第19話 たったひとつの冴えた戦(や)りかた 04
01
「新帝国暦43~44年における、アルバイン帝国―ラングレード武帝国間の終戦条約」
概要:
・アルバイン帝国とラングレード武帝国間の戦争状態の終了
・ラングレード軍のアルバイン領からの即時撤退
・全面的なラングレード武帝国の戦費賠償義務
・アルバイン帝国とラングレード武帝国間における恒久的不可侵条約
・ラングレード武帝国のガルガ山脈における紅石採掘権の放棄(ただしアルバイン領内に限る)
・ガイ皇帝の即時廃位
新帝国暦44年、黎明の月、17の日
署名:アルバイン帝国皇帝タケル ラングレード武帝国皇帝ガイ
補遺:
ガイ皇帝の身柄は戦争裁判が終了するまでアルバイン帝国預かりとする。
尚、ガイ皇帝は第08収容所に即日移送予定。
02
『――私にこの形式の休息行為は無意味だと提言します』
「いいから寝ていて下さい」
『……指示を
アルバイン帝国皇宮に用意されたレミュータの部屋は、今回の戦いにおける最大の功労者の為とはいえ、清貧を
精密な浮彫が彫られた大窓から差し込む月光。冬の夜でもどこか優しい静かな光。
白を基調色とした壁面には豪華な調度品がずらりと並び、一枚板の床にはアルバイン帝国の国章が織られた大絨毯が敷かれている。
その上に置かれた天蓋付きの巨大なベッドは精巧なレース調の織物が幾重にも重ねられて、横たわる者に最上の寝心地を保証していた。
しかし、そのベッドに寝転がっている者が睡眠不要のアンドロイドでは、最高級の寝床も台無しではあったが……
武帝ガイとの激闘からきっかり24時間が過ぎた。
満身創痍の状態で夢幻空間から帰還したレミュータは、心神喪失状態にあるガイをタケル皇帝たちに引き渡した後、主であるショータと再会するや否や、彼に問答無用でベッドでの休養を厳命されたのである。
アンドロイドにそれは無意味なのでは、という周囲の真っ当な意見を挟む間もない、普段の気弱で控え目なショータから想像もできない強引さだった。
今のレミュータは通常モードに変形した状態で豪奢なベッドに横たわっていた。
“ガーゴイル”すら身に着けない白銀に輝く艶めかしい素肌を
すぐ傍にはショータが控えて、重傷者に対するそれのように甲斐甲斐しく世話をしている。
その行為自体に意味があるかは微妙だが、少なくとも少年が鋼の戦乙女を大事に思っている姿勢は十二分に伝わっていた。
「本人が大丈夫って言ってるんだから大丈夫なんでしょ。ホント、相変わらず心配性なんだから」
一方、ベッドを挟んでショータの反対側では、果物ナイフで手際よく紅蜜果の皮を剥くアニスの呆れ顔があった。
当然ながらアンドロイドは見舞いの果物を食べないので、これは自分とショータで処分するのだろう。
剥いた皮は仰向けの体勢でも形が崩れない2m40cmの爆乳の上に鎮座しているアンキロサウルスのおやつだ。
アニスの言葉はある意味正しかった。
レミュータは機体が物理的に損壊しても、修復用ナノマシンを使用したり“ガーゴイル”を通して亜空間コンテナから修復パーツを随時補充できるので、ハードウェアの修理自体は比較的容易である。
ここ最近の戦闘で幾度もボロボロの姿になったが、機体が完全に跡形も無く消滅でもしない限り、実はそれほど深刻な状態というわけではない。
問題はAIを始めとしたソフトウェア関係の故障だ。
こちらはAI規制条約や機密保持の関係で、人工頭脳を丸ごと交換して修理完了! というわけにはいかず、プログラム単位で少しずつ時間をかけて修復するしかない。
現在、レミュータの機体損壊率は7割程度だが、それは大半がAI関係の問題なのである。
ハードウェア自体が無傷でも、それを動かすソフトウェアにバグがあれば、それはハードウェアが使い物にならないのと同義といえた。
時折、レミュータが戦闘アンドロイドとは思えないスカポンタンな奇行に走ることがあるが、それもこれもAIの故障が原因なのである。たぶん。
いずれにせよ、理屈では無意味だと理解していても、見た目が傷だらけの姿なら、ラミュルト教司祭(見習い)が怪我人(アンドロイド)の看病をやらない理由にはならない。
