第2話 僕、頑張って魔法を覚えまちゅ!
あれから数日、僕は相変わらずベビーベッドの中でゴロゴロしている。
赤ん坊だから仕方がないとはいえ、非常に暇だ。
ミルクを飲んで寝て、起きたら母や姉にあやされて、また寝る……の繰り返し。
だけど、心の中には前世の意識があるから、退屈さがたまらない。
破滅回避のために何か動かなくちゃと分かっていても、手足が短くて思うように動けないんだ。
「ふぁ……うー……」
お腹が空いたような、でもまだミルクはもらえそうにない時間帯。
そんなことを考えていると、近くで聞こえてくる優しい歌声に気づく。
赤髪ショートのメイド、リリアが子守唄を口ずさんでいるんだ。
「リウス坊ちゃま、スヤスヤおやすみになって……」
リリアの声は穏やかで、思わず眠ってしまいそうになる。
けれど、僕としては今こそ行動すべきタイミングを探しているところだ。
何せ、姉エレノアが本棚に何やら魔法書らしきものをしまっていたのを見たから。
あれはきっと、貴族の子女が学ぶための教科書みたいなものに違いない。
(この世界では魔法が使える。ゲームでも魔法はメインシステムだったし、使いこなせばバトルでも大活躍だった。もし僕が魔法をマスターできたら、それは破滅回避の大きな武器になるんじゃないか?)
そう考えたら、赤ちゃんだからといって何もしないわけにはいかない。
幸いリリアは少し眠そうにしているし、今がチャンスかもしれない……!
僕はベビーベッドの柵をひっそりとつかみ、ぐっと体を持ち上げようとする。
(よいちょ……よちしょ……!)
体が柔らかく、筋力もないに等しい。
だけど、一歩でも前に進まないと。
夢中になって踏ん張るうちに、どうにか柵をまたぎ、ベッドから床へと降り立つことに成功する。
ヨチヨチと危なっかしい足取りで床を進み、本棚へ向かう。
ほんの数メートルの距離がやたら遠い。
でも何とか頑張ってたどり着いたときには、もう息が上がりそうだ。
「う、ばぶ……」
情けない声が漏れるけど、ここでへこたれたらダメだ。
本棚には大きな分厚い本が何冊も並んでいる。
その中で“魔法の基礎”とタイトルのついた一冊を見つけ、両手で無理やり引き抜いた。
(重い……! さすがは貴族用の立派な本だね)
本を床へ落とし、パラパラとページをめくる。
専門用語がずらりと並んでいて、正直前世の僕が見ても理解が追いつかない。
でも、一部だけ平仮名で書かれた詠唱文があるらしい。
「ん……ば、ばぶー……」
口がままならないまま、僕は頭の中で詠唱をイメージする。
すると、指先がじんわりと熱を帯びるのを感じた。
何だろう、この不思議な感覚――と思った途端、ピリリッと微弱な光が指先から放たれた。
(す、すごい! 本当に魔法が存在するんだ!)
興奮した瞬間、全身から力が抜けるような感覚に襲われてバタリと倒れ込む。
赤ちゃんの身体で魔法を使うのは、ものすごい体力消耗があるらしい。
気を失いかけたところに、メイドのリリアがハッと目を覚ました。
「坊ちゃま?! こんなところでどうなさったんですか……!」
彼女は慌てて僕を抱き上げ、ベビーベッドに戻してくれた。
本には気づいていないようで、リリアは特に何も言わずに困ったような表情を浮かべているだけだ。
こうして、僕は初めての魔法実験で限界を知りつつも、しっかりと手応えを掴んだ。
魔力を使えるなら、破滅回避に活かせるかもしれない。
★
それから数日、僕は隙あらば本棚へ向かい、ほんの少しずつ魔法の練習を続けた。
魔力を練る感覚に慣れてきたのか、最初ほど疲れなくなっている。
そしてある日のこと。
家族やメイドが部屋を離れたタイミングで、僕はいつものようにベビーベッドを降り、本棚へ向かう。
「よち……今日は誰もいない……。今がチャンスでちゅ」
誰もいないのを確認し、再び魔法書を開く。
前回は単に光を出しただけだけど、今回はもう少し発展させた水魔法に挑戦してみたいと思っている。
「水の玉……初心者におすすめでちゅか、か。うん、やってみる」
僕は赤ちゃん言葉交じりでブツブツ呟きながら、詠唱の平仮名部分を必死に追う。
脳内でイメージした魔力の流れを手のひらに集めると――ぽわん、という軽い感触とともに、小さな水の球体が形を成した。
「で、でちた……!」
この成果に思わず興奮してしまう。
確かに体は赤ちゃんでも、前世の知識があるだけで、ここまでできるとは……!
