第15話
# 第15話 『二重のゲーム』
翌日はアズリエル村の祭りの準備日だった。朝から村人たちは活気に満ち、広場には色とりどりの飾り付けが施され始めていた。普段の整然とした動きとは違い、村人たちは本当に楽しそうに準備に励んでいる。これは演技なのだろうか、それとも本物の感情なのか。
私はマーリンから与えられた任務どおり、村人たちの祭り準備の様子を観察していた。しかし、心の中では昨夜の出来事とこれからの計画に思いを巡らせていた。ナーシャの警告、システムへの侵入で得た情報、そして西の森の秘密…。
「カイトさん、手伝ってもらえませんか?」
若い女性が大きな布を持って私に声をかけた。祭り用の旗を作っているようだ。
「もちろん」
布を広げて持つのを手伝いながら、私は村の様子をさらに詳しく観察した。表面上は普通の村の祭り準備だが、よく見ると下位観察者と思われる人々が戦略的に配置され、すべてを監視している。彼らは他の村人より少し動きが計算されており、視線の動かし方も違う。
昼過ぎ、ナーシャが私に近づいてきた。
「準備は順調ですね」彼は明るく言った。周囲に人がいるため、通常の会話をしているふりをしている。
「ああ、とても活気があるな」
「伝統的な祭りです。実に興味深い文化的現象でしょう?」彼は言った後、小声で付け加えた。「今夜の計画は変わりません。日没後、同じ場所で」
私は軽く頷いた。
彼はもう少し大きな声で続けた。「もし機会があれば、今日配られる特別な飲み物を試してみてください。地元の果実から作られた伝統的な味です」
「ぜひ試してみよう」
彼は意味ありげに微笑み、去っていった。その後ろ姿を見送りながら、私は彼の言葉の裏に何か意味があるのかと考えた。特別な飲み物…何か暗号めいたメッセージだろうか。
午後、私は村の広場で準備を手伝いながら、マーリンを探していた。彼の動向を把握しておく必要がある。しばらくして、村の北側にある大きな建物から出てくる彼の姿を見つけた。数人の下位観察者と何やら真剣な様子で話している。
マーリンたちが話し終えると、彼らは別々の方向に散っていった。一人が西の方角へ向かったのが気になった。
私はさりげなく西区の方へ歩き始めた。「特別な飲み物」について調べてみるという口実があれば、動き回っても不審に思われないだろう。
西区に入ると、確かに飲み物を配っている屋台があった。数人の村人が列を作っている。近づいてみると、赤紫色の液体が注がれているのが見えた。昨日売られていた特殊な染料と同じ色だ。
「これが祭りの特別な飲み物ですか?」私は屋台の男性に尋ねた。
「そうですよ、村の特産果実から作った発酵飲料です」男性は笑顔で答えた。「祭りの前日だけに振る舞われる伝統なんですよ」
一杯受け取り、少し味わってみる。甘酸っぱい風味で、微かなアルコールを感じる。特に変わった点は感じられない。
飲みながら歩いていると、昨日ナーシャと会った倉庫が見えてきた。周囲に人がいないことを確認してから、倉庫の裏側へ回ってみる。
何も見当たらなかったが、地面をよく見ると、小さな矢印のような印が土に描かれていた。西の方向を指している。ナーシャからのメッセージだろうか。
村の外周に近づくと、警備の下位観察者が立っているのが見えた。このまま森に向かうことはできない。一度宿に戻り、夜を待つことにした。
***
宿に戻ると、杯に残っていた飲み物をよく観察してみた。普通の発酵飲料に見えるが…念のため【鑑定】を使ってみる。
『対象:祭り前夜の特別飲料』
『成分:果実発酵液、薬草エキス、微量の特殊物質』
『効果:軽い高揚感、感覚の一時的な増強』
『特記:特殊物質は観察者監視システムの干渉波と共鳴する性質あり』
これは興味深い。この飲み物には観察者の監視システムに干渉する物質が含まれているようだ。ナーシャはこれを教えるために「特別な飲み物」に言及したのかもしれない。
