第19話 沙月、ループを止める手段を知る
「能力の実践」と黒瀬が呼ぶ訓練は、沙月に新たな気づきをもたらした。
彼女は自分の内側に眠る力を少しずつ引き出せるようになっていた。それは監視者の気配を感じ取るだけでなく、彼らの動きを予測することも含んでいた。さらに、彼女の周囲に小さな「防御の場」を作ることも。まだ不完全ながらも、確かに進歩していた。
「良くなってる」
黒瀬は珍しく褒め言葉を口にした。休日の訓練場所となっていた高台で、彼は沙月の成果を見守っていた。
「本当?」沙月は嬉しそうに微笑んだ。
「ああ。君の能力の覚醒は想像以上に早い」
「あなたのおかげよ」
黒瀬は首を横に振った。「いや、君自身の力だ。俺はただきっかけを与えただけだ」
沙月は黒瀬の表情を見つめた。彼の口から出た「愛している」という言葉が、まだ彼女の心に響いていた。屋上での会話からもう数日が経っていたが、その言葉の重みは薄れるどころか、日々増していくようだった。
「黒瀬さん」沙月は勇気を出して尋ねた。「このループを止める方法はあるの?」
黒瀬の表情が少し曇った。「確実な方法は…分からない」
「でも可能性はある?」
「ある」彼は慎重に言葉を選んだ。「だが、簡単ではない」
沙月はそれ以上追及しなかった。黒瀬の表情に、何か言いづらいものがあることを感じたからだ。
「今日はここまでにしよう」黒瀬は提案した。「疲れただろう」
確かに沙月は疲れていた。能力の使用は精神的にも肉体的にも負担だった。それでも、彼女はまだ何かを知りたいという思いを抑えきれずにいた。
「もう少し教えて」沙月は黒瀬の袖を引いた。「私たちのループ、もっと詳しく知りたい」
黒瀬は少し躊躇った後、ため息をついた。
「分かった。だが、今日は時間がない。明日、話そう」
それ以上は何も言わず、黒瀬は沙月を自宅まで送った。彼の表情には何か隠し事をしているような影があった。それが沙月の好奇心をさらに掻き立てた。
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翌日、沙月は午前中の仕事を終え、昼休みに外出した。
彼女の足は神保町へと向かっていた。古書店が立ち並ぶこの街で、沙月は何か手がかりを見つけられるかもしれないと思ったのだ。黒瀬に頼るだけでなく、自分でも解決策を模索したかった。
「こんにちは」
小さな古書店に入ると、老人が静かに挨拶を返した。店内は古い本の匂いで満ちていた。沙月は棚を眺め、何か目につくものはないかと探し始めた。
「何かお探しですか?」老人が尋ねた。
「えっと…」沙月は言葉を選んだ。「時間や運命について書かれた本があれば」
「哲学的なものですな」老人は微笑んだ。「こちらの棚をご覧ください」
案内された棚には、様々な古書が並んでいた。沙月は一冊一冊を手に取り、目次を確認していく。哲学書、神話集、民話…どれも興味深いが、彼女が求めるものではなかった。
そして、彼女の目に留まったのは、棚の隅に置かれた一冊の古い本。「世界の輪廻と均衡」というタイトルだった。
「これ…」
沙月は本を手に取った。表紙は古びていたが、何かに惹かれるように感じた。本を開くと、黄ばんだページに古風な文字で様々な記述がある。
「面白い本をお選びになりましたね」
老人が彼女の背後から声をかけた。
「これは、どんな本なんですか?」
「古い研究書です」老人は説明した。「世界の循環と特異点についての理論が記されています。かなり珍しい本ですよ」
特異点。その言葉に、沙月の心臓が高鳴った。
「買います」
彼女は迷わず言った。値段を聞くと、予想外に安かった。「需要が少ないので」と老人は言った。
沙月は本を購入し、近くのカフェに入った。ランチをしながら、彼女は急いでページをめくり始めた。
最初は難解な用語や概念が多く、理解するのが難しかった。しかし読み進めるうちに、少しずつ内容が見えてきた。
「世界の輪廻」と「特異点」についての記述があり、まさに彼女が探していた情報だった。彼女はコーヒーも冷めていくのも気にせず、夢中で読み続けた。
そこには驚くべき内容が記されていた。
「特異点は世界の輪廻を乱す存在である。特異点の周りでは時間が歪み、時に逆流することもある。これは宇宙の均衡を保つための自己修復機能の一つと考えられる」
さらに読み進めると、より具体的な情報が見つかった。
