第五章

“真の死”との邂逅

その日のわたしは、タナトスとヒュプノスとオネイロスの3人と遠出して歩いていた。


わたしは、実のところかなりの方向音痴でスマホの位置情報やマップがないとなかなか目的地には辿り着けない。それを彼らはあまり知っているかわからない。

わたしは少し前、水を買いに自販機へ行くという旨を彼らに伝えて、彼らから一時的に離れた。


多分、それがよくなかったのだ。


彼らの姿が見えなくなっていた上に、今自分のいる場所がよくわからない。

  

「……迷子センターに行かないと死ぬかもしれません、この年齢になってですか?本日も██店にお越しいただきまして誠にありがとうございます。ご来店中のお客様に迷子のお知らせをいたします。黒と灰色の洋服をお召しになった17歳の御影堂紫苑ちゃんがサービスカウンターでお連れ様をお待ちです。お心当たりの方は2階サービスカウンターへお越しくださいませ、じゃないですか」


冗談交じりにツッコミながら、迷子センターに素直に駆け込むことにする。従業員さんは地獄みたいな顔をしたわたしを見て、飴を渡してくれた。


そして、件のアナウンスが流れる。

『ご来店中のお客様に迷子のお知らせをいたします。黒と灰色の洋服をお召しになった17歳の御影堂紫苑ちゃんがサービスカウンターでお連れ様をお待ちです。お心当たりの方は――』


自分が言ったのと全く同じような文言で案内をされる。…前にヒュプノスが映画館のマナー一式をサラッと言ったような要領で、いい感じに即ボケられるように色々な定型文を覚えていたのだが――


「ちょっとした羞恥プレイですよ、これは…。」

「お嬢さん、大丈夫だから。迎えの人、来たみたいよ……あれ。お嬢さん、年の離れた妹とかっていたかしら?」


「……え?」

従業員さんに言われた言葉に違和感を覚える。年の離れた女の子?…いやいや、しっかりおじさんの美形の双子とおじさん一歩手前の美形しか身内には居ない。いや身内ではないか。


「ほら、そこにいるでしょう。――」


「……!?」


いや、信じたくなかった。信じたくなかったが、居た。あれは間違いなく――


忘却レーテー…!」

「あぁ、お嬢さんのお知り合いなのね!よかった。もうはぐれないようにね」


待って、と言いたかった。

にこやかに微笑んでアクリルガラス越しに手をぺたりと這わせている恐ろしい怪物から、少しくらい距離をおきたかった。でも、どうだ。


…わたしが今ここでレーテーを監視するという役割を放棄したら、どれくらい甚大な被害が起きる?



引き戸を引いて、レーテーの隣を歩く。

「…こんにちは、かわいい貴女!迷子だったのね、でも大丈夫。ちゃんとお迎えに来たから…」


彼女が手を握ろうとしてきたのを気配で感じ取り、ポケットに手を入れてやり過ごす。どこから干渉されるかわからない、警戒を怠るな――というのはタナトスの言葉だった。


その時にレーテーが、しゅんとした素振りを見せる。…なんなんだこの人、人間の言葉や感情が伝わるぞと安心させるためのポーズか?


目を合わせないように下を見ているとレーテーのフリルとリボンのたくさん付いたレモンイエローのワンピースのスカート部分が歩くたびにふわりと揺れるのが目に入る。彼女の靴は、水滴を床に付けるほどじっとりと濡れていた。


「ねえ、貴女。」

返事を、しないといけないのだろうか。

わたしの両親と、叔父の仇に。返事をすることを躊躇していると、相手はお構い無しに話し始めた。


「わたくしね、ひとりで誰も頼れる大人がいない…そんなこどもを探していたの。そうしたらね、たまたま貴女が迷子になっていたの。運命だと思ったわ。あなた、わたくしと出逢うために迷子になったのよ。物語の1ページみたいね。」


この言動だけでも本当に、全体的に話が通じなさそうで怖い。否定しても逆上もしてこないどころか、前に追体験した記憶の中にあったようにこちらを丸め込んできそうだからうまく相槌も打てなかった。それをいいことに、レーテーが更に話題を増やしていく。


