8・クルー 「世界の尺でお前を測るな」


 各務かがみ真人まなと。コードネームは


 「クルーー!」

この街のエントランスから、真っ直ぐこっち向かってくる声。ローだ。


 ぶんぶんと手をふりながら走ってくる姿に手をふり返さない理由を、今日は自転車を持っているせいにして、ローが近くまで来るのを待った。


 「偶然だなー。ま、オレら学校行ってる組だし、放課後となりゃ時間もかぶるか。あ、その自転車って」

「そ、フラミンゴの。虫ゴムの交換と点検も終わったし、今日来るなら返そうと思って」

「あいつなー。うちは修理屋じゃねーっての。クルーも断っていいんだぞ」

「いいんだ。好きでやってるから」

「そんならいいけど」


 ブレザーと学ラン。地毛とピンク髪。一五〇センチと一七〇センチ。こんなちぐはぐな二人が並んで歩いていても、この街はなにも言わない。


 ローは今日の学校での出来事を話しだした。「こんなことあってさー、大変だったんだよー」とか楽しげに愚直りながら、大道を進んで第四区のALアルビルに向かう。


 第五区のあたりで話題がつきたかなと思えば、今度は昼飯の内容をしゃべりだした。それが終わると、明日の朝飯の話。その次は昨日の夕飯の話。


 ローの話はつきることなく、とうとうALビルに到着してもまだ口を動かしていた。

 玄関前に自転車を停めた。一階から四階の、左側に部屋が並んだ廊下を歩く。その間もローのおしゃべりはとまらない。


 いつの間にかテーマは、今流行りのアイドルに変わっていた。

 「――だよな。クルーもそう思うだろ? でもユウスケが言うにはさ……」

といった調子だ。ユウスケって誰だろう。


 五階に着いた。それ以下の階とは違って、各部屋の壁もドアも取り払われた、広々とした空間。ここではたまにマルシェとエイカが二人技の練習をしているらしい。


 先に来ていたトウジとミドリに会釈して、窓辺にもたれる。他のメンバーが集まるまでの時間も、横で話すローの声を耳にいれていた。


「――な、ミソラも変わってるだろ。フツーそんなときにそんなことするかよって」

「うん」

「でもヒジリもなかなか変わり者でさ。先週なんて担任に髪色の注意されて、なんて返したと思う?」

「さあ」

「地毛てすっつって貫いてたんだよ。先月は緑で今月は黄色って、そんな地毛あるかよ。あいつバカだわーってみんな笑ってさ」

「そっか」

「先生も途中で笑っちゃって、けっきょくあいつの勝利だよ。ずるくねー? そんなんで通るならオレも染めてえよ」

「……え」


 その一言に、思わずローを見る。急に反応を示されて、ローも開いた口のままこっちを見つめ返す。


 ローがなにか表情を動かしたとき

「やっほお~」

ゴキゲンな挨拶でルカが入ってきた。壁ぎわの二人には目もくれず、ミドリに突進する。


 ミドリに、トウジと俺たちを手で示されると、ようやくこっちに顔を向けて「こんちわー」と頭を下げた。ローは笑顔で同じ挨拶を返すけど、俺はいつもそれがうまくできない。


 わかってはいる。ルカに悪気はない。

 彼女がたまにミドリを「ゆかり」と呼んでしまうことも、勝手にフィフスに乗りこんでいって大けがして帰ってくることも、別に迷惑をかけたいわけじゃない。単に、この心が狭いだけだ。


