第五部 大荒れ ÔARE 2
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勇気の要る行動だったが、じっとしてはいられなかった。そう自分に言い訳する。
未來は『かわいいだけじゃダメみたい』に向かって歩いていた。店長はしばらく営業を見合わせると言っていたが、もちろん徒歩で、である。
たしかめねばならないことがある。
秋葉原周辺の様子は、やはり異様だった。
まずアレだけいたあふれんばかりの観光客がいない。ユーチューブの動画で、日本の地震発生回数は異常、というような表現を見たことがある。日本にやってきている外国人観光客たちにとって、今朝の地震はとてつもないインパクトともに受け止められたに違いない。
警察の車両があちらこちらに走っていて、交通整理のための制服姿の人が交差点に立っている。信号は復旧したのか、しっかり機能しているようだった。
大きな地震があったとはいえ、震度で言えば六弱である。いや、それでも十分大きいんだけど。しかし、多くの死者を出した東日本大震災と比べると、規模も被害も小さいものだ。外に出てソレを理解した時、未來はひそかに安堵した。
なんだかんだ、優秀なのだ、日本の行政は。などと、普段考えないようなことまで考える。昨日まで、ただのメイドだったのに。ちょっとSなだけの。
外神田の路地は閑散としていた。作業をしている住民や一部営業している店舗や企業の従業員を除けば、ほぼすべての人間が消え去ってしまったかのようだ。
ずっとこうでも——と一瞬過ぎるが、そんなことになったら商売あがったり、だ。
未來は溜息をついた。
目的地のビルの入り口に、知っている顔がある。
「グミちゃん」
「あ」髪の長い少女は振り返って目を大きく見開いた。「ミクちゃん!」
グミは綺麗系の顔をしているが、実は大の猫好きであり、勤務中は猫語を駆使する『猫メイド』なのである——が、当然、普段は普通の女子大生である。
誰もいないと思っていたところに見知った顔があったことで、ああ、コレは現実なんだな、と思い知る。
「地震、大丈夫だった?」
「うん、大丈夫。だけどそれよりも昨日はびっくりしたよお」グミは安堵の表情を浮かべて言う。「突然走り出して行っちゃうからさあ」
「ああ——ごめんね、ちょっと取り乱しちゃって」
昨日は情緒が不安定過ぎて気持ちが死んでいた。
でもまさか、誘拐事件に巻き込まれて、などとは言えない。
「グミちゃんはどうしてここに?」
「ミクちゃんこそなんで? 私は昨日、普段飲んでる薬をお店に忘れちゃってたことに朝気が付いてさ。ないと困るんだよね。こういう状況だから」辺りに目配せをして、「病院とかにまたもらいに行くのも気が引けて」
近くの大通りを救急車が通り過ぎていく。——なるほどな、と納得する。
「さっきからサイレン鳴らす車が多いね。消防車もここに来るまでに見たよ」
「カオスだねえ」グミは少し高い声でのんびり言う。「んで、ミクちゃんはどうしてここに来たの?」
はぐらかすつもりだったが失敗したようだ。
未來は悩んだ。ここでグミにすべてを話すということは、彼女を事件に巻き込むことを確定させてしまう、ということだ。
コレから自分がやろうとしていることを考えると、協力者は多いに越したことはない。しかし、そんな不確定な『無謀』のために、彼女を味方につけることは得策なのか。
強大な『理不尽』との戦いのために。
悩んだ挙句に未來はこう答えた。
「——ノアの転落事件の、真相が知りたくて」
「真相?」
賭けだった。案の定、グミの様子が目に見えておかしくなった。
「グミちゃんはさ、本当にノアが自殺しようとしたんだって思ってる?」
グミはハッと息を飲んで押し黙った。口を「え」の形に開いたまま未來の顔をじっと見つめている。
「私はね、違うと思う。敦子はあの日、私と約束してた。どんな理由があったにせよ、あの子が飛び降りなんてするはずがない」
「で、でも」グミは動揺したように震えた声を出す。「元カレとのことで悩んでた、って、店長が」
「——元カレ?」
その瞬間、未來の中で何かが切り替わった音がした。
そうなのね。そういうことか。
そして思い出した。そうだ、グミは、店長の『お気に入り』だったっけ。
「店長がそんなこと言ってたの?」
「わ、私も詳しくは聞いてないんだけど、たしかちょっと前に相談されたんだって、店長言ってたなあ、って」
「ふうん」未來は声のトーンをわずかに落とす。「ねえ、グミちゃん、今日は店長いるの?」
「え、う、うん。今後のこと決めるために来てるはずだけど——」
店の営業をどうするか、ということか。従業員の転落事件に大地震。おまけに秋葉原全体の治安もヤバいことになってるのだ。対応を慎重に決めていかないとならないだろう。
でも——未來は、気が付いていた——ソレだけじゃない。
「もしかしてグミちゃん、店長に会いに来たんじゃない?」
「え?」
「そもそもラインでメイドは危険だから来るなって言われてたよね」
危険を冒してまでここまで来る理由。薬を取りに来た? そんな大切な薬を、どうしてお店に忘れるの。
二人は——デキているんじゃないの?
