薫風

へり

薫風


 子供たちのはしゃぐ声がかすかに聞こえてくる。


 暖かい今の時期は特に多くの児童が遊びに訪れる公園。そのすぐ隣には森があるのだが、打って変わってこちらにはいつも人気が無い。


 道などが整備されている訳ではない上に、葉が日光を遮るせいで昼でも辺りは薄暗い。子供は好奇心旺盛だが、こうした暗い場所はあまり好まないのだろう。


 それでもやんちゃな男子なんかが探検と称して侵入することはままある。しかし、残念ながら走り回れるような開けた場所は無く、何より森自体がさほど広くもないためすぐに興味を失くしてしまうのだ。


 そんな森の中で比較的背の高い木。その幹から伸びた枝に私は腰掛けていた。


 深い理由は無いのだが、強いて言えば落ち着くから、だろうか。それに、ここからであれば多少空が見やすい。自然を感じながら、風に流れる白い雲を見る。そんな時間が私は好きだ。


 ぼうっと葉の隙間から覗く青空を眺めていると、がさりと木々を揺らす音がした。


 野生動物でも居るのかと音のした方へ目を向ければ、そこに居たのは小学生くらいの男の子だった。


 背丈から見ておそらく低学年と言ったところだろうか。少年はまだこちらには気づいていないようだった。


「……君、こんなところでどうしたんだい」


 いきなり大きな声を出して驚かせてみようかという悪戯心が鎌首をもたげるが、やめにして普通に声をかける。その少年が今にも泣き出しそうな表情をしていたからだ。


「えっ!?」


 それでも彼は随分と驚いた様子で辺りを見回し、そして私が木の上に居ると気づいてこちらを見上げた。


まあ普通はこんな森の中で頭上から話しかけられるとは思わない。悪いことをしたなと少しの罪悪感を覚えながら、座っていた枝からひょいと跳んで少年の隣へ降り立った。


「……お姉さん、誰?」


「私は……妖精さんさ」


 何と言おうか一瞬迷ったものの、結局そう名乗ることにした。信じてくれるかは賭けなのだが、まるっきり嘘という訳でもないからとりあえず一旦納得してほしい。


「……ようせい……ってなあに?」


 すると、よく分からないという顔で質問されてしまった。確かにこのくらいの年齢ならそもそも妖精という言葉を知らない子もいるか。童話なんかでは登場する作品もあるため伝わるかと思ったが、駄目だったらしい。