 俺が、薄情なだけだ。


 やがて五階に全メンバーが集合した。最後に来たエセがカバンをおくと、トウジは見渡して話を始めた。


 「みんな、集まってくれてありがとう。今日は――」

一度口を閉じる。唇を噛んでまばたき。そうして再度しぼりだされた声は、震えていた。

「今日は、大事な報告がある。いいニュースじゃない、すまないが。どころか、本当に……最悪な気分だ」


 何度も手を握ってはひらくリーダーは、やっぱり頼もしさない。わかってはいる。マキが素晴らしすぎただけだ。


 マキなら、今、いったいどんな態度で立っているだろう。


 深く三回息を吸って、トウジはやっとそれを口にした。

「タータンが、ALERTアラートからジ・エレガンスに移籍した」




 どうして、どこから、なんて考える。

 タータンの人生の歯車が狂いだしたのは、たぶんシャルがいなくなってから。ALERTの歯車がきしみだしたのは、マキがいなくなってから。俺は……両親が離婚してから。


 でもローの人生を狂わせたのは、きっと自分だ。


 あの焼き鳥屋でローを勧誘したのは冗談半分だった。でもローは目を輝かせて

「かっこいいな、お前! ピンク頭のギャングなんて初めて見た!」


 ちょっと困ってマキに相談したら

「クルーの推薦する子なら連れておいでよ」

なんて優しくほほえむ。


 どうしてマキはあんなに俺を――俺たちを信用できたんだろう。ALERTを守って、最後まで愛しぬいた人だった。なにもかも違っていた。


 ……苦しいよ。




 「結局来なかったなー、あいつ」

集会が終わって、ローはこっちに寄ってきた。

「あいつ?」

ちょっと考える。

「ああ、フラミンゴのこと」

「そーそー。あ、おいナッツ。お前ちゃんとあいつに教えたのかー」


 ローが呼びかけると、たった今外に出ようとしていたナッツはふり向いて歩いてきた。

「あったりまえでしょ。瑞乃みずのだって忙しいんだから、しょうがないじゃん」

「忙しい? なんで」

「受験生だよ、じゅ、け、ん、せ、い。ローあんた、もうちょい考えなさい、おバカさん」

「んだと~」


 楽しそうに小突きあったあと、ナッツは「じゃ」と片手をあげて五階を去った。


 空虚感。まだなにか話あっているトウジとミドリに頭をさげ、ローと一緒に階段をおりる。


 とんとんとん……。一定のペースを保ちながら、二階まで無言だったローが、ふと立ち止まった。


 三段くらいおりて、やっと気づいてふり返った。

「ロー?」

「クルーはさ、なんでそんな、オレが髪染めんのイヤがんの?」

いつもと違う視線の交わり。今はローのほうが背が高い。


「……別にイヤがってな、くはないけど」

「ほらあ! なんでだよー」

「んー……」

ちょっと悩んで、ウソをついた。

「いや、やっぱイヤがってはないよ」

「うっそだろ。それでごまかせると思ったのかよ」


 返事をせず、踊り場までおりた。もう一度見返ると、不満そうにローもついてくる。


「クルー」

「ん」

「全然バレバレだかんな、言っとくけど。オレが染めるって話題だしたら、いっつも厳しい顔すんじゃん」

「そんなつもりないよ」

「つもりなくてもだって」


 トトトって狭い階段を駆け下りて、ローは通せんぼするように前に立った。さっきまで不機嫌そうだった気配はみじんも見えない笑い顔だ。

「でもオレ、そういうクルーの反応がおもしれえから」


 それだけ言うと、ローは立ち尽くす俺をおいてALビルを出た。

 後ろ姿がまぶしかった。あいつはいつも素直で真っ直ぐで、どうしても俺たちの弟だ。それゆえ、なんだろうな。


 ビルのガラス扉を押し開けた。欠けた部分には木の板が貼りつけられた、特製の重い扉。子どもたちがこの街に侵入してきたときにはすでに、こんなありさまだったらしい。


 フラミンゴの自転車は、無事そのまま置かれていた。と思ったら、カゴのなかに『手出したらコロス』の紙。どう考えてもナッツの仕業だ。


 スタンドをあげて自転車を押し歩く。念のため家にもって帰ろう。真っ赤な自転車が一台増えたところで、父親は気づかないだろうから。


 そのとき、街の入口から誰かが走ってくるのがわかった。一瞬ローかと思うけど、あいつはあんな不安定な走り方はしない。


「あ、クルーさん。自転車すみません……」

紺色のブレザーをはためかせてやって来たのはフラミンゴだった。息を切らして、髪もボサボサ。学校からここまで走ってきたんだろう。


 実は、フラミンゴの中学がどこなのか知っている。俺の通っている工業高校のすぐ近くにあるから。ここまでは自転車でも十分以上かかるのに、なんて一生懸命なんだろう。


 そこまで考えて自覚してしまった。フラミンゴも、もうすっかりALERTの妹になっていること。


「あの、集会、もう終わっちゃいました?」

「終わっちゃったね。気にすることないよ」

「でも……ちゃんと行きたかったから。今日は補習になっちゃって」

「受験生なんだってね。勉強、がんばってるんだ」

「そうでもないです。最近はやる気でなくって、サボり気味です」

口元に手をそえて、首を少し傾けて笑う。


 初めは女子メンバーにかわいがられるだけだった彼女も、最近は男子とも話すようになってきた。まだクエストやサエやリクのことは怖いみたいだけど、ナッツに守られるばっかりのころよりいい雰囲気だ。“仲間”として、ALERTに近づこうとしているのがよくわかる。


