第23話 大罪

第二十三話    大罪たいざい



一八七二年 夏


 「蒸し暑いわね~」 妓女がぼやく中、小夜は団扇うちわで風を吹かせている。


 「もう夏ですもんね~」

 (コッチも暑いんだから、自分で団扇をあおいでほしい……) 小夜は心で思っていた。



 古峰も同様である。

 古峰は濡れた手ぬぐいで妓女の身体を拭いていた。


 「古峰~ 済んだらコッチもね~」 妓女のお呼びが掛かる。



「はい……」 まだ慣れないのか、古峰は相変わらず不愛想なままだった。


梅乃や小夜に対しては話すようになったが、妓女には心を開こうとはしていない。



それから一時間後。

「うへぇ~ 疲れた~」 小夜と古峰はヘトヘトになっていた。



「何、休んでんだい? まだまだ仕事が残ってるよ」 今度は采である。

「お婆……」 小夜は言葉を漏らし、絶望を味わったかのような顔をしていた。



梅乃は赤岩に同行をしていて、他の見世の往診に出ている。



「赤岩先生、次は鳳仙楼です」 梅乃は赤岩の助手をし、妓楼の案内をしている。


「済まないね~ なかなか見世の場所を把握はあくするのが難しくて……」


「いえ、その為の私ですから♪」 梅乃がニカッと笑う。




梅乃と赤岩が鳳仙楼に到着すると、店主の表情は暗く

「どうかされましたか?」 赤岩が聞くと


「鳳仙が……意地になっておりまして、診察を受けないと言っているんです……」


店主の困った表情に、何も言えなくなってしまった。



そこに鳳仙が顔を出す。


「だから診察は結構と言っているじゃありませんか!」

強い口調で赤岩を追い返そうとしていた鳳仙が梅乃に気づく。



「あら、梅乃じゃないか? どうしたんだい?」

鳳仙の口調が優しくなる。



「はい。 赤岩先生の受診の手伝いで来ました。 それで、鳳仙花魁は診察がおいやなのですか?」 梅乃が心配そうに聞くと、



「嫌って訳じゃないけど……とりあえず、入って」

鳳仙は自室に案内をする。



「赤岩先生……もう診察が嫌になりました……」 鳳仙が下を向いて話す。


「怖いんですよね……」 赤岩が頷きながら言うと、


「怖い? 何がですか?」 梅乃が、赤岩と鳳仙を交互に見て聞く。



「……もし、岩だったとしたら……」 鳳仙の目に涙が溢れてきた。


鳳仙は、岩を心配していたのである。

岩とは、ガンのシコリの意味をしている。 前回の触診で、赤岩が乳がんの恐れがあると告知をしていたのである。



「しかし、目をそむけていても岩は進行します。 早い時期に適切てきせつ処置しょちをしないと……」


赤岩が冷静に説得をしていたが



「先生は男だから解らないでしょう…… 私は女郎として何年もやってきました。 そして、これからも…… それで、商売道具でもある胸を切ると言う事を先生は分かりますか?」


鳳仙の言葉は、訴えと言うより “悲痛の叫び “ の様にも聞こえる。



鳳仙の表情を見て、赤岩は何も言葉が出てこなくなってしまった。



 しばらくの沈黙が続き、赤岩が引き返そうとすると

 「花魁…… 健康でいてください……」 梅乃が鳳仙に言う。



(わかっている…… でも、これ以上の言葉が見つからない……)

梅乃は、まだ十一歳。 大人を納得させる言葉が出てこないのである。



「梅乃……」 鳳仙は、梅乃の言いたい事を理解したようだ。


「先生…… 梅乃の言葉を聞きます。 ただ、もう一回だけ……」 


鳳仙の言葉は、何を意味しているのか赤岩は理解できなかった。

(もう一回? 何のだろう……)



