源流解錠 Ⅱ

――御影堂紫苑。最近歯ごたえがありそうになってきたガキ。そいつが、また力を使い果たしたのかそれか精神世界に入り込んだか何かで急に眠った…ので、ボクはそれをベッドに運んでその静かな寝顔を眺めている。


「ほんっっっと、ガキのお守りってさぁ…」

ボクが個人的に覚えておいたりこれ興味あるな、みたいな術式のコードを覚えさせた端末に勝手に触ったらしいこのちびっ子が、また勝手に何か習得したのに勘づいて、敢えて兄弟の片付けを手伝いに行かず彼女の隣にいたものの。


『…源流解錠クレイス

自分が術式のために発したワードが上手く思い出せないという例は人外でもままあるのにあっさりと術式を発動させて、正直驚いた。記憶が失われないってかなり便利なんだね、って。

 

問題はその後だ。それを発動させてから。

ボクには何も見えていないが、あいつは多分術式の影響で何かしらが視えていた。その時にガキが発した言葉が、あれだ。

 

『レーテー…?』

あれは何かしら嫌なものを見た、というようなふんわりしたものではなくあの女のいた空間の記憶を読み取ったのだろうと仮に推測はついた。


この家に、レーテーがいたことがあるとしたら。

「この家、一階が一度浸水したみたいなイヤ〜な汚れ方してるんだよね。だから皆2階にいるんだっけ……こんな天井まで汚れるもん?」

 

ここは、山中だ。どんな水害が起きてもこんな浸水の仕方はどうやったってしない。明らかに、人外のなせるそれ。


だとしたら、この家ももしかすると危ないのか。

 

前に御影堂紫苑が自分の叔父の最期について言っていたことがある。

「…この隣の内側から鍵をかけられた部屋で、水から大きい生き物が出てくるみたいな音を最後に、彼の声が聞こえなくなりました」

「え、そんだけで引いてったんだ〜。…なんか、アレだね。人間も広義の水袋だからできたのかなって思った、その干渉の仕方。」

「…めちゃくちゃ怖いんですけど、その解釈。」


その時は背筋も凍る怖い話程度の扱いで終わったのだが。

「あいつもまあ、人間である以上は水袋だもんな……あいつが人間のうちはやっぱりアレの相手させんのは危ないのかな〜…」

ボクは、密かに頭を悩ませるのだった。




ぼんやり、意識が浮上する。


「…、深夜1時37分。生活リズム破壊砲。」

わたしが目を覚ました時間は、ドのつく深夜だった。わたしはベッドの上に載せられて、シーツも何もかけられずに四方八方を動物か化け物かあやふやな造形のぬいぐるみに囲まれて横になっていた。なんだこれ、葬式じゃあるまいし。でも、これは多分オネイロスが善意もとい『こうするとかわいい』でやったのだろうと思った。


「…………」

寝る前のことは、覚えている。ヒュプノスの持っていた用途不明の端末を触ったら――右手人指し指の爪に鍵の刻印ができて、その指を何か物体に向けたままちょっと回してみたらレーテーと全然知らない中年の男性がこの家の中で談笑している記憶が流れ込んできて混乱して、そのまま寝た。多分、体力を使い切った。


「……体力精神力共にクソ雑魚、睡魔さんにメスガキ煽りされてもなにも文句言えないですよ」

「ほんとにね〜。おはよ、ねんねちゃんがよ」

「生活習慣終わり神格さんだ、おはようございます。夜に音もなく現れるのやめてくださいってあんなに言ったじゃないですか」


起きたら当然のようにヒュプノスが近くに居た。この人も大概いつ寝ているのかわからない。本当は、寝る必要なんかないのかもしれない。神格だし。

 

「…なんか魔法使ったと思ったら寝ちゃった雑魚なのでいくらでも雑魚煽りしていいですよわたしのこと。ほら、わたしのメンタルの許す限り、煽るがいいです。」


「…雑魚ガキ。お前さ、ものは相談なんだけど。睡魔さん、お前のことめちゃくちゃ心配なんだよね、雑魚も雑魚過ぎて。よわよわ雑魚人間すぎて恥ずかしくないの?っていうか。」

