第1章 セルン

第1話 ジュネーヴ・コアントラン国際空港

CERN

2008915


 今回のCERN訪問は、文部科学省からの派遣である。文科省の大学共同利用機関法人の高エネルギー加速器研究機構(KEK)から宮部明彦博士、国立研究開発法人の宇宙航空研究開発機構(JAXA)から湯澤研一博士、それから文科省の広報が手配した日経サイエンス契約のジャーナリスト岬麗子女史。宮部と湯澤は大学の同期生で37才の同年輩の独身である。岬は32才の独身。CERNの彼らの担当者は加速器開発主任研究員の島津洋子博士で、彼女もプロファイルによると37才の独身のようだ。大学などの高等教育機関への進学で晩婚化が進行している象徴のような集まりである。島津と宮部、湯澤はテレカンでは何度も話しているが、実際に会うのは初めてである。


 三人はジュネーヴ・コアントラン国際空港で入国した。成田11:55発アムステルダム経由でジュネーブ着08:35のKLM便だ。飛行時間は13時間40分。機内の夕食が終わった後、宮部は岬に簡単なブリーフィングを行った。


「岬さんはレジュメのよると理学部物理科卒なので、この方面の知識はあるということですよね?」と宮部が岬にたずねた。


「大学1、2年生の物理科必修科目程度の知識とお考えください。物性理論の研究室で、磁性、高温超伝導、固体電子に関しては知っておりますが、量子力学や素粒子物理学などはあまり詳しくありません。科学ジャーナリストが一般的に知っている知識程度と考えていただければいいのですが・・・」と岬は答えた。


「ああ、それだけわかれば十分ですよ。磁性、高温超伝導、固体電子の一般的な知識があれば、我々がCERNに提供している衝突点用強収束四極磁石や超流動ヘリウム冷却システムもわかりますよ。今回、文科省から指示を受けているのも我々の提供しているこれらの技術とパーツユニットの検証なのです。ただ、ご存知のように、文科省広報から言われているのが、CERNに日本政府が支援している計138.5億円の加速器建設協力内容を、マスコミ媒体、つまりあなたを通じて広報アピールして欲しいということです。だから、CERNの担当者の島津博士とは少々難しい話もしますが、できるだけ広報アピール向けの解説を加えたいと思っています」

「わかりました。よろしくお願いいたします」と岬は答えた。


「ええっと、まあ、機内だし、堅苦しいのは止めましょう。呼び方から変えましょうよ。岬さんは私をアキヒコと呼んでください。私も岬さんをレイコさんと呼びますので。あ、あっち、湯澤はケンイチね」と宮部が彼らの座席の通路を挟んで向こう側に座っている湯澤を指差した。宮部が2D、岬が2Gで、湯澤は2Kに座っている。


「レイコさん、ケンイチです、よろしく。アキヒコのやつ、女性対応となると自分が前に出て、ボクは後方に回るのですよ。ズルイですよ。ところで、レイコさん、お酒飲めますか?ボクはグレンフィディックのロックをいただきますよ」と湯澤が岬に言う。

「あ、ユザワ・・・ケンイチさん、私も同じものいただきますわ」

「おお、同じ好みで。アキヒコも同じか?」

「ああ、私も同じものを」


 湯澤は通りがかったCAを呼びとめて彼らの飲み物を注文した。


「え~、あ!日本人の方。じゃあ、日本語で。中野さん?」と湯澤がCAの胸のネームプレートを見ていった。「ボクら三人ともグレンフィディックのロックをいただけますか?何度もオーダーするのも気が引けるからトリプルでお願いします。それから、カマンベールあります?」

「ございますよ」

「そう、じゃあ、カマンベールと、あの柿ピーありますか?」と湯澤がたずねると

「湯澤様、柿ピーもあります、さすがにベビースターラーメンはございませんが」と中野さんが笑って答えた。

「さすがKLMだ。ベビースターラーメンはいいですよ。小さい時の好物でしたが。中野さん、アムスで降りちゃうの?ボクらジュネーブまで行くのだけど・・・」などとCAから連絡先を聞こうとしている。岬がそのやり取りを聞いてクスッと笑っていた。


(女性対応となると自分が前に出て、ボクは後方に回る、って前方に出るのは湯澤さんのことじゃないのかしら?)


 酒がきて三人は乾杯をした。「うまい。シングルモルトはうまいなあ。重いから成田じゃ買わなかったが、着陸前にウィスキーを仕入れておこうか?三人で2本ずつ買えば6リットルになるぞ。寝酒には十分だろう?」と湯澤が言った。

「ケンイチ、滞在が1週間で、毎日1本空けるのか?」

「おまえが飲まなかったらボクが飲むからさ。レイコさんの分はボクが払うから、税関チェックのときだけお願いしますね」

「え、私が払いますよ」

「いや、どうせ、ボクが飲んじゃうんだからボクが払います。さて・・・」と湯澤が岬に話し始めた。

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