 長岡屋で医者が倒れた話……」


そんな声が聞こえ、梅乃が耳を傾ける。


(マズイっ―) 古峰は焦った。 そして、


「う、梅乃ちゃん……コレ、綺麗だね……」

古峰は、梅乃の耳を遮るように話しかける。


「えっ? どれ?」 梅乃が古峰に顔を向ける。

「コレ……」 古峰は並んで飾ってある栞を指さす。



「綺麗~」 梅乃は、栞の柄に目を奪われる。

それは花の柄の栞だった。 朝顔や向日葵、桜など様々な柄の栞が並んでいた。



「コレ、勝手に買ったら怒られるかな~?」 梅乃が言い出すと、


「間違いなく叩かれるよね……」 古峰は未来が見えたようだ。



「一枚、一枚だけ……」 梅乃が古峰に頼んでいると、

「なんで私に……? お婆に言わないと……」 古峰は苦笑いをしていた。



「どうしたの?」 野菊が買い物の荷物を揃え、梅乃に言いにきたところであった。


「梅乃ちゃんが気に入ったんだって」 古峰が栞を指さす。


「栞かぁ…… 本でも読んでるの?」 野菊が梅乃に聞くと、

「はい。 赤岩先生の医学書を読んでます」 梅乃がドヤ顔をする。



(この子は将来、何を目指すのかしら……?)

野菊は苦笑いをしていた。



「梅乃ちゃん常連だし、よかったら一枚あげるわよ」 野菊が優しく言うと、


「本当ですか? ありがとうございます」 梅乃は頭を下げる。

「どれにしようかな~?」 真剣な目で栞を選び始める。



そして、梅乃が選んだのは紫色の朝顔の栞だった。


「ありがとうございます。 野菊姐さん」 梅乃は深々と頭を下げ、千堂屋を後にする。




それから梅乃は時間が空けば医学書を読む。 そして赤岩の往診にも同行しては勉強していく。 そんな毎日を繰り返していくと



「本当に、どうなりたいんだか……」 これは三原屋の全員が思うことだった。



それでも梅乃は医学の本を読むことと、禿の仕事もこなしていく。


そして、勉強していくうちに梅乃は知ってしまう。

「赤岩先生…… もしかして……」


梅乃が立ち上がり、妓楼を出ようとする。

「お前、どこに行くんだい?」 采が呼び止める。



「あの……それは……」 梅乃が困った様子で下を向くと、

「お前は花魁になるんじゃないのかい?」 采が言う。


「はい……そのつもりです」



「なら、医学の他に勉強することあるだろう」 采の厳しい目が梅乃に向く。



「はい……そうです」 梅乃は、『シュン……』と しながら禿の仕事に向かっていった。


「まったく、勘がいいヤツ……」 采が ため息をつく。



それから梅乃は精力的に禿の仕事をしていく。


「姐さん、髪を結います」 笑顔で仕事をする姿に采の心が痛んでいった。

それを勝来が見ていて、「お婆……」 と、呟く。



ある日、赤岩が三原屋に戻らなかった。


「おはようございます。 梅乃です」 

赤岩の部屋の戸の前で梅乃が声を出していると、


「おはよう。 梅乃ちゃん」 戸を開けたのが岡田だった。


「岡田先生……赤岩先生は?」 

「往診かな? 私は留守を頼まれたのだが……」 岡田が言う。


「どこの妓楼でしょうか?」 慌てたように梅乃が言うと、

「はて? 聞かなかったな~」



「岡田先生、隠してましたよね?」 梅乃が岡田を睨む。


「何のことだい?」 岡田が首を傾げると、梅乃は医学書を出し

「赤岩先生は病気ですよね? ここに書いてある事と一緒なんです」



その本には赤岩の症状と一致するページに、貰った栞が挟んであった。



「梅乃ちゃん……」 岡田は言葉が出てこなかった。

「どうして黙っていたの? どうして話してくれなかったの?」 梅乃は涙を流し、岡田の服を引っ張った。



そこに采が来る。

「何、騒いでるんだい? んっ?」


泣いて岡田の服を掴み、引っ張っている梅乃を見ると


「お前、何やっているんだい! コッチ来な!」 采が梅乃を引き剥がす。



「ううぅぅ……」 梅乃は号泣している。


「……」 采は言葉にならず、梅乃を見ている。



「梅乃ちゃん……赤岩先生は私が診ますから」 岡田が梅乃の頭を撫でると、


「うん……お願いします……」 梅乃は膝をつき、頭を下げた。



(この姿勢……自分の事じゃないのに頭を下げるなんて……)