結果、豪華絢爛なベッドの上で大事に世話される戦闘アンドロイドという、珍妙な構図が出来上がっているのだ。
「というわけですから、大人しく休んで下さいね」
『承知しました』
「随分と素直だけど、まさか『マスターと治療の名目でイチャイチャできてラッキー』とか考えてないでしょうね」
『…………』
「そこは否定しなさいよ」
「あはは……ところで、何かして欲しいことはありますか」
『今、何でもしてあげるって言いましたか?』
「言ってませんよ!?」
「あんたのことだから、どうせ変態的な要求をするんでしょうね」
『…………』
「だから、そこは否定しなさいよ!」
数分後――
「さんざん悩んだ挙句に、ただの添い寝が望みだなんて……」
「僕は別にかまわないですけど」
――レミュータを中心に両脇にショータとアニスを並べた川の字スタイルで、豪奢なベッドに横たわる3人の姿があった。
アンキロサウルスはレミュータの爆乳の谷間に潜り込んで、ゆっくりジタバタともがいている。
自分よりはるかに小柄な子供たちに添い寝されるレミュータの満足気な様子に、アニスとショータはくすくすと笑った。
「なんだか赤ちゃんみたい」
『私の実年齢は10万23歳(地球時間)です』
「それならお婆ちゃんですね」
『……稼働時間は3ヵ月と60時間2104秒(地球時間)です』
ちなみに、ショータ&アニスは、レミュータのリクエストにより全裸姿だが、ファンタズマの倫理的には特に問題はない。
「……ところで、あんた……さっきから鼻血がドバドバ出ていて怖いんだけど……」
『ただのオイル漏れです』
……ファンタズマの倫理的には問題はないのである。
03
一方、大人側の功労者は――
「……これでようやく、当面の危機は脱したか……」
アルバイン帝国皇宮・会議室――椅子と円卓だけの殺風景な部屋に、長い椅子の背もたれにだらしなく寄りかかる皇帝陛下・タケルの疲れ切った姿があった。
昨夜から一日中、ガイとの終戦交渉や、それに伴う各種手続きに追われていたのだ。
「お疲れ様です。ガイ陛下との会談も上手くいったようで、何よりですわね」
司祭モードのマザーウィルが手際よくティーカップにお茶を注ぐ。こちらは昨夜の激闘の疲労や負傷の痕跡が見えないのは、魔王級魔族の本領か。
「……まぁ、あれを首脳会談と言えるのか疑問だけどな……」
受け取ったお茶を一飲みして、初老の皇帝は年齢に相応しい枯れた息を吐いた。
レミュータとの最終決戦後、チート“最強”をほとんど失ったガイは、呆然自失の半廃人と化していた。
タケルとの終戦に関する交渉や協定締結も、アルバイン帝国側の提案に力無く頷くだけで、精魂全て尽き果てた小さな姿に、世界最強の戦士の
結果として、終戦条約はアルバイン帝国の全面的な勝利といえる内容で締結したのである。これはアルバイン側としては最上の首尾だといえるだろう。
だが、しかし――
「喧嘩に勝ったわりには、随分と浮かない顔だねぇ」
狼頭で器用にティーカップからお茶を
たまたまマザーウィルとのタケル皇帝護衛の交代時間が来ていたので、ついでに御相伴にあずかっているのだ。
「こんな事を言ったら皇帝失格なんだろうが……」
タケルは飲みかけのお茶を両手で包んだ。
「……あいつに同情している自分もいるんだよ」
琥珀色の水面に浮かぶ己の顔は、酷く年老いて見えた――
タケルとガイは共に15歳の時に2025年の日本から異世界ファンタズマへ転移した身の上だ。
到着時間に10年のズレがあったが、お互い年齢も立場も相似した関係なのである。
ガイはタケルを赤の他人ながら『兄弟』と称したが、かつての二人は、確かにそう呼び合う関係だったのだ。
そして、ガイがタケル(に化けたマザーウィル)に語った『自分が変わった理由』――それもタケルの心を揺さぶった。
――子供のころ、ガイ少年は仕事から帰宅した父親の姿を見るのが嫌いだった。あんな大人にだけはなりたくないとすら思った。
普段は陽気で優しい熱血漢の父が、その真逆の存在に見えるからだ――
