第三話 ただいまは、閉店時間です。

3-1

 リズに自室の扉をノックされ、私は朝になっていた事に気付いた。


「どうぞ」


 言ってから、今の自分の身なりがひどいものだという事に気付く。でも、もう遅い。

 お邪魔します、という声と共に、リズが扉から顔をのぞかせた。私と目が合うと、リズの目はまん丸に見開かれる。今の私は、帽子を被っていなかった。


「身だしなみがなってなくて、ごめん。でも今は閉店中だから、いいかなって」

「え……? う、うん」


 私はボサボサ頭を撫でつけながら言う。いつも店に出る時は熱で伸ばしているから、閉店後は酷い状態になる。癖毛って本当、嫌になる。


「どうして……?」


 リズが小さくつぶやいた。

 彼女の目は、私の頭と、手元に注がれている。そんな彼女に向かって、私は素手の人差し指を口元にあててみせた。


「この事は秘密ですよ」


 とか言いつつ、ばれている者にはばれている。よく来る人狼の彼など、私を父さんの手の届かない店外に連れ出そうと、いつも必死だ。

 匂い消しをしたところで、彼には違いが分かるのだろう。まぁ、それもそうだ。だからこそ、父さんは私をここに置いておきたいのだから。


「外の霧がもう少し薄まったら、この帽子を被って出ていくんだよ」


 私は机の端に乗った帽子を取って、リズに差し出した。小さな鹿ヅノと、ミモザとどんぐりをい付けた、軽くてシンプルな帽子。彼女の髪色に合っている。

 不安そうな顔で、リズが私を見上げてきた。


「ここで、パパが来るのを待っていちゃダメなの?」

「悪いけど、君をずっとここには置いておけないんだ。街まで行って、人間の大人に頼ってほしい」

「ずっとじゃないわ。パパが私を探していると思うから……!」

「悪いけど、」


 今は閉店中だから、言ってもいいだろう。


「パパは君を探していないと思うよ」

「そんな事ないよ! だって、パパは……!」

「この森に捨てられた子どもは、皆そう言うんだ」


 リズは黙り込んでしまう。

 ちらちらと私の頭に目をやって、口をもごもご動かしていた。


「今なら、そんな大物の魔物も出てこないから。きっと霧の外まで走り抜けられると思う。あとで匂い消しの香水も振ってあげよう」

「……魔人さんは、一緒に行かないの?」


 途端、建て付けてある部屋の家具が、ガタガタと揺れた。


「ちょっと、父さん。パーツが飛ぶからやめて」


 言うと、家を揺らすのをやめてくれる。

 リズを見ると、彼女は得体の知れないものに怯えていた。


「私は、この店の主人だから。街には行かない。ここにいるよう、父さんにも言われているしね」

「……でも、あなたは人間でしょう?」


 私はただ、にっこりとだけ微笑んだ。

 リズは、不満そうに眉を寄せる。


「あなたも、街で人間と一緒に暮らすべきじゃない?」

「外は危険がいっぱいだ。悪徳商人にクレーマー、高すぎる地代、面倒な人間関係も。人間は信用がおけないから。みずからの行動で子どもを産んだはずなのに、邪魔になれば森に子どもを捨てる親もいる」

「……あなたのパパに、そう言われたの?」

「そうだね」

「でも、この場所だって危険じゃない? 魔物がたくさん……」

「ここにいれば、父さんが守ってくれる」


 リズはまだ不満そうだ。そんなリズを、私はしっかりと見返す。


「私は父を尊敬している。父さんは強くて、私を守ってくれる。私は父さんに認められたいんだ。魔物の子になりたいんだよ」


 私は新しく作った帽子を被り、扉横に置かれた鏡の前へと立ってみた。螺旋らせんを描いたツノには、金の継ぎ目がある。うん、やはり素敵なツノだ。しばらくは、これでいこう。飽きるまでは。


「色々な素材を集めて、色々な物を作ったんだ。帽子、鉤爪かぎづめ、毛皮に香水。それで少しでも魔物らしくなりたくて。でも、私はずっと弱いままだ」


 こんなものはガワでしかない。本当は分かっている。大切なのは、本質は、そこじゃないって事は。

 でも、おかげで作品はたくさん出来たけど、と笑う。


「父さんは、今のままでもいいって言ってくれるんだ。私に何も不満はないって。でも、私は私に満足出来ない」


 ずっと探している。自分の、本当の形を。

 リズは眉を寄せたまま、じっと私を見つめていた。


「……あなたのパパは、なんであなたをここに閉じ込めようとするの?」

「外は魔物だらけで危険だからだよ。君も見ただろう?」


 外は人間を食べようとする魔物でいっぱいだ。いつも店に来る人狼の彼だって、私がこの家から出たと分かれば、喜んで迎えに来る事だろう。

 リズがまた、ちらちらと私の顔をうかがう。


「……こんな事、言ってはいけないのかもしれないんだけど。……魔人さん、あなたをここに置いておけば、魔物をおびき寄せるのにちょうどいいからなんじゃない?」

「そうだよ」


 リズが、目をまん丸にして驚いている。彼女は、私がその事に気付いていないとでも思っていたみたい。まさか、そんな訳ない。


「私をここに置いておけば、父さんは空腹にならずに済むんだ。人間や魔物が、私をえさにどんどん集まってくるから。その中から少しばかり、美味しそうなのを選ぶだけでいい。こんな楽な暮らし、手放しがたいよね。だから昔、森で見つけた餌を一つだけ、食べずに置いておく事にしたんだ。父さんに直接言われたから、もちろん知っているよ」

「なんで、そんな人を尊敬してるの⁉ おかしいよ!」

「人じゃないから」


 父さんは魔物だ。だからこそ、私はここで生きてこられた。


「ここらの魔物で、父さんに逆らう者はいない。誰もが父さんを恐れている」


 私も含めてね。


「……魔人さんも、そんなふうになりたいの?」


 悲しいが、きっとそうはなれないだろう。

 私はここで、父さんのような強い魔物のふりをして、幻影堂の主人をやるしかない。

 父さんに守ってもらいながら。


「あなた自身は、何をやりたいの?」


 リズが、まん丸の目で私を見つめてくる。私は眉を寄せた。

 こんなに小さくとも、やはり人間は残酷だ。

 どうして叶いもしない事を、口にする事が出来るだろう。

 私はリズをしばらく見つめて、それから手に持った帽子を彼女に被せ、その視線をさえぎった。

 彼女に、店主の顔で微笑む。


「ご来店、ありがとうございました。もう、お帰りになる時間ですよ」

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