拾七ノ舞
――来栖、天羽……
聞き覚えがある来栖女流三段はタイトル経験もある中堅の強豪女流棋士、そして天羽奨励会2級は女子最年少タイ記録で奨励会に入った現役の奨励会員だ。また女性会員としては異例のスピードで2級に登りつめた天才女性棋士候補生として将来を有望視されている。
「来栖女流三段と、天羽2級、名前ぐらいは知っておるな?」
「はい」
「両者ともに手強い、特に天羽は現役の奨励会員だ。手を合わせ、奨励会員がどの程度のものか体験するとよかろう」
表座敷に移動すると、女性二人が座って待っていた。
「二人とも、お疲れ様」と、お師さんが二人の女性に声を掛ける。
「いえいえ、杏樹さん。毎度駅まで迎えに来てもらって、ありあとうございます」
おっとりとした口調で言葉を並べ挨拶したのは女性が来栖女流だ。ウェーブを掛けボリュームのあるヘアが、アダルトな印象を与える。が、伏し目気味でおしとやか感じが癒される。可愛いらしい容姿とあたりが良いキャラで将棋の解説でもよく見かける人気女流棋士だ。
――それに、お師さんに負けず劣らずの……
マウンテンチェストだ。俺の周囲にはマウンテンチェストが集まる。これは、もはや法則と言っていい。心の中で俺は大きく頷いた。
「先生、今日もよろしくお願いいたします」
かわって、ハキハキと言葉を繋げるのが天羽2級だ。ポニーテールの長い真っ黒なストレートヘアはキューティクルの効いた質の良い髪で、光に照らされると淡いブラウンに変化し丁度バランスがとれている
対局時はいつも和柄のリボンが映えるポニーテール姿で「サムライガール」が彼女の異名だ。確かに姫武将といった感じの鋭さがあり、野望は百ありそうな凛々しい印象だ。今日はいつもの和柄のリボンではなく普通のシュシュだった。
しかし、俺に投げ掛けられた眼光は異様だった。二重の大きな目から放たれる猛禽類の如きの眼光は獲物を睨み殺すような殺人光線だ。こんなキャラクターだったのか? 確かに対局中の姿はサムライガールの異名通り、真顔で切腹すら厭わないというような重厚なオーラが出ているキャラだったが、こんなに好戦的ではなかった印象だ。
女流棋戦でも頭角を表し、六月には惜しくも奪取はできなかったが女流羅将のタイトルにも挑戦している。カド番までもつれ込んだ熱戦は話題になった。その実力は今、女流棋士会、奨励会でも台風の目と言っていい。また人気アイドルに乗っかり、千年に一度の美少女棋士として一般メディアでも取り上げられたこともある。確かに可愛い。しかしだ……
――フラットチェスト……
フラットチェストだ。語る言葉を俺は持たない。
「ふむ、わざわざここまでご足労を掛ける」と、言って、お師さんは跪いて礼をしたため俺もお師さんに習う。
「杏樹さん、そちらのお方はどなたですか?」と、興味津々な視線を向け来栖女流が言った。
「ふむ、紹介しよう。二週間ほど前から面倒を見ておる、わたしの弟子だ」
「「えぇぇぇぇ」」
とくに天羽2級の絶叫に近い甲高い声が耳に答える。
「修身殿、挨拶を」
「初めまして、この度、栗林の門下に入り弟子となりました。船坂修身です」畳に手を付いて頭を下げ俺は言った。
「初めまして。わたしは来栖國子と申します。凛々しい男の子ですねぇ、おいくつですか?」と、来栖女流はニコニコと質問した。
「十一になります」
「先生、どういうことですかっ?」少し声を荒げて天羽2級が言う。
「来月の奨励会受験のため、わたしが直で指導している。実力はすでに3級程度の実力はあると思っている」
「いえ」と、天羽2級は何故か俺を睨みながら言うと続ける。「ではなく、何故弟子など」
「ふむ、奨励会の受験の推薦の相談を受けてな。わたしの師を紹介しようと思っておったのだが、当の師はもう年だから勘弁して欲しいと言われてな」
「しかし、こんな子が」と、天羽2級は殺人光線を俺に浴びせる。
――な、なんなんだ……
人に阻害されることは慣れている。が、彼女に言われなき非難を受ける覚えはない。向こうはほぼ九割方、俺のことが気に入らないらしい。
「乙葉よ、やけにからむではないか? ふむ、新しいライバルの出現に恐れをいだいているのか?」
「なっ」と、天羽2級は鼻息荒く絶叫する。「そんなことありません」
「悪かった、興がのり過ぎた。しかし、乙葉よ落ち着きなさい」
「わ、わたしは落ち着いています」
「左様か、では研究会を始める前にだ。こやつの実力はまだまだ未完に近いが、良い筋を指す。今日はこやつも混じってさせてはくれぬか? どうだろうか、お二方?」
「杏樹さんが筋がよいとおっしゃるのなら、潜在能力は優れていると言ってよいでしょう」と、来栖女流はニコニコして頷く。
「アマチュアが我々の指し回しについてくるとは到底、思えないけれど……」と、冷たい視線で天羽2級は俺を睨む。
――何だってんだ?
