源流解錠 Ⅵ

「…こうしてお会いするのは2回目ね、かわいい貴女。また会えてうれしいわ」


異質で剣呑な空気の中、更に普段より低い声色で話すヒュプノスが、少し放るような手つきでタナトスの方にわたしを引き渡す。  

「…うちのガキに何か用〜?生魚がよ。」

「…あらあら、まあまあまあ!お兄様たちと追憶の蔵書庫は家族、なのね。胸が温かくなるわ。でも、この家族にはおかあさんがいないのね。それなら、わたくしがその代わりになりましょうか」

「……この、クソアマが」


刺すような空気の中、わたしは考えていた。菊谷の遺品なんかはヒュプノスの方が回収して持っていた。ヒュプノスとレーテーの距離が一番近い今が、とても不味い状況なのだ。おそらく彼と彼女が睨み合っている今、何か既に始まっている。


それを示すように、少ししてレーテーの方が先にふらついた。わたしの時のように、ヒュプノスが瞳を通して彼女の精神に干渉したのだろう。


でも、これは。

「分かってたけどさ〜、…また依代かよ。芸がないよね、もうちょっとバリエーション用意したほうがいいんじゃない」


そう言われた通り、本物ではない――レーテーの依代の身体がどろりと溶ける。形が歪になりながらも、次々と言葉を紡ぐ。

「…ふふ、お姫様をお城から助け出す王子様みたいに逢いに来てほしいんですもの。わたくしからは行かないわ。」


その姿が、水たまりの中で消える。

「……ねえ、追憶の蔵書庫。わたくしはあなたとお話がしたいのだけど、構わないかしら」


いつの間にか、私のすぐ背中に寄り添うようにレーテーの姿があった。と同時に、即座にその首元に鋏が押し当てられて、彼女の髪がばさりと切られた瞬間にまたその身体が水に変わる。


タナトスがレーテーの依代をその鋏で壊した、らしかった。  

「………死神さん」

たすかりました、と続けようとしたが気配はまだあった。…わたしは、彼女の依代のことについて恐ろしい推論を立てていた。


わたしが前に彼女の依代に会ったときは鱗一枚ほどの魔力、もとい構成材料が使われていた。…今はそれの大元が、レモンイエローの魚の形をした眷属という形で無数に存在しているように見える。


つまり――


完全に眷属を潰さない限り、レーテーは半永久的にこちらに対して干渉してくるのではないか? 

「…もう少し落ち着いてお話をしたいのだけど」

 

