第5章 熱と静寂の距離(前編)
個人審査の訓練が始まってからというもの、ホテルの一室には連日、張り詰めた空気が漂っていた。
「もう一度、最初からお願いします!」
声が裏返りそうなほど焦りながら、ミナはダンスの振り付けを追いかけていた。リズムは完全にずれていたし、動きも硬い。隣で鏡を見つめるナオコの額には、同じように汗がにじんでいた。二人は黙々と自分たちのパートを繰り返すが、時間が経てば経つほど、その差は浮き彫りになる。
超上位スコアを持つ参加者たちは、ほんの数回の指導で完璧に振りを覚え、表現力を加えてくる。まるで、初めからその動きを体にインストールされているかのようだった。
特にシホは、異質だった。どんなステップも一度見れば即座に再現し、さらにそれを洗練させてくる。日常ではほとんど感情を見せないその彼女が、音楽が鳴り出すと一変する。唇の端がかすかに上がり、目元に光が宿る。それは“笑顔”とは違った。けれど確かに、彼女の中に何かが芽生える瞬間だった。
ミナはそれを見て、思わず声をかけた。
「……シホさん、教えてほしいです。どうしても、うまくできなくて」
訓練が終わった休憩時間、ミナは息を切らしながらシホに向かって立っていた。シホは、少しだけ目を細めた。
「……いいよ。わたしでよければ」
意外だった。冷たくあしらわれると思っていたミナは、一瞬ぽかんとしてしまった。
「わ、私も一緒に練習したいです!」
その隣で、ナオコが声を上げた。息を呑むように、真剣な目だった。
「ありがとう。ナオコさんも」
「ナオコでいいよ。」
その日から、3人の秘密の練習が始まった。
夕食後、公式の練習が終わった後、指定されたフリールームに集まってミラーの前に並ぶ。シホは教え方も的確で、どこがどうズレてるのかを一つずつ指摘してくれる。淡々としているけれど、その言葉には確かな優しさがあった。
「動きの前に、呼吸を意識して。体を音に乗せる感じで」
「それができたら苦労しないよ……」
ミナが弱音を吐くと、シホは首をかしげて小さく笑った。
「できてるよ。昨日よりずっといい。ほんとに」
褒められたことに驚いて、ミナは目を見張った。
「……ありがとう、シホさん」
「名前で呼んで。わたしも、ミナって呼ぶ」
そのやりとりを隣で見ていたナオコが笑った。
「変な感じだね。でも、こうやって練習してると……なんか忘れるね、スコアのこととか」
その言葉に、シホは少しだけ表情を曇らせた。
「そうだね。忘れられたら、いいのにね」
彼女の声には、ほんの一瞬、遠くを見るような寂しさが混じっていた。
一方、その裏側で、SNSではある種の論争が静かに燃え上がりつつあった。
《#G1Project #特別枠って必要?》
ある視聴者の投稿が、あっという間に拡散されていた。
《上位スコアの候補者が努力してるのに、スコアなしの子が“かわいい”だけで人気出るのおかしくない?》
《特別枠って、何のためにあるの?感情論で選ぶのやめて》
そう、ミナはバズっていた。
共同生活が始まってすぐ、訓練に必死になるミナの姿を別の候補生が何気なく撮った映像。それが「スコアなしの子が、めっちゃ頑張ってる」と添えられ、投稿されたものだった。
笑われるかと思った。でもその動画は「応援したい」「涙出た」と、思いがけず大きな反響を呼んだのだ。
コメント欄には、応援の声が並んでいた。
《あの子、ずっと笑顔なのすごい》
《不器用でも頑張ってるの見て、自分も頑張ろうと思った》
しかし、同時に別の角度からのバッシングも始まっていた。
《話題性だけで残されるのは不公平》
《これが“国民的”オーディション?》
Mee-Eyeはすべてを見ている。熱量、拡散数、コメント、視聴時間——あらゆる情報が評価に影響しているのだ。
ミナはそのことを、知らなかった。
彼女はただ、今日もできない自分を恥じながら、できるようになりたくて、必死に踊っている。
それを知っているのは、今のところ、ナオコとシホだけだった。
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