第35話 優しい嘘

第三十五話    優しい嘘



明治六年、 春真っ盛りで桜の花が眩しいくらいに咲いている。



「みんな、よくな~れっ!」 梅乃が声を出すと、両脇の小夜と古峰が

“ ニギニギ ” をする。



桜の木の下での約束は健在である。


誰かが大変であれば、 “ニギニギ ”をして励ます。

こんな毎日を過ごしていた。



「いたいた~」 梅乃に声を掛けてきた女の子がいる。


絢である。


「梅乃~、小夜~、えっと、誰だっけ?」 絢が笑って誤魔化していると、


「絢~ 古峰だよ~」 梅乃が言う。

「そうだった」 絢は古峰の名前を忘れていたようだ。



「お昼前に会うの、久しぶりだよね~」 絢が言い出すと、

「今は誰に付いているの?」


「今は瀬門せもん姐さんに付いているの」 絢が答える。

絢は、鳳仙に付いていたが癌で引退をしてしまい、そこからは瀬門という妓女の元で学んでいるらしい。



「そうなんだね。 瀬門さんって、どんな人?」 小夜が聞くと、

「まぁ、鳳仙花魁みたいな派手さは無いけど、色々と教えてくれるんだ~」


絢は笑顔で話す。


そんな話をしていると、少しの違和感が出てくる。



「絢、ちょっとゴメン……」 梅乃は、絢の腕を掴んで禿服のそでをまくった。


「―っ」 絢は驚いたが、一瞬の事で抵抗ができなかった。



すると、袖の下から無数のアザが出てくる。


「絢……」

絢は急いで袖を元に戻す。


「見なかった事にして……」 絢が視線を逸らして言うと


「うん……なんで禿って、こうなんだろうね……」 小夜がボソッと呟く。



絢は、目に涙を溜めていた。


「よし、みんなでやろう!」 梅乃が言うと、四人で並んで桜を見つめた。


そして、手をつなぎ “ニギニギ ”をして


「絶対に花魁になろう! 辛くても、頑張ろう。 みんな、よくな~れ」


絢も笑顔になって、ニギニギをする。



「これ、なんか元気になるね♪」 絢は喜んでいた。



こうして絢は鳳仙楼に戻っていった。



その後ろ姿が見えなくなるまで梅乃は絢を無言で見送る。


そして、三原屋に戻ると

「お前たち、どこに行ってたんだい?」 采が言う。


「すみません。 桜を見に行っていました―」 梅乃が元気に答えると、


「そうか…… 梅乃、赤岩と一緒に往診に行っておいで。 小夜は勝来に付きな。 古峰は信濃に付くんだ」 采は今日の仕事を言う。



梅乃が赤岩の部屋の前に来ると、

「失礼しんす。 梅乃です」 声を出す。


「あ、うん……」 赤岩が小さい声で返事をする。


(なんか、変だな……何かあったのかな?) 梅乃はキョトンとしていた。



その後、梅乃と赤岩が往診に出る。


「先生、調子が悪いんですか?」 梅乃が聞くと、

「大丈夫だよ。 ちょっと風邪っぽいのかな?」 赤岩は笑っていた。



「……」 梅乃は黙ったままだった。


この日の往診は長岡屋だった。

「こんにちは……」 梅乃が声を掛けると、


「こんにちは、梅乃ちゃん。 先生も、いつもありがとうございます……」

長岡屋の主人が中に通す。



「今回は中級妓女からです。 よろしくお願いいたします……」 そう言って主人は、大部屋に中級妓女から上の妓女連れてくる。



「では、一列にお並びください」 梅乃が言うと、妓女たちは並んでいく。


(なんか、立派になっちゃって……)

梅乃の姿を見ていた喜久乃がニコニコしていた。



診察が始まり、梅乃が妓女の身体をチェックする。


「ここは異常なし……次は……」 梅乃の役割は妓女の身体のチェックである。


赤岩は医者でも男であり、それを嫌がる妓女もいるだろうと梅乃を起用している。 これは、赤岩なりの配慮である。



すると、 「先生、こちらのは……?」 梅乃が赤岩を呼ぶと


「これはアザだね。 恐らく、新しいから同じに見えるのかも……」 

赤岩は梅乃に教えながら進めていく。 梅乃も医者になれるとは思ってもいないが、興味を持ってからは率先して赤岩に聞く事が多くなっていた。



(お前は、どこの道を歩もうとしているんだよ……)