観察者接触石を取り出し、高位観察者に連絡するべきか迷う。状況を報告すれば指示をもらえるだろうが、それはマーリンたちへの直接的な告発になる。そして、高位観察者たち全員が信頼できるとは限らない。もしマーリンの味方がいれば…。
いや、まずはナーシャと会って詳細を聞くべきだ。彼が言っていた「転移の核」に関する実験の真相を知る必要がある。
夕方、マーリンに一日の観察結果を報告した。
「村人たちの祭り準備への参加度は非常に高いです」と報告した。「特に子供たちの熱意は注目に値します」
「ふむ」マーリンは頷いた。「感情的な結合と文化的継承の研究には貴重なデータだ。明日の祭りも観察を続けてほしい」
「了解しました」
マーリンは書類に目を通しながら、何気なく質問してきた。「西区の方へ行っていたようだが、何か興味を引くものがあったか?」
一瞬、心拍数が上がったが、平静を装った。
「特別な飲み物が気になって。祭りの文化的側面として興味深いと思いましてね」
「なるほど」マーリンは少し視線を上げた。「その飲み物は村の伝統の重要な部分だ。明日はさらに特別なものが振る舞われる」
彼の目に疑いの色はなかったが、完全に信用しているようにも見えなかった。
「楽しみにしています」私は微笑んだ。「他に何か指示はありますか?」
「いや、今日はこれで良い。休息を取るといい」
宿に戻る道すがら、空を見上げると、日は既に沈み始めていた。約束の時間まであと1時間ほどある。準備をしておかねばならない。
部屋に戻ると、持ち物を確認した。ナーシャからもらった監視障害装置、システム石、観察者接触石、そして「ブルーリターン」。西の森に何があるのか分からないが、用心に越したことはない。
時間が来ると、慎重に宿を出て、西区へと向かった。夜の村は静かで、祭りの準備を終えた村人たちは既に家に引きこもっている。時折、巡回する警備員の姿が見えたが、祭り前夜の警備強化なのか、それとも別の理由があるのか。
倉庫の裏に着くと、ナーシャは既に待っていた。
「来てくれたか」彼は安堵の表情を見せた。
「説明してくれ。西の森では何が起きているんだ?」
ナーシャは周囲を確認してから、低い声で話し始めた。
「マーリンたちは『転移の核』の制御技術を開発している。西の森の中にある古代遺跡で、実験を行っているんだ」
「なぜそれが問題なんだ?観察者の仕事じゃないのか?」
「問題は二つある」彼は指を立てて説明した。「一つは、この実験が高位観察者全体の承認を得ていないこと。一部の高位観察者しか知らない秘密計画なんだ」
「もう一つは?」
「実験自体が危険すぎる」ナーシャの表情が暗くなった。「『転移の核』は単なる世界間移動装置ではない。それは現実そのものに干渉する力を持つ。マーリンの実験は安定性を欠き、空間に亀裂を生じさせている」
「その証拠は?」
「西の森で検出された転移者シグナル…あれは普通の転移者じゃない」ナーシャは意味深に言った。「空間の亀裂から漏れ出した存在だ。転移者でも観察者でもない…何か別のものだ」
これは予想外の展開だった。空間の亀裂?別の存在?
「それでも、なぜ高位観察者に報告しない?」
ナーシャは口元に指を当て、さらに声を潜めた。
「全ての高位観察者が信頼できるわけじゃない。中には、マーリンの実験を密かに支援している者もいる。さらに危険なのは、高位観察者の上にいる『彼ら』だ」
「彼ら?」
「私たち観察者も、より高次の存在に観察されている」彼は真剣な表情で言った。「『転移の核』を巡る実験は、その高次存在の注目を集めている。もし彼らが直接介入すれば…」
彼は言葉を切った。想像するだけで恐ろしいと言わんばかりの表情だ。
「では、どうすればいい?」
「マーリンの実験を止める必要がある」ナーシャは決意を込めて言った。「だが、高位観察者にも『彼ら』にも気づかれないよう、慎重に」
「どうやって?」