「雑魚って1つの会話の中で4回言うの、こんなに意識せず自然にできるものなんだ。そうですね、このままだと勝てる気しないんですよ、全てに。レーテーさんどころか、社会とかに。」 


「んね、だから。」


びし、と勢いよくヒュプノスから指を指される。

その接続詞の次に続いた内容は――

「…ちょ〜っと試しにお前の術式の使い方のコーチングさせろよ、ボクに。雑魚から稚魚くらいにはしてやれるかもしれないからさ。」

「……はい?」


 

その提案から、およそ数十分後。


「…あの透明な鍵もどきは出せるんでしょ。そこまではよかったよね。そんで術式発動してから即寝したのを考えるとさ〜…多分、受信する情報の制限がうまくいってない。お前って雑魚で人間なんだから、ある程度情報絞らないとマジで脳がパンクして限界になるんだよ。手っ取り早く人間やめてこっち側に来るって手もあるけどね〜。ってことでグミ食べる?」

 

ヒュプノスがまた何時ぞやのものとは違うグミをどこからか出してくる。多分食べると碌でもないことが起きるのだろう。 


「自然な流れで黄泉戸喫に誘導しないでくださいよマジで。…、情報の制御。イメージ的に、網目で大きな砂糖の粒を濾すみたいな、そんな…?」


お、と彼が目をちょっと見開いたのが見えた。 

「ちょ〜っと近い!それを自分の能力に合わせて形を変えてやる感じ。なんだ、術式なくてもタナトスの中に干渉できてたのって単に感覚の掴み方が結構できてたからなんじゃん。……まあ、身体の耐久性が雑魚ですぐ寝るのは致命的だけど。」


自分の能力。追憶の蔵書庫…が、記憶を引き出す力がある、もしくは半永久的な記録。源流解錠…鍵で、扉を開けて記憶を覗く。そうだ。鍵は、開ける以外の動作もあって――


「…………施錠する、とか…?」

「…え〜?なんかめちゃくちゃ感覚型のセンスあるじゃん、昔のオネイロスくらい覚えが早くてびっくりする。え、すご。雑魚人間のくせに。ざ〜こ♡」


「いや、普通に昔ファンタジー漫画に影響されてオリジナルの呪文とか考えてた古傷を抉りながら喋ってますけど。なんか、褒められてるのに素直に喜べないですね…。でも、そうですか。施錠。鍵をかけたら、そこには何者も立ち入れない。」


ふふん、と笑うヒュプノスがつつ、と指先を動かして話す。 

「施錠だからねえ、網目で濾すよりは勝手に入ってくる情報を完全にシャットアウトする感じに近くなるんじゃない。まあ、これからいくらでも成長や変化のしようはありそうだけど〜…。じゃあちょっと試してみよっか。タナトス〜、おいで。」

「……ああ。……今呼ぶのか?私を?」


ぬるり、と闇の中から姿を現したタナトスに少しびっくりする。ずっと聞いていたらしい。 

「え、死神さんだ。死神さんも今日に限っては生活習慣終わってるんですか。一番生活が規則正しそうなのに。」

「お前の警護をしていると自然と夜遅くの活動になるんだ。なんでだろうな。」

「すみません、わたしが9割悪いです。」


彼は仕事に行っている時は決まった時間に休んで(それも短時間だったが)、ちゃんと決まった時間に起きていたので今ほど自堕落な時間もないのだろうな、と思った。完全にわたしの影響らしい。


「こほん。今から何をするかというと〜…。お兄ちゃんとボクで、お前の脳内に直接わちゃわちゃ語りかけちゃいます♡施錠(仮)が出せれば頭の中をそれで埋め尽くされないで済むけど〜、できなかったらちょっとお仕置きしちゃおうかな。」  


