第3話 赤い女の踏切

ねえ、知ってる?


○○線沿いにある“白鷺踏切”、

夜に渡ると、赤い服の女に出会うことがあるんだって。


目が合ったらアウト。

その日中に、自分の“大切な人”が、理由もなくいなくなる。


事故だったり、病気だったり――

ただ、何かが終わる。


見えてしまった人は、

きっと、その何かを“失う準備”ができてなかった人だって、言われてる。



わたしは、それを見た。


部活帰りの薄暗い踏切で、

赤いワンピースの女が、柵の向こうに立っていた。


髪で顔は見えなかった。でも、視線だけは、確かにこっちを向いていた。


その夜、弟が事故に遭いかけた。


買い物袋を抱えて横断歩道を渡ろうとしていたところを、わたしが間一髪で引き戻した。


それでも、冷たい汗が止まらなかった。

弟の手を握る指が、少し震えていた。


あの赤い女のせいだ。


なにかを――“連れてきてしまった”気がした。



その古本屋には、妙に静かな空気があった。


貼り紙に吸い寄せられるように、扉を開けた。

《都市伝説、買います。》


レジの奥にいた男は、わたしを一目見て言った。


「“見えた”んだね、赤い女」


「……え?」


「守ったね。誰かのことを。

でも、守った瞬間、何か別のものを差し出す覚悟は――ある?」


久遠と名乗った店主は、ノートを開いた。


「語っていい。“語る”ことで、伝説になる。

その代わりに、“何か大切なひと欠片”をもらう」


「……何を?」


「君の弟の“好きな料理の作り方”。

たとえば、卵焼きに入れるひとつまみの砂糖とか、あの子が好きって笑ったレシピとか。

……そういうの」


わたしは黙った。



弟は、カレーが好きだ。

辛口じゃなくて、ほんの少し甘いやつ。


わたしの作るカレーじゃなきゃ嫌だって言って、外食に連れてっても機嫌が悪くなる。


最初に作ったのは、小学六年のとき。

焦げてて、ルーも足りなかったけど、それでも笑ってくれた。


あれは、わたしにとっての、たったひとつの“自信”だった。


……だからこそ、迷った。


料理なんて、また覚えればいい。

でも、あの味だけは――わたしの中の“お姉ちゃん”としての証だった。


「本当に、それを渡したら、弟は助かるんですか?」


「保証はしない。

でも、“渡さなければ、奪われる”こともある。

都市伝説は、そういうバランスでできてるから」


静かに、久遠が言った。


わたしは、ペンを取った。


文字が震えていたけど、それでも最後まで書いた。


それからあの女は、二度と現れなかった。



その日の夜、弟は学校からまっすぐ帰ってきて、靴を脱ぎながら言った。


「ねえ、今日カレーにしてくれない?」


その言葉を聞いたとき、

わたしの胸の奥が、かすかに凍りついた。


「あの、ちょっと待ってて……」

台所に立ち、冷蔵庫を開けた。


カレーの材料は揃ってる。

でも――何をどう入れたら“あの味”になるのか、まったく思い出せなかった。


甘くするんだっけ?

スパイス足すんだっけ?

ヨーグルト入れるんだっけ?


なにか、なにか、大事なものが足りない気がして――


「ごめん、今日はハヤシライスでもいい?」


そう言うと、弟はちょっと意外そうな顔をしたあと、

「あー……いいよ、たまには」って笑った。


なんでもないみたいに。

わたしのこと、ずっと信じてるみたいに。


でも、胸の奥で静かに何かが落ちた音がした。



数日後、駅前の通りで赤いワンピースを着た女の人とすれ違った。


一瞬、息が止まりそうになったけど――

その人はただの通行人だった。


髪をまとめて、イヤホンをして、スマホを見ながら歩いていた。きれいな人だった。


わたしは、ほっと息を吐いた。


もう、“あの人”はいない。

でも、もしまたどこかで見かけたとしても、

わたしは――もう、ちゃんと選べる。



夕飯を食べながら、弟が言った。


「ねえ、お姉ちゃんのカレーってさ、ちょっと甘かったじゃん?

あれ、もう一回食べたいなー」


「……覚えてるんだ」


「そりゃあね。

あれってさ、なんか“お姉ちゃんの味”って感じだった」


わたしは笑ったけど、少しだけ目が熱くなった。


もう、あの作り方は思い出せない。

でも、わたしが作った料理を、あの子が覚えててくれた。


それだけで、十分だった。



「いやー、泣いた。うん、これ泣くやつっすよ久遠さん」


チカゲが、ホットカーペットに寝そべりながら感情を爆発させている。


「“味”って、“記憶”でできてるんですね。

失っても、食べた人の中に残ってるとか、なんかこう……エモい」


久遠は帳面を閉じながら答えた。


「たぶん、彼女にとっては、味そのものより

“誰かのために作った記憶”のほうが、よっぽど大事だったんだろう」


「いやでも、弟くんも気づいてたよね。

“あの味じゃない”って。

それでも“うまい”って言える関係、あれが家族だよぉ……」


「そうだね。

愛って、正解を“思い出す”んじゃなくて、正解を“更新する”ものなのかもね」


風鈴が、ひと鳴り。


今日の都市伝説は、言葉にならない想いとともに、夜のなかへ消えていった。



次に売られる都市伝説は──

**「狐の嫁入り」**です。


雨も降っていないのに、傘を差して歩く者たちがいる。


その列は細く長く、笑っているのか泣いているのか、わからない。


伝説によれば、あの列に加わった者は、

この世に“戻ってこられなくなる”らしい。


でも彼は、あの日の面影を探して、その行列に紛れ込んだ。


都市伝説、買います。

次回「狐の嫁入り」──今週末祭りは静かに始まる。

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