これには喜久乃も苦笑いをするしかなかった。



「それでは、次…… あっ、喜久乃花魁ですね。 失礼します」 

梅乃が喜久乃の着物の下から潜り込むと、


「こらこら―」 たまらず喜久乃がストップを掛ける。

「どうしました?」 梅乃がキョトンとする。


「なんか恥ずかしいよ……」 


「へっ?」 梅乃が首をかしげると、

「こんな仕事でも、女でありたいだろ? だから、いきなり下から潜り込まれると……」


「そうでした。 すみません……」 梅乃が謝りながら頭を差し出すと、


「いや、叩けないだろ!」 喜久乃は声を荒げる。


すると、他の妓女がクスクスと笑いが起きてしまう。

そんな賑やかな往診であった。



そして、往診が終わると

「梅乃ちゃん、行こうか?」 そう言った時、赤岩が倒れてしまった。



「先生……」 梅乃が赤岩を抱きかかえ、


「すみません。 誰か三原屋まで連絡をお願いします」 梅乃が言うと、長岡屋の若い衆が走って三原屋に向かった。



「あと、すみません。 桶にお水をください。 それと手ぬぐいも……」 

すると妓女たちがバタバタと動き出す。


「先生、失礼しんす……」 そう言って梅乃が赤岩の服を脱がすと、胸の上に耳を当てる。


そして手首に親指を置き、脈拍の確認を始める。

「どっちもある……この後、何だっけ?」 梅乃は悩みながらも赤岩を助けようとする。



すると、 「失礼するよ……」 そこに中年の男性が長岡屋に入ってきた。


「お嬢ちゃん、少し足を高くしてごらん」 そう言った男性は、赤岩の足を持って高く上げた。


「貧血だったら、足を上げて血を上げてやるんだ……」


梅乃が頷き、再度、脈を測る。


(梅乃……) 喜久乃は、梅乃の行動に目を奪われていく。



少しの時間が経った頃、片山が長岡屋にやってきた。

「すみません。 お待たせいたしました」 片山は赤岩を背負い、梅乃が後ろから支える。


そして、「ありがとうございました。 ご迷惑をお掛けしました」 

そう言って、梅乃たちは三原屋に戻っていった。



赤岩が戻ってくると、見世は大騒ぎになる。


そして、梅乃にアドバイスをくれた男性も一緒に診てくれていた。


「あの……さっきは ありがとうございました。 お医者様ですか?」 梅乃が聞くと、


「はい。 一応、医者ですが……」 男性が答える。

「お名前、教えていただけますか?」


岡田おかだ 寛厳かんげんと言います。 医者と言っても、主に堕胎だたいばかりが仕事でして……」 岡田は照れくさそうに話す。



「堕胎っていうと、中条ちゅうじょうりゅうの医者かい?」 ここで采が出てくる。


「はい。 最近の医者は蘭方らんぽうが盛んでして、中条流の医者は消えつつあります。 ここ𠮷原は堕胎が多いので、お世話になっています」


岡田が説明すると、「この赤岩を診れるかい?」 采が岡田に聞く。



「是非」 そう言って、岡田は赤岩の部屋に入った。



赤岩に付いて半日、明け方に赤岩が目を覚ました。


「ここは……」 赤岩が言うと、

「ここは、貴方の部屋と伺いましたが……」 岡田が返す。



「へっ? あなたは誰ですか?」 赤岩がガバッと起き上がると、

「無理せず、ゆっくりと…… 私は中条流の医者の岡田と言います。 貴方が長岡屋で倒れた時に、たまたま通りかかったのです」



「そうでしたか…… それは、お手数をおかけました。 助けていただいて本当に感謝しています」 赤岩が頭を下げると、岡田は首を振る。



「助けたのは、ここの女の子ですよ。 あの小さい女の子は、貴方の服を脱がせ、心臓の音や脈拍の確認をしていましたよ。 凄い子供でした」 


岡田は梅乃の名前を知らない。 だが、この行動が出来るのは梅乃だけだと赤岩は分かった。


 