 だから、簡単な自転車の修理を俺に頼んだ。


「そうだ。自転車、これですぐ空気抜けることはないと思う。はい」

「ありがとうございます。えっと、お金……」

「いいって。こういう作業は好きだから」

「すみません。今度、甘いもの買ってきます」

ハンドルをしっかり握って、フラミンゴはまた首を傾けた。

「ローさんが、クルーさんは甘党だって言ってたので」


 ああ、マキの愛はこういうことだったのか。こうやって誰もを好きになっていったんだ。


 言葉のきついローのフォローのために、はじめっからフラミンゴと話すことが多かった。彼女も彼女で、ずっとこまごました作業ばかりの俺ならあんまり緊張しないみたいだった。

 きっかけは、その程度だ。


 昔からそうだった。こんな薄情者だから、傍観者だから、同じクラスの人たちとはうまく話せなかった。仲よくしてくれたあいつにも、結局心をひらくことができなかった。


 まったくの他人なら話は別。通りがかり、駅員、店員、そんな人になら案外平気で声をかけられる。むしろ感じのよさを演じて、若者の株を上げているくらいだ。


 だからフラミンゴは好都合だった。仲間だけど仲間じゃない。少なくともALERTに所属してはない。

 あえてその位置に名前をつけるなら、彼女は“ペット”だろう。


 ローは違う。俺がこの街に誘い、俺がこの世界を与えてしまった。ただの不良で終われたかもしれないのに、曲がりなりにもギャングの世界に。責任は、ここにある。




 高校の近くまでフラミンゴを送った。


「ごめんな」

君を、ALERTの大事な要素にしてしまってごめん。まだ逃れられたはずなのに、ローと同じ轍を踏ませてしまった。


 前カゴのなかの紙に気がついて、吹きだして笑うような純粋さが俺は怖い。「はるちゃんらしいですね」と見上げる瞳におびえた。俺が話しかけなければ、彼女はALERTに居所を見出さなかったかもしれないのに。


 風が吹いた。恵みなんて呼ばなそうな乾いた空気に、どこかで季節外れの風鈴が泣いた。完全に日の落ちた下町ではなおさら、ハデなピンク頭が目立つ。えりあしの髪を指でつまんだ。少し傷んでいた。


 辺りをあてもなく歩きまわって、最終的に家に帰ったのは九時を過ぎてからだった。なのに父親はまだ帰宅していないようだ。


 冷蔵庫をあけた。一番上の棚には、缶ビールが横向きにぎっしり詰まっている。

 そこから二本を取りだして縁側に出た。むやみやたらに茂るなにかの低木の上でビールをひっくり返す。苦っぽい匂いが不快だ。


 からっぽになった缶を足もとに転がして踏みつけた。握力だけじゃあつぶせないことは検証済みだから。


 狭い庭を汚したまま台所に戻った。

 冷蔵庫から今度は麦茶をだしてコップに注いだところで、玄関の引き戸が動く音がした。


 まったく、帰るならもっと早いか遅いかにしてほしい。あわてて麦茶を飲みほしてコップを流し台に隠した。それとほぼ同時に父親が居間の間仕切りカーテンから顔をのぞかせた。


「なんだ、帰ってたのか」

「さっきな」

ほら、かっこ悪い。不良って親よりもよっぽどあとに家に帰るもんだろ。


 部屋に引っ込もうと、父親に背を向ける。背後で、パタっと冷蔵庫があけられた。

「……また飲んでたのか」

父の声を無視して居間を出た。



***



「すっげー! めっちゃ目立つな、その髪。すげえかっけー!」

「……ありがとう。そんなに褒めるようなもんでもないけど」

「オレも染めよっかな。ALERT入団できるなら記念にさ。ちょうどいいと思わねえ?」

「や、うん。あのさ、今はまだ誘っただけの段階だから。リーダーに許可してもらわないと正式には――」

「じゃ早く連れてってくれよ! サイアク入団できなくってもいいかもな。ALERTってあれだろ、十人の大人を倒したっていう」

「クエストのことか、そうだよ」

「へえ! クエストってんだ。会ってみてえんだよな。それだけでも満足だよぜってえ!」


完璧に舞いあがってしまったローは、今の赤ちゃんティラノみたいなローよりも扱いに苦戦した。何を話しても嬉しそうだし、声はずっとでかいし。


 「あ、でもやっぱりさ」

ボトルクレートを積んで板をわたしただけの屋台テーブルに肘をついて、ローは目を輝かせていた。焼き鳥屋のおじさんが、営業妨害な不良を追い払ってくれた礼にとごちそうしてくれた串に手をつけず、ALERTのことばかり尋ねてくる。


