バーバーサトウ

扶良灰衣

第2話

よしこは二十六歳で結婚したが、当時はしては行き遅れの嫁入りだった。よしこの写真を見て佐藤喜実次は美人のよしこを気に入った。よしこも佐藤という同じ苗字で、親戚でもなかったが、手続きも楽だったので籍に入った。

よしこの夫の喜実次の性格は菫に引き繋がれた。喜実次は気に入らないと激しく怒って、怒鳴り、罵詈雑言、暴力を振るった。よしこへの喜実次の扱い方は、まるで奴隷の様だった。よしこ自身もそれを当たり前だと思っていたので、そういう時代だったという事で不幸に思うことはなかった。先の戦争中、戦後も配給品の糧食は、台所に裸で置いておいても、鼠さへ齧らなかったと言っていた。

よしこは理髪師の仕事の技術は得意ではなかったが、コミュニケーション能力と商才に長けていて、株や土地に早くから目を付けて不動産取引や株を購入して、じっくりと待ってから売買を行っていた。それが幸いして潤沢な資金があった。だからお金に困ることはなかった。だが、子供は姉妹二人だけだったので、男手が必要だった。つまり婿養子を迎え入れる事だった。

菫は本当は銀行で働きたかったが、親の無言の圧力で髪結いの女となった。

菫は自分の事を人に言われるのを極端に嫌った。銀行に勤めて働きたかったことに加えて、理髪師というブルーカラーの職業になったことへの恥かしさからか自分の立場を考えあぐねていて、もっと違う人生を選択するべきだったと思っていた。特になりたい職業はなかったが、将来のビジョンを壊された感じがしたからだ。背広を着て仕事をするようなホワイトカラーの職業が理想だった。父の喜実次が外出する時に誂えた背広を着ているのを見ているのが好きだったからだ。

父親の弟子たちがいたので、店に出ている時は専ら店の賑やかしをしているのが菫の仕事でそれを好んだ。よしこもそんな役割だった。当時は床屋に客が待っているのが当たり前で繁盛していて店はいつでも明るかった。

吉窪と何回か会って、菫は吉窪と結婚式を挙げた。

吉窪にとっても菫にとっても初めての異性だった。

初めての吉窪とのキスで、菫は何か動物の獣臭さを感じた。男の人はみんなこうなのだろうか、それとも吉窪の臭いなのか、初めて男に触られたので分からなかったが、吉窪とのキスはあまり好きではなかった。2年間は子供ができなかった。田舎に戻った吉窪は同業者に「佐藤さんは入れる穴間違えているんじゃないか」と揶揄われたりした。

始め吉窪は自分の名字が変わったことに鈍感だった。佐藤さんと呼ばれても反応しないことが度々あったが、次第に慣れていった。

菫はとって初めての性交は(吉窪も初めてだったらしいが)すぐに終わった。痛みを感じたし、面倒くさかった。だが菫は子供が欲しかったし、結婚して子供がいないなんて恥ずかしかった。だが当時は妊娠を期待されているのが、当たり前の事としている風潮があったし、菫もそれについていても分かっていた。不妊治療なんて考えもなく、いつか子供ができるだろうと性交を重ねた。母のよしこも孫を、特に男の子ができるのを楽しみにしていた。

吉窪との交わいで快感を感じる様になってきたが、性交自体があまり好きではないと気付いた。面倒なのだ。そして喘ぎ声を出すことは、はしたないことだと思っていて、いつも歯を食いしばり一言も発しなかった。月光と街灯の光が部屋の中に差している灯りだけの中、歯を食いしばり男の下で声が漏れるのを耐えている、それが菫という女だった。

声を出すのが当たり前だということを誰にも菫は聞いたことがなかった。閨房の秘密を大人は教えてくれなかった。

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