番外編1-2:拒否できない言葉

始発電車の車内は、やはり静かだった。

窓の外にはまだ朝の色が届いていない。眠たげな蛍光灯が天井を照らし、規則的な揺れと車輪の音だけが、この空間を満たしていた。


僕は昨日と同じ席に座った。昨日の朝のことが、ずっと頭に引っかかっていた。


ユウナとカズハ。突然声をかけてきた二人の女性。ゲームと称して渡されたカード。そして、僕がうっかり受け入れてしまった「提案」。


『アナタがワタシたちに宣言したことは真実でなくてはならない』


あれは何だったんだろう。結局、意味は分からなかった。けれど、不思議と不安は残らなかった。むしろ、なんとなく夢を見ていたような気さえして――。


「おはよう、サトルくん」


突然、目の前に座ったユウナさんの声が、僕を現実に引き戻した。


「――あ、はい。おはようございます」


昨日と同じように、彼女は僕の目の前にちょこんと座り、にこにこと微笑んでいた。優しくて、やわらかい空気。なのに、僕の胸の奥にうっすらとした警戒心が芽生える。


「今日も来てくれてうれしい。続けてくれるんだね、この“ゲーム”」

「――正直、まだよく分かってないんです。でも、昨日は受け入れるって言っちゃったし……」


そう答えると、ユウナさんはくすっと笑った。どこかくすぐったいような、でも安心させてくれる笑い方だった。


「うん、それでいいの。じゃあ、今日も提案するね」

「――はい」


その瞬間、隣の席にカズハさんが腰を下ろす気配がした。彼女の視線は冷たいほどまっすぐで、ユウナさんとはまったく違う空気を纏っている。何も言わなくても、その目が「油断するな」と告げてくる気がした。


ユウナさんは、昨日と同じようにカードを僕に差し出した。そこには、また一文だけ、提案の言葉が書かれていた。


『僕は提案を拒否しません、と一度だけワタシたちへ宣言しなくてはならない』

「――これは?」


僕は思わず声を上げていた。昨日のよりは明確だ。でも、それだけに嫌な予感がする。


「ただの提案だよ。昨日と同じ。ワタシたちは、サトルくんがゲームをちゃんと楽しんでくれるって信じてるの」

「言うだけなら問題ないよね?」


カズハさんの声が冷たく突き刺さる。その響きに、僕は少し身を縮めた。


「――でも、なんでこんなことを言わせるんですか?」

「それは“ゲームのルール”だから」


ユウナさんが淡々と答える。僕はカードをもう一度見つめた。

『拒否しません』と一度だけ言えば、それでいい。確かに、それ自体には何の実害もなさそうだった。


「昨日の提案も、今のところ何も起こってませんし……」

「そう。だから、今日も安心して受け入れて大丈夫」


その言葉に、どこか誘導されているような気もした。でも、ここで逃げたら、自分が臆病者みたいに思えて。僕は覚悟を決めて、息を吸い込んだ。


「――わかりました。僕は、提案を拒否しません」


口にした瞬間、胸の奥が少しざわついた。でも、それもすぐに静まっていった。


「ありがとう、サトルくん」


ユウナさんが嬉しそうに微笑む。彼女のその笑顔を見ると、なんだか少しだけ安心してしまう。


「じゃあ、今日はここまで。次の駅で降りるね」

「――え? もう行くんですか?」

「あんまりしつこくすると嫌われちゃうでしょ?」


そう言って、ユウナさんが席を立ち、カズハさんも無言で続く。僕が反応する前に、二人はあっという間に車両を離れていった。


しんとした空間に、僕だけが取り残される。残されたのは、また一枚のカードと、微かな違和感だけだった。


でも、電車が次の駅に向かって走る中、僕の中である考えがよぎる。


――拒否、できなかったな。


ユウナさんの言葉に従っただけ。それだけのはずだった。けれど、もし明日、もっと困るような提案が出てきたとき――僕は、ちゃんと断れるんだろうか。


胸の中に、ぼんやりとした不安が渦巻き始めていた。


(つづく)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る