「双子兄弟モノASMRってことですか?普通に何かしらのサイトで出しましょうよそんなのは」

「……何か誤解してるだろう貴様。そんな青少年の教育に悪そうなものは読まないからな。」

「…いい大人だ〜。死神さんの音声だけ切実に聞きたいから頑張っちゃいます、わたし。」


わたしのその言葉を皮切りに、彼らの声が途切れる。彼らはこちらを見ながら首を傾げたり、ぱたぱたと手を振ってくる。彼らは声を出してないだけで、わたしの認識機能がおかしくなったわけではないのを、環境音が聞こえることで把握した。


そこから、脳内に聴こえたのは。

『…聞こえているか?私の声が聞こえていたら、右手を上げてくれ、…そう、いい子だ。』

『ね、聞こえてる〜っ?聞こえてたら左手上げてね。両手上げてる〜!えら〜い、ご褒美に銃口突きつけちゃう♡』

……好き勝手に喋り過ぎじゃないか、弟の方。


「いや死神さんだけ喋っててほしいのにそれをかき消すくらいうるさくて邪魔なのがいるんですけど。聞こえてますよ。……じゃ、始めてください。」


『…お前の首は細いな。それでもちゃんと息を吸って生きている。お前のような娘がいたら私はきっと幸せだっただろう、いい子だな…』 

『いえ〜〜〜〜〜い!!!!前散々死にてえって言ってたよなガキ!!!そんなお前のためにィ、完全オーダーメイドの断頭台を用意しました!お値段の方なんと99999999円です〜!!!!!』


「うわ絶対なんか聞き逃してる待って待って待ってくださいよ、うるさすぎる。死ぬ?死神さんが音量10だとしたら睡魔さんが音量70くらいあるんですけど」


ちらりと相手の方を見ると、本当に両方とも静かな顔で目を閉じながら黙っている。めちゃくちゃうるさいヒュプノスのほうでさえ、同じ顔をしている。


これは、片方だけ聞ければ、或いは。でも、止めるしかないのか。


頭の中でこだまするカオスな呼びかけに耐えながら、右人差し指の先を虚空に向けて、回す。


源流解錠クレイス…。えっと……。」


施錠。なんとなく、イメージはつく。

指を自分の頭に突き立てて回して――でもそれをすると、両方の情報を絞ることになってしまう。なんとか、なんとか片方を…


『いえ〜〜〜〜〜い!!オタクくん、見ってる〜〜〜〜!?今からこの清純派お兄ちゃんにロングメイドを着せて外に放り出します〜〜!!どんだけ殺して帰ってくるか楽しみだねぇ!!!』


「…いや、うるっっさいです。両方閉じます。」


にゅりん、と目を閉じているヒュプノスの口角が上がる気配。その狙いに乗ってしまったようで癪だが、しょうがなかった。こんなことで廃人になりたくないし。


閉じる、完全にシャットアウトする。わたしの領域には、指一本触れさせない。


頑丈な扉を、用意して…。

「………閉じろクレイオー。」


ガチャン、と何かが閉じる音がして、


――その瞬間、頭の中で聞こえていた声達がぴたりと止んだ。


「……」

彼らの方へと歩いていく。ぽんぽん、とタナトスとヒュプノスの肩を叩く。ついでに、ヒュプノスの肩を自分としては結構強めにパンチする。恨みを込めてのクソ雑魚パンチだった。


「…終わったのか。よくやった。」

「ふぇっ、え〜ッ、マジで!?やるじゃん!どうだった、双子兄弟ASMRの感想は?」

「睡魔さん、絶対絶対許しません。はは。」

「最高だったと〜!!いい耳してんじゃん!」

「…これ以上からかうのはやめてやれ、ヒュプノス…」


心底同情するという顔のタナトスに頭を不器用にかき回されるように撫でられていなかったら、多分しばらくヒュプノスと口を利かなかった。


何やらとても満足気にしているヒュプノスが、目を合わせてくる。

「…これからよろしくね、ガキ。雑魚人間のお前のこと、ビシバシ叩き直してあげるから」

「…私に師事したこと、すぐに後悔させてやりますから。それくらい、強くなりますよ」


かくしてわたしは、ヒュプノスや兄弟に稚魚以上――人外未満の存在になるべく精進することになるのであった。

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