弐六ノ舞

 松が覆い茂りその夏の厳しい木漏れ日の中、お師さんのピチピチレーシングスーツとお揃いの白い機体が映える。子供の頃見た銀河警察的な変身ヒーローが飛び乗って、蒸着と叫びだしそうなバイクだ。

 ――魔乳宇宙女刑事アンジェラでも始まる……?

 そう、思わずには居られない。きっとレーザー十手やカネサダブレードで、悪の手先の脳天を唐竹割るに決まっている。俺は恐怖で唾液を飲み込んだ。

 ドイツのバイクで、サイドカーのついた大きなバイクだ。お師さん曰く1200CCという大きなエンジンらしい、母の車が3600CCだったはずなので、三分の一の大きさ。パワーも三分の一と仮定しても、車重は全く異なるので、とんだ化け物だ。こんなモノに載せられクソ熱い首都高を疾走された日にゃ、悪夢というか、惨劇だ。

 バイクには見慣れた青と白のプロペラのようなエンブレムがあり、ドイツの有名自動車会社が作っているのかと驚いたが、エンジンだけがそのメーカー産で水平対向エンジンという至高のエンジンらしい。

 お師さんは宇宙戦争の白い量産型戦士が被っていそうな、これまた骸骨のようなヘルメットを手に、俺にも同じデザインのモノを渡す。お師さんがヘルメットを被ると、それは格好がよい。本当に映画のヒーローのようだ、無論、胸がヒドいのだが。

 翻って俺はというと和服にヘルメットという珍妙な格好で、これまた珍しいサイドカーに載せられ……まるで見世物のようだ。

 ――これも、ある意味試練か。

 お師さんがバイクに乗り込み、俺も続いてサイドカーに座ると同時にエンジンに火が入る。車体が微振動に包まれ、熱された空気が排出され乾いた排気音が響く。ヘルメットの中はサウナのようで汗が浮き出る。俺の心臓は別の意味で恐れ鼓動のビートを刻む。

 お師さんは俺に向けて親指を立てる。出発のサインだ。俺は深く座席に腰掛け、オッケーマークを出す。お師さんはアクセルを回し重低音の効いたサウンドが腹に響く。お湯が沸騰するような音が響き、この怪しげなバイクは東京都渋谷区千駄ヶ谷の関東将棋院に向け、発進した。

 横浜公園ランプ入り口までは、暑いもののバイクという今まで触れることのない世界の風景に触れ新鮮だった。もはや言うまでもなく、首都高は地獄の様相を呈した。

 初日、俺の母親とプライベートで箱根に繰り出したという話を聞いて、俺は試験前だというのに血の気が引いた。

 ――あぁ、お師さんは母さんと同種族なのだ。

 類は友を呼ぶとは言わないが、お師さんと母は個性自体は全く異質ながら、根元的な趣味から、趣向まで類似していたのだ。だから、あの母親がすんなりとお師さんの元に有無を言わず預けたし、全面的に任せると言ったことにも頷けた。普通なら同類嫌悪にもなりかねないのだが、どうやら、人の持つ波長が同じなのだ。言葉が通じ合わなくても、なにかこう安心感を抱く相手というものがいるが、この人の持つ固有の波長の同調律のなかもかもしれない。

 ――しかし、こいつは……

 とんでもない。

 母のスポーツカーより更に低く、地を這うかのようにアスファルトに張り付く、風を切る音と特徴的な重低音が鼓膜に響く。加速すると、ヘルメットの吸気口から向かい風が襲いかかり、頭の中が冷えるのがわかる。

 トラックにバン、セダン、ありとあらゆる車をコーンに見立てて、右へ左へ華麗に避けていく。ただでさえ珍しいバイクに魔乳ライダーと珍妙な格好の俺のせいで、車のドライバーたちは皆一様に驚きの表情を浮かべる。

 もう後半は恐怖の、目を閉じ瞑想するしか俺には耐える方法がなかった。叫び声をあげても爆音に掻き消される上、ヘルメットから覗かせるお師さんの目は、首都高を爆走する母と同様、爛々と煌めき悦に入っていたからだ。

 俺は汗か冷や汗かもわからない汗を流して、恐怖に震えながら試験の前だと言うのに、その試練に耐えるしかなかった。

 心頭滅却すれば火もまた涼しというように、俺はそのスピードの恐怖のせいで暑さを全く感じることなく関東将棋院に『無事』たどり着くことができた。

 将棋院前には試験挑む、受験生と保護者や、恐らく師匠でプロ棋士の姿が目立った。そんな中、奇妙奇天烈で表れた俺は恥ずかしいを通り越して、最早達観の域に達していた、というより首都高の悪夢でそんな事を考える精神的余裕が消え失せていた。

 生まれたての小鹿のようにサイドカーから降りて、ヘルメットをとる。汗が滝のように流れる。

「やはり、今日も暑いな」

 お師さんもヘルメットを脱ぎ、タオルで汗を拭うとそのまま俺の汗をタオルで拭きはじめた。タオルからはお師さんの甘い香りが漂い、その濃密な匂いにむせた。

「お師さん、自分で拭きますよ」 

「よい」と、言葉短に言い、お師さんは有無を言わせない。

 ぼさぼさになった髪をお師さんは、櫛で解いた。至近距離から上気を上げる汗で蒸れたお師さんの匂いに目が眩みそうだった。

 着物を着た俺と、レーシングスーツに身を包んだお師さんの姿は異様なほど浮いていた。連合関係者は、慣れた様子でその光景を流していたが、何も知らない人間は唯々、希少な風景に目をとられていた。

 人の注目が集まり、言い知れぬ気まずさを感じたが、目の前の方はそんな視線など露知らずだ。

「これで、男前になった。さぁ、これを持っていけ」

 お師さんは少し大きめの信玄袋を手渡した。俺はそれを受け取るとお師さんの顔を見た。

「わたしはここまでだ。ここからは貴殿一人の戦いだ。門入り口までは案内した。見事潜るか、それとも引き返すか。すべて貴殿にその選択は与えられた。選択の先にどのような結果があろうと、貴殿が選んだ結果だ心してかかるがよい」

 まるで流れる水のようにお師さんは俺を抱きよせた。俺は引き寄せられるままメロンの谷間に落ちた。滑らかなレザーの肌触り、オイルの香りが鼻を掠めるが、その香りの奥にはローズとお師さん特有の甘い香りが混じっていた。

「願わくば、貴殿の魂が盤上の上で昇華されんことを」と、言ってお師さんは微笑む。「行くがよい、わたしの将棋の子よ」

 お師さんに見送られ、茶色の外壁で固められた将棋帝国の皇城に足を踏み入れた。

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