第30話「揺らぐ世界の中で」
孝史は、教室の隅に立ったまま、カーテン越しの光をじっと見つめていた。昼下がりの光は柔らかく、風に揺れるカーテンが半透明の波のように漂っている。そのリズムに合わせるように、彼の呼吸もわずかに整っていた。けれど、心はざわついていた。午前中に起こったちょっとした“ズレ”が、まだ頭の中でくすぶり続けている。
担当している委員会の活動内容が突然変更されたのだ。学校全体の方針として、全体での調整が必要だという理由だった。その説明も納得がいかないわけではない。けれど、彼の中にはどうしようもない違和感が残っていた。
決まったことが、変わる。日常だって、ルールだって、人間関係だって、そういう風に“揺らぐ”ことがあると頭では分かっている。だが、それでも孝史は、自分の足元の地面が一ミリでも傾いたような不安に、簡単には慣れなかった。
彼は一貫性を大切にしていた。小さなことでも、決めたことは守るべきだと思っていたし、自分の生活にもその姿勢を反映させていた。朝の支度の順番、勉強の進め方、ノートの取り方、言葉選び……それら全てが彼の心の中にある“整った世界”の支えだった。その支えが崩れそうになると、自分の芯まで揺らぐような気がしてしまうのだった。
(たかが予定変更、なのに……なんでこんなにぐらついてるんだろう)
自嘲気味に唇を噛んだ。変わることに弱いのは、成長できていない証拠だろうか。他の人たちは何事もないように動いている。自分だけが柔軟さに欠けているのかもしれない。そんな風に考えると、胸の奥に小さな痛みが生まれて、じわじわと広がっていく。
そのときだった。窓際の机の上に、小さな白い封筒が置かれているのに気がついた。さっきまではなかった。まるで彼がここに立ち止まるのを見計らっていたかのように、そこにある。
手に取ると、封筒は温かく、光に透かすとごく薄い青の筋が浮かび上がった。表面には、丁寧な文字でこう記されていた。
「変化に立ち尽くすあなたへ」
指先が微かに震えた。恐る恐る封を開けると、中には滑らかなカードと、たった数行の言葉。
「あなたが揺らぐのは、真剣に向き合っている証です。変わることに弱いのではなく、大切にしているからこそ不安になる。守りたいものがあることは、強さです。」
読み進めるうちに、孝史の中で張りつめていた何かが少しずつほどけていく。変化を怖がることは、悪いことではなかった。むしろ、変わらないように懸命に支えようとする姿勢は、自分にとっての“やさしさ”だったのかもしれない。
スマホが震えた。画面に新しく浮かび上がったアイコン「Axis」。中心に向かって静かに収束する同心円の図柄。タップすると、白い画面に一行だけの言葉が表示された。
「揺れながらも、あなたの軸は、そこにある。」
孝史は、目を閉じて深く息を吸い込んだ。そして、小さくうなずいた。不安になるのは、自分が何かを大切にしている証。その“揺れ”さえも受け入れることで、自分はまた一つ強くなれるかもしれない。
夕陽が、カーテン越しに床を優しく照らしている。孝史はカーテンに手を添えて、その柔らかな波打ちを見つめた。変わっていく日々の中でも、揺れながら、自分の軸を探していこう――そう思えるだけで、少しだけ、歩き出せる気がした。
終
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