それから数十年が経ち、巨大帝国ラングレードの皇帝として激務に追われるガイは、ある日、ふと鏡を見て――絶句した。
こけた頬。落ち窪んだ
かつて、異世界で冒険に明け暮れて、活力に満ち溢れていた熱血少年は、皇帝の激務の中で、変わらない日々の中で、いつのまにかくたびれた中年男性に変貌していた。
それは一般人の視点では、加齢から来るごく平凡な変化でしかないだろう。
しかし、ファンタズマ“最強”の戦士には受け入れられなかった。なりたくなかった大人になっている自分を受け入れられなかった。
とはいえ、これも年老いていく人間なら、誰もが覚える寂しい感覚でしかないだろう。心の奥に押し殺すか、酒や娯楽の力を借りて忘れたふりをするのが普通だ。
だが、ガイはあらゆる意味で普通ではなかった。世界最強の戦闘力と権力を持っていた。
自分の人生に絶望してやけっぱちになった中年男性が、後先考えずに欲望のまま暴走する――これもそう珍しくない自暴自棄な行動だが、問題はこの男がガイだった事だ。
世界最強の皇帝が思うがままに欲望を解放した結果――殺戮と暴虐に満ち溢れた、史上最悪の暴君が誕生したのである。
「……余も覚えがあるよ。皇帝の務めは本当にキツいからな。時折全てを投げ出して、好き勝手やりたいと思う事も稀に……いや、幾度もある」
「…………」
「あいつは結婚すればよかったんだよ。弱音を吐いたら容赦なくケツをひっ叩いて、たまにはケツを撫でさせてくれる、そんな嫁さんがいれば、外道に堕ちなかったかもしれない」
「幼児趣味がなければ、それもできたんだろうさね」
「あぁ……それがあったか」
先ほど聞いた“ガイが変わった理由”の内容に、何か違和感を覚えたのだ。
だが、自分はライカンスロープだ。人間の心の機微に詳しいわけではない。たぶん気のせいだろう……
「まぁ、なんだ、要するに……俺はあいつを憎み切る事ができないんだ……」
徹夜明けとは別種の疲れが、タケルの声には含まれていた。
「ですが、あの御方が犯した罪は、それで許されるわけではありませんよ」
マザーウィルの声色は相変わらず優しい。が、その糸目は少しも笑っていなかった。
「……当然だ。罪には罰の義務がある。そのための収容所送りなんだからな」
戦争犯罪だけでも大罪だが、ガイにはアルバイン帝国内での幼児大量失踪事件に関わっていた確かな証拠が残っている。
死刑にはできないが、それに次ぐ厳しい処断が下されるのは明白だろう。
BEEP! BEEP!
――その時、円卓上に置かれていた通信用魔法水晶玉が、発振音と共に赤く輝き始めた。かなり激しい明滅だ。
会議室という場所の特性上、機密漏洩防止のために、ここでは余程の緊急事態でもない限り基本的に通信用水晶玉が作動することはない。
つまり、その余程の緊急事態が発生したのだ。
タケルの目つきが、チャランポランなおっちゃんから、冷徹な皇帝のそれに変わる。
むしろゆっくりとした動作で皇帝の手が水晶玉に触れた瞬間、切迫した叫び声が会議室に響いた。
(火急にて略礼御免! 重大案件です!)
「……話せ」
(第87大型輸送方舟が、バルドー領南部丘陵地帯にて墜落しました! あの武帝ガイを運んでいた船です!!)
04
ごお ごお
ごお ごお
紅蓮の炎が白い月を焙っていた。
アルバイン帝国バルドー領南部丘陵地帯――普段は
相当な高度から墜落したのだろう。方舟は原形も残らず徹底的に破壊されて、誰の目にも生存者はいない事は明らかだ――残骸から雪原に伸びる一人分の足跡が無ければ。
純白の雪に刻まれた足跡は力強く、まっすぐ北に延びている。
その先頭に、あの、男がいた。
小柄。短躯。筋肉の塊。
そして、
武帝と呼ばれた世界最強の戦士――ガイ。
燃え上る残骸をバックに、武帝ガイは笑っていた。
「馬鹿が」
そう、武帝ガイは
馬鹿どもが。
あの程度の警備兵だけで、俺を抑えられるわけがないだろう。弱肉強食のラングレードの地でどれだけ修羅場をくぐり抜けていたと思うのか。
この俺がチートしか能のないボンクラだと? そんなものが無くても、俺は最強の戦士なんだぜ?