「貴女はどんなお話を聞かせてくれるのかしらね、貴女がいればきっといいお茶会になるわ。うふふ。」

「……」


この人、異質だけど穏やかだ。精神的に危うい感じは今のところない。でも、手荒な真似をしたらきっとよく分からない力で逃げられる気がする。


かくなる上は。 

「…レーテーお姉さん、薬局に寄ってもいいですか。ビニール手袋を買いに。」

「…、まあ!まあまあまあ、お姉さんですって!ええ、ええ。構わないわ。わたくし、お姉さんだもの。ちゃんと待っていられましてよ。」


わたしの考えた作戦、それは――


(素手は絶対に駄目だから絶対に隙間ができないビニール手袋の上から手を握りながら歩いて最大限人間に干渉させないように、する…!)


ありがとうございましたとレジ店員に言った後、レーテーは通行人がぽつぽつ居たにも関わらず誰にも話しかけずに律儀に待っていた。


「…………お待たせしました、では」

「…あら、…手を繋いでくれるの?」

「…はい。ビニール手袋越しでよければ」


レーテーの表情が、一瞬固まって――

口が三日月型に歪んだのを見て、死を覚悟した。

おそらく笑顔、なのだろうが。この人の笑顔はとても怖かった。


「…あの、嫌なら」

「嫌じゃないわ、嬉しいの、とてもね。」


にま、と笑んだレーテーとばっちり目が合う。この人の瞳、大分特徴的だな。真ん中に四芒星みたいな白い瞳孔がある。いや、十字?そんなことを呑気に考えて目を合わせていたらヒュプノスあたりに怒られていたかもしれないが―――


何故か、前に彼女が出てくる記憶で追体験したような頭がぼやける感覚は一切起きなかったのだ。


相手も、わたしの目を見ている。いつの間にか、覗き込まれている。そのうち、特に意識してなにもしていないのにその相手は、ふらついて尻餅をついた。それと同時に――


ぐうううううぅ。


「………はい?」

「…そろそろ、ご飯の時間かしら…」


尻餅をついてよた、と立ち上がるレーテー。待て、今この人ご飯って言った。それってつまり、人間のことじゃないか…!?


ふら、と人間のいるところへ吸い込まれるように歩こうとするレーテーの手を、握る。


「…レーテーお姉さん、待ってください。わたし、いい定食屋を知ってますよ。」

目の前の彼女レーテーが、その言葉を聞いて目を瞬かせた。



そのわたしの話した、『いい定食屋』にて。食券を買って、少し待った後に親子丼が2人前来た。

 

「…あらあら、まあまあまあまあ…!!!おいしいわ、おいしいわ、おいしいわ…!」

「……月初めに2食分の三千円が財布から飛ぶのは痛いですね。うう、学生だから…」


――レーテーは予想はついていたものの、本当に大食漢だった。わたしとレーテーで昼を食べたんじゃない。レーテーだけが2食分を食べている。


「お嬢ちゃん、いい食いっぷりだねえ!おじさん嬉しくなっちまうよ!」

「ええ、わたくしも嬉しいわ!こんなにおいしいんだもの、満たされるもの!このオヤコドンって食べ物は、とろとろで、少し熱くて、やわらかいお肉がおいしいのね」


「…普通に料理人さんと打ち解けてる……」

レーテー自身が可愛らしい幼女の姿をしているからだろうか、誰もこの異常さに突っ込まない。少しくらい助けてほしかった。


定食屋のおじさんとレーテーが会話をしているのを、一応レーテーの手を引いて念の為に一度止める。この人、話し口調そのものは穏やかだからこそ人を懐柔するのがすごく上手いんだろうな。


まだ話していたいわ、というような顔のレーテーの瞳を覗き込むとまた彼女が急に大人しくなる。その手を引いて、わたしは定食屋から出ていく。


(追憶の蔵書庫パワー、勝ってます?これ…)

