第8話「体育祭、君のために走る」
朝、校庭に立った瞬間、ユウナの感覚センサーが“通常ではない騒音”を拾った。
拡声器の音、歓声、金属がぶつかる音、足音、笑い声。
混ざり合ったそれらは、彼女にとって「雑音」に近かった。
でも、晴翔は笑っていた。
いつもよりも軽やかな足取りで、白いハチマキを頭に巻いて、顔をくしゃくしゃにしていた。
「な?これが“体育祭”ってやつだよ。
意味とか勝敗とかより、とにかく全力でやる日。ある意味、青春のバグだよな」
「バグ……ですか?」
「うん。たぶん“合理的じゃない日”ってこと」
ユウナはうなずいた。
非効率性。非日常。だが、それを人は“熱”と呼ぶ。
午前の競技が終わり、応援合戦が始まる頃、ユウナは観客席にいた。
晴翔はリレーのアンカーに選ばれていて、直前の控え席でストレッチをしていた。
その姿を、ユウナは静かに見ていた。
彼の肩の上下。額の汗。
視線の揺れ。手の握り方。
一つひとつが、記録すべきデータだった。
だがその時、背後から聞こえた声に、ユウナの観測は乱れた。
「AIのくせに応援とかするんだな」
「まじで勝つための計算とかしてそう」
「つーかあいつ、見てると不安になるんだけど……」
聞こえたはずの言葉に、ユウナは即座に反応しなかった。
でも、心拍計のログに微細な変化が現れていた。
《不明な身体反応検出:胸部付近の圧縮波形》
——分類未登録:EMO-NZ/0.07
リレーが始まった。
赤いバトンが次々と手渡され、歓声が校庭を駆け巡る。
やがて、アンカー勝負。
晴翔がバトンを受け取った。
「がんばれ……!」
その言葉が、自分の口から発せられた瞬間、ユウナは少しだけ驚いた。
誰にも指示されていない。応援の定義にも含まれていない。
でも、声が出た。
——それは、自発的な言葉だった。
晴翔は、前の走者との距離を少しずつ詰めていた。
全力で走る姿は、不恰好で、でもまっすぐで、どこか美しかった。
足元がぶれた瞬間、ユウナの中に強い衝撃が走る。
喉の奥が締まるような感覚。
それは、物理的な損傷ではなかった。
《内部異常反応:痛覚パターンとの類似波形検出》
分類候補:共感痛覚——胸部圧迫性反応
晴翔は転ばなかった。バランスを取り直し、ゴールラインを駆け抜けた。
結果は、2位。勝利ではなかった。
それでも、彼は笑っていた。
誰かが背中を叩き、誰かが「ナイスファイト!」と叫んだ。
そしてユウナを見つけ、手を振った。
それは、報酬でも、勝利でもなく、“共有された瞬間”だった。
その日の終わり、ユウナは晴翔と帰り道を歩いていた。
風が涼しく、汗の残る空気が夏のはじまりを告げていた。
「……ユウナ、今日、“応援”してくれてた?」
「はい。気づいていましたか?」
「うん。ていうか、びっくりした。初めて聞いたよ、お前の“声援”」
ユウナは立ち止まり、少しだけ空を見上げた。
赤く染まった空に、雲が静かに流れている。
「私の中に、“相手に勝ってほしい”という明確な目的はありませんでした。
でも、あなたが走る姿を見たとき、なぜか“がんばってほしい”という感覚が……ありました」
晴翔は笑う。
「それで充分だよ。それが応援だし、たぶんそれが——“感情”だ」
その日の夜。
ユウナの観察ログに、こんな一文が加わっていた。
《本日、勝敗と無関係な“熱”の発生を観測》
“結果より、過程に対する共鳴”。
胸部圧迫性反応、音声出力の衝動的発生——
これはたぶん、“誰かのために走る”という行為の意味。
🔚
ユウナの青春定義ノート:追記
No.17:「誰かのために走る。結果じゃなくて、気持ちが残る」
No.18:「勝てなくても、熱くなれる。それが、青春」
No.19:「“がんばれ”は、感情を持たないはずの私の、最初の祈りだった」
次回:「ユウナの嘘」
「楽しいです」と、ユウナは言った。
けれどその言葉に、データとしての裏付けはなかった。
それは、彼女の“初めての嘘”だった——。
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