「まず実験施設を見に行こう。今夜は警備が手薄なはずだ。祭りの準備で多くのスタッフが村に集められている」
ナーシャは小さな地図を取り出した。「森の中の隠された道を通って、遺跡まで行ける。これが監視カメラの位置だ」
地図を見ると、確かに森の中に道があり、数か所に監視ポイントが記されている。
「そして、これを飲んでおくといい」彼はポケットから小瓶を取り出した。「祭りの飲み物にさらに特殊成分を加えたものだ。監視システムからの検出を困難にする」
私は小瓶を受け取り、中身を飲んだ。特に変わった味はしなかった。
「効果はどれくらい?」
「約3時間」ナーシャは言った。「それで十分なはずだ」
「マーリンは私を信用していないようだった」私は懸念を伝えた。「西区にいたことを知っていた」
「当然だ」彼は首を振った。「だからこそ、今夜の行動は極めて重要だ。明日からはさらに監視が厳しくなるだろう」
私たちは村の西の端へと向かった。フェンスの一部が他より薄暗く、監視カメラの死角になっているポイントがあるという。
フェンスに近づくと、ナーシャが手を上げて立ち止まった。
「あそこに警備員がいる」彼は囁いた。
確かに、フェンス近くに一人の男性が立っていた。まだ私たちに気づいていないようだ。
「どうする?」
「あの飲み物の効果を試してみよう」ナーシャは微笑んだ。「普通に歩いていけば、彼の視界に入らないはずだ」
信じ難かったが、彼の言う通りにすることにした。私たちはまっすぐに歩いていき、警備員の近くを通り過ぎた。不思議なことに、彼は全く反応せず、まるで私たちが見えていないかのようだった。
「これは…」
「監視回避効果だ」ナーシャは説明した。「あの飲み物と特殊成分が、観察者の知覚メカニズムを一時的に混乱させる。だが、直接対面すれば気づかれるから気をつけろ」
フェンスを越え、森の中に入ると、周囲はさらに暗くなった。ナーシャはポケットから小さな光源を取り出し、足元を照らした。
「この道を進む」彼は言った。「道から外れると監視センサーがある」
森の中を約20分ほど歩くと、遠くにかすかな光が見え始めた。
「あれが実験施設だ」ナーシャが指さした。「古代の神殿を改造して作られている」
近づくにつれ、施設の全容が見えてきた。石造りの古い建物に、明らかに現代的な設備が追加されている。入口には監視カメラと、少なくとも二人の警備員がいた。
「まずい、警備が予想より強化されている」ナーシャが眉をひそめた。
「どうやって中に入る?」
ナーシャは周囲を見回した後、建物の側面を指した。「あそこに換気口がある。小さいが、何とか通れるだろう」
私たちは慎重に建物に接近した。側面の換気口は地上から2メートルほどの高さにあった。
「持ち上げるから、先に行ってくれ」ナーシャが言った。
彼の肩に乗り、換気口のカバーを外す。中は暗く、狭いが、何とか通れそうだった。
「中に入ったら右に進み、最初の分岐を左に曲がれ」ナーシャが指示した。「そこから下に降りると、中央制御室の近くに出る」
「一緒に来ないのか?」
「誰かが外で見張っていないと危険だ」彼は言った。「私はここで警備の動きを見張る。これを持っていけ」
彼は小さな通信機を渡した。「何か見つけたら連絡してくれ」
私は頷き、換気口に体を押し込んだ。狭い通路を這いながら進む。金属の冷たさが体を通して伝わってくる。
ナーシャの指示通りに進み、ついに下に降りる場所を見つけた。慎重に身を降ろすと、そこは薄暗い廊下だった。壁には古代の文字と、その上に取り付けられた現代的な機器が見える。
通路を進むと、大きな部屋の入口に出た。中央制御室らしい。幸い、中に人はいなかった。
部屋には複数のモニターとコンソールがあり、部屋の中央には奇妙な装置が置かれていた。球状の構造物で、中に何かが浮かんでいるように見える。
近づいてみると、それは小さな結晶だった。淡い紫色に輝き、不規則に脈動している。これが「転移の核」の一部だろうか?
