第3話 赤い女の踏切
ねえ、知ってる?
○○線沿いにある“白鷺踏切”、
夜に渡ると、赤い服の女に出会うことがあるんだって。
目が合ったらアウト。
その日中に、自分の“大切な人”が、理由もなくいなくなる。
事故だったり、病気だったり――
ただ、何かが終わる。
見えてしまった人は、
きっと、その何かを“失う準備”ができてなかった人だって、言われてる。
*
わたしは、それを見た。
部活帰りの薄暗い踏切で、
赤いワンピースの女が、柵の向こうに立っていた。
髪で顔は見えなかった。でも、視線だけは、確かにこっちを向いていた。
その夜、弟が事故に遭いかけた。
買い物袋を抱えて横断歩道を渡ろうとしていたところを、わたしが間一髪で引き戻した。
それでも、冷たい汗が止まらなかった。
弟の手を握る指が、少し震えていた。
あの赤い女のせいだ。
なにかを――“連れてきてしまった”気がした。
*
その古本屋には、妙に静かな空気があった。
貼り紙に吸い寄せられるように、扉を開けた。
《都市伝説、買います。》
レジの奥にいた男は、わたしを一目見て言った。
「“見えた”んだね、赤い女」
「……え?」
「守ったね。誰かのことを。
でも、守った瞬間、何か別のものを差し出す覚悟は――ある?」
久遠と名乗った店主は、ノートを開いた。
「語っていい。“語る”ことで、伝説になる。
その代わりに、“何か大切なひと欠片”をもらう」
「……何を?」
「君の弟の“好きな料理の作り方”。
たとえば、卵焼きに入れるひとつまみの砂糖とか、あの子が好きって笑ったレシピとか。
……そういうの」
わたしは黙った。
*
弟は、カレーが好きだ。
辛口じゃなくて、ほんの少し甘いやつ。
わたしの作るカレーじゃなきゃ嫌だって言って、外食に連れてっても機嫌が悪くなる。
最初に作ったのは、小学六年のとき。
焦げてて、ルーも足りなかったけど、それでも笑ってくれた。
あれは、わたしにとっての、たったひとつの“自信”だった。
……だからこそ、迷った。
料理なんて、また覚えればいい。
でも、あの味だけは――わたしの中の“お姉ちゃん”としての証だった。
「本当に、それを渡したら、弟は助かるんですか?」
「保証はしない。
でも、“渡さなければ、奪われる”こともある。
都市伝説は、そういうバランスでできてるから」
静かに、久遠が言った。
わたしは、ペンを取った。
文字が震えていたけど、それでも最後まで書いた。
それからあの女は、二度と現れなかった。
*
その日の夜、弟は学校からまっすぐ帰ってきて、靴を脱ぎながら言った。
「ねえ、今日カレーにしてくれない?」
その言葉を聞いたとき、
わたしの胸の奥が、かすかに凍りついた。
「あの、ちょっと待ってて……」
台所に立ち、冷蔵庫を開けた。
カレーの材料は揃ってる。
でも――何をどう入れたら“あの味”になるのか、まったく思い出せなかった。
甘くするんだっけ?
スパイス足すんだっけ?
ヨーグルト入れるんだっけ?
なにか、なにか、大事なものが足りない気がして――
「ごめん、今日はハヤシライスでもいい?」
そう言うと、弟はちょっと意外そうな顔をしたあと、
「あー……いいよ、たまには」って笑った。
なんでもないみたいに。
わたしのこと、ずっと信じてるみたいに。
でも、胸の奥で静かに何かが落ちた音がした。
*
数日後、駅前の通りで赤いワンピースを着た女の人とすれ違った。
一瞬、息が止まりそうになったけど――
その人はただの通行人だった。
髪をまとめて、イヤホンをして、スマホを見ながら歩いていた。きれいな人だった。
わたしは、ほっと息を吐いた。
もう、“あの人”はいない。
でも、もしまたどこかで見かけたとしても、
わたしは――もう、ちゃんと選べる。
*
夕飯を食べながら、弟が言った。
「ねえ、お姉ちゃんのカレーってさ、ちょっと甘かったじゃん?
あれ、もう一回食べたいなー」
「……覚えてるんだ」
「そりゃあね。
あれってさ、なんか“お姉ちゃんの味”って感じだった」
わたしは笑ったけど、少しだけ目が熱くなった。
もう、あの作り方は思い出せない。
でも、わたしが作った料理を、あの子が覚えててくれた。
それだけで、十分だった。
*
「いやー、泣いた。うん、これ泣くやつっすよ久遠さん」
チカゲが、ホットカーペットに寝そべりながら感情を爆発させている。
「“味”って、“記憶”でできてるんですね。
失っても、食べた人の中に残ってるとか、なんかこう……エモい」
久遠は帳面を閉じながら答えた。
「たぶん、彼女にとっては、味そのものより
“誰かのために作った記憶”のほうが、よっぽど大事だったんだろう」
「いやでも、弟くんも気づいてたよね。
“あの味じゃない”って。
それでも“うまい”って言える関係、あれが家族だよぉ……」
「そうだね。
愛って、正解を“思い出す”んじゃなくて、正解を“更新する”ものなのかもね」
風鈴が、ひと鳴り。
今日の都市伝説は、言葉にならない想いとともに、夜のなかへ消えていった。
次に売られる都市伝説は──
**「狐の嫁入り」**です。
雨も降っていないのに、傘を差して歩く者たちがいる。
その列は細く長く、笑っているのか泣いているのか、わからない。
伝説によれば、あの列に加わった者は、
この世に“戻ってこられなくなる”らしい。
でも彼は、あの日の面影を探して、その行列に紛れ込んだ。
都市伝説、買います。
次回「狐の嫁入り」──今週末祭りは静かに始まる。
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