采は思い出していた。


それは玉芳や鳳仙を思い出していた。



吉原に梅毒が蔓延した時、梅乃の提案で薬の先制攻撃をした時だった。

鳳仙は、「吉原を救ってくれて、ありがとう」 と言って梅乃に頭を下げたこと。



梅乃が拉致され、喜久乃が救ってくれた時のこと。

玉芳が喜久乃に膝をつけて「娘を救ってくれて、ありがとう」 と頭を下げたことだった。


他人の事で頭を下げられる。 こんな梅乃の姿勢に采は驚いていた。



「さて、働きます。 お婆、ごめんなさい……」 梅乃が采に頭を下げると仕事に向かっていった。



「凄い子ですね……」 岡田が言うと、

「ウチの禿は、全員が特別なのさ……」 采が言うと、大部屋に戻っていく。



何軒もの妓楼で堕胎を行ってきた岡田は、絆の深い妓楼を初めてみた。

そこには確かな未来が映っているかのようであった。



それから赤岩は戻って来ず、梅乃が医学書を読むことがなくなっていった。



そして、勝来の部屋では

「梅乃……最近は本を読んでないみたいだけど……」 菖蒲が言うと、


「はい。 あまり読んでいると、お婆に叱られるから」


「せっかく楽しみにしてたのにね~」 菖蒲は残念そうな顔をする。



「どうしてです? 本ばかり読んで、小夜や古峰に迷惑かけていたのに……」

梅乃が不思議そうな顔をすると、


「う 梅乃ちゃん、迷惑じゃないよ。 梅乃ちゃんが医者になれば、私が花魁になれるから……」 古峰が言うと、みんなで笑った。




その数日後、赤岩が三原屋に戻ってきた。


「すみません。 しばらく不在にしてしいまい……」 赤岩が采に頭を下げている。


「いいさ。 それで体調は落ち着いたのかい?」 采が赤岩の状態を眺めると、

「とりあえず、落ち着きましたので働きます」



「その前に仕事だ…… あのガキに姿を見せてやんな」 采が言うと、二階を指さす。



赤岩は、頭を下げて二階に向かう。


「失礼します」 赤岩が勝来の部屋に入ると


「赤岩先生……」 梅乃が赤岩に飛びつく。

「梅乃、留守にしててゴメン……」 そう言うと、梅乃は首を振る。



「先生、早く良くなりますように」 梅乃が赤岩を見ると、少し照れたように


「ありがとう。 もう大丈夫だから」 赤岩が笑顔で言った。



赤岩が部屋に戻ると、無造作に置かれた本があった。


「梅乃だな……ちゃんと片付けなさいって、何度も……んっ?」

赤岩は、栞が挟まった本を手にする。


そして栞の挟まったページを開くと

(梅乃……)


そのページは赤岩が直面している病気が書いてあるものだった。


赤岩の些細な症状を見逃さず、それに該当する病気を探していたのだ。


(まいったな…… もう立派に医者みたいだな) 赤岩の目に涙が溢れてきた。


そして、そっと本を片付けた。



翌日、赤岩が往診を再開させる。

これには岡田も同行する。 蘭方医術を勉強する為である。


「お待たせしました」 そして、梅乃も同行する。



「今日は小松屋です」 梅乃が案内して往診が始まっていくのである。




夜になり、梅乃が菖蒲の宴席に出ている。 小夜は花緒、古峰が勝来の席に入った。


菖蒲の宴席には芸子も来て、三味線の音が高らかに鳴る。

客は手拍子で盛り上げ、菖蒲も踊りを披露する。


そんな賑やかな宴席であったが


『ガシャン―』 客が倒れた。


「上田様―」 菖蒲が大声を出す。 『キャーッ』 芸子が悲鳴をあげる。



梅乃が急いで客を横にする。

「失礼しんすッ―」 梅乃が断りを入れて、客の上半身を脱がした。



胸の上に耳を押し当て、確認をする。

「ない……」 まさか? 客の手首を持ち、脈の確認をする。


「やっぱり ない……」 梅乃が客のあごを上に向けると、


「すみません。 赤岩先生をお願いします」 そう言って、胸部の圧迫を始める。


「いち、にー、さん……」 数を数え、十回圧迫したら三回の人工呼吸をする。

これは、梅乃が赤岩に習った通りに実践していったのである。



すると、赤岩が宴席にやってくる。


必死に蘇生を行っている梅乃を見て、 「ふっ……」 と、笑顔を出す。



何度かやっているうちに、 「あっ、息してる……」 菖蒲が言うと、

梅乃が客の確認をする。



「よかった~ って、赤岩先生?」 梅乃が驚く。


赤岩は満面の笑みで、梅乃に拍手を送った。



「梅乃、すごい……」 菖蒲は、開いた口がふさがらなかった。


息を切らし、ホッとする梅乃の身体は力が抜けていく。



「よくやった。 立派になったね~」 赤岩が梅乃の頭を撫でていると、采が部屋にやってきた。



「客はどうだい?」


「女将さん、見てください。 梅乃が一人で蘇生したんですよ」 赤岩が説明する。


「お前……」 采が梅乃を見る。


「とりあえず、息は戻りました。 よかった……」 梅乃が言葉を漏らすと、


「たいしたものだよ~」 そう言って、采が梅乃に抱きついた。



「お婆……」 こんな優しい采の行動に、梅乃の意識が遠くなりそうだった。



これを機に、梅乃が医学の勉強をすることに文句を言う者がいなくなった。

梅乃は少しの勉強をしただけだが自信を持ち始めていく。



そして、梅乃が赤岩の病気が載っている本を手に取り


「ふっ……」 小さな笑みを浮かべ、赤岩の病気が載っているページから栞を抜き取ったのであった。



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