 予想していなかった返答に思わず言葉を詰まらせる。


「あー、うん。……とりあえず、不思議なお姉さんってことさ。それよりも、君の事が知りたいな。どうして一人でこんなところへ?」


 誤魔化すように返事をしてから、これ以上掘り下げられる前に言葉を続ける。教えること自体は構わないのだが、上手く説明できる気がしなかった。


「……お父さんと喧嘩しちゃった」


 言うべきか悩むような様子を見せたものの、やがて少年がぽつりとつぶやいた。


 私との邂逅の衝撃で引っ込んでいた涙が再び両目一杯に溜まる。


「お父さんのお仕事で遠くに行かなきゃで……。友達と会えなくなっちゃうって聞いてすごく嫌だったの……。それで、お父さんに嫌いって言っちゃった……」


 拙い言葉ながらも少年が話してくれた内容を頭の中で整理し、なるほどと無言で頷く。


 つまり、父親の都合で引っ越すことになったという話を聞かされたが、今の友達と離れることが少年には耐えがたいことだった。


 そこでどんな会話があったのか詳細は不明だが、最終的に少年は父親に酷い言葉を言い放ってしまったと。


 ついでにこれは推測になるが、この子はおそらくその後すぐに家を飛び出して来てしまったのだろう。感情のままに走り出し、気づけばこんな森まで来てしまった。


 状況としてはこんなところか。


 さて、何と言ってあげるべきだろうと考えながら少年を見る。彼は肩を震わせながら、大粒の涙をぽろぽろと溢していた。


 この様子を見るに、少年が言ってしまった嫌いという言葉が本心でないことは想像に難くない。


 だが、一応確認を取っておくべきだ。本人にはっきりと自認してもらうためにも。


「君はお父さんのこと、嫌いかい?」


 私の問いに対して、少年は即座に首をぶんぶんと横に振る。良かった、それならやはり解決方法は単純だ。


「うん。だったら君がやるべきことはもう分かっているはずだ。今君がしたいと思っていること、あるんじゃないかな?」


「……お父さんに、ごめんなさい、したい」


 涙を必死に堪えて途切れ途切れになりながらも、少年はそう言った。それを聞いて私はにっこりと笑顔を浮かべる。


「良い子だ。……おうちへ帰ったら、ちゃんと自分の口で言えるね?」


 少年が力強く頷く。赤く充血した目には、それでもしっかりとした意志が見て取れた。これで親子関係については問題無いだろう。


 だが、私にはもう一つ解決しておきたい事があった。


「お姉さん、ありがとう! 僕、帰らなきゃ!」


「あ、ちょっと待って」


 すっかり泣き止んだ少年が駆けだそうとしたところを呼び止める。少年は不思議そうに首を傾げてこちらを見た。


「君、お友達と離れるのが寂しいって言ってたね?」


「あ……」


 さっと少年の表情が曇る。わざわざ嫌なことを思い出させてしまったことに内心で謝罪しながらも、話を止めるつもりは無い。


 彼の感じる寂しさを今ここでどうにかしてあげたいと思ったからだ。


「学校のお友達かな?」


「うん……。みんな、とってもすごくて面白いの。休み時間はサッカーとかドッジボールやって。学校が終わったらはる君とかりょう君のおうちでゲームするんだよ!」


「そっか」


「あきら君はすごく頭がよくてね、宿題とかやり方教えてもらってるんだ!」


 私は僅かに相槌を打つに止め、続きを阻害しないように努める。


 少年は始め悲しそうな顔をしていたものの、話が進むにつれて徐々に笑顔になっていった。よほど、友達の事が好きなのだろう。


 故に、反動で別れも辛いということなのだが。段々と声のボリュームが下がり、再び少年の表情が陰った。


「……みんなとお別れしたくない」


 一通り話し終えた後、少年が言った。


 それはそうだろうな、と彼の考えに同意する。幼い子供にとって、学校というのは自分の世界の半分近くを占めていると言っても過言ではないと私は思っている。


 これは単純に時間の問題で、基本的には朝起きてから夕方帰宅するまでを学校で過ごすのだ。クラスメイトや友達の存在が大きくなるのは自然な事だろう。


 もっとも、自分の趣味を見つけてそちらに没頭する児童もいるためにこれは絶対ではない。だが、この少年の場合は明らかにこちらのケースには当てはまらない。


 話を戻すが、これは非常に難しい問題である。先ほど彼は遠いところへ行くと言っていた。となれば、最低でも県を跨ぐくらいは想定してよさそうだ。


 精神的にある程度成長した高校生や、自分で収入を得ることができる社会人であれば話は別なのだが、小学生にとって県を移動するというのは非常に大きなことだ。何せ、自分一人で行くことが難しい。


 大抵は両親などを頼るか、別に保護者を用意する必要がある。電車等を利用した一人での移動というのも可能ではあるだろうが、親としては許可することは出来ないはずだ。


 となればやはり、少年にとって引っ越すという事は友達と会えなくなるという事とほぼ同意義になる。


「少年」


 私は努めて穏やかな声で呼びかける。


 ここで、きっとまた会えるさ、と上辺だけの言葉を伝えるのは簡単だ。しかしそれでは少年の寂しさは無くならない。


 いや、正確に言えば私がどんな言葉をかけたとしても、寂しさ自体を根本的に消し去ることはできないのだ。


 その感情は彼自身が抱いたものであり、他者がどうにかできはしない。だから、今の私に出来ることは彼が自分で少しでも寂しさを埋められるように、その手段を教えることだけだ。


 古来より、遠く離れた人間同士が互いの想いを伝えるための手段が存在している。


「手紙を出してみたらどうだろう」


「お手紙……?」


 少年が反芻した言葉に、静かに頷く。


 携帯電話の普及した現代ではとんと見なくなってしまったが、それでも手紙という文化自体は残っている。


 もちろん、電話口で直接会話するのが悪いという訳ではない。だが、相手の事を想いながらしたためた手書きの文章には、書き手の強い感情を込める事ができると私は思うのだ。


「会えない寂しさはきっとあると思う。でも、自分のことや友達のことを手紙を通して共有すれば。遠く離れていても君たちが友達だと、そう思い出せるんじゃないかな」


「……」


 ちょっと難しい話だったかもしれないが、少年は目を閉じてゆっくりと私の言葉を理解しようとしているようだった。


「……うんっ! 僕、お手紙書いてみる!」


 やがて目を開けた少年は、こちらを見てそう言いながら満面の笑みを見せてくれた。


 そんな彼に私もはにかんで見せる。この様子ならきっと大丈夫だろう。


 短時間会話しただけだが素直な良い子だ。新しい土地へ行ってもすぐに友達を作れるはず。彼の悩みを解決できたという安堵感から、ほっと息を吐く。


「よし、それじゃあ気を付けて帰るんだ。きっと親御さんも心配しているよ」


「うん!」


 元気よく返事をして、少年が走り出した。去っていく彼の背に手を振っていると、少年が立ち止まって振り返り、大声でこう叫んだ。


「ありがとう、お姉さん! お姉さんも、あんまり高いところに登っちゃだめだよー!」


「はは……」


 心配されてしまった事実に苦笑する。私は精霊だから怪我の心配は無いが、私を思いやる彼の気持ちに胸が温かくなった。


「ああ、気を付けるよ!」


 少年に負けじと私も出来るだけ大きな声で返事をする。そして、今度こそ去っていく彼の背中を見つめながら小さく呟いた。


「……とても優しい目をしていた。顔立ちも含めて、君によく似ているね」


 在りし日に、今日と同じような状況で出会った少年の姿を脳裏に浮かべる。帰り道が分からなくなって泣いていたあの子は、どうやら立派な大人に成長したらしい。


「ふふ」


 思わず笑みがこぼれる。気分が良くなった私は大仰な動作でゆっくりと腕を振るう。


 すると、少年の去った方へ向かって柔らかな風が吹き抜けた。願わくば、この風が彼を明るい未来へ導いてくれますように。


「おっと」


 それに続くようにして、ひゅう、と先ほどより少しだけ強い風が吹く。今度は私が干渉したわけでは無い。だが、草木の香りが混ざったその風はとても心地よく感じられた。


「はは、良い風だ」


 靡く髪を手で押さえながら笑う。そして私は風に乗ってふわりと浮き上がり、その流れに身を任せるのだった。



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薫風 へり @heri

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