←左17話 谷津樋 正親(やつひ まさちか)2

「部屋に戻れといっただろ」


 寝室から出て来た父親は私を見ると、つまらなそうにそう冷たい声色で言い放った。


「お母さんは……」


 私のかすれた呟きに気がついてか、父親は先ほど自分でシンクに置いたコップを水洗いをして水切りカゴに置くと、無言でもう一度私の対面に座る。


「寝たよ」

「そう……」


 私が顔を上げて父親を見ると、私をじっとみていた。

 その顔は無表情に見えて、冷たくて怖くなってもう一度膝に顔を埋める。


「なにか話しがあるんじゃないのか?」


 父親はいつもそう、私の事を冷たく見下ろすくせに私の事を良く見ている。

 察しがよいだけかもしれないけど……だって私の事嫌いだし。


「部活に入る事にした……」

「そうか」


 興味のなさそうにそれだけを言うと無言になる。

 私もこの後何を言うつもりだったのかわからなくなって口を開けなくて、静かな時間が流れていく。

 それでも、衣擦れの音一つ立てない父親に痺れを切らして、もう一度顔を上げた。

 父親は無言で私をただ見ていた。


「……バスケ部に入る……」

「そうか」


 父はいつの頃から、私に淑女たれと厳しく接するようになった。

 小さい頃は、いつも優しい笑顔で私が何をしても叱る事なく甘やかしてくれていた。

 うんん、そんな甘やかされてた時期でも一度だけ大声で叱られた事はあったかな。

 確か、お母さんと夕方に買い物に出かけた時、帰宅中のを見かけて嬉しくて思わず道路に飛び出した時。

 手前側が二車線の道路で交通量も多いその道路で、危うく轢かれそうになった時だったと思う。

 そんな優しかった父親は、淑女たろうとしない私を嫌いになってしまった。


「ちゃんと女子バスケ部だよ!」

「……何が言いたいんだ」


 怒られると思ってた。

 淑女らしくない部活などと言われると思ってた。

 それでも女子部だからと言い訳のように、寝室のお母さんを気にしながら少し大きな声を出した。

 なのに父親は何も感情を動かされる事は無いと言った表情で返す。


「いいんじゃないか?」


 予想外の父親の答えに戸惑った私は、自分でもわかっていながら無意味に用意していた言い訳を並べてしまう。


「先輩達もちゃんとした女性だし!、マネージャーやってくれるのも友達の女性だし!」

「……そうか」


 私の混乱を察したのか、流石の父親も戸惑った表情を浮かべてそう言うと、若干身を引いた。


「……いいの?」

「なにがだ?」


 絶対に反対されると思っていたから、拍子抜けて変な声がでた。

 なのに、父親は意に返す事なく不思議そうな顔を浮かべる。


「反対すると思ってた……」

「なぜ私が反対する?」

「……淑女らしくないから?……」


 きょとんとした顔で私を見た父親は、本気で意味が分からないと言った感じで顔を顰めた。


「一度もそんな事を言った事ないぞ?」

「女らしくしろって……」


 はぁっと大きく息を吐くと父親は、首のネクタイを緩めながら立ちあがり、シャツのボタンをはずしながらお風呂場に向かう。

 そんな父親の背中をただ目で私は追いかけてると……


「男になろうとするな……それだけだ」


 父親は、その言葉を残すと脱衣所の扉を閉めた。


「それが一番辛いんだよ……」


 そう呟くと、三度自分の膝に顔を埋めて小さな溜息を吐いた。



「いってきます」


 朝靄あさもやの中、私は小さな声で聞こえないと分かってるに挨拶をする。

 はベットの上で、先に挨拶をしてきてる。

 は既に家を出た後だ。


 そんな両親の顔を浮かべてそう呟くと、昨日の帰宅時とは何か違う気持ちで私は家を後にした。



「ひだりぃ!!おはよぉ!!!」


 教室の扉を私がくぐると、真っ先に私を見つけたかすみが、自分の席で両手を振って迎えてくれる。

 そんな横でふーも小さく手を振ってる。


「おはよう!ふたりとも!」


 私も片手を振りながら挨拶を返して席に近づくと、ふーは立ち上がって自分の席に移動した。


「おやぁ?きょうは随分ご機嫌ですねぇひだりちゃん?」


 かすみがニヤニヤした顔でそう言ってからかって来るけど、とくに気にする事なく「そう?」と軽く答えると席につく。

 そんな私を見ながら、ふーも笑顔を私に向けて頷いてた。


「昨日のバスケ、そんなに面白かったの?」


 ああ、そうか……そうかもしれないな。

 って昨日のバスケを思い出すように、左上を見上げながら私も頷くと、二人に向けて渾身の笑顔を交互に浴びせかけてやる。


「うお! 凄い笑顔だ!」

「なに今の! ひだり凄い可愛い!」

「どういたしまして! ありがと!」


 私は良く分からないけれども、笑顔を褒められて少しだけ、昨日より自分を好きになれた気がした。


「あ! そうそう! 昨日ひだりと別れた後に鹿島先輩と帰りが一緒になったんだけど……」


 そんな良い一日が始まる予感の中、唐突にかすみが話題をかえて、私を正面から見据えると、何か深刻そうな顔をしたので私もかすみを真面目な顔で見返す。

 ふーも、突然のかすみのその雰囲気にあてられてか、ゴクリと生唾を呑み込んで、私と同じような顔でかすみを見る。


「え? いや! べつにそんな深刻な話しじゃないよぉ! 二人してそんな顔して私をみないでよ!」


 慌ててかすみは、顔の前で両手を振って深刻な話しじゃないと否定をすると申し訳無さそうな表情を浮かべて謝ってきた。


「ごめん、ちょっと言い方がまずかったかも……別にたいした話しじゃないんだけどね……鹿島先輩がひだりに伝えておいてほしいって」


 後ろ頭をかきながら上目使いで私をみるかすみを、拍子抜けた顔で見返しながら私は聞き返す。

 ふーも不思議そうな顔で私の肩に手を置いて、顔を出して来る。


「わたし?」

「うん、そう! ひだりにって」


 笑顔にもどったかすみは、私を真正面から見つめるとニカッって音がしそうな笑顔を浮かべて爆弾発言をした。


「来週から始まるインターハイ予選に、選手で出てねって!」

「はぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 私の声が教室に響いたのは言うまでも無い。

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