「特異点の最も危険な特性は、その死に際して時間を巻き戻す能力である。これにより、世界のループが発生し、同じ時間が何度も繰り返される。均衡者たちはこれを『時間の病』と呼び、修正すべき異常とみなしている」
沙月の心臓が早鐘を打った。これは間違いなく彼女と黒瀬の状況を説明していた。均衡者や監視者についても言及があり、その役割や目的も書かれていた。
「しかし、全ての均衡者が特異点を排除すべきだと考えているわけではない。中には、特異点こそが世界の進化と変革をもたらす存在だと信じる者もいる。彼らは『反逆者』と呼ばれ、均衡者の中では異端とされる」
反逆者。黒瀬の立場だ。この本は、彼らの状況を驚くほど正確に描写していた。
そして、彼女が最も求めていた情報が見つかった。ループを止める方法について書かれたページだった。
「時間のループを終わらせるためには、根本的な条件を変える必要がある。特異点自身がループの中心にいる場合、以下の条件を満たすことで世界はリセットをやめる」
その「条件」を読んだ瞬間、沙月は息を呑んだ。
「特異点が愛する存在の命と引き換えに、自らの意志で『世界の理』に身を委ねること。これにより、特異点は完全に消滅するのではなく、世界の一部として存在し続けることができる」
「愛する存在の命と引き換えに…」
沙月は小さく呟いた。その意味は明白だった。彼女が生き続けるためには、誰かが死ななければならない。そして、その「誰か」は彼女が愛する人物でなければならない。
「これが…答え?」
彼女はページを何度も読み返した。他に方法はないのか、別の解釈はできないのか、と必死に探した。しかし、書かれているのはこれだけだった。
「誰かが死ぬことで、私が生きられる?」
カフェのテーブルで、沙月は頭を抱えた。黒瀬や周囲の人を犠牲にして生きることなど、彼女には考えられなかった。特に黒瀬。彼は何度も彼女を救うために苦しんできたのに、今度は彼を犠牲にするなんて。
一方で、ただ死に続けることも解決にはならない。それでは黒瀬の苦しみも、このループも終わらない。
生きることと誰かを犠牲にすること、どちらも選べない板挟みの中で、沙月は悩み、葛藤した。
カフェを出た沙月は、無意識のうちに足を動かしていた。気がつけば、彼女は川沿いの公園にいた。夕暮れの空が水面に映り、美しい景色を作り出していた。
ベンチに座り、彼女は再び本を開いた。他にも何か情報がないか、もう一度確認したかった。
すると、先ほど見逃していた一節が目に入った。
「ただし、特異点と均衡者の間に真の絆が生まれた場合、別の可能性も存在する。二人の魂が完全に共鳴し、互いの存在を受け入れることで、新たな道が開かれることもある」
「真の絆…」
沙月はその言葉を繰り返した。それはどういう意味なのか。黒瀬と彼女の間には確かに特別な絆があった。数百回のループを通じて、そして無数の転生を経て育まれた絆。それは「真の絆」と呼べるものなのだろうか。
しかし、それ以上の具体的な説明はなかった。沙月はもどかしさを感じながらも、一筋の希望を見出した。別の可能性があるということ。それだけでも、彼女の心は少し軽くなった。
日が暮れていく。沙月は本を閉じ、深いため息をついた。明日、黒瀬に会ったら、この本のことを話すべきだろうか。彼はすでに知っているのだろうか。もし知っていたとしたら、なぜ彼は彼女に話さなかったのか。
「明日…話してみよう」
沙月は決意した。彼との間に隠し事はせず、全てを共有したい。そうすることで、彼らは共に解決策を見つけられるかもしれない。
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夜、アパートに戻った沙月は、本の内容を自分のノートに書き写した。重要と思われる箇所には、マーカーで印をつけた。そして彼女は、自分の考えも書き加えた。
「私が犠牲になるか、誰かを犠牲にするか…」
どちらの選択肢も、彼女には受け入れられなかった。特に、黒瀬を犠牲にすることなど、考えられなかった。彼はすでに彼女のために十分すぎるほど苦しんできたのだから。
「でも、真の絆があれば…」
その可能性に、沙月はすがりたかった。もし彼女と黒瀬の間に「真の絆」があれば、二人とも犠牲にならずに済むかもしれない。しかし、それが具体的に何を意味するのかは分からなかった。