鳳仙が診察を受けるのを承諾し、布団の上に横になった。


「では、始めます」 赤岩は乳房の横を念入りに触診しょくしんしていく。

(これだ……) 赤岩はシコリを確認し、周囲の状態も確認していた。



「左の乳房の横にシコリがあります。 岩なのかは、開けてみないと分かりません……」 赤岩は鳳仙の手を取り、シコリを確認させていた。



「これが……」 鳳仙の声に力が無かった。

「花魁……」 梅乃は言葉を失っていた。



「あとは鳳仙花魁の覚悟次第になります。 では、失礼します」

赤岩は無情と言えるような、淡々とした言葉で鳳仙楼を後にした。



二日後、鳳仙からの連絡はなく、鳳仙楼の主人が三原屋にやってきた。


「赤岩先生はいらっしゃいますかな?」

「はい。 お待ちください」 玄関で取り次いだのは片山だった。



「先生、鳳仙楼から面会です」 片山が戸の前で言うと、


「わかりました」 そう言って、赤岩が玄関に向かう。




「そして、先生。 鳳仙はどうでしょうか?」 主人の表情は暗く、焦っているようにも見えていた。



「おそらく、岩だと思います…… ただ、胸を切ると言うのは妓女には厳しい事になりますよね?」 赤岩も鳳仙の意思に任せるしかなかったのだ。



「わかりました……」 主人は肩を落とし、帰ろうとすると、



「火事だー」 外で叫ぶ声が聞こえた。



文衛門と采が、慌てて外に向かって出てきた。

「―どきなさい」 采は、赤岩を突き飛ばす。



火事はお歯黒ドブの方向、河岸見世などが並ぶ方角だった。

慌てて主人は見世に戻り、赤岩と梅乃は河岸見世の方へ走った。




「これは……」 誰もが驚いていた。


やはり河岸見世からの出火である。


「早く!」 梅乃が火の方へ走り出すと


「危ない、梅乃ちゃん」 赤岩が止めようとするが

「この先、長屋なんです。 まだ病気の姐さんが……」 小夜が赤岩に説明をして、同じく火の方へ走り出した。



少し遅れて采が到着する。


「あんた、梅乃は?」 采が赤岩に聞くと

「長屋の方へ……」 赤岩が指をさす。



「なんてこと…… なんで止めなかったんだい?」 采は赤岩に怒鳴った。

「止めました……けど……」 赤岩は頭を抱えている。



そこに火消ひけしがやってくる。

「どきな!」 火消が大声で野次馬やじうまを避難させている。



この時代、消防車というものは無い。

風向きなどを計算し、次に燃え移りそうな建物を壊して鎮火ちんかさせるのが火消の役目であった。



そして長屋が解体され、鎮火までに数時間を要していた。




火消が細かく火の種を点検する。

壊れた長屋の隅々まで確認をしている頃、吉原の野次馬の中に鳳仙がいた。



「鳳仙花魁……」 赤岩が鳳仙を見ると、目が合った。


「火事はどうですか?」 鳳仙が赤岩に訊ねる。

「鎮火しましたが、梅乃と小夜が見つからないんです」 



「梅乃と小夜が?」 鳳仙の顔が真っ青になった。

「はい。 長屋の妓女を助けに行きまして……」 赤岩が説明すると、鳳仙が火災現場に走って行った。


「―花魁っ」 赤岩が声を出したが、鳳仙は走って行ってしまった。



「下がれ!」 火消が鳳仙を突き飛ばす。

「何をするんだい? 私は花魁の……」 鳳仙が言った瞬間、


「ここは人の命を救う場だ! 花魁は関係ない!」 火消が怒鳴る。



「何を……」 ムキになる鳳仙が食って掛かろうとすると、


「ここは、花魁とか関係ないんだよ。 人の命を救う時に邪魔しちゃいけねぇよ」

鳳仙の肩に手を掛け、説得しているのが火消の棟梁とうりょうである。



「だって梅乃が……」 鳳仙が梅乃を探そうとすると、