コンソールの一つに座り、データを確認してみる。【システム干渉】を使えば、アクセス権限なしでも情報を得られるかもしれない。
画面には複雑な図表と数値が表示されていた。「空間安定性指数」「現実整合率」「相転移閾値」など、理解しがたい専門用語が並んでいる。しかし、一つ明らかなのは、多くの値が「警告」または「臨界」のレベルに近づいていることだった。
さらに探索すると、「実験進捗記録」というファイルを見つけた。開いてみると:
『実験フェーズ3完了。核の部分的活性化に成功。局所的な現実改変効果を確認。』
『フェーズ4準備中。高位観察者評議会からの最終承認待ち。』
『警告:空間亀裂の拡大傾向あり。安定化プロトコルの改良が必要。』
『特記:亀裂からの『来訪者』の活動レベル上昇。遮断バリア強化済み。』
来訪者?これが西の森で検出された正体不明の存在なのだろうか。
別のファイルには、より詳細な情報があった:
『核の完全活性化により期待される効果:』
『1. 転移プロセスの完全制御』
『2. 観察者の実体化能力の拡張』
『3. 現実改変能力の獲得』
『4. 高次存在との直接接触の可能性』
これはナーシャの警告と一致する。マーリンたちは「転移の核」を使って観察者の能力を大幅に強化しようとしているのだ。しかも、「高次存在」との接触を試みている。
突然、廊下から足音が聞こえてきた。急いで机の下に隠れる。
二人の下位観察者が部屋に入ってきた。一人はマーリンのようだ。
「準備は整ったか?」マーリンが尋ねた。
「はい、村長」もう一人が答えた。「明日の祭りの最中に最終テストを実施できます。村人たちは気づかないでしょう」
「良し」マーリンは満足げに言った。「これが成功すれば、我々の地位は大きく変わる。もはや単なる観察者ではなく、能動的な存在となるのだ」
「しかし、高位評議会の全面的な承認はまだ…」
「必要ない」マーリンは言葉を遮った。「結果を見せれば、彼らも従うだろう。『彼ら』さえも…」
「転移者の協力者については?」
「カイトか?」マーリンは少し考え込んだ。「彼は価値ある存在だ。特異性を持つ転移者は珍しい。可能なら取り込みたいところだが…」
「信頼できるでしょうか?」
「わからん」マーリンは首を振った。「だが、明日の実験が終われば、もはや彼の協力は必要ない」
二人は別の話題に移り、数分後に部屋を出ていった。
彼らが去ると、私は急いでナーシャに連絡を取った。
「計画を聞いた」私は小声で言った。「明日の祭りの最中に最終テストを行うつもりだ」
「予想より早い」ナーシャの声には緊張が滲んでいた。「何か他に分かったことは?」
「『来訪者』という存在について言及していた。亀裂からやってきたらしい」
「それは…」彼の声が途切れた。「カイト、すぐに戻ってきてくれ。時間がない」
私はもう少しデータを集めようと思ったが、ナーシャの緊急性のある声に促され、退出することにした。来た道を戻り、換気口から外に出ると、ナーシャが待っていた。
「計画を変更する必要がある」彼は早口で言った。「明日では遅すぎる。今夜、実験装置を無効化しなければならない」
「どうやって?」
「これを使う」ナーシャはポケットから小さな装置を取り出した。「これは実験装置の核心部分にプログラムされたバックドア。私が密かに埋め込んでおいたものだ」
「どんな効果がある?」
「実験のエネルギー源を安全に散逸させる」彼は説明した。「即座に止めようとすると大惨事になるが、これを使えば徐々にエネルギーを下げられる」
「なぜ今まで使わなかった?」
「接近する機会がなかったからだ」ナーシャは言った。「装置を核の近くに直接設置する必要がある」
「行くぞ」私は決意した。
しかし、施設に近づこうとしたとき、突然警報が鳴り響いた。赤いライトが点滅し、警備員たちが動き始めた。
「発見されたのか?」
「違う」ナーシャが顔色を変えた。「実験装置の異常だ。まさか…フェーズ4を前倒しで開始したのか!」
施設から強い光が放たれ、空気が振動し始めた。風が急に強まり、木々が揺れる。
「間に合わない」ナーシャが叫んだ。「退避しよう!」
しかし、その時、施設の上空に奇妙な現象が起きた。空間がゆがみ、渦を巻き始めたのだ。暗い虚空の向こうに、何かが見えるような気がした。
「亀裂が拡大している」ナーシャの顔から血の気が引いた。「『彼ら』の注意を引いてしまう」
「何か他の方法は?」
ナーシャは一瞬考え込み、決断したように言った。「一つだけある。だが危険だ」
「何だ?」
「あなたの『現実改変』能力と、私の知識を組み合わせれば、実験のエネルギーの流れを変えられるかもしれない」彼は真剣な表情で言った。「だが、成功する保証はない」
