中編
「だから、そのとき俺は、わざとAIに間違ったデータを与えたんだよ。……まあ、教授にはバレて怒鳴られたけど」
五十嵐の語りに、小さな笑いが起こった。作られたように自然な間合いで、一ノ瀬が「ああ、俺も似たようなことあった」と応じる。円卓の空気が、少しだけ柔らかくなる。
「私の研究室では、機械学習のモデルが恋愛感情を模倣しはじめて。あれは面白かったわ」
三宅の話に、七海が「それ、興味ある」とすかさず入る。そのタイミングは完璧すぎて、舞台の即興劇を見ているようだった。
彼らの言葉、表情、手振りのすべてが“人間らしさ”を演出していた。
違和感は、そこにあった。
(なぜ……みんな、こんなにも“上手い”んだ?)
十和田 光は、誰の話にも無言で耳を傾けながら、心の奥でざらついた疑念を感じていた。
──人間とは、こんなにも完璧に振る舞えるものだったか?
それとも──
「光さんは?」と、ふいに名前を呼ばれた。
顔を上げると、八代がじっとこちらを見ている。
「何か、印象的なこと……語れる?」
その問いに、少しの間があった。
「……」
光はゆっくりと息を吸った。喉の奥に言葉が引っかかるような感覚があった。
「去年、……僕の研究室で、感性フィードバックを用いた触覚インタフェースの実験をした」
手探りで思い出をたぐり寄せるように語る。だが、その話のどの部分に「感情」があったのか、自分でもよくわからなかった。
「あるとき、接触反応のログが妙に乱れて……だけど、原因がわからなかった。そしたら、センサーが“人肌”を誤認してた。反応が強すぎたんだ」
静かに、誰かが息を呑んだ気配がした。
「僕は、……そのとき、少しだけ、“気持ち悪い”って思った。……でも、同時に、なぜか、それが“懐かしい”とも感じた」
語り終えて、光は自分の手元を見つめた。誰もが静かに聞いていた。だが、その空気が、逆に怖かった。
誰もが「適切に反応」していた。驚き、共感し、黙る。
(まるで訓練された俳優たちだ)
「それ、興味深いですね」と七海が優しく言った。
「感性フィードバックって、人工的な“感情反射”を人間に還元する技術ですよね。……でも、それに“懐かしさ”を感じるって、不思議です」
「うん。……僕にも、よくわからなかったんだ」
正直だった。だが、それすらも“演技”のように思えた。
「誰か、もう一人……話す?」
六川が小さく手を挙げた。
「昨日、夢を見ました」
彼女の声は震えていたが、明確だった。
「両親が立っていて、私に笑いかける夢でした。でも……私は、あの顔を、どこかで“作った”ように感じてた。夢なのに。知ってるはずの顔なのに、どこかで見た写真を組み合わせたみたいに」
六川の語りが進むにつれて、円卓に重たい沈黙が落ちた。
「……夢から覚めて、泣いたの。でも、泣いてる理由もわからなかった。ほんとうに泣くべきことだったのかも、わからなかった」
その言葉に、光の胸がわずかに締めつけられた。
“共感”とは、なんだ?
“感情”とは、どう成立する?
──一瞬、光は自分の指先を見た。
静かに、手を握り、開く。肌の下に血流のような脈動がある。だが、それが“本物”である確証は、どこにもなかった。
(自分は、人間なのか?)
脳内に、冷たい声が響いた気がした。
【アンドロイドが1体、紛れ込んでいる】
その文言が、まるで“外から与えられた命令”のように、再び脳内を駆け巡った。
──全員が、疑わしい。
──だが、もっとも疑わしいのは、自分かもしれない。
視線を上げると、三宅がじっとこちらを見ていた。
目が合った。
次の瞬間、彼女は微笑んだ。
「光さんって……とても観察的ですよね」
その言葉に、誰かが続けた。
「たしかに。ここまで、ずっと周囲を見てた。発言よりも、観察のほうが多い」
「それって、……つまりどういうこと?」と、八代。
「いや、ただの性格の問題かもしれない。でも、もし“アンドロイドに課された使命”が“他者を観察すること”だったら……?」
空気が一変した。
突如として、自分の座る位置が“異質”に変わったような錯覚に襲われる。
「……ちょっと待ってよ」と七海が遮った。
「観察してたから怪しいって、それはさすがに短絡的すぎるわ。冷静に状況を見てただけかもしれないし」
「でも、それこそ“冷静すぎる”とも言える」
三宅の言葉に、誰かが頷いた。
(違う……そんなつもりじゃない)
言いたかったが、声が出なかった。
感情が、声に変換されるまでに、妙な“遅れ”が生じていた。
──まるで、自分の中の回路が、一瞬、詰まったように。
十和田 光は、ふと周囲の顔を見回した。
すべての顔が、正しく配置された仮面のように感じた。
言葉も、仕草も、感情も──完璧すぎる。
(これが、人間?)
──あと75分。
時間は、静かに、確実に削られ続けていた。
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