わたしが彼女の目を覗き込むと、レーテーは目眩のようなものを起こすようだった。多分完全に勝っているわけではないけど、少なくともわたしは今頭がぼんやりとはしていない。


…彼女をこのまま、タナトス達の元へ引き渡せば。もしかしたら、変わるだろうか。


そんなことを考えていると、通りがかった公園でひとりの子供が砂場に座り込んで泣いているのが目に入った。…それはレーテーの方も同じだったらしい。彼女は、わたしの手をぬるりと抜けて――


「だいじょうぶ?かわいい貴方…」

その子供の方へ、手を伸ばしていた。

  

…隙を作ってしまった。いつぶりにこんなに走るだろう。持久走なんて出たことないし、徒競走もやったことがない。走るのって本当に苦手だ。でも、走らなきゃいけなかった。だって。


「あなた、かなしいの?ならわたくしがたすけてあげるわ」


だって、だって。あの子はわたしの前から姿を消した日のおかあさんやおとうさんみたいになってしまうかもしれない。そうしたら、知覚できない喪失を味わうことになるあの子の両親のことを考えてしまって嫌だった。


「悲しいこと、ぜんぶ忘れてしまいましょうね」

 

走れ。走れ走れ走れ走れ走れ走れ――!


…足が、ちゃんと砂場まで届いた。

「……レーテーお姉さん!」

ぜえ、ぜえと息を吐きながら近くに寄る。


特に驚いた様子もなくこちらを見据えるレーテーに、息も絶え絶えになりながら向き合う。


「あらあら、どうしたのかしら…?貴女、とっても辛そうだわ。早く休まなくちゃ。」

「――その子は、わたしがこの子のお母さんのところへ連れて行くので、引き渡してください…」

 

レーテーはわたしのその言葉に驚いたような、戸惑うような表情を作った。それからすぐに反論してくる。

「でも、この子は可哀想だわ、こんなに泣いて、縋れる人もどこにもいないの。じゃあ、わたくしがこの子を助けるしか――」

「…成長のための見守りすらできない過干渉な母親って、碌なもんじゃないですよ」

「……………」


…ちょっと、強い言葉を使いすぎたかもしれない。レーテーが黙り込んだのを確認して、ふと視線を相手の方に向けると――


「ガキ!!!!!!!何してんだ!!!!!」

その後ろからいつもの3人――タナトスとヒュプノスとオネイロスが走ってくるのが見えた。私よりずっと走るのが速い。

「…今のタイミングか……。」


「折角、この子もわたくしのかわいいこどもになるかもしれなかったのに――」

…レーテーはやはり、この男児の母親という根源的な記憶を奪って彼の母親に成り代わろうとしていたらしい。それは、今日少しだけ彼女と一緒に居た時間があっても許しがたい事実だった。


「またね、かわいい貴女。追憶の蔵書庫…どんな子なのかしらと思っていたけれど、あなたってちゃんと強いのね。あなたも――」


わたくしのこどもにできますように。


その一言を残して、レーテーの身体が爆ぜた。


いつの間にかこちら側に着いたオネイロスがそれを見て言う。

「幻術だ…これ、本体じゃなかったんだ。水で作った依代だね。」

「だろうな。殺気に鈍い、無反応すぎる。本物なら私達が現れた時点で姿を消していたはずだ…」


レーテーの依代がいたところには水たまりができていて、そこに黄色い鱗が1つだけ浮いていた。


「……みなさん、あの、その。」

「………言い訳は後で聞いてやるよ、ガキ。」

目の据わったヒュプノスがあは、と笑ってこちらの腕を引っ張る。力が強い。


「家帰ったらあのアマに何されたか教えろよ、んで熱菌消毒の刑に処すから」

「シオン、おれより先にあの人とご飯食べたね。しばらく引き摺るからね」

「……一人でよくここまで来た、が。……お前に対する躾を厳しくした方がいいかもしれないな」 


…今ってめちゃくちゃ、四面楚歌なのでは。 

災厄対策、難航する未来しか見えない――!


わたしの小さな叫びは、空に吸い込まれるように消えていった。

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