「そうですか……梅乃が……」 


「梅乃って言うんですね。 たいしたものです」 岡田が目を細める。



そして翌日、赤岩の体調は回復していた。


「お婆、本当にすみませんでした……」 赤岩が采に頭を下げると


「疲れていたんだろうね。 ゆっくり休みな」 采は、キセルを吹かせながら言った。



翌日、赤岩は長岡屋に出向こうとしていた。

先日のお詫びをしようと、三原屋の玄関に立つと


「凄い雨だな……」 赤岩は、出るのを躊躇ちゅうちょしていたが覚悟を決める。



傘を広げ、見世の前の小路を行くと

「あれは岡田先生……」 赤岩が後を追っていく。



赤岩が岡田を追いかけると大門の前まで来てしまう。


「岡田先生……昨日はありがとうございました」 赤岩が声を掛けると、岡田が振り向いた。



「赤岩先生ですか……良くなったみたいで」 岡田がニコッとする。


「あの……しっかりお礼を言いたかったもので、ここまで付いてきましたが…… 岡田先生は中条流の医者なんですよね?」


「そうですが」


「あの、堕胎を教えてもらえませんか?」 赤岩の申し出に


「赤岩先生は蘭方医ですよね? 中条流では物足りないのでは?」

「……」 赤岩は黙ってしまう。


「それに、まず御身を大切にされてはどうかと……」 岡田の言葉に赤岩の背筋に冷たい感覚が走る。


「なぜ、それを……?」


「私も医者として生きてきています。 中条流は堕胎ばかりの仕事ですが、ある程度の医術もあわせ持っていますよ。 それくらいなら分かります……」



岡田の言葉に赤岩は何も言えなかった。


「これは、誰にも……」 赤岩が小さい声で言うと、



「特に、梅乃ですね?」 「はい……」


「わかりました。 これは二人の約束にしましょう」 岡田はニコッとする。



「それと……」 岡田が言い出す


「それと……?」


「私に蘭方の技術を教えてください。 中条流は、もう古い。 貴方の弟子としてもらえませんか?」


岡田の突然の申し出により、赤岩との関係が急接近していくこととなる。



それから岡田は三原屋に来ては、医学書を読み漁る。



「ねぇ、お婆……なんだか妓楼じゃなくなっていく感じしない?」

こう漏らしたのは菖蒲である。


「う~ん……」 流石の采も複雑な心境になっていた。



「先生、失礼しんす……」 梅乃が赤岩の部屋の戸を開けると、


「先生、何をしているんですか―?」 梅乃が大声を出す。



「いや~ 岡田先生に蘭方医術を教えているんだよ~」



梅乃が見た姿は、上半身が裸で横になっている赤岩の姿だった。 それを岡田が診ている状態で、梅乃は赤岩の体調が優れないのではないかと心配していたのである。



「先生、心配しましたよ~」 梅乃が苦笑いをしていると、


「赤岩先生に、色々と教えて貰っているからね…… 梅乃ちゃんは心配しなくていいよ」 岡田も笑顔で説明する。



「良かったです。 私、昼見世の支度が終わったら来ますね」

そう言って、梅乃が大部屋に戻っていった。



(ふぅ……)

「梅乃は勘がいいから、気をつけてくださいね」 赤岩の言葉に岡田が頷く。



しかし、梅乃は疑っていた。



その後も梅乃は、頻繁に赤岩の側にいた。


「う、梅乃ちゃん……買い物を頼まれているよ」 古峰が言いにくると、


「古峰一人で行ける? 私、本を読んだら古峰の仕事するから……」

梅乃が古峰に言うと、


「お前、いい度胸だね……」 采がキセルを咥えながら顔を出す。



「うげっ― お婆…… すぐに行きます……」 梅乃は走って買い物に出掛けた。



(アイツが赤岩に執着しているのは…… 何かあるかもしれないね……)



翌日、赤岩と岡田が往診に出かけようとしていると


「ちょっと話、いいかい?」 采が赤岩に話しかける。

「はい。 どうかされましたか?」 赤岩が聞き返す。


「お前、病気を隠しているだろ?」 采が言うと、赤岩の額から汗が流れる。



「や、やだな~ お婆…… そんなことは……」 赤岩が言うと、采が言葉を被せる。


「私は医者じゃないからね、病気のことは知らないよ。 ただね、何年も梅乃や小夜を見てきた。 特に梅乃の直感は特別さ…… その梅乃が何かの気配を感じている。 それを説明してもらいたいのさ……」



采は、小見世だった三原屋を大見世まで上げた敏腕びんわん経営者である。

簡単な言い訳が通用する相手ではなかった。



諦め半分、赤岩は采に話す。



「そうか…… 梅乃には何て言うんだい?」 采がキセルを持ちながら聞くと、


「最後まで黙っていようと……」 赤岩の表情が暗くなる。



「わかった。 それで、岡田! しっかり赤岩を診てやんな。 それで、絶対にバレるんじゃないよ!」 采の語気が強まると



「わかりました……」 赤岩と岡田が声を揃える。



これは、赤岩の命が僅かな所だと言うことを指す。


そして、これを誰にも知られないようにしていく。 特に梅乃には知られたくないという思いであった。


梅乃が赤岩に懐いたように、赤岩も梅乃の存在に惹かれていったのは間違いない。



懐いている梅乃を騙してまで秘密にしていくことは辛いが、これも優しい嘘の始まりなのである。




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