「やっぱりちゃんと認められてえから、注意しとくポイントとかねえの? リーダー直々に面接してくれるとか、ぜいたくすぎだろ」

「そんな大仰なもんじゃないって。……焼き鳥食べなよ。お前の手柄だろ」


ローはねぎまのタレを一本だけとって、あとの皿をこっちに寄せた。

「紹介料っつーの? オレからの礼ってことで」

「……金は払ってないくせに」

「身体は張ったろ」


 モモ塩の串に手をのばしつつ、ローが俺たちの仲間になることはわかっていた。あのマキのことだから、よっぽどのなにかがない限り、希望者を拒むことはないだろう。まして、こいつなら。


 「――ひとつ条件がある」

ローは串にくっついた肉を歯でけずりながら顔をあげた。邪気っけなんてまるでない瞳だった。

「入団しても、髪は染めるな」


 四秒、ぽかんと口をあけたあと「なあんでだよ~」と嘆くローを放って、席を立った。


 自分でもよくわからない。なぜあんな条件をつけたのか。そんなことしても、こいつはALERTを諦めないのに。


 次の休日に、ローをあの腐った街に連れていった。

 何度注意してもキョロキョロと落ち着きがないから、そのうちローの頭をおさえつけながら歩くはめになった。はた目には、俺がいじめてるみたいに映っていただろう。


 しばらくそのまま歩いて、八百数やおかずビルに入る直前でローは足をとめた。のぞきこんだ顔は硬かった。


 なにか、気の利いたものをかけてやりたかった。俺自身の言葉、こいつのためになる言葉を。


「――価値観」

「へ?」

「お前のなかの価値観とか、ものさしとか」


 話しながら、思い出すのは俺の入団試験でのことだった。忘れるはずもない、だけど風化していってしまう記憶。あの日のマキとクエストの声をなぞるように、舌を動かした。


「お前のものさしで世界を測るなよ」


――『君のものさしで世界を見ちゃダメだ』


「ここに生きてるのはお前だけじゃない。隣を歩く人のことも考えるんだ」


――『この世にいるのは君ひとりじゃなくて、隣を歩く仲間がいる。みんなのことを忘れないでほしい』


 ローの口元が少しゆがんだ。どうしてこんなところで道徳の授業を始めるのかと、明らかに機嫌が傾いていく。


「それから」

語調を強めた。

「それから、もうひとつ大事なこと。――世界の尺で、お前を測るな」

ローが目を見開いた。俺自身でも噛みしめるように、くり返す。


 「世界の尺なんかで、お前を測るな。そんなものにとらわれてちゃ、それはいつかお前じゃなくなる。俺はさ……」


――『オレは君が気に入ったから、ALERTに入れたい。だから君には、そのままでいてもらわないと困るんだ世の中の製氷皿にはめられて、カチコチになれないでくれよ』


 ローを見る。おそらくこれから、決してきれいじゃない青春をともにする仲間だ。こいつにかける言葉なんて、はじめからひとつしかなかったんじゃないか。


「俺は……お前が好きだから。そのままでいてほしい。……受け売りだけどな」

「なんだよ、お前のコトバじゃねえのかよ」

ローは鼻の下をこすった。


「感動返せよなー」

「へえ、感動したんだ」

「感情が動いただけっつーの!」


 でもお前、マキに会ったら本物の“感動”を知るよ。


 ローの背中をたたいて、手をそえたまま八百数ビルに誘導した。その目はもう震えていなかった。



***



 目が覚めた。

 ベッドの上で単語帳を広げながら、いつの間にか眠っていたらしい。カーテンも閉め忘れた窓からは、朝の太陽が俺をのぞきこむように昇っている。


 時計を確認すると、八時前。……あれから十時間も寝ていたのか。


 足もとに脱ぎ捨てたままの学ランにはシワがついていた。アイロンをかける暇はない。シャワーを浴びたらすぐに家を出よう。できれば遅刻はしたくないから。


 学校じゃ俺は、ただの一匹狼。髪は染めていても制服は着崩さないし、タバコも吸わない。クラスの人たちは、俺がギャング団にいるなんて思いもしないだろう。


 誰もが持ってる二面性、それを手に入れたくて俺はALERTに入っているんだから。




〈 『ALERT』を選んで、読んでくださりありがとうございます!

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近況ノート→ https://kakuyomu.jp/users/A-Poke/news 〉

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