9人の人間と1体の機械

会話のカモメ

前編

 目の前のモニターに、唐突に現れた白い文字列は、どこか冷たい輝きを放っていた。


【この部屋には、アンドロイドが1体紛れ込んでいます。それを見破った者のみ、合格とします。制限時間は120分。ご健闘を。】


 部屋は、無機質なコンクリート打ちっぱなしの正方形。天井からは柔らかい白色光が照らされ、壁際には時計も窓もない。ただひとつ、中央の円卓だけが人間らしさを許されたように、参加者たちを輪の形に囲っている。


 十和田光は、そっと息をついた。まるで映画の冒頭シーンのような展開に、誰かが笑い出すのではないかと思ったが、誰も笑わなかった。


 沈黙を破ったのは、髪をかき上げながらふんぞり返っていた男だった。


「マジかよ……面接って、そういう方向?」


 名札に書かれた名は五十嵐 漣。薄笑いを浮かべながら、隣の人物を肘でつつく。


 「まさかSFの実地試験とはねぇ」


 「SFじゃない、“現在進行形”だ」と、口角をゆるめたのは八代 輝だ。声にこもる皮肉は、場の緊張をほぐすどころか、逆に妙な寒気を引き起こした。


 全員が視線を交わす。十人。自分を含めてちょうど十人。


 自分以外の九人の中に、アンドロイドがいる——。


 あるいは。


 光はその思考を一度遮断した。


 


 「……まずは名乗るところから始めませんか?」


 柔らかな声がした。視線の先にいたのは、落ち着いた雰囲気の女性。名札には三宅 梢とある。眼鏡の奥の目が細く笑い、彼女は続けた。


 「黙ったまま疑い合っても、何も生まれません。互いを知るところから始めましょう」


 「賛成です」すぐに頷いたのは、白衣のような薄いコートを羽織った七海 葵。その顔には笑みがあり、場の空気を読んでいる印象を与える。


 光は、うなずいた。それが“人間らしい”反応なのか、判断できなかった。


 


 順に、名乗りが始まった。


 「一ノ瀬 燈、東京大学AI工学専攻です。よろしくお願いします」

 「二階堂 智、スタンフォード大学の神経情報科学です」

 「三宅 梢、MIT心理言語学。今は日本に帰ってますけど」

 「四条 翼、オックスフォード大学制御工学」

 「五十嵐 漣、シンガポール工科大、ロボット倫理」

 「六川 鈴、ソルボンヌ大学バイオ情報系……で、たぶん最年少です」

 「七海 葵、ハーバード医療AI専攻。よろしく」

 「八代 輝、北京大学サイバーセキュリティ。皮肉屋だけど気にしないで」

 「九頭見 直哉、ベルリン大学哲学部言語哲学。何かの間違いでここにいます」


 そして、自分の番になった。


 「十和田 光、ケンブリッジ感性工学。よろしく」


 言いながら、自分の声が思ったよりも落ち着いていることに気づいた。


 


 「さて、これで名前もわかったことだし……誰から疑う?」五十嵐が言った。


 「まだだよ」二階堂が言葉を挟んだ。「この中にアンドロイドがいる、と言われた瞬間、僕たちは“誰が嘘をついているか”を探そうとした。でも、それは正しい?」


 「他に何がある?」


 「“誰がもっとも自然な人間らしさを模倣しているか”を探すべきなんだ。逆に言えば、全員が“人間っぽく”振る舞ってしまえば、見破るのは不可能に近い」


 「でも、本物の人間なら、そんな風に“演じる”必要すらないのよ」七海が言う。「自然にしてればいい。それが人間の証なんだから」


 その瞬間、光の中に奇妙な違和感が生まれた。


 “自然”とは、なんだ?


 “人間らしさ”とは、どのように測る?


 


 議論は次第に活発になり、それぞれの「見破り方」が提案されていく。


 - 姿勢や仕草の癖を観察するべきだ

 - 感情の揺らぎを測るべきだ

 - 目の動き、まばたき、瞬時の反応速度

 - 名前を呼ぶ頻度や会話のテンポ

 - 「不完全さ」や「矛盾」が見られるかどうか


 それらすべてが、まるで演技論のように語られ、次第に誰もが“完璧すぎる自分”を疑い始めていく。


 光は、ずっと黙ってそれらを観察していた。


 “なぜ、私はここにいるのだろう?”


 それは、アンドロイドを探す試験の問いとは別の、もっと根源的な問いだった。


 


 ──部屋の上部に設置されたカメラが、無音で回転した。


 カメラの視線を意識する者もいれば、見ようともしない者もいた。


 円卓の中央では、いまだ結論の見えない議論が続いている。


 「感情の揺らぎを見ればいいんだよ」

 二階堂が言った。「本物の人間なら、感情の出し方が少しずつ違う。怒りとか、困惑とか。完全にコントロールできないはずだから」


 「でもそれ、逆に“自分がそう見えるように”演じる材料になるんじゃない?」

 三宅が小さく首を振る。「つまり、みんな“感情を揺らがせようとする”ことで、逆に怪しくなる可能性がある」


 「結局、何が“自然”かなんて、主観だよな」

 八代が吐き捨てた。「ここにいる全員が“自然にふるまおう”としてる。それがもう不自然なんだよ」


 沈黙が落ちる。


 空気が、ゆっくりと澱んでいくのがわかる。


 


 「……でも誰も、自分がアンドロイドだとは思ってないんでしょ?」


 六川の一言に、数人が顔を上げた。


 「つまり、“他の誰か”が嘘をついてる。その前提だけで、もう会話のすべてが信じられなくなるってことよ」


 「言ってることは正しいけど……」

 七海が目を伏せた。「そんな風に思ってる時点で、もう普通じゃないのかもしれない」


 


 円卓の上には、まだ名前を書いた名札しか置かれていない。


 誰もが無意識に、それを時折、確認する。


 まるで「相手の名前が、本当に“正しい名前”なのか」を確かめるように。


 そのたびに、視線が小さくぶつかる。


 そのたびに、誰かが目をそらす。


 


 十和田光は、誰とも目を合わせなかった。


 合わせようとすればできたはずなのに、そうしなかった。


 いや、正確には──


 (合わせる意味が、よく分からなかった)


 


 議論はやや停滞してきていた。


 「誰が怪しいか、って話を続けてもキリがない。だったらさ、順番に“最近あった印象的なこと”とか話さない?」


 七海が提案した。目は笑っていたが、声のトーンには焦りが混じっていた。


 「感情のあるエピソードを語らせるってこと? 理屈だけで作ったストーリーじゃ、本物っぽさは出せないからね」

 三宅が頷く。「いいと思うわ。表情や口調から、何か読み取れるかもしれない」


 「じゃあ、順番どうする? 一ノ瀬くんから?」


 一ノ瀬は苦笑しながら、小さく肩をすくめた。


 「僕? うーん……じゃあ、去年、ラボでAIが暴走しかけて──」


 


 十和田光は、そのやりとりを静かに観察していた。


 語られるエピソードの内容よりも、話している時の目の動き、手の動き、声の調子──そういった“揺らぎ”を一つずつ拾っていく。


 彼らは確かに、笑い、悩み、冗談を言っていた。


 だが、それでもなお。


 (どこか──すべてが“演じられている”ように感じる)


 それが、他人への疑念から来るものか、自分の感覚の異常から来るものか、光にはまだ判断できなかった。


 


 (“感情”とは、どう生まれる?)


 (“人間らしさ”とは、どこで分かれる?)


 その問いが、徐々に光の内部で深く沈んでいく。


 


 ──あと90分。


 静かに、時間だけが削られていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る