勝負師らしいといえば勝負師らしい態度と言えるが、こうあからさまに敵意を出されると、俺も反意を覚える。
――相性悪いぜ……
どうやら俺はフラットチェストとは、縁が薄いらしい。しかし、奨励会2級の実力、俺もどの程度か気になる。
「まだ、アマチュアですので、ついていけるよう努力します……よろしくご指導お願いします」と、俺は熱くならないよう、最低限の儀礼だけはすませた。
「杏樹さんが言うほどの実力があるか、見せてもらいましょう」と、来栖女流は俺にウィンクして言った。
「よし、では各々で対局だ。國子殿は修身と頼む。乙葉はわたしとだ」
「はい、先生」と、天羽2級は甘い声で返事しつつ、俺に殺人光線を出し続ける。
――まったく、冗談じゃないよ……
対局の準備を整える。駒、盤、駒台、対局時計、脇息、座布団を皆で整える。執事の高石さんは盆に魔法瓶と湯呑をもってセットしてくれた。なお、準備中も俺はあのフラットチェストことフラッチェに睨まれてる模様。
「では修身くん、やりましょう」と、来栖女流が声をかけてくれる。
「はい、よろしくお願いします」
フラッチェは駒を並べながらも時折、殺人光線を浴びせてくる。それに気が付いた来栖女流は微かに笑うと言った。
「乙葉ちゃんは、杏樹さんのことが大好きでね。あなたに盗られたと思ってやきもち焼いてるのよ」
「は、はぁ……」
「前半は間違いないですけど、後半は全く違います……」と、隣で角を立ててフラッチェが淡々と語った。
「まぁ、仲良く……は、無理でもあまり気にせず付き合ってあげてよ」
「は、はい」微妙な心境で返事する
「じゃあ、平手でやらせてもらうけれど、段級差があるから、手合割として君が先手をもってくれるかしら?」
「はい」
「持ち時間はチェスクロックで二十分、切れたら一手三十秒で行きましょう」と、来栖さんは駒箱から駒を出して言った。
「わかりました」
「杏樹さんが弟子をとるっていうだけで、棋界としては大ニュースよ……それだけの潜在能力があってのことと思うけれど、見せてもらうわ」
そこには棋士の鋭い目があった。女流三段ともなると奨励会では1、2級の手練れと考えていい。
同じ伊藤流で駒を並べ終わると、挨拶をして、俺は対局時計のボタンを押す。
どの作戦で行くかを考える。駒落ち対局ばかりお師さんとしていたので、平手打ちの対局は二週間ぶりだ。
俺は定跡に従って7六歩と角道を開け、相手は3四歩と突いてくる。俺はそのまま定跡通り7五歩と上がる。角の移動を終え、6二銀と突いた瞬間、7二飛車へと振る。
――今日は、三間飛車でやる……
江戸中期の盲目の棋士石田検校が開発した三間飛車戦法。左から3筋に飛車を振るのが三間飛車だ。この石田流は左陣に集まる先兵、飛車、角行、銀将、桂馬、香車をバランスよく攻撃に使うことができ、かつ右陣は定評ある美濃囲いで防御し、攻撃に専念できるという利点がある。
石田流は相手陣の横方向から攻めるため、相手玉は横方向の防御に定評のある左美濃囲いで固めてくる傾向がある。そこをどう攻略していくかが課題だ。
来栖女流は居飛車の正当派、丁寧な指し回しが特徴だ。突発的な爆発力はないが、ほぼ最善手をついてくる。
――なんて丁寧な将棋だ……
序盤の駒組も非常に丁寧についてくる。読みやすいが、カウンターを狙いにくい。攻撃にも防御にもどちらにも細心の注意を払い、最小の時間を使って駒を指してくる。
一気に10、20とポイント稼がない。1ポイントずつ丁寧に積み重ねていく。Aは5ポイント、Bは4ポイント、どちらも及第点ではあるが、選ぶならやはりA。来栖女流は必ずAを選んでくるタイプだ。一手、一手でさほど差は開かないが十手、二十手先大きく差が開いている。
左翼に展開する俺の先陣に対して、相手は金将が前線に出て防御線を張る。いわゆる石田流対策の棒金戦法で来栖女流は俺の前線を止めに来た。
チラリと向けた視線向ける。来栖女流は、その視線に気が付くと俺の視線に合わせウィンクをした。表情からはそれほどの危機感を感じない。まだ余力を感じる。