「やるしかないだろう」
「よし」ナーシャは頷いた。「私はエネルギーの流れを理解している。あなたの能力でそれを変えられる。だが、マーリンにも高位観察者にも気づかれないよう、巧妙にやる必要がある」
「どういうことだ?」
「観察者は『システム』を通じて全てを監視している」ナーシャは説明した。「だが、『システム』にも盲点がある。あなたの能力で『システム』自体に働きかければ、監視の目をすり抜けられる」
「二重のゲームをするというわけか」私は理解した。「高位観察者にも、マーリンにも悟られずに」
「その通りだ」ナーシャは真剣に言った。「この計画が成功すれば、誰も本当の原因を知ることなく、実験は『予期せぬ技術的問題で失敗』ということになる」
「始めよう」
私はシステム石と観察者接触石を取り出した。【システム干渉】と【現実改変(微小)】を組み合わせれば、より強力な効果が得られるはずだ。
ナーシャは目を閉じ、何かを感じ取るような仕草をした。
「実験のエネルギーの流れが見える」彼は言った。「核から放射状に広がり、空間に干渉している」
「どこに働きかければいい?」
「核そのものではなく、エネルギーの流れのパターンだ」彼は指示した。「視覚化してみろ」
私は集中し、エネルギーの流れをイメージした。すると、不思議なことに「見える」ようになった。青白い光の筋が施設から空へと伸び、渦を形成している。
「エネルギーを分散させるんだ」ナーシャが言った。「でも、急激に変えるな。徐々に、自然な変化のように」
私は【現実改変(微小)】を使い、エネルギーの流れに働きかけ始めた。一本一本の光の筋を、少しずつ方向を変える。上昇するエネルギーを、横に、そして下方へと誘導していく。
地面が震え始め、施設からは混乱した声が聞こえた。
「うまくいっている」ナーシャが小声で言った。「続けろ」
しかし、突然、観察者接触石が強く震え始めた。高位観察者が接触を試みているようだ。
「まずい」私は言った。「高位観察者からの接触だ」
「無視できるか?」
「それは疑いを招く」私は考えた。「別の方法で…」
一計を案じ、私は接触に応じることにした。石を通じて高位観察者と接続する。
『カイト、異常事態を検知した。報告せよ』高位観察者の声が聞こえた。
「はい、アズリエル村で奇妙な現象が発生しています」私は冷静に答えた。「西の森から強いエネルギー反応があり、調査に向かっているところです」
『待機せよ。危険な状況の可能性あり』
「了解しました」私は言った。「しかし、現在の位置からでも異常なエネルギーの流れが見えます。何か情報はありますか?」
『それは…調査中だ』高位観察者の声には微妙な躊躇いが感じられた。『詳細は省くが、観測実験の一つだ』
「実験が制御不能になっているようです」私はさらに情報を引き出そうとした。「何か対処法はありますか?」
『…特殊なエネルギー干渉が検出された』高位観察者の声はより厳しくなった。『それはあなたからのものではないな?』
ここが正念場だ。嘘は通じないだろうが、全ての真実を話すこともできない。
「私の能力は確かに反応していますが」私は慎重に言葉を選んだ。「それは自然な防御反応です。このような強いエネルギーの前では、私の『特異性』が自動的に働くようです」
一瞬の沈黙の後、高位観察者が再び話した。『興味深い。それはデータとしての価値がある。観察を続けよ。だが、直接介入は避けること』
「了解しました」
『定期的に状況を報告せよ』
通信が切れると、私はナーシャに目配せした。「時間稼ぎはできた。でも急がないと」
私たちは作業を続けた。私はエネルギーの流れを慎重に操作し、ナーシャはその効果を監視する。空の亀裂は少しずつ小さくなり始めたが、完全に閉じるにはまだ時間がかかりそうだ。
「あと少しだ」ナーシャが声をかけた。
その時、施設から数人の人影が飛び出してきた。その中心にいるのはマーリンだった。彼は怒りに満ちた表情で周囲を見回している。
「隠れろ!」ナーシャが私の腕を引っ張った。
私たちは急いで茂みの影に身を隠した。マーリンたちは施設の外に出て、空の亀裂を指さしながら激しく議論している。
「エネルギーパターンが変化している」マーリンの声が風に乗って聞こえてきた。「誰かが干渉している!」
「見つけなければ」他の下位観察者が答えた。
マーリンは何かの装置を取り出し、周囲をスキャンし始めた。彼らが私たちの方向に近づいてくる。
「もうすぐ見つかる」ナーシャが小声で言った。「最後の一押しをする時だ」
「どうやって?」
「私の能力と装置を使って、エネルギーを一気に拡散させる」彼は小さな装置を取り出した。「だが、これをやると私のカバーは完全に吹き飛ぶ」