沙月は夜遅くまで考え続けた。様々な可能性を検討し、様々なシナリオを想像した。しかし、結論は出なかった。
彼女は涙を流しながら、ベッドに横になった。自分自身の運命だけでなく、黒瀬の運命、そして世界の行く末までもが、彼女の選択にかかっているという重圧は、あまりにも大きかった。
「どうすればいいの…」
沙月は小さく呟きながら、少しずつ眠りに落ちていった。
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朝が来た。沙月は目を覚ますと、すぐに決断を下した。彼女は黒瀬に全てを話そう。そして、共に解決策を探そう。
彼女は早朝に黒瀬にメッセージを送った。
「会いたい。話があります」
返信はすぐに来た。
「了解。朝8時、星見公園で」
彼女は急いで準備し、指定された場所へと向かった。
朝の星見公園は静かだった。散歩する人や、ジョギングをする人が少しいるだけで、ほとんど人気はなかった。沙月は約束の場所のベンチに座り、黒瀬を待った。
彼はいつものように時間通りにやってきた。黒いコートを着た姿は、朝の光の中でも引き締まって見えた。
「おはよう」沙月は立ち上がって挨拶した。
「おはよう」黒瀬は彼女の表情を見て、眉を寄せた。「何かあったのか?」
「うん」沙月は深呼吸して、カバンから本を取り出した。「これを見つけたの」
黒瀬は本のタイトルを見て、明らかに驚いた表情を見せた。
「どこで?」
「神保町の古書店で。偶然見つけたの」
黒瀬は本を手に取り、ページをめくった。彼の表情からは、この本を知っていることが伺えた。
「読んだのか?」
「うん」沙月は静かに答えた。「全部」
黒瀬は本を閉じ、ベンチに座った。沙月も彼の隣に座る。
「私、決めたことがある」沙月は真剣な表情で言った。
だが黒瀬は、沙月の言葉を聞く前に首を横に振った。
「まだ話していないことがある」
沙月は驚いて彼を見た。「何?」
「この本に書かれていることは、すべてが真実ではない」黒瀬は静かに言った。「一部は正しいが、一部は不完全だ」
「不完全?」
「ああ」黒瀬はため息をついた。「特に、ループを止める方法については」
沙月は胸が締め付けられる思いがした。彼女が昨夜から悩み続けたことが、間違った情報だったのだろうか。
「では、本当の方法は?」
黒瀬は彼女をまっすぐ見つめた。「それを話すつもりだった。だが、君がこの本を見つけたことで、話の順序が変わってしまった」
彼は空を見上げ、そして静かに続けた。
「特異点である君のループを止めるには、『世界の核』にアクセスする必要がある」
「世界の核?」
「世界の中心にある、全ての時間と空間が交わる場所だ」黒瀬は説明した。「そこでのみ、特異点の運命を変えることができる」
「でも、その本には…」
「愛する人の命と引き換えに、と書いてあっただろう」黒瀬は沙月の言葉を先読みした。「それは一つの解釈だ。だが、必ずしもそうである必要はない」
沙月は希望を感じた。「本当に?」
「ああ」黒瀬は頷いた。「真の絆についても書かれていたはずだ」
「うん、でも詳しくは…」
「その絆こそが鍵だ」黒瀬は真剣な表情で言った。「俺と君の間に生まれた絆。それが、新たな道を開く可能性がある」
沙月は黒瀬の目を見つめた。彼の目には、確信と同時に何か隠された感情が見えた。
「あなたは最初から知っていたの?この方法を」
黒瀬は少し躊躇い、そして頷いた。
「ある程度は。だが確信はなかった。それに…」
「それに?」
「言うべきタイミングを待っていた」
沙月は黒瀬の言葉の裏にある意味を感じ取った。彼は彼女を守るために、情報を選別していたのだ。それは彼女を信用していないからではなく、彼女を危険から遠ざけたいという思いからだった。
「これから、全て話して」沙月は彼の手を取った。「私たちは一緒に解決するの。もう、あなた一人に背負わせない」
黒瀬は沙月の手を見下ろし、そして小さく頷いた。
「分かった。すべてを話そう」
朝日が二人を包み込み、新たな一日が始まっていた。沙月の心には決意と希望が芽生えていた。どんな真実が待っていようとも、彼女は黒瀬と共に立ち向かう準備ができていた。
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