「だから、任せてくれよ。 もうすぐだ」 棟梁が言うと



「いましたーっ」 火消が梅乃と小夜を見つけた。



解体した長屋の下敷きになっていたのである。



「梅乃―――っ」 鳳仙が叫んだ。

「私は医者です。 通してください」 赤岩が梅乃たちの元に走った。



「梅乃ちゃん、小夜ちゃん」 赤岩が必死に声掛けをする。


しかし、二人とも返事がない。

そして、梅乃と小夜をどかすと、三人の妓女が下にいたのである。



「庇ったのか……」 赤岩が驚く。


梅乃と小夜が身をていして、病気の妓女の上に被さり守っていた姿があった。



「梅乃――、小夜――っ」 采は、必死に梅乃と小夜の名前を呼び続けた。


「貸してください」 赤岩が梅乃と小夜の心臓マッサージを始める。



すると鳳仙が 「こっちは私が―」 

梅乃の心臓マッサージを始める。



もちろん、鳳仙が心臓マッサージをするのは初めてである。

赤岩を見ながら真似をしていた。


赤岩が人工呼吸をすると、鳳仙も行う。

そして何度か繰り返しているうちに、


「ゲホゲホ」 梅乃が息を吹き返した。

「良かった……小夜、頑張りなさい」 鳳仙が小夜に声を掛ける。




 「ここは……?」 梅乃が気づき、声を出す。


 「梅乃―っ」 鳳仙が梅乃を抱きしめた。

 「く、苦しい…… あれ? 小夜?」 梅乃は、小夜が心臓マッサージを受けているのを見ると



 「やだ、小夜―っ」 梅乃が涙を流し、叫んだ。



「頑張れ、小夜ちゃん」 赤岩が何度も声を掛け、心臓マッサージを繰り返す。



すると、

「ゲホゲホ……」 小夜が息を吹き返した。



 「小夜――っ」 ここにいる全員が涙を流して喜んでいだ。

 そこには梅乃と小夜が庇った妓女など、全員が無事だった。




 「よかった……」 梅乃はグッタリしてしまう。

 「梅乃? 梅乃―?」 鳳仙が何度も身体を揺するが、梅乃はグッタリしていた。


「―先生、梅乃が」 鳳仙が呼ぶと、赤岩が梅乃を確認する。



「梅乃ちゃん……ふっ……」 赤岩が息を漏らした。



「先生?」 鳳仙が赤岩の顔を覗き込むと、

「寝てます……」 赤岩は呆れたように言った。



“ホッ…… ” 全員が、胸を撫でおろした瞬間となる。



赤岩と文衛門が二人を抱きかかえ、三原屋に向かった。

そこには、鳳仙も一緒に向かっていく。



「とにかく無事でよかった」 文衛門は安心して、息を漏らすような声で言っていた。



「そうですね。 しばらくは安静にさせましょう」 赤岩が言うと

「二人の分、頑張ります……」  古峰が采に言っていた。



(ここの絆って凄いな…… 私は何に意地になっているんだろう……)

三原屋の雰囲気を肌で感じた鳳仙は、ある覚悟を決めていく。



その夜、鳳仙楼では鳳仙が主人と、やり手の三人で話し合いが行われていた。



「もし、私が手術を行った場合はクビですか?」 鳳仙の問いに

「残念だが花魁は、下りて貰う。 ただ、年季は無い。 自由の身だ」

主人の言葉は慈愛じあいそのものだった。



鳳仙の年季は明けていないのだ。

たった数年で返せる金額ではなかったが、これは主人が鳳仙に対する愛情であった。



「お父様……」 鳳仙は、つい口にした。


「お前に、お父様なんて言われて幸せだよ」 初めてのことに、主人が涙を流していた。



後に、今回の火事は放火だと判明した。


売れない妓女が、年季が明けずに苦しんだ犯行であった。

その妓女には重い罰が与えられたのだった。




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