――こっちはもう手一杯だってのによ……
余裕があるということは、まだ本気になる必要がない。つまり、俺がまだまだ弱いという証左だ。
駒がぶつかる中盤、左翼に展開した先兵たちは討ち死にし、前線が崩れ自陣に馬の侵入を許し、警報が鳴り響く。
――悪手を指してないのに後半差がってやつだな……
俺は悪手らしい悪手は指していない、が、中盤から差が広がり始めている。相手の最善手の積み重ねが効いてきている。ずるずると差が開く、マラソンで前を走るランナーが一歩踏み出すたび、数センチずつ距離が離れていくそんな感覚だった。
俺は一度盤から目を離して、対局開始時に入れたお茶に口をつけた。若干熱さが残っていたが、丁度よい熱さで、どら焼きなんぞと合わせたら美味いと、ふと思うと肩の力が抜けたようで頭がクリアになってきた。
――差を詰める……
脳の演算を加速させる。盤面を見て数手先の未来を想像し、創造していく。
――左翼攻略は、無理。生き残り部隊を右翼に集中させる……
わが軍は左翼で踏ん張った飛車を援護し、右翼に展開。相手陣の防御の薄い玉頭の攻め始める。玉頭の防御力の薄い美濃囲いに全戦力を投入し陣を破壊していく。しかしだ。
――中盤で時間を喰い過ぎた……
左翼崩壊時の将兵脱出と前線立て直しに転じる間、俺は五分という時間を使い込んだ。相手は五分以上残っている、俺はすでに三十秒将棋、攻撃と防御に読みを走らせる。
盤面から目を上げると、鋭い視線が来栖女流と絡む。ほんの刹那の瞬間であったが、来栖女流は口角を上げ「面白い」といったメッセージを投げてきた。
――なんとか、食らいついていけてる……
中盤で時間を使ったが、意識して『将の将棋』を指した。以前なら、力戦で前線突破に躍起になっていたはずだ。駒は犠牲にしたが、右翼に捻って玉頭を攻めれば勝機がある。そう、思うと俄然やる気と闘志が湧いてくる。
来栖女流の攻撃が始まり、俺の美濃囲いを正攻法で破りにかかる。△7七歩成。
――来たか!
そう思った瞬間、耳にコップを被せたような空気の対流音が鳴り響き、心臓の大きな鼓動を感じた。脈打つたび、体の血管が蠢くのがわかる。まるで走り出したような感覚。全力疾走しているあの感覚だ。汗が珠のように吹き出てくる。
全身の筋肉が硬直膨張し、過度に膨れ上がった筋肉の繊維は耐えきれずプツンプツンと切れる感覚が体の内側に広がり不快感を覚える。硬直のお陰で葉を食い縛る羽目になり、歯ぐきから血がにじみ出るほど意味なく食い縛る。眼球が1.5倍に膨れ上がったような感覚と、瞼がぴくぴくと痙攣する。
そんな感覚と同時に脳は一層猛り、演算を加速させ、俺に駒の未来図を視せた。
――あぁ……視える……駒の『未来』が視える……
演算が止まらない。延々と続く代数計算をミスせず連続計算している感覚だった。そして陽炎のように駒の図形が視え、それは徐々に朧げな像ではなく、はっきりとした形を表す。
――▲4四銀、△6七と、▲4七金、△6九角、▲6五角、△3一玉……
汗を拭おうとしているのに、思うように手が動かない。手を動かそうと上げているつもりなのに、実際には五秒ほど、五秒ほどの間隔をおいて腕が動き始める。
――早くしろ、4四銀だっ!
俺はもう汗を拭って、駒を持とうとしているのに、腕がついてこない。
――なんだってんだ?
ようやく俺の意思に追いついた手だったが、ブルブルと震えて駒がうまい具合に持てない。
「修身! やめろっ」と、怒号が響く。
――やめる? 何をだ?
そう思った瞬間に視界が何かに遮られ、血の香りが漂いむせる。
「呼吸を整えろ、深く呼吸だ。しっかり腹で呼吸をするのだ」
――呼吸? 3三歩成、同銀、2三銀……だ。
「修身、わたしの声が聞こえぬかっ?」
顔に暖かい、弾力を感じる。血の香りに交じったバラの匂い。
――この匂いは……あぁ、天女だ……
この天女の抱擁の中なら、地獄の業火で焼かれても別にいいかもしれない。そう思って俺の意識は途絶えた。
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