僕は水の玉を少しだけ操作して、球体を丸く整えたり形を変えたりして遊んでみる。
「すごいでちゅ……」
そんなふうに意気込んでいると、急に扉ががちゃりと開いて、姉のエレノアがひょこっと顔を出した。
「リウル~、今日は私が一緒に遊んであげ……って、え……?」
彼女はそのまま硬直して僕を見つめる。
なにしろ僕の手のひらには、水の玉が浮かんでいるのだから、驚くのも無理はない。
さらには僕は、ベビーベッドの外で立っているし。
(やばい! 完全に見られた!)
動揺してしまった拍子に、僕は魔力の制御を誤って、水の玉をエレノアの方へ飛ばしてしまう。
びしゃりという音がして、エレノアの頬に水がかかってしまった。
「わ、わわっ……! ば、ばぶう……」
僕は焦って意味不明な声しか出せない。
怒られるかも、と心臓がドキドキする。
ところがエレノアは頬にかかった水を手で拭い、少し戸惑った様子で僕の顔を見つめると、次の瞬間にこう言った。
「リウス、あなた……もしかして、天才なの?」
思わぬ言葉に、僕はぽかんとしてしまう。
エレノアはじっと水滴の残る自分の手のひらを眺めて、パチパチと瞬きを繰り返した後、まるで宝物を見つけたようにぱあっと笑顔を咲かせた。
「すごい……まだ赤ちゃんのはずなのに、魔法を使えるなんて! リウス、あなた……さすがは私の弟だわ!」
エレノアは嬉しそうに僕の名を呼びながら、ドレスの袖で顔の水を拭っている。
こんな反応とは思っていなかったから、僕も拍子抜けしてしまった。
少なくとも、エレノアは僕を“天才”と称えている。
悪役令嬢の片鱗は今のところ感じられない。
むしろ、可愛い弟が珍しいことをやってのけたと知って大喜びしているようだ。
そんな中、母のクラリスと父のグストが扉を開けて入ってくる。
どうやらエレノアの大きな声を聞きつけたらしい。
「エレノア? 一体どうしたの……まあ、リウス、そんなところで何してるの! それにエレノアも、ちょっと濡れているみたいだけど、大丈夫?」
クラリス母さんが心配そうに寄ってくると、エレノアは目を輝かせながら抱えていた僕を見せつけた。
「聞いてちょうだいお母さま! リウスがね、水の魔法を使えるみたいなのよ!」
「水の魔法……? 嘘でしょう、まだこんなに小さいのに?」
「いや、どうやら本当らしいぞ」
父のグストは面白そうに口髭を撫で、クラリス母さんは頬に手を当てて驚いている。
そんな様子に、僕は内心ほっと胸を撫で下ろした。
どうやらバレても怒られることはなさそうだ。むしろ、“すごい子”認定されたらしい。
もっとも、このまま目立ちすぎてしまうのはちょっと不安だけど……姉の破滅フラグを折り、家族を救うには、力が必要なのも事実だ。
ここはうまく立ち回りながら、今のうちに魔法の基礎を固めてしまおう。
(よし、赤ちゃんだからって侮らず、コツコツ鍛えて将来に備えるんだ。グスト父さんが変な方向に行かないように注意しつつ、エレノア姉さんが悪役令嬢ルートを突き進まないよう導いて……絶対、みんなで幸せになってやる!)
まだ歩くのもままならない赤ちゃんの僕だけど、心の中には前世と同じ大人の意識がある。
この世界で与えられた運命をひっくり返してみせる。
僕はエレノア姉さんの抱っこに揺られながら、小さな拳をぎゅっと握りしめて決意を新たにした。
――悪役貴族だろうが、赤ちゃんだろうが関係ない。
僕のやり方で、みんなの破滅を回避してやるんだから!
―――
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