それに、あのレミュータとかいうアンドロイドは致命的なミスを犯していた。
ハッキングでチート“最強”を無効化する際に、『不死』の文字通り肉体を不死身にする能力だけは消去しなかったのだ。
この能力はガイの生命概念と密接に関わっていて、下手に消すとガイの命を奪う事になるから……というのが理由だった。
「馬鹿が!」
どいつもこいつも何も分かっていない。この不死性こそが、ガイの本当の強さの根源である事に。
そう、不死身は滅びない。不死身の存在には、無限に時間が与えられるのに等しい。
不死身なら、これからいくらでも強く成長できる。
不死身には、絶好のチャンスが何度も訪れる。
不死身ゆえ、どんな困難も最後には乗り越える事ができる。
不死身とは、無限の可能性を秘めているという事だ。
ガイは歓喜していた。
このファンタズマに異世界転移したばかりの若い頃のように、未知なる希望に胸を躍らせていた。
見ていろ。
俺は必ず返り咲いてみせる。
もう一度、あの栄光の日々を取り戻してやる――
「それは叶いません」
背後から響く、温厚で静かな好々爺の声――ガイは愕然と振り向いた。
漆黒の執事服。ロマンスグレーの髪と鼻髭。モノクル。喪失した右腕。そして微笑み――ヴォイド卿。
「てめぇ! 今さら何しに来やがった!?」――そう叫ぼうとして、ガイは台詞を飲み込んだ。
ボコられた相手が弱っている所に出現するなんて、目的は決まっている。
「右腕のお礼参りに来たってわけか。いいぜ、かかってきな」
不敵にファイティングポーズを取るガイに、ヴォイド卿は笑顔を向けた。
いつもと変わらない笑顔を。
それしか表情を知らないような笑顔を。
作り物の笑顔を。
「そんな些事ではありません。私の行動原理はただ1つだけです」
漆黒の執事は、笑顔を、浮かべた。
「全ては――――様のために」
ポカンと口を開けて、一瞬呆気にとられるガイ。
ヴォイド卿が口にした“名前”が、あまりにも意外だったのである。
その一瞬の隙が致命的だった。
「!?」
突然、足元に開いた次元の穴――ポータルに、ガイは成すすべなく落下した。
「では、良い旅を」
すぐにポータルを閉じると、ヴォイド卿は雪面の足跡が途切れた空間に一礼して、もう一度、あの言葉を繰り返した。
笑顔。
「全ては――――様のために」
05
(――!? ――!! ――!!!)
ガイは暗闇の中にいた。
周辺に光源は何も無い。形容ではなく本物の暗黒空間である。
(――がぁ!! い、息ができねぇ……苦しい……!!)
呼吸ができない。
この空間には空気分子どころか素粒子すら存在しないからだ。
しかしガイは窒息の苦痛に悶える事すらできなかった。
周囲の温度が絶対零度のために、肉体が瞬時に凍結したからだ。
ヴォイド卿がポータルでガイを追放した場所――それは世界同士を繋ぐ次元の狭間だった。
誇張ではなく、時間と空間以外の何も存在しない世界。
ただひたすら“無”だけが永遠に続く世界。
……永遠に?
無だけが……?
ガイの背筋に、絶対零度とは別種の怖気が走った。
女神より賜りしチート“最強”。その『不死』の不死性のみは今のガイにも働いている。無の空間でも生きているのがその証拠だ。
そう、ガイはこの世界でも永遠に生きる事ができる。
いや、永遠に生き続けなければならない。
窒息と凍結の苦痛の中、自分以外に何も無い世界で、永遠に……
(助けて)
ガイは叫んだ。
叫んだつもりだった。
凍り付いた口は何も言葉を発せず、それを聞く者も誰もいない。
(助けてくれ)
それでも、ガイは叫ぼうとした。それ以外に何もできなかった。
(うわぁああああああああああああああ――!!!)
永遠に、宇宙が消滅しても、あらゆる世界が消滅しても、ガイは叫び続ける。
そう、永遠に――
ガイが発狂したのは体感時間で三ヵ月後だった。
自我が完全に消滅したのは三千年後である。
つづく
スティールメイデン ~最強アンドロイドは少年司祭の夢を見るか?~ MM @hjiyrfuyhli
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