夜襲

 印をつけられて三日目の夜。

 孝は、押し付けられた残業で、終電間近の帰宅となった。

 最寄り駅から自宅へと続く、街灯もまばらな細い路地に入る。


 どこからともなく、甲高い、それでいて湿り気を帯びた音が耳元を掠めた。

 微かに三味線を爪弾くような音。

 ちりり、ちりり、と。


 神経を逆撫でするような、不快な音色。

 嫌な予感を覚え、孝が勢いよく振り返る。

 そこには――


 暗闇の中に、ぽっかりと、白い女の顔だけが浮かんでいた。

 首から下は存在しない。

 代わりに、切断された食道と気管が、鈍い蛍光色を放ちながら蠢いている。



 まるで意志を持った触手のように。

 それは、あの悪夢で見た光景そのものだった。

 女の首は、ゆっくりと、気味悪くきりきりと回転する。



 逆さまになった口から、粘り気のある、腐臭を放つ唾液をだらだらと垂らしながら、音もなく孝に近づいてくる。

 眼窩は虚ろで、黒々とした穴が開いているだけだった。


「ヒ……ヒィィッ!」


 声にならない悲鳴を上げ、孝は姥捨てんばの助言を思い出した。

 本能的に、路地脇に迫る、手入れのされていない生け垣の茂みへと身を投じた。

 茨や硬い枝葉が、孝の衣服を引き裂き、肌を引っ掻く。


 背後で、甲高い叫び声が上がった。

 赤ん坊の夜泣きのような声。


 振り返ると、女の首が、長く黒い髪を生け垣の茨に無残に絡め取られ、身動きが取れなくなっていた。



 腐乱しかけた舌をだらしなく震わせ、詰まったような呻き声を上げている。

 這い蹲って、もつれる足を必死に動かしながら逃げる。

 孝の耳に、背後から粘りつくような女の声が浸み込んできた。


「……ァ……ア……なたノ……腸デ……産卵……サセテ……ホシイ……ノ……」

 その声は、恐怖と共に、孝の脳髄の奥深くにこびり付いた。

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