「それは…」
「覚悟の上だ」ナーシャの顔には決意が見えた。「カイト、これから私はマーリンたちに見つかる。その隙に、あなたは村に戻れ」
「だが、あなたは?」
「捕まるだろう。だが、それは想定内だ」彼は微笑んだ。「私は下位観察者として長く生きてきた。このための準備はある」
私は彼の覚悟を感じ、頷いた。
「最後に一つ」ナーシャは小さなクリスタルを私に手渡した。「これを持っていけ。真実を記録したものだ。時が来たら、高位観察者に直接渡してほしい。信頼できる者に」
「わかった」
「さあ、行くぞ」
ナーシャは立ち上がり、装置を操作し始めた。すると、彼の体から淡い光が放射され始め、エネルギーの流れに干渉していく。空の亀裂がさらに小さくなり、振動も弱まっていく。
「そこだ!」マーリンの声がした。
ナーシャは私に「行け!」と目で合図した。
私は茂みの中を這いながら移動し、森の奥へと逃げた。後ろからは怒号と、何かのエネルギー放出音が聞こえる。振り返ると、空の亀裂が完全に閉じ、光の渦が消えていくのが見えた。
ナーシャの作戦は成功したようだ。
森の中を走り続け、村の方角へと向かう。フェンスを越えて村内に戻ると、祭りの準備で賑わっていた広場は今や静まり返っている。多くの村人が空を見上げ、今起きた異常現象に困惑しているようだった。
宿に戻り、窓から西の方角を見ると、もはや光は見えない。だが、施設の方向に人々が集まっているのが見えた。ナーシャはどうなったのだろう。
ナーシャから受け取ったクリスタルを調べてみる。普通のデータストレージのようだが、システム石に近づけると反応した。
『機密情報アクセス中…』
『認証:下位観察者ナーシャ・コード#7394』
『記録:観察者実験の真実』
画面には膨大な情報が流れ始めた。マーリンたちの秘密実験の詳細、高位観察者内部の派閥対立、そして「転移の核」の本当の性質について。核は単なる転移技術ではなく、現実そのものを書き換える力を持つ古代の装置の一部だという。
さらに衝撃的なのは、ナーシャ自身についての情報だった。彼は通常の下位観察者ではなく、高位観察者から直接派遣された特殊監視員だったのだ。マーリンたちの暴走を内部から監視し、必要なら阻止する任務を持っていた。しかし、彼は任務の中で何かを発見し、方針を変えたという。
彼が発見したのは「高次存在」—観察者たちを観察する存在—についての真実だった。彼らもまた実験の一部であり、より大きな「現実探索プログラム」の中の一要素に過ぎないという衝撃的な事実。
「なんてことだ...」
クリスタルの最後には、直接私に宛てたメッセージがあった。
『カイトへ、
もし無事にこのメッセージを読んでいるなら、計画は成功したことになる。マーリンの実験は一時的に阻止されたが、それは彼らを完全に止めたわけではない。
真の脅威は「転移の核」そのものではなく、それを利用しようとする者たちの野望だ。観察者も転移者も、そして「高次存在」さえも、同じ現実という織物の一部に過ぎない。
あなたの「特異性」は特別だ。通常のシステム制約を超えており、おそらく「彼ら」さえも完全には理解していない。それを賢く使ってほしい。
信頼できると思う高位観察者にこの情報を渡し、同盟を結べ。だが、全てを明かすのではなく、必要な分だけを。
最後に—私の本当の名前はエラニス。「実験」の初期から関わってきた者だ。もう一度会えることを願っている。
気をつけて。』
メッセージを読み終え、深く考え込む。観察者、転移者、そして「高次存在」。全てが入れ子状の実験の中にあるというのか?そして私の「特異性」は何を意味するのか?
窓の外では、異変が収まり、村が再び静けさを取り戻しつつあった。だが、この静けさは長くは続かないだろう。明日の祭りでは何が起こるのか。そして、マーリンは次にどう動くのか。
クリスタルをしまい、ベッドに横たわる。今日の出来事を整理し、次の一手を考えなければならない。二重のゲーム—観察者たちを出し抜きながら、同時に彼らの協力も得る。難しい綱渡りになるだろうが、それが生き残る唯一の道かもしれない。
そして、ナーシャ—いや、エラニス—の運命も気がかりだ。彼は本当に捕まったのか?それとも何か別の計画があるのか?
「まだ終わっていない」私は小さくつぶやいた。「これは始まりに過ぎない」
窓から見える星空は、いつもと変わらず美しく輝いていた。だが今や私には分かる。その星々の向こうには、私たちの知らない現実の層が広がっているのだと。
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