こちらの思考を嘲笑うようにレーテーの依代が、また湧いていた。


どうする、どうする。推論これが本当なら。

彼らだって弱いわけじゃない、現に無力なわたしのことを守ってくれている。でも、相手が多すぎるしわたしを守りながらじゃきっと不自由な戦い方しかできない。


思考が、巡る。

そこにレーテーの声が滑り込んでくるようによく耳に入ってきた。

「ねえ、追憶の蔵書庫。あなたは他人の為に奔走しているのね、それが貴女の行動原理。死にたいも生きるも全部人の為なのね。それって――」


ぱん、という破裂音。次いで、レーテーの言葉が途切れる。

「…惑わされちゃ駄目だよ、シオン」

オネイロスがレーテーの依代を風船のように膨らませて破裂させていた。…次いで、また依代が湧いた。


彼も、一番恐ろしいだろうに。レーテーから一時も目を離さずに戦っている。


「――他人の為に。それって、とても苦しいことじゃないかしら。呪いではないかしら。だって、それは真に自分のために生きているって、言えるかしら?」


すごく、嫌なことを言われている。こうやって、わたしの夢の中に出てきた人達は話しかけられてきたんだ。それを、どうでもいいと思えるくらい消耗して。やがて食われて。


「ねえ、貴女――」


顔を上げると、レーテーの顔がすぐ近くにあった。そのまま、耳元で囁かれる。


「かわいい貴女。よく知りもしない他人の為に自分が傷つく必要なんて、どこにもないのよ―」



その時に浮かんだのは、家族は、そう。でも、もっと強く浮かんだのはこれまで関わりのなかった薬師と、タナトスとヒュプノスとオネイロス。

その大切な人達が存在を、レーテーに否定された気がして。


わたしの腕は、――気づいたら動いていた。



次々に湧いてくるレーテーの依代を捌きながら、ボクはあのガキを観察していた。

「……あーあ、怒らせちまった。」


あの女がガキに何を言ったかは、わからない。

わからなかったが、あのガキの逆鱗に触れることは言いそうだとは思っていた。…あのガキを止める?そんなことはしない。だってあいつは――


毎回そういう時に限って強いから、多少可能性に賭けたくなるのだ。駄目だったら止めるしな。


ガキ――御影堂紫苑は、口の中で何かを小さく呟いていた。多分、術式の文言。声量的にはめちゃくちゃ小さい。何が来るかと思っていたら、彼女が指をくるっと大きく回した。そこにできたのは、大きめの輪…いや、これは。

  

「…キーリングか、これ。」

そこに少しずつ、小さな鍵がつけられていった。


鍵が、彼女の腕の動きに合わせて宙を舞う。

「……、開けアニックステ


おそらく、眷属が大量に居る位置だろうというあたりに鍵が全て飛び込んだ。あ、これはまさか。


とても静かな声色で、彼女が文言を放つ。

解除アクレーラ


ばしゃん、と水がレモンイエローに濁る。でもそれは、眷属の色じゃない。…そいつの残骸の色だ。

ボクは、前に解除の術式についてこのガキに教えた時に言ったことを思い出していた。

『これできるだけで自由度爆上がりだから覚えといて損はないよ!ちょ〜っと組み合わせを頑張れば色々壊せるし〜…。』


これをまさか覚えていたのか。

いや、でも訓練で使っていた様子はなかった。怒りで研ぎ澄まされた何でもありな思考の中、解除の術式をあいつ独自に「存在の分解」という解釈で使ったのだろうか。だとしたら。


「…キッショ……」

とんでもない人間が捕まってしまったかもしれない、と笑う頃には依代は湧かなくなっていて。空も晴れてきて、雲で隠されていた夜闇がよく見えるようになっていた。






わたしが目を覚ました頃には、わたしの眠っていたベッドの近くで神格達が各々のことをしていた。目覚めた瞬間にオネイロスが静かに抱きついてきて、タナトスには水を飲まされ、ヒュプノスには…なんか軽口を叩かれた。

「………朝。朝だ。え、夜でしたよね?」

「ああ、あの時はな。」


もしかして、めちゃくちゃ鮮明な夢だったのか。とても嫌なことを言われて、それでなんかめちゃくちゃ頑張った気がしたけど、夢…。


「…夢じゃないよ、シオン。おまえは頑張ってた、すごく。」

「…レーテーさん、ぶっ殺しましたよね。そうですよね。無限湧きしてるのを潰しましたよね」

「そんな物騒な語彙、おまえから出るんだ」


オネイロスが言うには、わたしは怒りながら自分の体力の限界まで力を使ってレーテーの依代を生み出す材料である眷属を退けたらしかった。それから寝たわたしをタナトスが回収し、そのまま帰ったとか。


「…しばらくは術式の勉強はしつつ、のんびり過ごしたいんですけど。また来ますかね」

「なんか王子様がどうとか甘ったれたこと言ってたから川の近くとかに行かなきゃ捕まんないでしょ。内陸行こ内陸。いや川はあるか内陸も。」


どうにか落ち着いた、けれど。


『かわいい貴女。よく知りもしない他人の為に自分が傷つく必要なんて、どこにもないのよ―』

この言葉が嫌だったな、と思って沈むのだった。



この件でしばらく顔が曇っていたらしく気を遣われることになって最終的にわたしの前にグミとぬいぐるみの祭壇ができたのは、また別の話。

 

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