「そうだけど……」
「嘘でしょ、薬を忘れたなんて」
彼女の身体がビクンと震える。
「本当の目的は店長に会うため。違う?」
「ち、ちがっ」
「嘘をついているのなら今すぐ白状して? 今だったら許してあげる」
正直、バクチだった。半分はカマを掛けているだけだった。しかし、身長の高い未來の凄みは、相当な迫力がある。伊達にドSメイドで売っていない。
「嘘だなんて、私——」
グミは目を逸らしながら青ざめている。ちょっとやりすぎたか。可哀想なことをしたかもしれない。
「ねえグミちゃん、私は本当のことが知りたいだけなの。別に二人のことをどうこうしようとは」
「私が嘘をついてるって証拠でもあるの?」
思いつめたように言う。まるでミステリードラマで追い詰められた犯人が言うみたいなセリフだ。一瞬怯んだが、すぐに立て直す。
そっちがその気なら。
「おかしいと思ったんだよね。昨日」
「……一体なにがおかしいの?」
未來は記憶の引き出しを再び開く。
「昨日のシフトに、グミちゃんの名前はなかったよね?」
「それはさ」グミの声が大きくなる。「ほら、たぐちゃが欠勤だったでしょ? 代わりに呼ばれて——」
「その欠員補充にはもうノアが入ったのに?」そう言うとグミは黙った。「一人の欠員が出ただけで、二人も補充しないでしょ。それにグミちゃん、私服だったもんね」
彼女は何も答えない。地面を見つめて思いつめたように拳を握りしめている。
「昨日、本当は何かしらの用事があってここに来たんじゃない? もしくは、店長さんに、別件で呼び出されていたか」
「——だから何だっていうの?」
ようやく絞り出した声は冷たく、さっきまでの彼女が発していたおおらかな空気は、一瞬にして消し飛んでしまったかのようだった。
「昨日は店長と会うために来てたの。今日だってそう! だから何? シフトの相談をしただけだよ? 変に勘ぐられたくないから黙ってただけ」
「じゃあ聞くけど、グミちゃんは、なんで、敦子——ノアが三階から転落したことを知ってたの?」
かわダメのフロアは——二階だ。
「それは、私が下から見てて——」
「見てた? ノアが飛び降りるところを? 本当に?」
彼女の拳が小刻みに震えている。完全に破綻している。もうコレ以上は可哀想か、とも思ったが、ここで手を緩めてはいけない。
理不尽に、負けてなるものか。
「それにね、グミちゃんはもう一個、決定的な嘘を吐いたよ」
「……嘘?」
怪訝な表情でこちらを見るグミ。
ごめんね、敦子。私だけに教えてくれた秘密、グミちゃんに言っちゃうね。
未來は言った。
「ノア——野木敦子はね、超生粋のレズビアンなの。だから、元カレのことを相談するなんて、絶対、絶ッ対ッ、ありえないの!」
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